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008きつーいごさいそく 

池井隆秀

つい先日、NHKの『ラジオ深夜便』の番組の中で、小児がんで子どもを亡くされたご住職の放送がありました。みなさまの中にもお聞きになった方があるかと思います。
山口県は長久寺のご住職・有国智光氏で、「小児がんの息子と向き合った日々」と題してお話されました。長男の遊雲君が小学6年生の時、足首に腫瘍が見つかり、それががんと宣告されます。あと3年の命であると聞かされた後、息子さんと向き合った様子をお話になりました。

最初は、お医者様から最悪あと3年と言われたのだから、治療によっては元のような健康な体に治る可能性もあるであろうと、さほど動揺しなかったとのことでした。治るということで手術室に向かう遊雲君がいました。

学校の好きな遊雲君は、これから休まずに学校に通えると思っていた矢先、中学2年生の時、二度目の入院で転移が見つかり、片足を切断することになったそうです。「もう元には戻れない」とお話をされ、病気と闘っている遊雲君。そばでご一緒だったご家族方の思いは、私どもには到底思い量ることができません。ご住職は遊雲君に「何が起こっても大丈夫だからね」と言葉を交わされたそうです。

やがて、遊雲君は命を終えていかれました。これで高校生の遊雲君の姿は見られない、わが息子に代わってやることもできない。ご住職は、独り生まれ、独り死んでゆく現実のただなかで、遊雲君となかなか出会うことができなかった、と言われています。
そんな中、ご自坊の近くに住む浄土真宗のご門徒さんであるおじいさん・おばあさんが昔から言っておられた「きつーいごさいそく」という言葉によって、遊雲君との出会いの扉が開かれたとお聞きしました。このことは私たちに大切なメッセージを投げかけてくださっていると思います。

遊雲君が亡くなられた2007年に、私の寺の総代さんが50歳代の末で命を終えられました。その奥さんが私に「私は今、悲しみ、苦しみ、辛さのどん底におります。これ以下はありません。これからは立ち上がることだけですから」と述懐されたことが思い出されます。このことは、厳しい現実を「きつーいごさいそく」として頷かれたということではないでしょうか。

身の回りに起こる様々な出来事が厳しければ厳しいほど、私たちは逃れることに必死になります。何かに、どこかに、そのはけ口を求め続け、逃げ回っている現実があります。どうしようもない現実を「きつーいごさいそく」として感得できた時、確かな歩みが始まるのではないかと教えられたことでありました。

007熊とお念仏 

川口昭

久しぶりに会ったK君から、お念仏の話を聞いた。K君とは学生時代の同級で、以前より3年に一度クラス会を開いており、昨年は鳥羽に集まり、一晩中近況報告やらして、旧交を温めていた。その時のお話であります。

もともと学生時代より山を愛した人でしたが、40年過ぎた今でも山に登っているそうです。山には何人かで登る時もあれば、1人で登る時もあるそうです。彼は北海道へ1人で行った時、北海道には熊が多いので腰に鈴を3つ付けて、チリンチリンと鳴らしながら登ったそうです。熊と遭遇しないためには、こちらにはたくさんの人がいるぞと存在を知らすことが一番。それで鈴を付けて登るのです。それでも彼は不安だったのか、大きな声で「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏を称えると、妙に安心感が出て登ることができたとのことです。

その話を聞いた時、お念仏を利用しているようにも聞こえたのですが、彼にしてみればたいへん心強く思ったのは確かなようです。

お念仏には、例えば、夜、墓場の近くを歩いている時に称えようと思う念仏もある。無意識であっても魔よけの心が働いているのかもしれません。また、肉親の死に会って悲しみに暮れて称える念仏もある。また、台本にあるから仕方なしに称える俳優の念仏もあるかと思います。彼のは熊を意識しての念仏ですが、称えることによって、私一人ではないぞ、と熊に知らしめているのです。

このことを聞いた時、ふと「一人居て喜ばば二人と思うべし、二人いて喜ばば三人と思うべし、その一人は親鸞なり」(『御臨末の御書』)と頭の中をよぎったものでした。

006蝋梅(ろうばい)

