木村大乘
「いくら仏法を聞かせていただいても、うなずけないのは、何故でしょうか?」
これは、今から7年程前、長年聞法をしてこられたMという60歳半ばの女性の方が、Oというよく聴聞された男性の方に尋ねられた問いです。
私自身、そのときこの方と同じように、いままで聞かせていただいた仏法の言葉も、触れた感覚も全て化石のように、何の生きる力にも意欲にも成って来ない、悶々とした日々を持て余していた時でした。それ故、私に代わって尋ねてくださっていると思って聞かせていただいたのであります。
この問いに対して、Oさんは「それはあなたが邪魔しているのです」と即答されたのです。「何が邪魔しているのですか?」と新たに問うMさんに、「それが邪魔しているのです」と。「それとは何ですか?」「それが邪魔しているのです」「では、どうしたらいいのですか?」「それが邪魔しているのです」・・・。何を問うても「それが邪魔しているのです」と、10回程その問答が続いた時でした。「仏法を分かろうとする私自身の全体が根底から邪魔していたのだ」と、照らされるように聞こえてきたのであります。その時、私の思いや、考えを超えて、既に如来のはかり知れない尊いいのちのなかに、絶対満足しているこの身がそこに在ったのです。そしてまた、そこにおられるすべての人も如来の大悲の中に満足してみえたのです。
それは一瞬、感知された身の事実に賜っている本来の世界であり、彼岸の世界でありましょう。
安田理深先生はそのことを、「既に夜は明けているのに、わざわざ雨戸を閉めて、ロウソクを探しているのです」と名言されておられるのであります。