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012泣く泣く 

片岡健

夜の繁華街でたむろして家へ帰れない子どもたちに、家へ帰るよう説得するため、単独で夜の街をパトロールしてくださっている。また、生きるのに疲れて自分の手首を刃物で切ったり、引きこもりになっている子どもたちの相談相手になって、時には夜を徹して電話で応対し、生きる力を引き出すように子どもたちを励まし続けてくださっている水谷修という先生がおられます。

この先生は「現在の私たちの社会は、人を認め合う社会ではなく、人と人とが責め合う社会、攻撃的な社会になっています…上司は部下に、部下は家庭で妻に、妻はその子どもに…。攻撃が下へ下へと連鎖しています。でも、子どもたちは誰を攻撃してうっぷんを晴らせばいいのでしょうか。同級生をいじめることで、あるいは殺すことで…。動物や生き物を虐待することで、うっぷんを晴らせばいいのでしょうか。すでに、そうした子どもたちがいます」とおっしゃっています。

ここで指摘されている攻撃型社会の原因はどこにあるのでしょうか。政治や経済や社会構造など、いろいろなことが考えられますが、さらにその奥にあるものは、私たち一人一人の生き方にその原因があると、私は最近つくづく思うのです。

『歎異抄』というお書物があります。親鸞聖人亡き後、同じお弟子仲間の間で、親鸞聖人の教えと違うことを言う人が出てきました。それを唯円というお弟子が批判しているお書物ですが、そこには「なくなくふでをそめてこれをしるす」と書かれています。私たちにも、人を批判したり、子どもを叱ったりしなければならない場合は当然あります。しかし、その場合、怒りにまかせてとか、好き嫌いとか、自分の都合がその基礎になってはなっていないでしょうか。泣く泣く人を批判する、泣く泣く子どもを叱る。こんな心が根底にあれば、批判も叱ることも相手に通じて、そのことが光り輝いてくるのではないかと思います。

011凡夫は何処に 

水野朋人

テレビ、新聞を見ておりますと殺人、詐欺、窃盗等痛ましい事件が毎日毎日報道され、多く私たちの耳を流れていきます。しかし、その中で、犯人が明らかになることにホッとするものをもち、無感動に犯罪にいたるまでの経過報道を興味をもって聞き入るものは何でしょうか。

先日、下の子どもがテレビを見ておりましたら、正義の見方が最後に出てくるまではハラハラして見ていまして、正義の味方が最後に悪者をやっつけるということにホッとして喜んで見ていました。その姿を見まして、私たちは悪人を許さない心をもち、悪人はやられなければ安心できないものがあるのだなあと思わされました。そして、それを見ている私も、どうも悪を許さない善人であるようです。いつも私は善人であるようです。ですから、犯罪者が明らかにされるところにホッとするものを感じるのではないでしょうか。

はたして悪人は私とは違う特別な人でしょうか。

凡夫(ぼんぶ)というは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終(りんじゅう)の一念にいたるまでとどまらず、きえず…(真宗聖典545頁)

と聖人は言われています。決して悪人という特別の人はいないのではないでしょうか。縁によるものであって、善人も悪人もともに「凡夫」であるというのが親鸞聖人の教えではないでしょうか。この私も凡夫にほかならない。この凡夫の地平を見失った時「あんなことをして」と他を蔑(さげす)み、差別し、同朋を見失ってしまい、悪人が明らかになるとホッとするのではないでしょうか。

「凡夫」は、すなわち、われらなり。(真宗聖典544頁)

と凡夫という領きに悲しまれる身、救われるべき身という「われら」の世界が開かれ、また「凡夫」という本願の悲しみを感受せしめられるのではないでしょうか。

010人に出遇った報恩講 

檉とし子

桑名別院の報恩講の前日、準備のために境内へ入ると、軽やかなデッキブラシの音が耳に入りました。どなたかが境内のトイレを掃除している音でした。

1日目の法要を終え片づけを済ませて庫裏の玄関まで来ますと、年配の婦人の方が明日のお斎(とき)のために食器を分けている姿を見かけました。

2日目も同様、黙々と後片づけをされているなか「一度お茶でも持って行きたいけど」と思案しながら、思い切って「ご苦労様です」とお茶を持って行くと、何かスーッとその方々の輪の中に座ることができました。

皆さんの顔が生き生きとして嬉しそうでした。わずかな間でしたが、話の輪が広がり、多度の人あり、桑名、長島の人あり。大正15年生まれの方は「私はここではまだまだ新米ですよ」とおっしゃいました。

最終日にご講師が「北陸では報恩講の時は、黒の紋付羽織でお参りされている所もありましたよ」とお話されている声が襖越しに聞こえてきました。そのことは、台所を手伝っている女性たちの真新しい白い割烹着がそのことを物語っているように思えました。

