カテゴリー別アーカイブ: テレホン法話2011年

017テレビのこわさ

木名瀬勝

私がテレビを見なくなったいくつかの理由の一つについて考えてみた。

古き時代ある王国の貴族が、世界中の珍味を使った手の込んだ料理ももはや食べ飽きて、そっけない食事の時間をどう楽しくしようかと困っていた。そこで、大きな屋敷のテラスに面した庭園に、不幸に見舞われた貧しい民を登場させ、人生の苦悩を語らせた。そこでは、家を焼かれた老人や、子どもを奪われた母親や、進行する病気にうずくまる者のすすり泣きとうめき声が流れ、それに心を痛めつつ、わが身の境遇の幸せと食事を与えられたことに感謝するのだった。

しかし、しばらくして、この世のあらゆる不幸の声に飽きてしまうと、今度は肌の色の違う男たちを戦わせた。長い剣と楯を使って、肉を切らせ骨を削らせる、血で赤く染まる現実は、再び食事を喜びの時間に変えた。

それを聞きつけた貴族たちは、こぞって人間の苦悩を味わおうと、女性や子どもも引きずり出して、彼らが傷つけ合う姿を眺めつつ、メインディッシュの肉をほおばり、五感を楽しませるのだった。但し、恐怖によって吹き出される汗の臭いは、ワインの香りを損なうので、テラスと庭をガラスで仕切る工夫がなされた。

時代は変わり、一部の特権階級のものだったこのような娯楽は、世界中の人々が享受できるようになった。少なくとも電気が通っているくらいの豊かささえあれば、それはテレビと言われる。

さて、それはいつもの朝の食事の時、私はご飯をもごもごと噛みながら、テレビを見つめていた。悲惨なニュースだ。イラクのモスクで爆発があり、子どもが多数死傷した。パトカーの追跡を受けた盗難車が信号待ちの集団に突っ込んだ。原因不明の院内感染で体力のない入院患者が多数死亡している。母親を殺し、放火した青年の上告が棄却され、死刑が確定したと伝えている。

ご飯は白く、味噌汁は温かい。好物のめざしは新鮮で美味しい。そして目の前では、世界中の不幸が次々と繰り広げられる。

しかし、それらの現実は私の食欲を全く減退させることはない。神経質すぎるとみなさんはお思いだろうか。闇は人間の心の底に潜んでいるものではない。この当たり前の生活そのものが闇となって、人間であることを失わせている。私の知識では決して疑うことのできない日常を「変だ」と感じさせる光、そこに真宗の生活があるのではなかろうか。

016心地よい歌

五瀬勝明

先日、お参りを終えて寺に戻り、境内の中に入った途端、小さな声が聞こえました。それは「チューリップの歌」でした。

「咲いた 咲いた チューリップの花が 並んだ 並んだ 赤 白 黄色 どの花見ても 綺麗だな」と、心地よい歌声でした。よく見ると2歳の長女でした。最近、ようやく全部の歌詞を覚え、毎日毎日、鼻歌のように歌っています。花を見、肩を右左しながら歌う姿はとても懐かしく心地よく、自分自身も一緒に口ずさみました。その日は一日中2人で歌い続けました。

最近は、忙しさの中で、心地よさなどということを感じる機会などありませんでした。でも、この日は、耳から心地よさを感じました。目の前に咲いている花さえも気づかずに日々生活している中で、花を見て感動し、歌を聞いて感動する、ありのままの事実を受け入れていくことの大事さを思い出させてもらいました。

『仏説阿弥陀経』の中に「青色青光(しょうしきしょうこう)黄色黄光(おうしきおうこう)赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)白色白光(びゃくしきびゃっこう)」と出てきます。一つ一つの花が光を放ち、青い色は青く、黄色い色は黄色く、赤い色は赤く、白い色は白く、それぞれの色に光を放ち、光り輝いている、と。これは、自分たち自身が既にいろいろな色を持っていて、その輝きは私たちの本来生まれた姿でもあり、輝きの中に生きる喜びの姿がある、と言ってもいいのではないでしょうか。

しかし、私たちは、学歴だとか地位とかを求め、それだけが輝きであると、生きるための条件であると、勘違いして生活しています。だから、努力して他の人よりも優れたものを手に入れようとするのです。身につけた価値観だけではなく、自分の思いまでもが常識であると思い込んでいるのです。現代社会の中で他人との比較に終始していたのでは、結局、光り輝くことができないでしょう。

