024 死んだらどうなるのですか?

池田 徹

「死んだらどうなるのか?」の問いを、誰もが一度は考えたことがあると思います。

この問いに、念仏の教えに縁をもっている者として、きちんと応え、発信しなければならないと思っています。しかし、いままで何か言いきれないものがあって、応えてこなかったように思います。

他宗教の中には死んだらどうなるのかを、きちんと言葉にして伝えているものがあるようです。行先不明な我々にとっては、死後の心配、死んだらどうなるのかをはっきりさせたいという要求があります。中には、その死後の不安を利用して、「死んだら地獄に落ちるのだ」と言い、「地獄を逃れたければ、善行を積みなさい」と、勧めると聞きます。その善行は、献金(布施)と、信者の勧誘だと言われます。人間が犯してきた罪を指摘し、その罪の報いとして地獄は逃れられないと言い脅かすのでしょうか。ご注意ください。

親鸞聖人は

地獄は一定すみかぞかし

(『真宗聖典』六二七頁)

と言い、先人は、「南無阿弥陀仏は、地獄に安心して居れる世界だ」と言われます。それは具体的には、苦悩する力を与えられるということでしょう。

さて、「死んだらどうなるのか?」の問いに

法身(ほっしん)ともうす仏となるなり

(『真宗聖典』五八九頁)

という聖人の言葉をお伝えしたいと思います。「法身」とは、法の身ということです。

死んだら「法の身」となるということです。実は、この「法の身」ということは、死後だけではなく、生まれる前も、現在ただ今も「法の身」を生きているということです。三世を貫いてある「法身」を生きているのです。死んで初めて「法身」に成るのでなはく、今、現在も「法によって成り立っている身」を生きているのです。「法」の表現としての「身」(存在)なのです。その法とは、因縁果の道理、縁起の法であります。この私の身は、単独で、それ自身だけで成り立っているのでなく、因縁で成り立っているということです。あらゆるものから切り離された「私」は、意識の中では在っても、実際は在りません。無量無数の因縁によって私が成り立っているのです。それを「無我」という言葉でも表現されます。

そもそも「死んだらどうなるか?」の問いは、今までの経験、現在の物差しの延長上で、捉えたものです。初めに「私」を立てて、その「私」が生きて、そしてその「私」が死んでいくと思っています。その私の思い込みを破る形で、現在ただ今の私が「法身」を生きているという目醒めをいただく時、死後の心配から解放されつつ、「いま、ここの私」に向き合い、完全燃焼していける生き方を賜るのです。

(二〇一八年十二月下旬 桑名組・西恩寺住職)

023 悲しみを生きる力に – 葬儀という場に思う –

訓覇 浩

二〇一八年も残すところあとひと月となりました。この時期になると、この一年で浄土に還られたご同行の方々のお顔が、あらためて思い起こされます。今年は特に私も、身近なものの死に直面することになりましたので、なおさらです。

そこで今回は私たちが、死というものと向き合う大切な場となる「葬儀」という場について、少しく思いを巡らせてみたいと思います。

人の死に接したとき私たちは、亡くなった人が自分と縁が深い人であればあるほど

六親眷属あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず

(『真宗聖典』八四二頁)

という「白骨の御文」の言葉にも示されるような大きな無力感、もっと何かその人に対してできたことがあったのではないかという後悔、そしてもうその人と言葉も交わすことができないという絶望感など苦しくつらい感情、そしてなにより深い悲しみに襲われます。それらは、平生のこころでは耐え難い、逃げ出したくなるようなこころです。

その悲しみのこころに立つことをせまってくるのが、私は、葬儀の場であると思います。

弔問に訪れる人はみな、亡くなった人の一生涯に思いをはせ、その人と自分との縁をこころに刻みなおします。その一人ひとりの営みは、葬儀の場を一層沈痛なものとします。

しかし、肉体が滅した事実に直面し、その悲しみをとおさなければ、その人と出会えたことのもつ本当の意味、本当の慶びは分からなかったのだということに、そこに集う人はやがて気づいていきます。亡くなったものが、法身、法の身となって、これからは私として生きてくれる他者、すなわち他己となって一人ひとりの中に誕生するからです。葬儀という場は、そのような深い、仏さまの願いがはたらく場であると思います。