この度、別院の報恩講にお参りさせていただき、花方さん、お斎の方、泊まり込みのおばさん、雪かきをしてくださった人、トイレの掃除をしてくださった人、まだまだ私の知らない方々に出遇ったおかげで、親鸞聖人の教えを大切にしている方から「真面目に日暮らしをしなさいよ」と言われている様な気がしました。

報恩講は報恩感謝と言われますが、裏方さんの「今自分にできる仕事はこれだ」と黙々と働いておられる姿に遇い、寺に住んでいる私に、襟を正して仏事に接することを教えていただきました。

009あんまりじゃ 

岩田信行

坂木恵定先生の『あんまりじゃ』という一文にふれました。

「あんまりじゃ」のその一言。それはこういう状況での一言です。

吹雪のある朝、月参りへの道すがら、向こうから幼稚園に孫を送りに行くおばあさんと行き会って、そのすれ違いざまに、おばあさんが口にした切なげな「一言」それが「あんまりじゃ」「あまりにも酷(ひど)過ぎる・・・」その一言に坂木先生は「ハッ!」とした。見知らぬそのおばあさん。何があって出た言葉か定かでないが、その一言に坂木先生はそのおばあさんのこれまでの生涯を、その一言のうちに聞き取ったというわけです。

「あんまりじゃ」「あまりにも酷過ぎる」その一言のうちに、これまでの人生の在り様が言い切れる。その一言に全人生がある、そういう一言。そして、そのような「行き詰まり」の一言こそが全人生を引受け、全責任を荷う主体を開く契機となることを、すれ違いざまの一瞬、響いた。

自分の「思い」を自分とし、思い通りになることを「幸せ」と思い込み、当てにならんものを当てにして、当てが外れるや「あいつが悪い」「時代が悪い」と周りを責める。思い通りを夢見て空しく終わりつつある人生に嫌気が差しながら、どうかして迷惑かけずにコロッと逝けんものかと、もう一つ夢見て・・・。そこに「あんまりじゃ」と天を仰いで叫ばずにおれんものが噴出すか、否か。

そういう、自分の人生を突き抜ける「一言」が沸いて、生涯かけて問い続ける課題が見つかること。そこに「聞法」の意味と課題があるのでないでしょうか。

「思い」を「自分」として生きる、その「思い」が「あんまりじゃ」の叫びとともに、今日までの人生が「思いの外」だったと破れてさらさらの事実に立ち帰る!そして、次の瞬間、それさえもまた「思い」に取り込んで・・・。生涯、悪戦苦闘と思いきれ、出てくる「問題」と向き合っていける力をいただいていく生活が「あんまりじゃ」から始まる。

坂木恵定先生の『あんまりじゃ』の一文。響きました。

008差別の根っこ 

米澤典之

私たちの家族に赤ちゃんが生まれてきてくれました。

赤ちゃんの透き通った眼を見ていると、自分の眼がいかに濁ったものであるかを知らされます。新生児室に並ぶ赤ちゃんたちの命は千差万別、一つとして同じ存在はありません。誕生の瞬間から赤ちゃんは様々に区別されています。男女の区別から体重や血液型、障害の有無などによる区別です。誕生した命が男の子でも女の子でも、保育器に入っていても、障害があろうとも、その命の尊さに変わりはありません。

しかし、どこまでも自己中心的な濁った眼は、それらの厳粛な区別を見比べ分別を始めるのです。それは「我が子」と「他の子」に分けるところから始まります。そして「男の子で良かった」「五体満足で良かった」と分別するのです。女の子でなかったことを理由にしたり、障害がなかったことを理由にして満足しているのであればそれは差別でしょう。それは意識しようが無意識であろうが優劣をつけていることに変わりはありません。言葉に表現しなくても、それは差別の心です。そこに差別の根っこがあるのでしょう。それなのに「差別なんかしていません」というところに生きていたことに気がついた時に、改めて心の濁りの深さが知らされてくるのです。

「差別」という言葉は元々仏教語の「しゃべつ」からきています。元々は、それぞれが異なった独自の姿で存在している状態を表す言葉であったといいます。そこには上下・優劣はありません。それぞれが独自の姿を保ちつつ、生き生きと存在していることを表しているのです。

しかし、私の心の眼は、そもそも異なっているものを比較し、優劣・善悪をつけて見ることしかできない眼です。ありのままをありのままに見ることのできない濁った眼です。
今、仏の教えを聞くということは、私の濁った眼ではなく、仏さまの透き通った眼をいただいていくということでありましょう。

