010実正の松に

田鶴浦幸子

3年ほど前、境内の草取りをしていて、草の中に松が芽を出しているのを見つけました。見過ごしてしまうような細く小さなものでした。種が飛んできて一人生えしたようです。珍しいなと思い、それから気をつけて草を抜いていると、他にも3本見つかりました。松の木が1本枯れた後なので、何だかとても嬉しくなりました。草に負けてしまわないように、早く大きくなるといいなと思いながら周りの草を丁寧に取り除いたものです。

今年は暖かい日が続き、雑草が見る見る間に生えてきました。草取りをしていてあの松が目にとまりました。「ああ、あんなに大きくなっている。でも、このまんまこんな場所で大きくなってしまったら邪魔になるな。植え替えるのはまた造作だなあ」と思ってしまいました。実生の松を見つけた時は、あんなに喜び、昨年までは大きくなってきたのを楽しみにしていたのに、願い通りに大きくなってきた松を今度は邪魔者扱いしているのです。見つけた時から、大きくなることは分かっていて、それを望んできたのに、今になって「何で植え替えんでもいい場所に生えんかったの」と思う私がいます。何という変わりようでしょうか。自分の都合に合っている時はいそいそとしていたのに、自分の都合に合わなくなると、文句や愚痴が出る。考えてみると、日常の出来事・人間関係など万事がそうです。「私にとって」の都合で、すべてのことを見ていることに気づきました。自分に都合がよければ「良い」都合が悪ければ「悪い」、「良い」「悪い」を決める基準は私の思いでした。自分の思いが通ればこんなものかと思うぐらいで、思い通りにいかず、当てが外れるとがっかりして落ち込んだり、腹を立てたりしてしまう自分です。

そんな自分の思いから一歩も出られない私の生き様を実生の松に教えられました。