高野昭麿
先日、家族全員での夕食の時の出来事です。
小学校3年生の子どもが誤ってコップを倒してしまい、テーブル中にお茶をこぼしてしまいました。子どもは何もせず、ボーッとしていました。たいへんなことをしたと思っていたでしょうが、何をすればいいのか全く分からないほど、パニックになっていたのかもしれません。
その時、私は子どもに「こぼしたことは仕方がないから、ちゃんと謝りなさい」と、しつけのつもりで厳しく注意しました。しかし、その直後、今度は私がお酒を子どもより多くこぼしてしまったのです。叱った子どもの手前もあり、何とかごまかそうと慌ててしまいました。
ひとえに賢善精進(げんぜんしょうじん)の相をほかにしめして、うちには虚仮(こけ)をいだけるものか。(真宗聖典634頁)
と『歎異抄』の第13章にありますように、人の誤りは正してもいざ自分のこととなった途端、言い訳を探し正当化しようとする姿であります。それを子どもと接する中で教えられ、家庭も大切な教化の場所なのだと改めて気づかされます。
また、私はまだまだ立派にならなければと思ってしまいますが、仏様は「そのまま念仏せよ」とおっしゃています。我が身全体を知らせようとする仏様の願いを「そのまま」という言葉から聞き取っていきたいと思っております。
本田圭子
寺に生まれ、縁あって寺に嫁いで40年近く経とうとしています。
大学生だった私は、今は亡き義母の「こちらで寺のことだけではなくすべてのことを教えます」の一言で卒業と同時に結婚しました。箱入り娘と言うと聞こえはいいのですが、花嫁修業どころか、寺のこともほとんど知らずに嫁いできました。家族にとっては迷惑で、しばらくはたいへんな辛抱だったことでしょう。当時は、私も早く家族の一員になろうと、いろいろなことを覚えるのに一生懸命でした。しかし、本堂のお華はいつも義母に任せきりでした。時々義母が一週間ほど留守にする時があり、絶対お華を枯らしてはいけないと言われていたので、夏場は特に悪戦苦闘の連続でした。これではいけないと思い、生け花教室に通ったり、他のお寺の仏華を見せてもらう等して勉強しました。必要に迫られて始めたお花ですが、何事にも基本的な決まりごとがあり、四季折々の花の一瞬の生命を大切に、花の反応を確かめながら造り上げていくのが生け花だと知りました。
年月はかかりましたが資格も取り、今は花と向き合っているのがこの上なく楽しく、心が和み、落ち着くのです。忙しい日常生活の中で、唯一花を生けることを通して仏様と向き合える時間だからでしょうか。自分中心の心が捨てきれない私、身勝手な私に気づかされる大切な時間です。若い頃は義母の言葉が理解できませんでしたが、同じ立場になってやっと頷けるようになりました。
今日まで御仏のお導きのままに嫁ぎ、周りの人々に支えられて生きてきました。これからも素直に自分を見つめ直す一時を大切にしたいと思っています。
梅田良惠
お年忌の場でよくこんな質問を受けます。「赤い蝋燭が立ててありますけど、白じゃないんですか」と…真宗大谷派では、金・銀・白・赤(朱)の四色の蝋燭を儀式に用います。一般的には、白・赤の二色を使うことが多いかと思います。では、この二色にはどういう意味があるのでしょうか。今までにお葬式に関わられた方はその当時を思い出してください。葬儀、またはそれ以降の七日参りには白い打敷(うちしき)、色花を使わないお華、そして白い蝋燭でお荘厳します。また、喪服の色も本来白であり、所によっては今でも喪主が白の装束を着用する所もあります。それらすべて故人の死に対する私たちの悲しい気持ちを表しています。故人の死から四十九日の満中陰法要まで喪に服し、五十日目に忌明を迎えます。喪に服する期間が過ぎ玄関の忌中の札もはがすのです。
さて、忌明も過ぎ、百ヶ日、お年忌を迎えるのですが、その際、お坊さんがお経の前に表白(ひょうびゃく)を読みます。その中の言葉を3ヵ所抜粋して読んでみます。「亡き人を偲びつつ 如来のみおしえに遇いたてまつる」「真実のみおしえに遇いたてまつり 慈光のうち 歓喜の日々に生く」「師主知識の遺徳をよろこび つつしみて恩徳の大行をいそしまん」お年忌を勤めるとは、亡くなられた方をご縁として、残された私たち一人ひとりが仏様の教えに触れ、念仏申す身となったことを慶ぶ大切な行事です。その慶びを色の着いた打敷、色の着いたお華で荘厳してあるのに、白い蝋燭では不釣合いです。蝋燭の色に気を配るだけでも実際にお年忌にお参りする私たちの気持ちが改めて問われているのではないでしょうか。
最後に付け加えておきますが、御仏前の水引の色は、忌が明けるまでは弔事として白黒を使い、忌が明けた以降の仏事、百ヶ日、お年忌は、慶事でありますので紅白の水引を用います。
山口晃生
