026生きる意欲

池田徹

近年「生きる意欲」という課題を考えています。

我々の「意欲」は「条件的意欲」であって、思い通りに人生が動いている時はそれなりに「意欲」がある。一度、状況が壊れてしまうと意気消沈して落ち込んでいく。そして「被害者意識」に執りつかれ、周りを、自分を恨んでいくことになる。「なぜ、こんなことになったのか」と、自分の呟きに自分自身が呑み込まれ、出口のない憂いを抱えることになる。あたかも『観経』の韋提希(いだいけ)夫人のように。それは、言い方を換えると「生きる意味」の喪失であり、「未来」の喪失である。

この「意欲」という問題を学んでいく時、最近改めて関心を引くのは西光万吉さんである。明治28(1895)年に生まれた西光さんは、産み落とされた場所が徹底的に差別を受ける村であった。いわゆる「被差別部落」である。12、3歳頃から学校で直接、差別を受け始め、中学になってその激しさのあまり転校するが、新しい学校でも教師にまで罵倒され差別を受ける。学校を辞め、絵画を学び始め、その後、上京し更に学びを深め、入選するまでになったが、そこでも差別を恐れ、絵の世界からも遠ざかってしまう。読書にふけりながらも、死ぬことへの憧れの中で、生きることを慰めていた。

その頃の西光さんの心情は「生まれてくることが一番悪いのです。死こそが最高相の文化です。地上において私どもは果たして何を求め、何を望みましょう。一切は欺瞞です。不正です。不義です」ということであったそうだ。

そう呟く以外になかった西光さんが、ある出会いの中で、その5年後には、「運命」という文章の中で「吾々は運命を呟くことは要らない、運命は吾々に努力を惜しませるものではない、成就しなければならない大きな任務をもった今日の如き時代は幸福である。(中略)諦めの運命より闘争の運命を自覚せよ。(後略)」という西光さんに転じられている。

まさに「運命」というしかない厳しい現実を、自分に課せられた大きな「任務」として向き合い、「今日の如き時代は幸福である」と言わせ、「運命」は「努力」をさせていただくチャンスだ、とまで言い切る根拠は一体どこにあるのだろうか。現実に向き合う力、「意欲」がどこから生まれてきたのだろうか。そんなことが気になっている。

そして、西光さんは「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と立ち上がっていく。「世」に眼差しを向け、「人間」存在に関心を向けることによって、新しい「意欲」を与えられ、同時に生きること、人生全体の「意味」を見出していく。それは真の使命を見出すことであった。改めてそんな西光さんに学び直したい。

025極重悪人

森英雄

「我々の人生は完璧に決まっていて、しかも完璧に自由である」

ある武闘家の格言と聞いております。この言葉について、私の尊敬する岐阜市在住の田中謙次先生から、「これは浄土真宗の教えとよく似ていますね」と約2年前の春に言われました。私は、当時は何のことか全然見当もつかず、黙って「ああそういうモノですか」という程度でした。

『正信偈』に「極重悪人唯称仏(ごくじゅうあくにんゆいしょうぶ)」(真宗聖典207頁)とあるように、極重の悪人の自覚と、仏名を称える心が体中から湧き上がることとが同時であると思い知らされてから、先程の言葉の背景がリアルに伝わってきました。

思えば、小さい頃から他人と自分を意識し、比較し、優劣をつけ、少しでも上に行くことが人間の幸せであると思い込んで生きてきました。給料の多さで人生の幸不幸が決まるかのように思い、少しでも多くのモノが増えることが幸せであると思い込んできましたが、そのためか自分の姿に関することや、能力に関することで、受け取り難いことについて、具体的に言うならば、足が短いことや兄より頭のできが悪いこと、太っていること、禿げていることなどを、この世に生を賜ってくださった親に対して、恨みの感情を持つことがたびたびありました。

それは、どうしようもないコンプレックスが我が身にあるということです。だからこそ、仏さまはその心を否定されようとはなされませんでした。そのコンプレックスが作る世界の地獄を私を通して見せてくださっていたのです。

嫌だ、恥ずかしいという思いは、厳密に言えば、他の人を縁として、私が私を嫌う心です。この心を無くそうとして聞法に励んできたようなものです。しかし、その自分を嫌う心(これが自我)が自分(煩悩の固まりの身)を追い込んでいくのです。そのまま実体的に捉えますと、完璧に地獄を造らざるを得ませんが、そのように思っただけという事実が、私を悪人という自覚に自然と誘います。