悲しみの深さが そのひとの深さだ

その深みから呼びかけられて 私は歩く

本山が発行しているリーフレット「通夜・葬儀のこころ」にある言葉です。

葬儀の場をおおう悲しみのこころは、先に浄土に還った人の、人として生きたことそのもののもつ尊さが、与えてくれるものだと思います。その悲しみのこころを抱き続けて生きる、先に浄土に還った人の願いを生きる、そういう一人ひとりを誕生させてくれる力、場が葬儀というものであると実感しております。

(二〇一八年十二月上旬 三重組・金藏寺住職)

022 金木犀の思い出

海野 真人

秋になるとうちの境内でも金木犀の花が何とも言えない芳醇な香りを放ちます。この香りを嗅ぐと、私は必ずこんな出来事を思い出すのです。

何年か前に私が年忌法要にお邪魔したお宅で、お参りに来ていた方が雑談の中でこんなことを言っておられました。「最近の金木犀はどうも匂いが薄くなった。前はもっと強く匂っていたのに」と。そして「これは酸性雨のせいだろうか?」とか「地球温暖化の影響だろうか?それとも知らない間に品種が変わったのだろうか?」等々いろいろな理由をあげておられました。でも、どうもスッキリしないご様子でした。それを聞いていたお相手の方が一言こんな風に言ったのです。「あんたなあ、それはあんたが年取って、鼻が鈍なっただけ!」と。その瞬間その方はパチッと手を打って「そうか!そういうことか!やっとわかった」と言われ、とてもスッキリとした明るい顔になられました。それを見て私は、「人が気づく」ということはこういうことだと思いました。

私たちは、日頃どういう訳か、知らず知らずのうちに「自分は変わらないし、自分は正しい」というつもりでいるのではないでしょうか。だから自分のことは棚の上において、いつも外に問題を見つけようとします。この場合で言うと「酸性雨や地球温暖化や品種」を疑うということです。自分に問題があるということには中々気づきません。しかし、今回「あんたが年をとって、鼻が鈍くなっただけ」という親しい方のキツイ一言で、問題が自分にあったと気づかされ、そして明るく解放されたのです。「年とって」の一言にカチンとくる人もいる中、この方は明るくスッキリした顔で「よくわかった」と感謝し、喜んでおられました。「気づかされる」ことによって明るく解放されるということを間近に見ることができて、こちらも思わず笑顔になりました。「報恩」というとつい難しく考えてしまいますが、意外と身近なところにあるのかもしれません。金木犀の香りが漂ってくると今もそのことを思い出すのです。

(中勢二組・法因寺住職 二〇一八年十一月下旬)

021 報恩講について

諏訪 高典

今年も報恩講の季節がやってきました。真宗門徒にとって最も大切で、最も大きな行事であります報恩講は、宗祖親鸞聖人のご恩に報いる仏事です。

聖人が亡くなられたのは弘長二(一二六二)年十一月二十八日、新暦では一月十六日。それ以来、親鸞聖人を偲び、毎月二十八日にお念仏の集まりがもたれました。講会として形式を整えられたのは聖人の曾孫にあたります覚如上人であります。覚如上人は親鸞聖人滅後の三十三回忌に『報恩講私記』をお作りになり、これに基づいて法要形式を定められました。今から七百年以上前のことであります。この『報恩講私記』が親鸞聖人のご命日に読まれるようになり「報恩講」と呼ばれるようになったとされています。

「報恩」という言葉はもともと中国で出来た言葉でその意味は「恵みに報いる」ということであります。特に中国では子どもを育ててくれた両親に対する報恩が強調されています。日本でも道元禅師や日蓮上人などは父母の恩を強調されました。

親の恩が尊いことは勿論ですが、親鸞聖人は仏恩と師恩を強調されたのであります。仏恩とは念仏一つで救ってくださる阿弥陀仏への恩。師恩とは親鸞聖人の師であった法然上人への恩であります。実際、聖人は法然上人滅後、報恩のお念仏、すなわち報恩講を営んでいたとされています。報恩の報は「むくいる」という意味、恩とは「なされたことを知る」です。講は「集まり、集い」ということです。したがって報恩講とは親鸞聖人のご恩に報い、一つの場所に話す人、聞く人が集い、そのご恩を明らかにするということになります。

真宗各本山で行われる報恩講を「御正忌報恩講」と呼びます。御正忌とは祥月命日のことで、大谷派は昔通り十一月二十一日から二十八日まで御正忌報恩講が勤まります。本願寺派、高田派などは新暦に改めて、一月九日から勤まります。「仏恩を知り、仏恩に報いる生き方ができる人間になろう。それが幸せな人生を生きる道である」と説かれました。

