015親鸞聖人に教えを聞く

荒木智哉

昨年から、京都で2ヶ月に一度「『教行信証』に聞く」というテーマのもと、講師に梶原敬一先生を迎えての聞法会に参加しています。

私にとって内容はたいへん難しいのですが、先生が話される言葉一つ一つに込められた力と重みを感じています。それは、まるで先生が『教行信証』を通して親鸞聖人と対話をしているように私には映りました。

このような体験は私にとって初めてのものでした。先生は一回目の講義の時に、「なぜ親鸞聖人の教えを聞くのか」という問いに対して、「問題は親鸞の思想で現代が救えるかどうかでしょう。救えるというためには、親鸞の言葉によって現代という時代と社会をきちんと押さえることができるかどうかということを確かめ直されなければならない」と、はっきりとこう言われました。この言葉は、それまでの私の学び方が根本から覆された瞬間でした。

私の今までの真宗の学びは、学校で授業を受けているような知識の蓄積でしかなかったように思います。読んだり、聞いたりする言葉を自分の中で、「役に立つ・立たない」「分かる・分からない」と自分の都合で選り好みをしていたことに気づかされました。

先生は講義の中で『教行信証』を読んでいく時は、一言一句を丁寧に見ていかなくてはならないということを何度も言われます。親鸞聖人が何を思い、考え、『教行信証』の中に表現されたのかということです。言葉には相手が私に伝えたい思いや願いが必ず込められています。だからこそ、言葉の使い方の一つ一つの意味にまで注視しなければならないのです。

このようなことから、一番大切なことは相手(聖人)のことを知りたいという私の思いであり、そこに込められた願いによって人と人は繋がっていき、その繋がりは時間を超えて響く言葉となり、今を生きる私に真に生きる言葉となるのではないか、ということを感じました。