花山孝介
先日、ご門徒と一緒に新潟上越にある親鸞聖人のご旧跡を訪ねました。幾つかの寺院を回り、最後に夕日が美しいということで上陸の地「居多ヶ浜」に行ったのですが、その場所に立ちながら、この地が聖人にとってどのような意味をもつのか考えさせられました。
聖人は、法然上人との出遇いを通して「ただ念仏」の教えに生きた方です。その聖人が何故流罪という刑を受け、この地に来なければならなかったのでしょうか。時の有力者に嘆願して実刑を免れることもできたかもしれませんが、史実は法然上人と共に刑に服されました。しかしその態度は、刑に服しながらもその刑の不法性を生涯叫び続けられる歩みでした。それは、聖人自身、念仏の教えにより公(おおやけ)を生きる者としての境地を得ていたからだと思われます。そのことは、自身の個人的な事柄を記されなかったことに明白です。
さらに「非僧非俗(ひそうひぞく)」を生きる者としての性(しょう)を「禿(とく)」と表明し、法然上人との死別を通して、やがてその師教を明らかにしていく者としての「親鸞」の名告(なの)りを感得し展開されたのがまさにこの地ではなかったのか。それはまるで、比叡山時代やそれまでの生活の中身が総括されると共に、師亡き後の仏弟子の責任を生きる身の決定がなされた場所であったと思われてなりませんでした。
今年は、奇しくも御流罪八百年の年です。無実の罪を受けられた弾圧の痛みの意味を問わないままで、年中行事のひとつとして「報恩講」を勤めるとしたら、その法要を勤める意味は一体私にとって何なのか、改めて考えさせられました。
森英雄
人間の価値観は、大きいこと、勝つこと、儲かること、健康であること、目立つこと、能力のあること、知識的であること等に中心をおいている。だから、自然と優劣の意識に縛られて生きざるを得ない。その中で安心を得たいがために条件的に有利な世界を実現しようとして、一生を終えるというのが実情ではないでしょうか。
いつも他人と比べてしか価値を感じないから、自分の生きていること、そのものに充分満足して生きることができないようである。自分で勝手に立てた優劣の基準に満たないと不満や不足が出て、生きることにも嫌になってしまう。反対に条件が満たされると安心と満足が訪れるかというと、そうでもないらしい。
結婚する前は夢が叶うのでワクワクしているが、いざ一緒になると相手の欠点ばかりが目についてしまう。優しくなろうと思っても、相手が自分の思うとおりにしてくれないので、不満が高じるばかり。では口数少なくおとなしい相手がいいのかというと、何か頼りない気がし、覇気がないと文句を言う心がうごめく。
一体自分はどうしたらいいのかがはっきりしない。そういう自分に対し、自信がなくなることが大事で、文句を言わねばならない自分に焦点が当たる、そういう時をいただいている訳です。それは、自我の殻が破れ、ほんの少しだけれども光が差し込み、仏のはたらきが初めて私に届く時なのです。結婚を期に、相手を自分のモノと考え、時に奴隷扱いしてしまう。要求の対象物としてしか見られない自分を知らせてくださる相手なのに、相手ばかりを問題視してしまう。
その業もお与えです。そこにはたらく自分自身を照らすハタラキを光明と言います。その力が強くなって初めて、自分という殻の固さを思い知らされます。
その光明が自我の殻を破る時、仏様の一念が私の上に名乗りを上げる。それが南無の心です。実相の知恵です。その知恵に導かれて生きる生活が満足と安心をもって始まるのが報恩講の原点です。
伊東恵深
私は現在、お寺の仕事を手伝う傍ら、京都の大谷大学に非常勤講師として勤めております。大学では、お釈迦様や親鸞聖人の教えを学生の皆さんと一緒に学んでおります。
さて、先日次のような出来事がありました。ある一人の学生が、講義を終えた私のもとを訪れて「どうすればこの授業の単位をもらえますか」と質問してきました。その雰囲気からして、どうやら授業の単位を手っ取り早く取る方法を聞きたい様子です。私はその質問に対して「授業をしっかり聞いて、自分なりの考えをもてるようになったら、単位は自然に取れるよ」と答えました。するとその学生は「確かにそうだけど…」と言いながら苦笑いして渋々帰って行きました。