いろいろ都合の悪いことが起きると、逃げて、言い訳をして、他人の仕業にして、一人被害者意識に閉じこもる。これが自分を嫌う心であり、自我と呼ばれる正体です。そのままが他の人をご縁に思っただけ、という完璧に自由なハタラキに出遇う場でもありました。

どんな思いも実体化すれば囚われる。思ってしまう我が身であると目が覚めれば、嫌いな人が自分の本当の姿(極重の悪人)を思い知らせるご縁の人に早変わりです。対立があるから気づかされる。気づかされるから新鮮な感動を伴って、以前の意識を嫌わず、かえって罪深き身を教えていただく縁となる。そこから無限に展開する新鮮な初めの一歩が毎日誕生するようです。

024浄土

三枝明史

お釈迦さまが教え、親鸞聖人が確かめられ、私たちの先輩方が大切に伝承してきた「浄土」。「お浄土」とはどのような世界だったのでしょうか。単なるあの世、死後の世界だったのでしょうか。生きている私たちには無関係な世界なのでしょうか。「浄土真宗」の門徒を名乗る私たちですが、その肝心要の「浄土」が何であるのか、私たちにとってどのような意味をもっているのか、はっきりしませんよね。情けないことですが、私も現代の言葉で上手に説明する術を持ち合わせておりません。

最近、ある女性の方から聞かせていただいたお話です。

その方のお姉さんは一人暮らしをされていたのですが、数年前に病に倒れ病院での療養生活を余儀なくされているそうです。妹さんたちが世話をされているのですが、お姉さんはとにかく家へ帰りたくて仕方がない。リハビリにも熱が入らず、「こんなところはもう嫌だ。家へ帰りたい」と、ことあるごとに不平不満を訴えておられたそうです。

そこで、とうとう妹さんたちは決意されて、お姉さんの家を車椅子での生活が可能なようにリフォームされたのです。そして、お姉さんを一時帰宅させて、家中を見てもらいました。お姉さんはすごく喜ばれたそうです。

それから、お姉さんは変わられたそうです。「家に帰りたい」と一切口にしなくなったのです。他の患者さんとも打ち解け、リハビリにも積極的になられたそうです。

「あんなに家へ帰りたいと言っていたのに、一体どうしたことでしょうか。不思議なことです。せっかく家も直したのだから、いつ帰ってきてもらってもいいのに…」と、妹さんも苦笑されていました。「きっと安心したのでしょうね」と。

「いつでも帰ることができる家」を得たことの安心感は、これほどまでに人を変えていくのでしょうか。嫌でたまらなかった病院生活すらも積極的に引き受けていけるようになるのですから。

私たちは不満を消したり、不安から逃れたりすることが安心であると考えています。けれども、本当の安心とは、不満を引き受け、不満と向かい合える力のことを言うのでしょうね。そういう力をお姉さんから「いつでも帰ることができる家」が引き出したのでしょう。「いつでも帰れる場所がある。それならば、もう少しここで頑張ってみて、帰って行くのに相応しい身体(人間)に少しでもなってから帰ろう」と。

いろいろな解釈ができるのでしょうが、私はお話を聞かせていただきながら、何となく「浄土」という言葉を思いました。

さて、みなさんは本当の安心の場所をお持ちですか。

023極重悪人(ごくじゅうあくにん)

酒井誠

『正信偈』の源信僧都(げんしんそうず)を讃えられたところに、

極重の悪人は、ただ仏を称すべし、我また、かの摂取の中にあれども、煩悩、眼(まなこ)を障(さ)えて見たてまつらずといえども、大悲倦(ものう)きことなく、常に我を照らしたまう、といえり(真宗聖典207頁)

とあります。

極重悪人と言いますと大変恐ろしい人のように感じてしまいますが、一体、極重悪人とはどのような存在なのでしょうか?