007見えぬけれどもあるんだよ 

海野真人

先日、山口県にある漁港の町、仙崎に行ってきました。ここは有名な童謡詩人金子みすずが生まれ育った町です。彼女は、熱心な真宗門徒の家に育ったこともあってか、その詩には真宗の教えを感じるものがたくさんあります。それが童謡という誰にでも分かりやすい言葉で語られているので親しみやすく、今では小学校の全教科書に取り上げられており、子どもたちもいくつかの詩を暗唱しているほどです。

サン・テグジュペリは『星の王子様』の中で「大切なものは目に見えない」と言っていますが、まさに彼女の詩は目に見えない大切なものがあることを教えてくれます。有名な『大漁』という詩などはその代表例でしょう。

蓮如上人七百回御遠忌の際のテーマは「バラバラでいっしょ」でしたが『私と小鳥と鈴と』という詩では、このように言っています。

私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のように、地面を速くは走れない。私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、あの鳴る鈴は私のように、たくさんな唄は知らないよ。鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがってみんないい。

とても柔らかい言葉で「バラバラでいっしょ」の精神が語られているように感じます。

また、『蓮と鶏』という詩は他力の大きなはたらきを感じさせてくれます。

泥の中から蓮が咲く。それをするのは蓮じゃない。卵の中から鶏が出る。それをするのは鶏じゃない。それに私は気づいた。それも私のせいじゃない。

2003年、仙崎市にみすず記念館が建てられ多くの人が訪れています。私も家族でここを訪れましたが、日常の中ではつい忘れてしまって、目に見えるもの、それもほんの目先のことにとらわれている生活の中で、「見えぬけれどもあるんだよ。見えぬものでもあるんだよ」ということに気づかされる場所でした。みなさんも機会があれば訪れてみてはいかがでしょうか。きっといい出会いがあると思いますよ。

006他力に会う 

上杉義麿

昨年暮れに開かれました全日本フィギュアスケート選手権で優勝した村主章枝選手が、演技を終えた後「カミサマ」とつぶやいたことが先日の新聞紙上に報じられておりました。私も中継の映像を見ていて確かに村主選手の唇が「カミサマ」と動くのを見ました。また、その後のインタビューでも「優勝できたのはカミサマのおかげ」という言葉が聞かれたとも報じられておりました。私はこのことを聞き、驚きとともに大きな感動を覚えました。

既にオリンピックや世界選手権といった大きな大会で何度も賞を取り、世界で評価をされている一流のスポーツ選手です。そうした賞や評価の裏側に、どれほどの厳しく激しい努力の日々があったことか。我々は想像するしかないわけですが、それは、正しく自力を極める日々であったといえましょう。そのようにして一つの技を極めた、自力のシンボルともいうべきスポーツ選手に対して人目もはばからず「カミサマ」の名を口にする。そこに私は人間の真の姿を見た思いがいたしました。

自分の力、はからいを超えたものをある人は「カミサマ」と表現いたします。私たちはそれを「如来の他力」と申します。「他力」というと、何もかも人任せにし自分では何もしないことだと誤解されることがあります。しかし、他力の教えは自ら努力することを全く否定するものではありません。努力し、自分を鍛えることで何もできると思っていた。そして、ぎりぎりまで努力を積み重ねてきた。しかし、そこに待ち受けていたものは度重なる怪我であり、次々と現れてくるライバルたちであった。これはもう自分の力では何もしえない、何も変えることのできないことです。しかし、確かにそうした状況が目の前にある。その時人間である限り、自分の力に限界があるということに気づかされ、立ちすくんでしまします。しかし、やはり人間である以上、何かをしなければなりません。そういう状況に立たされた時、人は初めて自分の力を超えたものと向き合います。それこそが他力の教えに会うということなのです。その時向き合った如来は、よく気がついた、それでよい、それでこそ人間だ、と私たちを包んでくださり、もう一度歩き出すために後押しをしてくださいます。私たちは今生きていること、そして、後押しされて何かをなすことができるということに感謝し、また明日を生きてゆくことができるのです。

落ち込んで、またそこから自分を奮い立たせて明日を生きてゆく。考えてみればそれは日々「自分」でしていると思い込んでいることです。しかし、ぎりぎりまで追い込まれた時に、またやろう、歩き出そうとできること、これはもう自分ではない、大きな力の後押しなくしてはならないものです。私たちがぎりぎりまで追い込まれるということは、一生の内でそう度々あることではないでしょう。けれども、日々の何気ない営みの中にも、大きな力即ち他力による後押しというものが現れているのです。

今一度、大きな力に包まれて生かされ、動かされている自分、という見方で日々の自分の姿、そして営みを見直してみたい。そんな思いにさせていただいた村主選手の姿でした。

005不安の上に立つ

佐々木智教

今年の神社仏閣への初詣が、過去最高の人手を記録したと年頭のニュースで報じられました。ところが、自坊では年始のお参りにみえる同行の方が年々減ってきておりまして、一体どうしたことかと家族でしんみりと話し合ったことでした。

