011生きる

佐々木達宣

先日、若い頃に観た映画を再び観る機会がありました。それは黒澤明監督の『生きる』という作品です。学生時代に感動し、もう一度観てみたいと思っていたのですが、なかなかその機会もないまま、時と共に忘れておりました。ところが、先日ふと寄ったレンタルビデオショップで発見し、思わず手に取ったのです。

映画ファンの方ならよくご存知の作品だと思いますが、主演の志村喬さんが公園でブランコをこぎながら『ゴンドラの唄』を口ずさむシーンはあまりにも有名になりました。映画の大筋は、無気力な日々を過してきた志村さん演じるところの公務員の渡辺勘治は、癌であと半年の命と知らされ、恐れおののき、絶望と孤独に陥った末、これまでの事なかれ主義的な生き方に疑問を抱き、「生きる」ということの本当の意味を取り戻す。そして、市役所に懇願する人々の願いに応えて、公園を作ろうと努力していく…というものでした。

初めてこの映画を観てから30年の時を経ても、その感動は変わりません。いや、その間に仏縁を得たことで、その感動がより深く新鮮なものに思えました。私たちの人生を見据えた時、「いかに生きるか」ということばかりに捉われているのではないでしょうか。ところが、所詮人間であるわけですから、そこに欲が生じ、計らいも生まれてくるのです。一方、人生を「いかに死んでいくか」というふうに捉えると「死んで悔いなき人生を、いかに生ききるか」という仏の願いに通じてくるのです。即ち、死を前提として生を考えることで、映画の主人公のように、より深い人生の意味が見出されてくるのではないでしょうか。「命短し、恋せよ乙女・・・」改めて、志村さんの口ずさむ『ゴンドラの唄』が心に沁みてまいりました。