新聞やテレビでは、毎日のように虐待や殺人など悲惨な事件が報道されています。その度に様々なコメンテーターが登場し、犯人を悪人として徹底して非難し、人間の心の荒廃を嘆き、どう対策をとるべきかを話しています。

私はそういう場面を見せつけられる度にある違和感を持ちます。どういうことかと言いますと、彼らは自分が善人であって悪とは無関係であり、悪をなす可能性はないと思っているのか?ということです。

勿論、社会的には法律から外れる行為をした者は悪人と言われます。しかし、宗教的にははっきりとした善悪の線引きはありません。その中で、むしろ宗教的に悪人と言われ、ここで極重悪人と言われる存在は、自分が善人だと思って疑わない、そういう態度の人なのでしょう。

私たちの大部分は所謂犯罪者と呼ばれるような人ではありません。善良な一市民だと自分もそう思い、人からもそのように認められたいと願っている人が大部分でしょう。そして、毎日の悲惨な事件にうんざりして、犯人を決して許さないと指弾します。宗教的にはそういう我々の姿が極重悪人なのです。

仏さまの眼から見れば、世の中の善人も悪人も共に深い所で浄土を表し、本願を表している大事な人なのです。しかし、私たちには仏さまに背いて、自分の物差しを振りかざして他人の価値を決め、他人を排除してしまいます。

仏さまに背いている私たちも、実は、仏さまから大切な人よと呼びかけられ、わが身の本当の姿に目覚めてほしいと願われ続けているのです。極重悪人とはそのような存在なのではないでしょうか。

022おかげさま

安田多恵子

インタビュー・スピーチ・挨拶などで度々、「おかげさまをもちまして…」とか「おかげさまで…」と耳にすることがあります。みなさんも普段にこの言葉を使われていると思います。

この「おかげさま」という言葉ですが、誰に、何に対して「おかげさまな」のでしょうか?国語辞典で調べてみますと、一つには、相手の好意や世話に対する感謝の気持ち、人から受けた力添えや恩恵の言葉であり、それともう一つには、神仏の加護、感謝という、二つの意味が書かれておりました。

私たちは、自分一人の力でやってきたつもりが、失敗や困難に陥って自分の限界を知り、周りの方々の好意や恩恵によって支えられていたことに気づかされた時、「おかげさま」という言葉で感謝を表し伝えます。ところが、年々重ねていくうちに、一つ目の意味だけでなく、より深い二つ目の意味も含んだ「おかげさま」を言っている自分に気づかされます。

幼い頃を思い出しますと、近所のおばさんや寺にみえる方の口からは、「おかげさんと元気に…」とか「こうしておかげさんとお参りに来られました」とか、「おかげさま」の言葉をいつも耳にしていたように思いますが、近頃はどうでしょうか?昔の人はいつもそのことを身近に感じて生活をされていたように思います。

真宗の教えを分かろうとして難しい言葉や、知識を得ようとし、また知ったような錯覚をしていることが多い私なのですが、阿弥陀様という大きな加護に気づかされた時、頭が下がり、「おかげさま」や「南無阿弥陀仏」のお念仏が口から出るのでしょう。それが信心のような気がします。難しい言葉や知識ではなく、まずは自分自身が「おかげさま」に気づかされれば、と。

021ハンセン病回復者の方

鈴木勘吾

今年4月、岡山県の邑久(おく)光明園というハンセン病回復者の方々が住む、療養所へ行ってきました。副園長さんよりお話を聞かせていただきましたが、回復者の方々のご苦労は筆舌に尽くしがたく、数分、数枚の原稿では伝えきれません。ただお話にうつむきがちに聞かせていただくばかりでした。

その終わりの言葉に驚かされました。

「ここにお住いの方々は、哀れむべき人々ではなく、病気による後遺症に悩まされ、差別によって虐げられ翻弄されながらも、地域の偏見や、国の政策とも粘り強く闘い、この地で強く生き抜いてこられたのです」

どんな顔をして療養所を訪問すればいいのかと考えていた私は、少し混乱しました。私は、自分が何なのか、何しにここへ来たのかと、変に意気込んでいました。先入観なしに、素直に来られなかった自分を見てしまい、戸惑いました。

後に、回復者の方々との交流会でも、後遺症も少なく、社会生活に復帰された方のお話を聞かされたときも、驚くことが多かったのですが、何人かの方に共通することは、「仕事を通じて親しくなれば、身の上話になる。すると、いつ病気のことが知られてしまうのか怖かった」と一様に話されることです。病気は快復していても、イメージが悪く、ばれればここには居られないと、感じておられました。

「隣のオッチャンになりたい」

こんな当たり前のことが叶わないことに、疑問を持ち、何かできないかと、思案してしまいます。

傍らで苦しんでいる人がいるのを知りながら、自分の心の平安を得ることが宗教の救いでしょうか。私とハンセン病問題との出会いは偶然かもしれませんが、私に宗教とは何かを問いかける機縁として新しい出会いをいただきました。