この神社仏閣の繁盛ぶりは、除災招福の考え方からきているのであろうと思います。即ち、健康で長生きして豊かな生活。皆がこぞってお参りするのは、私たちが思い描くそんな幸せへの欲求を満たしてくれそうな場所だからでしょう。しかし、同時にこの底知れない私たちの欲望追求の生活が、現在の様々な問題を生み出すことにつながっているのです。環境を壊し、人間の身と心を壊し、人と人との関係性も破壊するそんな世相の中、言いようのない不安に苛(さいな)まれている私たちなのではないでしょうか。

その不安の中にあって、これでよいのかと感じつつも、とりあえず誰かの責任にしておかなければ落ち着かない、というような風潮が世の中に蔓延している気がしてなりません。

安田理深という方は次のように述べられています。「本願の智慧が〈不安>という形で人間にきているんです。不安が如来なんです」このお言葉が、教えを必要とせず欲を満たそうとするばかりの私の宗教心に響くかどうか。その一点が、不安の上に一瞬たりとも立てない私の課題となってまいります。

004心に残った事件 

白木冨美子

病気で入院している患者さんの中には、自分では何もすることができなくとも、医療関係者の方々、家族の献身的な看護によって、与えられた命を懸命に生きてみえる人がたくさんおられます。その一方では、痛々しい事故・事件・自然災害により、一瞬にして多くの命が奪われていきます。

特に昨年起こりました中津川一家殺傷事件は、加害者の年齢が私と近いこともあって、心に深く残っています。この事件は、自分を生み育ててくれた母親を、日頃から自分へ嫌がらせをしたり、他人を巻き込んで騒ぎを起こしたりするため、「一緒には生活できない」という理由で殺害しました。その上、かけがえのない子どもと可愛い孫までも、事件の後、家族ということでつらい思いをするからと殺害し、自らも死のうとしたが一命をとりとめたというものです。それは奥さんの旅行中の出来事ということで、最初聞いた時不思議に感じましたが、理由は嫁と姑の関係に問題があり、奥さんに対して不甲斐のない自分と母親を殺すことでけじめをつけようと思ったとのことです。

普段私たちの家庭でも人間関係のこじれは大なり小なりあると思うのですが、本人にとっては私たちには計り知れないたいへんな葛藤があったのでしょう。しかし、一度母親と離れて生活するとか、家族でよく話し合うとか、他に方法がなかったのかと思うと残念です。

事件後、本人を知る人たちは一様に「まさかあの人が」「優しそうで常識のある良き人だった」とインタビューで答えておりました。私たちはもし同じような状況におかれた時、冷静に判断して行動することができるでしょうか。

蓮如上人のお言葉に「人のわろき事は、能(よ)く能(よ)くみゆるなり。わがみのわろき事は、おぼえざるものなり」(真宗聖典890頁)とありますが、そこには賜った命を自分で絶ったり、ましてや他人の人生や命を自分の思いで変えようとする人間の身勝手さが問題とされているように思います。

003存在悪への呼びかけ 

水谷葵

昨年末から次々と痛ましく凶悪な事件が後を絶ちません。そのたびに私たちは、世の中が悪くなった、今の若者や良い大人が我が身勝手で常識が無くなったから、こんな凶悪な人が増えたのだとつぶやいています。しかし、これらの凶悪な人々の心も、私たちがお念仏を忘れ、お念仏よりもお金や名誉のほうが宝だと思い、浄土より有頂天のほうを夢見ている心と根は一緒なのでしょう。

真宗では、私たちが罪悪深重だと教えられています。しかし、私たちは自分を悪人と夢にも思いません。今年(2006年1月)の法語カレンダーに「人の悪はとがめるが自分の悪には気がつかない」とありますが、私が何かを行うことによって悪が生じるというよりは、むしろ、私が存在することそのことが悪であり罪であるのです。例を挙げれば、今日問題になっている地球温暖化の問題は、正しく私の存在がエネルギーを消失し、二酸化炭素を排出して、地球の破壊を早め、子どもたちの未来を閉ざしているのでしょう。だからといって、この生活の在り方を止めることもできません。ただ悪を作り、罪を重ねる私たちの日常性に立ち往生するばかりです。

阿弥陀様は罪悪深重な私を予め知り尽くした上で、しかも私をこの世に出してくださいました。そして、深い悲しみをもって声となって、私の開放を誓ってくださったと教えられるのです。ところが、私たちはお金や名誉を前にするとニコッと微笑む心を、息を引き取る時まで捨てられないでしょう。ただ、この事実に深く頷き、この我が身のためにお念仏が用意されてあったことをいただくばかりです。