013〈いのち〉のゆくえ

伊東恵深

今から1ヶ月ほど前のことですが、半日かけて人間ドックに行ってきました。普段、お寺で生活していますと、定期的に健康診断を受ける機会がありません。ですので、約5年ぶりに本格的な健診を受けに出かけました。

一つの検査を終え、次の検査を待っている間、私は3月11日の大震災以降、心にずっと残っている言葉の意味について考えていました。それは、被災されて母親の行方が分からないある女性が発した「どんな形でもいいから、母に生きていて欲しい。いのちって本当に一つしかないんだな」という言葉です。

普段、私たちは「いのちは一つである」ということを改めて深く考えたり意識したりすることは、あまりないように思います。しかし、文字通り生死を分かつ体験をされた方の言葉だからこそ、深い頷きをもって私に問いかけてくるのでしょう。自分に与えられた〈いのち〉はたった一つだからこそ、かけがえのない大切なものなのです。

では、そもそも〈いのち〉とはいったい何でしょうか。

私のように人間ドックに行って、悪い箇所があれば治療しようとするのも〈いのち〉です。しかし、病気や事故、災害などによって、あっという間に失われてしまうのも〈いのち〉です。あるいは、年間3万人以上の人々が、自ら選んで投げ出していくのも、また同じ〈いのち〉なのです。

私たちは必ず死する〈いのち〉を“今”生きています。つまり、私が今ここに存在するということは、自分の思いを超えた不思議なご縁によって生かされているということにほかなりません。では私が、その大切な〈いのち〉を必死に守って、いったいどこに向かおうとしているのでしょうか。かけがえのない〈いのち〉を現在いただいて、いったい何をしようとしているのでしょうか。

先ほどの女性の言葉は「たった一つのいのち、一度限りの人生をどのように生きるのか」という重い課題を私に問いかけてやみません。