元ラガーマンの平尾誠二さんは「今後あらゆる組織がベンチからの指示を忠実にこなす“野球型”から個人個人が状況に応じて自分で判断を下す“フットボール型”に移行していかざるをえない」と言っておられます。
これは私にも言えることで、我が家は代々寺役をさせていただく等お寺とは密接な関係にあり、父も熱心な聞法者で「教えは若いうちから聞くほどええのや」と口癖のように言っておりました。しかし、その時はそんな父の言葉に反発ばかりでお寺のことは親父に任せとけばええんやと、耳を貸そうとしませんでした。私が46才の時、母が急死、そのご縁で特伝を受けることになりました。特伝は企画立案の後、ご住職を通じて受講者を募ります。そして受講者は案内されるまま指定された場所へ行き、先生の講義を受けます。言わば、前・後期ともベンチの指示通り行動します。私もそのように受講し、帰敬式も受け、一人の推進員として誕生したわけであります。
これからがフットボール型推進員として何をするのか?どう動くのか?が重要な課題です。
まず手次寺の同朋会に参加したのですが、今までの生き方、考え方が次々と壊され、嫌になり欠席することも度々ありましたが、その都度受講法友(なかま)により聴聞の道へ引き戻されました。
そして、何年か過ぎた頃、これは出席するのではなく、させていただくのだ。聞くのではなく聞かせていただく。と変化し、身は同じことをしているのにもかかわらず、心は全く反対向きになってきました。これも両親、住職、講師の先生等、私を念仏の教えに導いてくださった方々のお陰、そして何より聞法を続けてこれたお陰、それらを受けた恩に報いなければならない、返さなければならない。何かしよう、そこで人の嫌がることや地区の役職、門徒会役員等も依頼があれば、頼む側の立場になって私にできることであれば喜んでさせていただこう。また、ボランティア活動にも積極的に参加しよう。現役で仕事をもつ身にはどれも大変なことではありますが、そうすることが私自身の喜びであり、今生きている証(あかし)であり、私にできる恩返しと思って日々頑張っております。
尾畑潤子
毎年、4月になると境内にある20鉢ほどの蓮の植え替えをします。蓮が、やがて葉を茂らせる頃になると、蝶やカエル、スズメや蜂がやって来て棲みついたり、水浴びをしたり、鉢の中にはボウフラや糸ミミズが元気に泳ぎ出したりします。
蓮が蕾をふくらませて花開く環境は、こうした無数の生き物との共存の中に整えられているのでしょう。いのちが互いに関わり合い、繋がりの中に生きているのは私たち人間も同じです。しかし、現実はどうでしょうか。人と人との関わりを断ち切っていく悲惨な事件や争いが後を絶ちません。また、人と人の関わりを見失った発言も相次いでいます。今年1月、厚生労働大臣は「女性は子どもを産む機械」「夫婦に子ども二人の健全な家庭」という発言をしました。女性のみならず男性や子どもをも、国を成り立たせる一つの歯車として考えているのではないだろうか。「産めよ増やせよ」と言われた時代が思い起されて、今を生きる私たちの社会に不安が募ります。
しかし、同時にこの発言を考えてみると、私たちの日頃の生活は、結婚することを当たり前とし、子どもをもって一人前とする女性観、家族観の中を生きていることにも思い至ります。そんな私たちの常識的な価値観は、結婚や出産に対して、過度の期待となって人を追い詰めたり、また、自らを苦しめる結果を作り出しているのではないでしょうか。
いのちは人が人として誕生する時も、いのちを終える時も、私の思いを超えて存在しています。そのいのちの事実を見失って、自分の力で生きていると思っている私たちの在りようを、蓮如上人は「末代無智のともがら」と教えてくださっているのだと思います。私たちの差別的な価値観は仏様の教えによって照らされ、問い直される中にしか、誰もが光り輝く世界は見出すことができないのでしょう。
泥の中の蓮を眺めていると、私を生み出し、私を支えていた無量無数のいのちの働きの中に、今日の私があったことを改めて気づかされる日々です。
池田徹
普段、我々は、無意識に自分を肯定しています。自分は「善人-善き者である」と思っています。自らは悪人ではなく、善人であるという思い込みを生きています。「それなりに頑張っているし、まんざらでもない」と思っています。また、その「善人性」を生きる支えにもしています。人さまに非難されないように、後ろ指をさされないように努力もしています。
しかし、長い人生の中で、その善人意識を突き破って、本性-凡夫(悪人性)が噴き出してくるのです。その時、我々のその意識は、徹底的に事実の自分「悪人的自己」を裁き排除しようとするのです。「これは本来の私ではない」「たまたま魔がさしただけだ」等と言って、その事実を認めようとしません。「悪人的自己-凡夫」を受け入れられないのです。