伊藤誓英

昔、参道に蝋梅という木がありました。黄色の蝋細工のような色と艶の花を咲かせるので、蝋梅と呼ばれているそうです。

当時、境内整備の事業の一つに参道の木を伐採し、新たに駐車場を造るという計画があり、その伐採される樹木の中に蝋梅がありました。

その中でも一番手前にあった蝋梅は工事作業車が引っかかるとのことで、針金でグルグルに縛られたり、邪魔なところをザクザクと剪定されたりと、まあ最終的には処分する木だということもあり、たいへん雑な扱いでした。そのため樹形としては無残な姿になっていました。

ある日お参りに来られた門徒さんが、

「この蝋梅は無くなるのですか」

と聞かれました。

「そうなんです。移植するにも場所もないので…。かわいそうですが」

と話していると、

「残っている枝を切っていってもいいですか。床の間のお花にしたいので…」

私は内心「こんな不恰好に剪定された枝で生け花なんて…」と思っていました。でも、後日その門徒さんの家へお参りに行くと、床の間にその蝋梅の花が生けてあり、たいへん美しく、まさに一本一本が互いをかばい合い、助け合っているように立てられていました。私は本当に驚いたことを今でも覚えています。

生活の中には色々な「とらわれたものの見方」があります。それは物だけではなく、他人に対しても自分自身に対してもだと思います。私には囚われがあるにもかかわらず、その囚われている事実には自分一人だけでは気づくことができません。この出来事から、私自身の囚われによってこんなにきれいな物を不恰好とみていた自分を知りました。まさに、その門徒さんと蝋梅に囚われをもつ私の姿を教えていただいたのでしょう。

今でも蝋梅の花を見るたびに問いかけられます。私の囚われの存在を…。

005賜った命 

一色一念

宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」に沿って、私の命について考えてみたいと思います。

命とは、この身のどこに在るのか、やはり身体全体をさして言うのであろう。言い換えれば、存在そのもの、存在こそが、命であるのでしょう。この私の命は、大昔からの継承に因るものです。御先祖様方を想えば、互いの夫婦でありました。御縁、御縁と御遠続きであります。その御縁を私もいただいております。子どもも授かりました。何と不思議な因縁なのでしょう。夫婦となるのもいろいろな要因があったに違いありません。多くの人々の中から、互いに一人だけ選ばれたのです。間違いなく受け継がれてきました。もし一人でも過去に欠けていたならば、また別の御縁があったならば、この私の存在は無かったでありましょう。

また、ここに生まれただけでなく、数限りない他の影響を受けて、育てられ生かされて命が保たれてきました。想像を超えたものです。それだけに「この命は尊いのだ」と一言では言えないほど、重いものではないでしょうか。

そのような尊い命を、今私にいただいているのだと思うと、軽はずみに暮らすことが恥ずかしく思えてきます。生きているとは、命を賜っているのだと気づかされます。生かされているとなります。そのような、ありえそうもないほどの命を賜っているだけに、限りある一生をどのように生きていったらよいか考えさせられます。無意味で虚しい人生にならないよう、できれば生き甲斐のある満足感、充実感のある人生でありたいと思います。それができるのも、やはり仏法に出遇わせていただかなければ、叶わないことではないかと思います。なぜならば、それを確認することすらできないからではないでしょうか。

何とか楽をしたい、怠けたいと、我欲も出てまいります。そのような自分の在り方に気づかされるのは聞法するほかにはないのではないか、聞法生活こそが本当に生きることではないでしょうか。そのようにいただいております。

004私の居場所 

水谷秀子

境内にいくつかの数字が刻まれた石があります。北緯35度0分39秒・東経136度32分39秒・標高46.5メートル。これは蓮行寺の位置を示している数字です。

村の子どもたちや、ウォーキング途中に立ち寄られる方がのぞき込んでいかれます。私も境内の掃除をしている時、いつも見ています。子どもたちは関心をもっているのでしょうか。また、大人の方々はどんな思いで見ていてくださるのでしょうか。そんなことを思いながら見ていると、石が私に語りかけてくるような気がします。「お寺の位置ははっきりしているけれど、あなたの居場所ははっきりしていますか」と。

毎日が忙しい忙しいで明け暮れて、そんなことは考えてみたこともなかったものですから、びっくりしました。本当に大切なことに気づいていなかったのです。

では、私の居場所がはっきりするには、どうすればいいのでしょうか。住職に尋ねましたら、

「自分の居場所を見つけるには、自分が何であるかをはっきりさせることが大事。もちろん、それは私の問題でもあるけれど」

と助言してもらいました。ますます困ってしまいました。私のことは私が一番分かっているつもりでいましたから。

明治の親鸞と言われた清沢満之先生が「自己とは何ぞや、これ人生の根本問題なり」とおっしゃったことが浮かんできました。

このお言葉、すぐにはぴんときませんがたいへんなこと。私には荷の重いことですが、私の問題なのです。それからも石に刻まれた数字に眼がいきます。こんなにすっきりと数字に表せたらいいのになぁと思います。