たったこれだけのやりとりでしたが、実はここに「仏教を学ぶとはどういうことか」という大切な事柄が示されているように思います。
確かに現代は、テレビや携帯電話、インターネットなどの普及によって、必要な情報や知識を簡単に手に入れることができます。また、何事においても効率を優先して、成果や実績を早く求めるという風潮も、近年一段と強まっているように感じられます。しかし、仏教の学びというのは、今述べたような世間の価値観とは根本的に異なります。それは何処までも自分を明らかにしていく歩みです。自分自身に素直に向き合う中で、仏教の教えが自らの問題として腑に落ちる。その時初めて、仏教の言葉は自分の在り方を照らし出す真実の言葉として響いてくるのです。仏教の学びに近道はありません。
先ほどの学生の問いは、成果や効率といった「世間のモノサシ」を、ともすれば、自分を明らかにする歩みにまで持ち込もうとする私たちの在りようを端的に表しているのではないでしょうか。
渡辺美和子
実家の母は、今年72歳を迎えました。数年前から耳の聞こえが悪くなり、それをとても苦にしていました。たくさんの病院を訪ねてどうにか聞こえるようになりたいと願いをもっていましたが、老人性難聴という現実を受け入れ、補聴器を付けました。そして孫娘に教えてもらい携帯電話でメールをどしどし打っているようです。
そんな母の姿に、私はどうなんだろうと思い返して見ました。生老病死と言いますが、何時やって来るか分からない私の姿、老も、病も、死も必ずやって来ることは分かっていても、思い通りにならないその現実を率直に受け入れることができるとは思えません。その時にジタバタしないようにと、桑名別院の人生講座に参加し、いろいろな方のお話を聞いていきたいと、月一回朝出かけるようになりました。でもそのことがもう、自分の思い通りにしようとしているような気がします。
今、私はジタバタしているのでしょうか。今の自分に焦っているのでしょうか。
今朝、境内を掃除していたら、枯れ枝に真っ赤な赤とんぼが二匹仲良く止まっていました。今年の夏はあんなに暑かったのに、もう季節は秋なんだなぁと思いました。どんなにジタバタしても、思い通りにならなくても、やって来るものはやって来るのだなぁと。毎日毎日同じようで、その時はかけがえのないものだと思うのですが、ありのままの自分を受け入れていくことはなかなか難しいことです。
自分を振り返り考えてみますと、日々の生活の中に聞法の糸口はあるものだと思います。その糸口を手がかりに生きていけたらと思っています。
佐々木徳子
桑名別院本統寺の境内にかわいい池があります。その池のほとりには、表題の句を刻んだ、俳聖松尾芭蕉の句碑が建っています。自坊のある伊賀上野は芭蕉誕生の地であり、地元の人は子どもからお年寄りまで、親しみを込めて「芭蕉さん」と呼んでいます。芭蕉さんが『野ざらし紀行』の旅の折、本統寺住職・慧浄院琢慧上人に招かれ、一宿をした際に詠んだ句です。
琢慧上人が丹精こめて咲かせた寒牡丹を見ていると、浜辺のほうから千鳥の声が聞こえてきた。あたかも、雪の中でほととぎすの声を聞くような風情だ、というのです。本来、牡丹やほととぎすは夏の季語であり、そのことがこの句をやや難解なものにしています。でも、冬鳥の鳴き声を聞いて牡丹の花を縁とし、雪中の夏鳥を思い浮かべる芭蕉さん。その感性、とても素敵だと思いませんか。
見たまま、聞いたままのことでしかなかなか物事を信用、判断できない私たち現代人の失いかけている想像力が、そこにあるのではないでしょうか。歩いて旅する芭蕉さんの「もう少しゆっくり」という囁きにも聞こえます。
同じく、境内には親鸞聖人が静かに佇んでおられます。この芭蕉さんの句をもし親鸞聖人が聞かれたら、どんなお顔をされるでしょう。興味は尽きません。
川瀬智
故郷を離れ50半ばで一人暮らしの友人が『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』という映画を観たそうです。
