018仏さんって

大賀光範

「死んだら仏さん」と言いますが、その「仏さん」って一体どういうものなのでしょうか。

ある中陰の法事で、そのことを通して問題提起をさせていただきました。お話を終えてお茶をいただいている時に、ご親戚の一人が「あの人は仏さんみたいな人や、とよく言うけど、その仏さんみたいな人って一体どういう人やろうか」と尋ねられました。大切にお話を聞いてくださったことを喜びながら「一体どういう人でしょうかねぇ、お宅はどう考えられますか」と、一緒に考えていけるように問い返させていただきました。

その方はしばらく考え、一緒にお参りされている方に「あんたはどう思うや」と聞き始められました。それだけで終わらず、お茶を運んでみえた喪主の連れ合いにも「どう思うか」と問いかけ、座談会を始め司会者となって、一緒に考える場を作り上げてしまわれました。ちょうど、北陸で法座の後に行われていたという「ごじだん」は、このようにして始まったのではないでしょうか。

しばらく問いかけ考えているうちに、その方は「無責任なことやなぁ」と、また突然言われました。直ぐに結びつかなかったので「一体何が無責任なんですか」とお尋ねしたら、「仏さんにはまだ一度も出遇っておらんのに、仏さんみたいな人やということ自体、無責任やと思ったんや」と答えてくださいました。

確かに、私たちは、仏像としての仏さまには対面させていただいていますが、お釈迦さまに直接出遇ったことはありませんし、「この人が仏さまです」と紹介されたこともありません。勝手に「仏さん」のイメージを作り上げ、たまたま近くにいる人のイメージが「仏さん」のイメージに合う時に、「あの人は仏さんのような人や」と言っているのに過ぎないのではないでしょうか。本当の仏さまに出遇っても、自分のイメージと違う相(すがた)であれば、仏さまと認めることができないかもしれません。もしかしたら、今までにたくさんの仏さまに出遇っていたかもしれませんが、仏さまを仏さまと気づかないまま、すれ違っているのかもしれません。

「無責任やなぁ」という言葉は、自分勝手に仏さんを考え、自分の都合をよくするために仏さんを利用している私の姿を、間違いなく言い当ててくださった言葉ではないでしょうか。