011苦のシステム

海野真人

毎年年末になると、今年の一年を漢字一文字で表現するとどうなるかという企画がありますが、昨年の一文字は「偽」という字でした。西洋の文字はアルファベットを組み合わせただけのものですが、漢字はそれ自体に意味があるのでおもしろいですね。「人の為」と書いて「偽」。「人の為」は本当は「自分の為」ということなのでしょうか。また、「人の為すこと」と書いて「偽」。人の為すことはいつわりであると見抜いての文字なのでしょうか。「世間虚仮(せけんこけ) 唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」と言われた聖徳太子の言葉が思い起こされます。

私たちは、ものをその通り正しく見ていると思っていますが、実はそうではありません。親から譲り受けたDNAや自分が経験してきた様々なこと、あるいは世間の常識といったようなものから独自に作り上げたフィルターを通してものを見ているのです。そのフィルターは10人いれば10通り、100人いれば100通りあります。日々私たちはこのフィルターを通して自分の身に起こってくるさまざまな事柄を判断し、善か悪か、得か損か、楽か苦か、美しいか醜いか、勝ちか負けか等に分けます。そして、善・得・楽・美・勝という方をプラスとし、悪・損・苦・醜・敗をマイナスとして計算し、その結果がプラスであれば喜びや幸せを感じ、マイナスになると苦しみや不幸せを感じます。

節分の日に「鬼は外、福は内」という言葉を聞きますが、善・得・楽・美・勝というプラスの面を福と呼び、少しでも多く手に入れようとします。そしてその反対のマイナス面を鬼と呼び、少しでも減らしていきたいと願います。そのためには、他人どころか自分の心さえごまかし正当化していくことがあります。私たちは好むと好まざるとにかかわらず、こういうシステムになっていて、それから抜け出せず苦しんでいるのです。

日常の出来事で腹の立つこと、苦しいこと、うまくいかないことに出合った時は、こういう自分の姿を教えてもらっているお便りと感じ、仏からの声を聞いていきたいものです。