その映画は、母との半生を綴った実話で、本において200万部を超える大ベストセラー、二度もテレビでドラマ化されました。「昭和38年、小倉に主人公の〈ボク〉は生まれ、3歳頃両親は別居、貧しくとも、母〈オカン〉の深い愛によって、育ち、15歳の時、美術学校へ行くため家を出た。さらに東京の美術大学へ進み、オカンのことを気遣いながらも、自堕落な生活を続け、やっとイラストレーター等の仕事ができるようになった頃、母のガンが発覚した。手術は成功、だが完治はしていない。そんな母を故郷に一人残しているのが心配で、オカンを東京に呼ぶ。そして東京に何の憧れもないオカンは東京タワーの麓で、東京タワーに上ることもなく息を引き取ってゆく、というあらすじです。
さて、友人は原作を読んだり、幾度も違う役者が演じるドラマを観て、故郷を思い「自分が両親に何をしてあげたか、一人暮らしの母に何ができるかを考えさせられ憂鬱になった」と語りました。
以前、寺に住する私が「住職として生きることに憂鬱を感じる」と先輩住職に話し、「憂鬱になるということだけが、人間がそのことに真剣に関わろうとしている証だ、責任感が憂鬱にさせる」その時「憂鬱を大切にしろ」と言ってくださった言葉を思い出しました。
『観経』では浄土に生まれたいと願う者は、先ず「父母を大切にしなさい」と教えられます。「せねばならぬと知りつつ、一番身近な親孝行ができない自分に憂鬱になる」そんな「いずれの行もおよびがたき身」の私を案じていてくださる阿弥陀仏の御心に「憂鬱」を通して出遇わせていただくのです。
伊藤宣章
今年の夏は暑かったからなのか、たくさんの人がお亡くなりになりました。お葬式にもたくさんお参りさせていただいたのですが、ひとつ気になったことがあります。
それは、弔電や弔詞によく使われる「冥」という言葉です。そもそもこの「冥」の字の成り立ちは、台の上に乗っているものの上から布をかぶせた姿を現しています。意味を漢和辞典で引くと『1、くらい ア、光がなくてくらい イ、道理にくらい。おろか』と出てきます。
冥土(冥途)といった使われ方をするのですが、実はそこが気になるところなのです。なぜなら、私たち浄土真宗の門徒が願うのは冥土ではなくて浄土ではないでしょうか。宗祖親鸞聖人がお示しくださった『前(さき)に生まれん者は後(のち)を導き、後に生まれん者(ひと)は前を訪(とぶら)え』(真宗聖典401頁)という言葉があります。亡くなった人は光なく、道理に暗い冥土に生まれることを願われていたのでしょうか。私たちもまた光なく、道理に暗い冥土に生まれることを願うでしょうか。
お葬式は不可思議光如来ともいわれる阿弥陀如来の前で勤められます。私たちの闇を照らしてくれる光の浄土に生まれることを願えとの導きに私たちは応えているのか。私たちにとって亡くなった人のお葬式は最初で最後、一回きりなのです。だからこそ大事に勤めていきたいと思うのです。
安田龍誓
昨年の夏、私が住職をさせていただいている真教寺の懸案事項であった、本堂の耐震工事と墓地整備工事をいたし、これでひと安心と思っておりました。ところが、その工事をしたいただいた大工さんに全ての建物を点検してもらったところ、本堂の屋根瓦は補修できないほどに傷んでいること、また、書院と古い庫裏が地盤沈下とシロアリによって、改修するより地盤から建て直す必要があることが判明しました。早速に責任役員・総代さんと相談し、とりあえず本堂の屋根だけでも対応するため、具体的に瓦屋さんから見積もりを取ることにしました。
2軒の瓦屋さんそれぞれから見積もりの説明を聞いて、たいへん驚き、思わず胸が熱くなりました。それは本堂の屋根組みがトラス構造、橋等でよく見かける三角を逆にした組み方がしてあり、少ない柱でも強度が保たれる構造となっており、2軒の瓦屋さんもこんな屋根組みをした本堂は初めて見たとのことでした。この本堂は先の大戦で焼け野原となった後、5年かけて建てられた本堂です。当然多くのご門徒も家を焼かれ、自分の家の再建をしなければならない中で、どんなにかご苦労があったことでしょう。また、大工さんも物資が手に入らない状況で、如何に少ない材木で丈夫な本堂を建てられるか、たいへん苦心をされたのだと思わされたことでした。当時の住職・門徒の方々の聞法の道場を再建したいという尊い願いが現在の本堂となって建立されたのだと気づかされたことです。