この難題は私に課せられた大事な大事な問題なのだと思っています。

003言葉

大橋宏雄

昨年、宮城顗(しずか)先生が亡くなられました。縁あってお通夜とお葬式を手伝わせていただきました。その後、一緒に手伝いをした方々と食事に行った席でのことです。皆さん、「大切な先生がいなくなってしまった」「あの講義の続きが聞きたかった」と、亡くなられたことを残念に思う気持ちを話しておられたのですが、ある方が誰に言うでもなく、ぽつりと話された言葉が私の中に響いてきました。それは、「死んでから出遇うこともあるからねえ」「一度出遇っていれば、何度でも出遇い直せる」という言葉です。

「出遇い直す」という言葉は、宮城先生のお話の中で初めて聞いた言葉でした。そして、その言葉を実感したのはある学童保育所とフリースペースでの子どもたちとの出遇いでした。フリースペースというのは不登校の子どもたちの居場所として開かれているところです。その学童保育とフリースペースは私の親戚のお寺がやっていましたので、スタッフは私が小さな頃から知っている伯父や従兄弟でした。しかし、そこの子どもたちとの関わりの中で、「先生」「お兄ちゃん」と呼ばれる伯父や従兄弟と、一人の人間として出遇い直したのです。それは、つまり「本当に大切なことは何か」ということを一緒に考えていく仲間になったということです。今でも私は伯父や従兄弟と出遇い直させてくれた子どもたちにとても感謝をしています。

それ以来、私は「出遇い直す」ということを何度も人に話してきました。それにも関わらず、「死んでから出遇うこともあるからねえ」「一度出遇っていれば、何度でも出遇い直せる」という言葉が、まるで初めて聞くように私の中に響いてきたのです。これには驚きました。「そうそう、そうなんだよ」と共感するのなら分かるのですが、なぜ初めて聞いたように感じたのか。

それは、私が「出遇い直した」と感じた人は生きていたからではないかと思うのです。「出遇う」ということにその相手が生きているか、死んでいるかは関係がありません。しかし、私は自分の体験に囚われて、死んだ人と「出遇う」ことがあるとは思ってもみなかったようです。そのような私ですから、「死んでから出遇うこともある」「一度でも出遇っていれば、何度でも出遇い直せる」という言葉を、初めて聞いたように感じて驚いたのでしょうし、ある意味では初めて聞いたのだと思います。そしてまた、その言葉はある方の口から出た言葉ではありますが、その場を与えて下さった宮城先生の言葉でもあると思うのです。

何か言葉の持つ意味を超えて、私の姿を一つ、照らし出して下さったように感じています。

002大悲に懐かれて 

梛野芳徳

私の住んでいるところは志摩市の沿岸部で、いわゆる高齢化が進み、将来的にはより一層過疎化が進行していくと思われる地域です。住んでいる人の多くは、半農半漁で素朴な生活を営み、年老いた親を抱え、介護の問題に直面している人も少なくありません。そんな中で生活していると、時々、

「うちのバアさん、もう早く逝ってくれんかなあ」

という声を聞くことがあります。「バアさん」とはこの地方では母親のことを言います。介護という問題に直面したとき、自分の親に対してまでも死を願うということに嫌気がさすというか、うんざりすることがあります。

私も妻も三男と二女ということで、遠く親元を離れていることもあり、また、まだまだ親も老後というような歳ではなく、介護のことなど真剣に考えていないのが現実です。それどころか、年老いた親を抱えて「早く死んでくれたら」と思ってしまう人を蚊帳の外から冷やかに軽蔑しているのが私の事実です。

そんなとき、とある本にこのような言葉を見つけました。

あなたがいつの日か

「生まれてよかった」と思ってくれれば

私は幸せ

文面から想像するに、母親がその子どもにかけた言葉のように思います。私たちはみな、自分の親ですら、いざとなったら「早く逝ってくれんかなあ」と思ってしまうようなものをお互いにもって生きております。そんな私たちに対して、「どんなにたいへんなことがあっても生まれてよかったといえるようなものになってね」と願い、そのことひとつを自身の本当の幸せと見据えておられます。この大きなこころに触れてはじめて、薄情で非人間的な私を許してくれていたのだなあ、許されておったのだなあと気づかされます。

