第2回公開講座

真宗と平和
~原発問題から見えてきたジェンダー問題~

 ★日 時  2月25日(木) 13:30~16:00
 ★会 場  三重同朋会館(桑名別院内)
 ★講 師  藤内明子氏(仙台教区明賢寺坊守)
 ★参加費  無料 *事前申し込み不要 どなたでも聴講できます
 ★問い合わせ  三重教務所(担当:箕浦)    ☎0594-21-8000

東日本大震災から丸4年以上が過ぎ、震災の復興も原発事故の収束もおぼつかない現状を私たちは生きています。そのような中、現地では原発事故により身近な男女間の在り方に潜む「ジェンダー問題」が露呈されてきました。
今回は講師から、女性の目を通して、マスコミでは伝わらない現状をお聞かせいただくとともに、私たちは、いま、何を願って生きているのか、みなさんと共に学んでいきたいと思います。

*「ジェンダー問題」とは、性別に分類することでつくられる社会的性差のことを言います。そのことの問題が今日明らかになっています。

第2回公開講座.pdf

三重教区坊守会主催
真宗門徒女性の集い

「真宗門徒女性の集い」は、門徒の女性が現代社会の課題を通して、真宗門徒の生活実践について共に学び合うことを目的に開催いたします。
みなさまお誘い合わせのうえ、ご参加くださいますようご案内申し上げます。

 講 師  祖父江佳乃氏(名古屋教区有隣寺住職)
 テーマ   「現代社会におけるいのちの相(すがた)を真宗の教えから問う」
北勢会場  日 時  2月9日(火)午後1時~午後4時
 会 場  桑名別院本堂(アクセスマップへ
 申し込み  1月19日(火)までにお手次の真宗大谷派寺院までお申し込みください。
 中南勢会場  日 時  3月4日(金)午後1時~午後4時
 会 場  高田会館(アクセスマップへ
 申し込み  2月12日(金)までにまでにお手次の真宗大谷派寺院までお申し込みください。
対 象

持ち物

参加費

お問い合わせ

 門徒女性・坊守・寺族女性

念珠・『大谷派勤行集』(赤本)・筆記用具

お一人500円(当日、受付にて)

三重教務所(担当:箕浦、木下)

☎(0594)21-8000

 

桑名別院声明作法講習会のお知らせ

桑名別院声明作法講習会のお知らせ

本年度も、桑名別院声明作法講習会を全5回で開催いたします。

どなたでも参加していただけますので、みなさまお誘い合わせのうえ、ご参加ください。

※第1回、2回は、3月に開催される得度義務研修における声明を中心に学んでいきますので、研修の受講をお考えの方はぜひこの機会にご参加ください。

詳しくは下記のチラシをご覧ください。

※チラシに記載の参加申込書を印刷し、必要事項を記入のうえ、講習会当日に受付にご提出ください。

 

声明作法講習会開催のご案内pdf

036生きる目的とは

片山寛隆

慌しい師走が押し迫りました。毎年一年が過ぎるのを早く感じるのは私だけでしょうか。
今年も想像をもしなかったことが次から次へと起こり、その起こったことを問い返す間もなく、次に関心が奪われていくといった時間に追われているのが、我々の日常になっています。

先日も、ある壮年の方が法要の席で「もっとゆとりをもって人生を考え、今を大事にしなければならないことは分かっていても、現実は生活に追われ、それどころではない」と言われました。

日常、生きるということは、厳しく大変な時代であります故に、経済と時間に振り回されていると言っても過言ではありません。一分でも遅れると取り返しのつかないことになったり、また或いは、一分一秒変化する株式市場の報道に一喜一憂するという社会です。

だから、現代を生きるということは、好む好まざるに関わらずそこを生きねばならぬ、故に時間と経済こそが絶対のものであるということがあります。確かに、我々が生きるということの上で、経済は大切であり、最も必要欠くべからざるものの一つでありますが、我々の先人は、このことを「お金は生きる上の大事な手段であって、生きる目的とはならない」と仰っています。