真宗門徒にとって最大最高の恩人は親鸞聖人に外なりません。往生浄土への道をお説きになられた聖人のご恩に報いるためにも、本山だけでなく、各寺院にもお参りし、さらに各家庭においても報恩講をお勤めさせて頂かねばなりません。それが真宗門徒にとって大切なことであり「報恩講」は個人の信仰から地域社会への固い絆へと浸透していくのであります。

(二〇一八年十一月下旬 桑名組・了嚴寺住職)

020 こおりおおきに みずおおし

入野 由美

冷え込みが厳しく氷が張る冬は身にこたえます。しかし春になり、その厚い氷が水になると、田畑を肥えた土にしてくれる。昔から言われていることです。

こおりおおきにみずおおし

さわりおおきに徳おおし

(『真宗聖典』四九三頁)

親鸞聖人がのこされた言葉ですが、還暦を迎え私のこれまでを振り返ると、本当にその通りだと思わずにいられません。

母や、主人の父母の死病に寄り添い、苦しんでいる姿に何もできない自分や周りの人にいら立ち、眠れない日々を数年過ごしました。

姑を見送った一年後に、自分にも癌が見つかり、肺を一部切除する手術を受けました。

集中治療室から一般病棟に代わってからの日々は、今でも鮮明に覚えています。初めて経験する身の置きどころのない痛み、高熱、胸の水を抜く時の激痛、息をするのが苦しく痛みで眠れないまま、まっ暗な闇の中で、看病していた家族のことが頭によぎりました。こんなにも苦しく不安な中で過ごしていたのか。心細くつらかっただろうな。気遣ってあげられず申し訳なかったなと。本当に身を持ってやっと知り得たことでした。

私の病は八年が経過し、検査は続いていますが、家事仕事ができるまでに回復しました。腰や膝が痛んだり、物事が思うようにいかなかったりすることもありますが、以前より気に病むことが少なくなったように思います。

入院中、家族の支えや看護婦さんの優しさを有難く嬉しくおもいました。退院してからも、心配しながらお世話して下さる周りの方々に、勇気づけられる日々でした。家族の看病に明け暮れ、自分までも大病をした「さわり多き」日々を経験したことは大切なことでした。人の温かみ優しさに感謝し、当たり前の暮らしの貴さを思い、他の人の痛みや苦しみを感じるようになりました。

これからの人生も何があるか分かりませんが、毎日毎日を感謝しつつ過ごしていきたいと思っています。

(二〇一八年十月下旬 員弁組・了雲寺坊守)

019 お育て

川口 信隆

我が身に出て来て下さるお念仏はまさに「お育て」であると気づかされる事がありました。

私が懸命にダイエットに励んでいる時のことです。ある七十代の父親を亡くされたご家庭の満中陰の御法事です。お経を勤め、法話も終えたところ「どうぞ会食していってください」とのことでした。親族の方々とお話しをしながら御膳を頂き、そろそろ失礼させて頂こうかと考えていたところに、その家の娘さんが、大きなお皿に山盛り一杯の「おはぎ」を持ってこられたのです。私はダイエット中でしたが、観念して小皿に一つ「おはぎ」を取らせて頂きました。よく見るとその「あん」には何か混ぜ物をされているようで、少し緑がかった「あん」でありました。頂いてみるとあまり甘くはなく美味しかったのですが、独特の風味が残っておりました。そこでわたしはその娘さんに聞いてみたのです。「このおはぎはあまり甘すぎずに、おいしゅうございました。しかしあんの中には何か混ぜ物をされておられるんでしょうか」と。

すると娘さんは答えられました。「はい、このおはぎのあんには、父が生前に育てておりましたそら豆をすりつぶして入れさせて頂きました。お口に合いませんでしたか」と心配されながら、さらに続けられました。「父が畑を耕し種をまき、こやしをやり水をやって、そら豆が実をつけました。父の作ったそら豆はこれが最後となりました。しかし父は私になくなることのない実をお育て下さいました。それはお念仏です。小さな時から朝な夕なと、私を抱きかかえ、ひざの上に乗せては一緒に手を合わせ「お念仏しようね。ナマンダブ、ナマンダブ」と私の心を耕し、お念仏の種を植え、お念仏のこやしを、水をやり、私の口にお念仏の実がこぼれでるようにお育て下さいました」と涙ながらにお話しされたことであります。

共々に「お育て」の身を喜びお念仏申させていただきましょう。

ナマンダブ、ナマンダブ。

(二〇一八年十月上旬 伊賀組・浄蓮寺衆徒)