013誰もが光り輝く世界に 

尾畑潤子

毎年、4月になると境内にある20鉢ほどの蓮の植え替えをします。蓮が、やがて葉を茂らせる頃になると、蝶やカエル、スズメや蜂がやって来て棲みついたり、水浴びをしたり、鉢の中にはボウフラや糸ミミズが元気に泳ぎ出したりします。

蓮が蕾をふくらませて花開く環境は、こうした無数の生き物との共存の中に整えられているのでしょう。いのちが互いに関わり合い、繋がりの中に生きているのは私たち人間も同じです。しかし、現実はどうでしょうか。人と人との関わりを断ち切っていく悲惨な事件や争いが後を絶ちません。また、人と人の関わりを見失った発言も相次いでいます。今年1月、厚生労働大臣は「女性は子どもを産む機械」「夫婦に子ども二人の健全な家庭」という発言をしました。女性のみならず男性や子どもをも、国を成り立たせる一つの歯車として考えているのではないだろうか。「産めよ増やせよ」と言われた時代が思い起されて、今を生きる私たちの社会に不安が募ります。

しかし、同時にこの発言を考えてみると、私たちの日頃の生活は、結婚することを当たり前とし、子どもをもって一人前とする女性観、家族観の中を生きていることにも思い至ります。そんな私たちの常識的な価値観は、結婚や出産に対して、過度の期待となって人を追い詰めたり、また、自らを苦しめる結果を作り出しているのではないでしょうか。

いのちは人が人として誕生する時も、いのちを終える時も、私の思いを超えて存在しています。そのいのちの事実を見失って、自分の力で生きていると思っている私たちの在りようを、蓮如上人は「末代無智のともがら」と教えてくださっているのだと思います。私たちの差別的な価値観は仏様の教えによって照らされ、問い直される中にしか、誰もが光り輝く世界は見出すことができないのでしょう。

泥の中の蓮を眺めていると、私を生み出し、私を支えていた無量無数のいのちの働きの中に、今日の私があったことを改めて気づかされる日々です。