017私と子ども 

高野昭麿

先日、家族全員での夕食の時の出来事です。

小学校3年生の子どもが誤ってコップを倒してしまい、テーブル中にお茶をこぼしてしまいました。子どもは何もせず、ボーッとしていました。たいへんなことをしたと思っていたでしょうが、何をすればいいのか全く分からないほど、パニックになっていたのかもしれません。

その時、私は子どもに「こぼしたことは仕方がないから、ちゃんと謝りなさい」と、しつけのつもりで厳しく注意しました。しかし、その直後、今度は私がお酒を子どもより多くこぼしてしまったのです。叱った子どもの手前もあり、何とかごまかそうと慌ててしまいました。

ひとえに賢善精進(げんぜんしょうじん)の相をほかにしめして、うちには虚仮(こけ)をいだけるものか。(真宗聖典634頁)

と『歎異抄』の第13章にありますように、人の誤りは正してもいざ自分のこととなった途端、言い訳を探し正当化しようとする姿であります。それを子どもと接する中で教えられ、家庭も大切な教化の場所なのだと改めて気づかされます。

また、私はまだまだ立派にならなければと思ってしまいますが、仏様は「そのまま念仏せよ」とおっしゃています。我が身全体を知らせようとする仏様の願いを「そのまま」という言葉から聞き取っていきたいと思っております。