020なぜ、舎利弗(しゃりほ)? 

伊東幸典

「シャリホとは、どういう意味ですか」『阿弥陀経』を読み終わった後、こんな質問を受けたことがあります。「シャリホ(舎利弗)というのはお釈迦さんのお弟子さんで、その中でも智慧第一と言われた人です」すると彼は、人物名であったことに意外な感じを抱いたようで、「何度もシャリホが出てくるので、耳に残ったから、どんな意味なのかなと思って」と、問いかけをしたくなった気持ちを言われました。

さて、帰りの車の運転中、先程の答え方で良かったのかと不安になってきました。彼は、「舎利弗がお釈迦さんの弟子の名前だ」ということを知りたかったのではなく、「何度も舎利弗と繰り返すことに特別な意味があるのか」を知りたかったのではないかと思えてきたからです。だとすれば、どう答えるべきだったのか、よく分からず悩んでしまいました。

そもそも『阿弥陀経』は、お釈迦様が「祇樹給弧独園(ぎじゅぎっこどくおん)」という場所で、舎利弗をはじめとする千二百五十人の聴衆を前にして、「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて、世界あり、名づけて極楽と曰(い)う」(真宗聖典126頁)からお話が始まります。祇樹給弧独園とは、スダッタという長者がお釈迦様を迎えるために建立した精舎(しょうじゃ)です。スダッタは慈悲深く、親のない孤児や身寄りのない老人などの面倒見がよく、たいへん慕われ尊敬されていました。そんなスダッタがこれらの人々のために、お釈迦様のお話を聞くことができるように作った場所が祇樹給弧独園なのです。

藤場俊基さんは著書の中で、「なぜ、と、「舎利弗」の呼びかけにはお釈迦様の配慮があると述べられています。(『親鸞の教行信証を読み解くⅣ』取意)

今回、この疑問に悩んで、何冊かの書籍に尋ねました。そして「舎利弗」とは大衆への呼びかけであり、お釈迦様の深い心を感じさせていただく言葉であると受け止めることができました。私の内に在った悶々としたものが、少しばかりすっきりした気分になりました。