生身をもって生きている限り、縁の中で「悪人性」「凡夫性」が暴露されてきます。その時は、共に在る「いのち」が傷つけられた時です。その「いのち」には眼が向かず、自分の「善人性」が壊れたことにしか関心が向かないのです。だから、現実に出てきた自分、事実の自分を憎み、非難するという形で、その「善人性」を保とうとするのです。「善人性」を守るためには、自らの存在を抹殺することさえあるのです。この自己肯定の意識-善人意識は、恐ろしい暴力性をもっています。他者は言うに及ばず自分さえも抹殺してしまうのです。
親鸞は、この「善人意識」を《みずからがみをよしとおもう・みをたのむ・あしきこころをさかしくかえりみる・ひとをあしよしとおもう》こころ、「自分のこころ」と言われます。その「自分のこころ」を中心に生きる限り、結局は自らに失望し、自らを見捨て、他者とも出会えないと教えられています。
そう我々に「国土」を「大地」を与えようというのが、念仏-本願の呼びかけです。「念仏して浄土に生まれなさい」という教えは、まさに「自分のこころ」-善人意識を中心に生きている者に向かって呼びかけられています。「国土」「大地」を与えるという形で、私が安心して生きる居場所を、他者と共に生きていく「世界」を与えてくださるのです。
自ら(人生)を尊敬し、縁あって共に生きている他者を尊敬し、向き合って生きていく根拠、責任主体となる「国土」「大地」を「浄土」として用意されているのです。その浄土は、善人意識のもつ「虚偽性・暴力性・偏狭性」への目醒め、痛み、悲しみの感覚をもっているのです。
佐々木達宣
先日、若い頃に観た映画を再び観る機会がありました。それは黒澤明監督の『生きる』という作品です。学生時代に感動し、もう一度観てみたいと思っていたのですが、なかなかその機会もないまま、時と共に忘れておりました。ところが、先日ふと寄ったレンタルビデオショップで発見し、思わず手に取ったのです。
映画ファンの方ならよくご存知の作品だと思いますが、主演の志村喬さんが公園でブランコをこぎながら『ゴンドラの唄』を口ずさむシーンはあまりにも有名になりました。映画の大筋は、無気力な日々を過してきた志村さん演じるところの公務員の渡辺勘治は、癌であと半年の命と知らされ、恐れおののき、絶望と孤独に陥った末、これまでの事なかれ主義的な生き方に疑問を抱き、「生きる」ということの本当の意味を取り戻す。そして、市役所に懇願する人々の願いに応えて、公園を作ろうと努力していく…というものでした。
初めてこの映画を観てから30年の時を経ても、その感動は変わりません。いや、その間に仏縁を得たことで、その感動がより深く新鮮なものに思えました。私たちの人生を見据えた時、「いかに生きるか」ということばかりに捉われているのではないでしょうか。ところが、所詮人間であるわけですから、そこに欲が生じ、計らいも生まれてくるのです。一方、人生を「いかに死んでいくか」というふうに捉えると「死んで悔いなき人生を、いかに生ききるか」という仏の願いに通じてくるのです。即ち、死を前提として生を考えることで、映画の主人公のように、より深い人生の意味が見出されてくるのではないでしょうか。「命短し、恋せよ乙女・・・」改めて、志村さんの口ずさむ『ゴンドラの唄』が心に沁みてまいりました。
田鶴浦幸子
3年ほど前、境内の草取りをしていて、草の中に松が芽を出しているのを見つけました。見過ごしてしまうような細く小さなものでした。種が飛んできて一人生えしたようです。珍しいなと思い、それから気をつけて草を抜いていると、他にも3本見つかりました。松の木が1本枯れた後なので、何だかとても嬉しくなりました。草に負けてしまわないように、早く大きくなるといいなと思いながら周りの草を丁寧に取り除いたものです。
今年は暖かい日が続き、雑草が見る見る間に生えてきました。草取りをしていてあの松が目にとまりました。「ああ、あんなに大きくなっている。でも、このまんまこんな場所で大きくなってしまったら邪魔になるな。植え替えるのはまた造作だなあ」と思ってしまいました。実生の松を見つけた時は、あんなに喜び、昨年までは大きくなってきたのを楽しみにしていたのに、願い通りに大きくなってきた松を今度は邪魔者扱いしているのです。見つけた時から、大きくなることは分かっていて、それを望んできたのに、今になって「何で植え替えんでもいい場所に生えんかったの」と思う私がいます。何という変わりようでしょうか。自分の都合に合っている時はいそいそとしていたのに、自分の都合に合わなくなると、文句や愚痴が出る。考えてみると、日常の出来事・人間関係など万事がそうです。「私にとって」の都合で、すべてのことを見ていることに気づきました。自分に都合がよければ「良い」都合が悪ければ「悪い」、「良い」「悪い」を決める基準は私の思いでした。自分の思いが通ればこんなものかと思うぐらいで、思い通りにいかず、当てが外れるとがっかりして落ち込んだり、腹を立てたりしてしまう自分です。