020有無の邪見

伊東幸典

「霊はおるのかね?」

唐突にこんな質問を受けたことがあります。私たちは、何でもかんでも善か悪か、白か黒か、決めなければならないと思いがちです。どちらでもないという曖昧さは好みません。その時の話を要約するとこんな具合です。

出かけようと思って戸締りを済ませたところ、突然、冷たい風が部屋の中を吹き抜けた。ゾクッとして、これは弟の霊だと思った。実は数か月前、弟がガンで死んだのだが、自身の健康状態がよくないことを察して葬儀の知らせをもらえず、百か日法要が済んでから連絡を受けた。葬儀に出席して、最後のお別れをしたかったができなかった。だから、霊となって現れたと思った。

そもそも霊とは何なのでしょう。言葉の意味を尋ねると、「形ある肉体とは別の冷たく目に見えない精神。また、死者の身体から抜け出した魂」とあります。目に見えないものということは、霊が存在するか否かは確かめようがありません。

『正信偈』には、龍樹大士出於世(りゅうじゅたいじしゅっとせ) 悉能摧破有無見(しつのうざいはうむけん)(真宗聖典205頁)とありますが、仏教では、「有無の邪見」といって、「有るというのも無いというのも、人間の間違った見解であって、偏見・独断である」と教えられています。親鸞聖人も龍樹菩薩が示されたこの考え方を高く評価しておられるのです。

亡き弟のことを強く思えばこそ、霊の存在を確かめたくなったということが質問の本意でありました。でも、霊の有無など、どうでもよいことです。「弟さんが亡くなって、寂しい」という悲しい気持ちでいっぱいだということがよく分かりましたから。

019人間に帰ろう-ハンセン病問題-

加藤淳

いよいよ来年、真宗本廟において宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要が厳修されます。法要中の、4月12日から14日までの三日間、「第8回真宗大谷派ハンセン病問題全国療養所交流集会」が企画されています。

「人間に帰ろう-しんらんさんと考えるハンセン病問題-」というテーマで交流集会が開催されます。なぜ大谷派がハンセン病問題に取り組むのかといえば、「無批判に国政政策に追従して隔離を推進した」「『らい予防法』がもっている人権侵害を見抜けなかった」「その中で私たちは慰問布教という形での現状肯定、あるいは自己弁護をしてきた」という三つの誤りを犯してきたからです。

『らい予防法』が廃止される1996年まで、国は隔離政策をとってきたこともあり、ハンセン病は恐ろしい病気であるなどの誤った理解がごく最近までされてきました。

親鸞聖人は、私たちに先立って、人間であることの根拠を明らかにされた人です。また、阿弥陀のはたらきを私たちにまで伝えてくださった人でもあります。

では、阿弥陀のはたらきを感じ取ることはどういうことかを例えて言うなら、外で風が吹いているとします。風そのものには、臭いも色もありませんから、風を直接確認することはできません。風が吹いていることは、外の木々が揺れていたり、窓のカーテンが揺れることによって、また、私たちの体に当たる感覚によって風を感じ取ることができます。風と同じように、阿弥陀の教えに生きられた方の生活を見ることによって、阿弥陀を感じ取ることができると思います。

ハンセン病回復者で歌手である宮里新一さんのコンサートで、交流集会が始まります。「ハンセン病回復者は、社会の中で肩身の狭い思いをして生きてきたんです。そういう人たちの思いを代弁したのが自分の歌なのです」との歌に込められた宮里さんの生き方にも触れていきたいと思います。

ハンセン病を患ってこられた方々の生の声を聞くことによって、つい最近まで隔離を支えるような社会を生きてきたということに気付かせてもらえるのです。そしてまた、都合の悪いものを排除しようとする自分自身がそういう社会を支えているのだと教えていただきました。

ハンセン病問題を学んでいくことが、女性差別、外国人差別、障害者差別など、あらゆる差別を自覚させていただく手掛かりに繋がれば幸いです。

018掲示板設置によせて

大賀光範

このたび、淨圓寺の入り口にアルミ製の掲示板をたてていただきました。そこで、さっそくドイツの文豪ゲーテの言葉である「人間の過ちこそが、人間を本当に愛すべきものにする」という言葉を掲示しました。

掲示板の設置は前住職のころからの懸案でした。しかし、門前は人通りが少ないこともあり、世話方さん手製の掲示板が村の中の5ヶ所に設置してありました。行事の案内などはいつもそこに掲示しておりましたが、老朽化などで壊れたものも出てきたため、新たな掲示板を設置していただいたのです。