たいへんありがたいことに、今年の5月から本堂屋根修復と書院・庫裏の建築が始まりました。願いを建立する。もっと言えば願いが形になるということでしょう。その願いを、今の住職・門徒が受け取り親鸞聖人の教えを聞く聞法の道場として護持していきたいと思います。
藤井恵麿
今年の春、3月31日から2日間、自坊で蓮如上人五百回御遠忌法要を勤めさせていただきました。
御遠忌をお勤めするに当たり、四年ほど前から総代さんを中心として準備に取り掛かり、建物の改築並びに境内整備等を進めてきました。しかし、当日の準備はなかなか遅々として進めることができませんでした。と言いますのは、急遽着工されることになった境内整備のための工事、並びに本堂の畳の入れ替え作業などが間際まで続き、それに加えて年明け早々から、父親が胃がんのために入院、そして手術という状況も重なったからです。私自身も「御遠忌は本当に大丈夫か」と焦りました。そのような焦りの中でイライラすることも多く、会議の最中に役員さんの中で世間話等を長々と始める人がいると思わずムッとなり、きつい言葉になることもありました。また、役員さんと共同で作業しているとき等も、口ばかりで手の動かない人等がいると「あれは間に合わない人」と他の役員さんと批判することもありました。
そのようなこともありましたが、どうにか御遠忌を迎え、当日はたくさんの人に参詣していただきました。そして、再び平穏な日常が訪れ、しばらくしてからのことです。以前に聞かせていただいた人の言葉がフッと思い出されました。「人は努力すればするほど傲慢になる」御遠忌直前の自分は正にその通りでありました。自分だけが一生懸命にやっているという思い上がりの中で、自分の思い通りにいかない人を馬鹿にするという、とんでもなく傲慢な私でした。そのような相に改めて気づかされた時「よくぞ、このような私を今まで支えてくれた」と、役員さんをはじめ有縁の方々に本当に頭が下がりました。
藤岡真
夏も盛りとなり、水に触れる機会も増え、ある都市では昔ながらの打ち水により、クーラーの使用を減らす効果を得ているそうです。さて、いつの頃からか「水もとどまれば腐る」という意味の文を聞き覚え、折に触れ思い出してきました。最初は、夏場にお内仏の華瓶の水が腐っているのを見つけて、なるほど、水も腐るのだ、すべてのいのちに不可欠な水も、流れていてこそ他を生かすことができるのだと感心したものでした。しかし、この一文は単に水が腐るということを表しているのではない、「水も」とあるのだから他のものもということを含んでいます。
たとえば、日常生活の些細なことでも、流れが止まれば自分が腐り、やる気の失せることがあります。掃除等もその一つでしょう。つい、今度片づけようと先延ばしにしてしまう。その繰り返しで、なかなか手につけられなくなります。そんな時、使ったものは元の位置に戻すという、小さな生活の流れを滞らせていたがために、身動きが取れなくなっていたんだと、先の言葉を思い出し、何か行動を起こさなければならないと思います。「水もとどまれば腐る」という一文を思い出すことが行動を起こすきっかけとなってくれます。ただこの時も、流れを滞らせたのは普段から家にいる家族のものであり、家族が悪いのだという気持ちが強く、自分も流れを滞らせている一人であることにはなかなか気づかずにいました。自分もその一人だと気づかないうちは、意欲をもって掃除に取り組めるものではありませんでした。
さて、この「も」という一字に関して、『歎異抄』第9章が思い出されます。弟子の唯円が、お念仏申してもよろこべません、どうしたらいいでしょうか、と問うたのに対し、親鸞聖人は、
親鸞もこの不審ありつるに、唯円坊おなじこころにてありけり(真宗聖典629頁)
とお答えになっています。このことに関して「師も弟子と同じ凡夫の位におりられて、ものを言っておられる。この“も”という一字のもつ意味の大切さ。“共に”といいつつ、相手が、我がと“が”ばかりを主張し、学校にも、家庭にも、この“も”の一字が見つかっていないのではなかろうか」との松本梶丸先生のご指摘に頷かされます。
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