そんな自分の思いから一歩も出られない私の生き様を実生の松に教えられました。
岡本寛之
私事ではございますが、昨年の10月に待望の第一子を授かりました。何ぶん育児は初めてのことばかりで、想像以上に悪戦苦闘の毎日を送っておるわけですが、その分いろいろなことに気づかせていただいております。
結婚前から教区の児童教化活動に携わっており、自称子ども好きな私なのですが、数年前からテレビや新聞等で目にすることが多くなりました「幼児虐待」の事件に胸を痛めている一人でもあります。せっかく授かった我が子、中には連れ子というケースもありますが、大人が自分より力の弱い幼い子どもに危害を加えたり、育児放棄等の虐待を加え、最悪の場合、命を奪ってしまうこともあるわけです。
ニュースや新聞記事を目にするたびに加害者たちの心情が理解できず、とてもいたたまれない気持ちになると同時に「自分に限ってはこのような事件は起こさないだろう」なんて勝手ながら思ったりする訳です。自分が親になるまでは思っておりました。
それほど多い訳ではありませんが、妻が外出し子どもと2人だけになる時間があります。どれだけ注意を払って優しく接していても泣き出すことはあります。そんな時はだいたいオムツが濡れているか、お腹が減っているかのどちらかだと思うのですが、男性ですからオムツを交換することはできても母乳を与えることはできません。その時の男性は無力以外の何ものでもありません。泣き止ますために抱き上げ軽く背中を叩き落ち着かせようとするのですが、なかなか泣き止みません。挙げ句の果てに自分がイライラし、背中を叩く力がだんだん強まり、まるで鼓を打つかのような状態になり、子どもの声がより大きくなってふと我に返る。後で思えば粉ミルクを用意しておけば良かっただけなのですが、そんなことがありました。
その時の自分の行いが虐待の一歩手前であることに気づかされ、虐待で新聞沙汰になった親の心情が少なからず理解できた気がしました。また同時に、今まではたまたま虐待に至るような縁に出遭わなかっただけで、自分にもその可能性があった。にもかかわらず「自分に限ってありえない」等と考えていた自分の身勝手な在り方を育児を通して気づかされました。
松下至道
昨年の出来事です。法事を頼まれましたが、うちの寺に頼むのは初めての方でした。二人の五十回忌ということでした。二人とも年忌の年をだいぶ過ぎていましたが、そのことには触れず、私はご依頼をお受けし法事を勤めました。
お勤め後、その方が言われました。「ホッとした」と。私は年忌をだいぶ過ぎてからなさったことと「ホッとした」という理由をお尋ねしました。すると、最近その方の家では良くないことが立て続けに起こったそうです。奥さんと娘さんが続けて病気で入院し、ご自身もストレスで軽いうつ病になった。そこで占い師のところに相談に行ったら、法事をしていない先祖の法事をすれば万事良くなると言われた。それでこの2人の先祖の五十回忌をしていないと思い、お願いしましたと。
人間は自分の意に合わないことが起こるとその原因を外に求めます。自分には病気という悪いことが起こるはずがないと思っている。本当は、生きているのだから病気をするのは当然のことだし、社会生活をしているのだからストレスも溜まる。別にその方が特別ということではないし、決して先祖のせいではない。あえて言えば「生きている」からです。
法事は亡き人のためではなく、その場におられる方々のために勤めるのです。亡き人をご縁として。法事をする理由は自分が災難に遭わないためではなく、自分の身の事実を聞くためなのです。
私たちは身で生きているのですが、心で生きていると思っています。だから自分の心に会わないこと、例えば病気になれば、その病気を受け入れることができないのです。お釈迦様は、老・病・死を出る道として仏教を開かれました。それは老・病・死を避けるということではなく、受け入れ、それを縁に深く生きて生きていくということです。自分の身を喜んで生きていける道なのです。
お念仏の教えとは自分の身に感謝して生きていける道を与えてくださる教えなのです。私の話をその方は黙って聞いておられました。納得されたかどうかは分かりません。お念仏の教えを心底から頷くこと、生かされて生きているという身の事実を受け入れ、感謝して生きていくことはとても難しい。自分勝手に頷くなんてできません。阿弥陀仏に頷かせていただくしかないんです。そのための聞法です。頷き続けていくためにまた聞法していく。
真宗には修行はありません。もし修行に当たるものがあるとすれば、それは一生をかけての聞法しかないのです。
真宗大谷派(東本願寺)三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。