この言葉は具体的な親子の関係に現れ出た、大いなるほとけさまの慈悲の心、如来大悲の御こころと拝受いたしております。

001倶会一処(くえいっしょ)

橘秀憲

明けましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願いいたします。

さて、桑名別院報恩講も皆様のおかげをもちまして滞りなく勤めさせていただきました。全国52の別院の中でも最も遅い日程だと思いますが、師走の慌しい中、多くの方々にご参詣を賜り厚く御礼を申し上げます。

『蓮如上人(れんにょしょうにん)御一代記(ごいちだいき)聞書(ききがき)』の中には、赤尾の道宗(どうしゅう)が申された、

一日のたしなみには、あさつとめにかかさじと、たしなめ。一月のたしなみには、ちかきところ御開山様(ごかいざんさま)の御座(ござ)候うところへまいるべしと、たしなむべし。一年のたしなみには、御本寺(ごほんじ)へまいるべしと、たしなむべし。(真宗聖典864頁)

という言葉で、真宗門徒のたしなみが示されております。

昔に比べて交通の便が良くなったとはいえ、遠方より足を運んでくださることには頭が下がりますし、この場が約400年の間、綿々と相続されてきておることに歴史の重さを感じずにはおれません。

宮城顗(しずか)先生の『人と生まれて』という本の中に、「救われるということは、場所をたまわること」という一文があります。人間関係が希薄になり混迷する現代社会の中において、自分の立つ場が見えなくなって孤立している人が多いと思うわけですが、関係性の回復、繋がりをもつことが今こそ大切なのではないでしょうか。居場所を見つけること、すでにそういう場があるということになかなか目を向けられないくらい、時間に追われている難しい社会になっているのでしょうが、人には場所・立脚地が必要なのだと思います。『仏説阿弥陀経』には「倶会一処(くえいっしょ)」という場が説かれてあります。

宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマは「今、いのちがあなたを生きている」ですが、三重教区では「共に大地に立たん」というスローガンを立てて取り組んでいます。「共に」という世界、共に立つ場所をこの社会に提示していかなければならないと思うわけです。親鸞聖人の教えに触れる、出遇いの場所をいただいていきたいと思います。

037あとがき

昨年秋頃から、世界経済は百年に一度と言われる大不況に直面し、また日本では自死者が11年連続で3万人以上となったと報じられています。そのような時代社会に私たちは生活しています。

人間にはそれぞれの物差しがあり、その物差しの長さは人によって違います。善いか悪いか、好きか嫌いか、損か得か、そうして私たちは、快適で豊かになれるという思いで日常生活を送っています。

仏法は内観道とも言われます。仏の物差しに触れることによって、何が嘘か、何が真かということを見抜く眼を育てていくことが仏法です。

テレホン法話集「心をひらく」30集をお届けします。それぞれの法話から仏の眼を感じていただければと思います。

036 60億分の1のいのち

折戸芳章

「60億分の1の男になる」と宣言をして柔道界から引退をし、格闘技の世界に飛び込もうとしている北京オリンピック柔道100キロ超級の金メダリスト、石井慧選手。次回ロンドンオリンピックでも充分金メダルの可能性がある選手だけに、彼の引退を惜しむ世論の声は多い。彼が言った「60億分の1の男」とはおそらく格闘技で世界チャンピオンになることを意味していると推測するが、どんな競技であれ世界チャンピオンになるということは、とてつもない努力と精神力が必要であることは紛れもない事実でしょう。

さて、私のいただいているこの「いのち」こそ60億分の1の「いのち」ではないでしょうか。そのことを日常の生活の中で、また混迷する社会状況の中でそう実感している人が、果たしてどれだけおられるでしょうか。60億分の1の世界チャンピオンになろうとしている石井選手も、その前にすでに60億分の1の尊い「いのち」をいただいているのです。そして、この私のいのちも60億分の1の「いのち」であったことを実感し、気づかされていくことです。

あと数日で新しい年を迎えようとしておりますが、今年一年を顧みますと、いのちを軽視した様々な事件を思い起こさせられます。

「今、いのちがあなたを生きている」の御遠忌テーマには、私のいのちこそが60億分の1の尊い「いのち」であることに目覚めよとの願いが込められているのだと、自ずと頷かずにはおれません。