目的とはならないものを目的としてきたと気づかされてはじめて、手段としての経済や時間を見ていく眼をもつことなのではないでしょうか。そのような眼すべてを見て、受け止めてこられたのが、真宗門徒として生きてこられた先人から教えられることであります。

035人身(にんじん)受けがたし

池井隆秀

新聞を見ると、氏名の横に黒い線の入った記事に目がいくようになりました。そして、その人の年齢を自然と見てしまうのです。自分も近づいてきたのかと。

毎日が慌しく、サラリーマン生活を送れば、いよいよ日々の過ぎ去ることの速さを通感します。朝起きて、一日が始まり、職場に出勤し、また我が家に帰宅する同じパターンの毎日、そんな生活をしていると月日は凄い速さで流れていきます。それは、そのまま「空過」(空しく過ぎる)ということに繋がっていきます。そして、そこから生じる大きな問題は、あらゆる事柄に無関心・無感動・無批判な生活に流されることではないかと思います。一度立ち止まって考える時間をもちたいものです。

ご門徒の元気な方が、ある日突然亡くなられました。私たちは、明日が保証されているものとして過ごしていますが、通用しないことです。葬儀を終えた後、いつも次のことについて確認させてもらっています。

一つは、お別れした人との出遇いがあったのかということです。最後のお別れですというのは、出遇いがあってのことです。過去に本当に出遇っていただろうかという確認を通して、これから出遇いが始まるということになるのではないでしょうか。

次に、亡き人は私たちを導いてくださる仏さまであり、決して崇ったりする存在ではないということです。ともすれば自分の都合で、亡き人が私たちを苦しみに陥れる存在として考えていないかということです。

最後に、亡き人は私たちに「お前も死ぬぞ」と教えてくださっているということです。無常のことわりを目の前にさらしてくださった存在です。

この三つの確認を通して、私たちの日常の在り方を問い尋ねることが求められていると思います。受けがたし人身を賜った私たちがどのように生きるのかという問いが生まれます。

84歳のおじいさんのお葬式でした。炉に遺体を収め、扉が閉められました。その時、長年連れ添った方が、突然扉の前で、大きな声で「お父さん、ありがとう」と言われました。その言葉が今も耳の底に残ります。

034時間の花

大谷俊子

12月に入りました。子どもの頃は一年がもっと長かったように思ったのですが、大人になってから一年はどんどん短くなっていきます。

最近、ミヒャエル・エンデの童話『モモ』を読み返してみました。時間泥棒から時間を取り返してくれた女の子モモのお話です。

モモは人の話を聞く天才です。モモに話を聞いてもらっていると、生きる勇気が湧いてきたり、自分の存在の大切さに気づいたりするのです。

ある時、人々は大切な時間を盗まれてしまいました。モモはそれを取り返しに出かけます。途中、モモは時間の源を司るマイスターホラに、なぞなぞを出されます。それは時間について尋ねる、とても示唆に富んだ問題です。今この瞬間はあっという間に過去になる、だから今は無いとも言える、でもこの今があるからこそ、未来が過去に変わっていく、そして過去と未来は現在で一つとなる。モモは見事に時間の意味をとらえました。

この謎解きを読みながら、私の中では、私たちお寺が学ぶ「後生」とか「業」とか「いのち」などの言葉が巡りました。続けてマイスターホラは言います。人間には時間を感じ取るために心というものがある。もし、その心が時間を感じ取らなかったなら、その時間は無いも同じなのだよと。そして、ついにモモは時間の源に辿り着きます。そこは美しい殿堂でした。光の振り子に合わせ、美しい花が咲いてはしぼみ、咲いてはしぼみして、辺りはいい香り、不思議なハーモニーの響きに包まれていました。まるでお浄土の光景に似ています。

ところで、私たちは、夢中になったあっという間を、後では長く感じたり、時間の長さをもてあましていると、後ではほんの短い時間にしか感じなかったりします。この逆さまの感覚も、マイスターホラがいうところの心が時間を感じ取ったかどうかだと思います。振り返った時、時間を感じ取るとは、感動を覚えたということでしょう。私の周りのどんな小さなことにも、モモの見つけた時間の花を咲かせたいものです。