掲示した言葉については、すぐに反応が出てきました。「難しい」「何を言いたいのか分からない」という声でした。これらは想定内の反応でしたので、これからいっしょに考えていきましょうとお話したのですが、ただ一つ思いもよらない声が出てきました。それは、「最後に書いてある“ゲーテ”の意味が分からない」という声でした。世界的文豪であるゲーテだからこそ、掲示板の最初の言葉として相応しいと思い選んだ言葉でしたが、そのゲーテを知らない人がいることには、思いが至りませんでした。

考えてみれば、高度経済成長を支えた世代は、戦争で荒廃した国の復興のために、身を這いつくばらせて働かねば、三度の食事も満足に取れないような、たいへんなご苦労を経験された世代です。芸術などの文化に心を寄せる暇もなく仕事をしてくださったからこそ、高度経済成長を成しえたといってもいいのでしょう。戦後60余年を過ぎていますが、文化的には戦後を引きずっているのではないかと感じました。

このことから、親鸞聖人が『唯信鈔文意』で「いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり」(真宗聖典533頁)といわれる言葉を思い出しました。毎日その日の生活に追われ、食いつなぐためには人をだましたり瞞(だま)したり、殺生をしなければならない。そういう生活を余儀なくされている者こそ自分自身であり、当然そこには、身を煩わし、心を悩ましてしか生きることのできない現実を、悲しみをもって語られている言葉でした。

私たちは、毎日身を煩わしい心を悩ませながら生きているため、言わなくてもいいことを言ってしまい、しなくてもいいことをしてしまいます。そういう過ちを犯す私だからこそ、如来は人間を「愛すべきもの」と見てくださるのではないでしょうか。

017法(ほ)の香(か)にそめて

池田真

先日、詩を作りました。そうしましたら『いのち輝き』(「念仏ブギ」)というCDを出した、佐々木賢祐(名古屋教区第1組)ご住職が曲にして歌ってくださいました。(聞いてください♪)

法の香にそめて

目には見えない あなたのすがた もう聞こえない あなたの声は ふれることない あなたの手のひら テレビを消したら いつもの場所に 目を閉じて 両手を合わす あなたの面影 心につむぐ あなたが遺した 今日の私を 法の香にそめて あなたと出遇う 私にとどけ いのちの願い 間違いないと 歩んだけれど リセットしたい ホントはごめんね 別れて知った 今 ありがとう あなたが遺した いのちのアドレス 法の香にそめて 信ずるままに 君へと届けよう いのちの輝き

「法の香にそめて」とは、朝夕のお勤めや御同朋(仏縁の友)との聞法・座談、そして仏法を推進された先人の生き方を憶ってつけました。

ご承知のように、親鸞聖人は『教行証文類』の末尾に「前に生まれるものは後のものを導き、後に生まれるものは前のもののあとを尋ね…」(真宗聖典401頁、現代語〔本願寺出版社〕)と、「先輩⇔後輩」のつながりの中で、浄土真宗の救い・成就を記しておられます。

多くの先人たちは、亡き「あなた」を機縁として、「両手を合わす」という「場所」をいただかれ、亡き人・教えに出会っていきました。そして、お勤めや聞法の中から阿弥陀の本願(願い)、浄土(いのちのアドレス)を明らかにされ、そして後輩である「君に」、「いのちの輝き」を「とどけて」くださいました。「いのち輝き」とは、仏と先輩・後輩という関係性に目覚めた先人、そう、親鸞聖人の生き方(推進)です。

昨今は、「直葬」や「無縁社会」と表現される無宗教や人間関係の希薄さの指摘がされています。それは、いわば自己中心的姿勢、仏を否定する延長上で、いつでも起きうる問題でありましょう。

先日、教区の座談会で、「仏・先祖に手を合わせない私が育てた子どもから無縁にされるのは当然やわ」という感想を聞かせてもらいました。私には「無縁を作っているのは誰ですか」という問いと同時に、古くして新しい因縁の道理を教えていただくことです。蒔いた種は芽が出て、同時に蒔かない種は芽が出ないでしょう。

いよいよ「テレビ」の情報や「間違いない」という私の物差しを照らし出す、仏言や生き方、人生の方向を「法の香に」(ちょっとずつ)いっしょに尋ねてまいりましょう。 合掌

真宗大谷派(東本願寺)三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。