長女の歌から、比較ではなく、互いに輝きを認め合えることのできる世界があることを思い出させてもらいました。

015親鸞聖人に教えを聞く

荒木智哉

昨年から、京都で2ヶ月に一度「『教行信証』に聞く」というテーマのもと、講師に梶原敬一先生を迎えての聞法会に参加しています。

私にとって内容はたいへん難しいのですが、先生が話される言葉一つ一つに込められた力と重みを感じています。それは、まるで先生が『教行信証』を通して親鸞聖人と対話をしているように私には映りました。

このような体験は私にとって初めてのものでした。先生は一回目の講義の時に、「なぜ親鸞聖人の教えを聞くのか」という問いに対して、「問題は親鸞の思想で現代が救えるかどうかでしょう。救えるというためには、親鸞の言葉によって現代という時代と社会をきちんと押さえることができるかどうかということを確かめ直されなければならない」と、はっきりとこう言われました。この言葉は、それまでの私の学び方が根本から覆された瞬間でした。

私の今までの真宗の学びは、学校で授業を受けているような知識の蓄積でしかなかったように思います。読んだり、聞いたりする言葉を自分の中で、「役に立つ・立たない」「分かる・分からない」と自分の都合で選り好みをしていたことに気づかされました。

先生は講義の中で『教行信証』を読んでいく時は、一言一句を丁寧に見ていかなくてはならないということを何度も言われます。親鸞聖人が何を思い、考え、『教行信証』の中に表現されたのかということです。言葉には相手が私に伝えたい思いや願いが必ず込められています。だからこそ、言葉の使い方の一つ一つの意味にまで注視しなければならないのです。

このようなことから、一番大切なことは相手(聖人)のことを知りたいという私の思いであり、そこに込められた願いによって人と人は繋がっていき、その繋がりは時間を超えて響く言葉となり、今を生きる私に真に生きる言葉となるのではないか、ということを感じました。

014地球が優しい

梅田良惠

平成23年3月11日、地震、津波により東北地方を中心に未曽有の被害を受けました。

先日あるラジオ番組で遺伝子を研究している学者が震災に関連して「微生物も鳥も植物もすべての生物は共通に遺伝子の暗号を持っており、生き物は全部つながっている。私たちが生きているこの地球は人間様だけの地球ではない」と言われました。私は「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という言葉を思い浮かべました。

「草、木が悉く仏と成っていく」とはどういうことでしょうか。成仏というのは、人間だけが仏と成るのではないのです。人間や人間以外の動物、いや草や木などを含めた自然環境そのものが仏と成っていくことを意味しているのでしょう。逆に言えば、草や木が成仏しなければ人間も成仏することができないということです。

多くの企業が自分たちは「地球に優しい」企業だと言います。世間では「エコ」を合言葉にして自然に優しい生活をしているつもりになっています。しかし、人間が文明生活をすることそのものが自然環境から見れば傲慢であるということです。

今、福島の原発では放射能で汚染された水を海に垂れ流しています。人間は、海という自然があるおかげで、危機を回避できているのです。人間が地球に優しいのではありません。「地球が人間に優しい」のです。

海といえば、親鸞聖人が書かれた「正信偈」に5回、「海」という文字が使われています。親鸞は海を、時に如来の本願力の大きさとして表し、時に人間の娑婆世界の苦しみの深さとして表しておられます。

原発の事故は天災ではありません。原発は危険なものであると知りつつ、絶対事故は起きない安全なものだと自分自身を欺いて、その恩恵に浴してきた報いです。東京に原発がないのがその証拠でしょう。危険なものは近くに置きたくないのです。

今、私たちは娑婆の現実と向き合うことが必要です。現実と向かい合った時、初めて私たちは本願海に生かされていることに気づくのではないでしょうか。

013〈いのち〉のゆくえ

伊東恵深

今から1ヶ月ほど前のことですが、半日かけて人間ドックに行ってきました。普段、お寺で生活していますと、定期的に健康診断を受ける機会がありません。ですので、約5年ぶりに本格的な健診を受けに出かけました。

一つの検査を終え、次の検査を待っている間、私は3月11日の大震災以降、心にずっと残っている言葉の意味について考えていました。それは、被災されて母親の行方が分からないある女性が発した「どんな形でもいいから、母に生きていて欲しい。いのちって本当に一つしかないんだな」という言葉です。

普段、私たちは「いのちは一つである」ということを改めて深く考えたり意識したりすることは、あまりないように思います。しかし、文字通り生死を分かつ体験をされた方の言葉だからこそ、深い頷きをもって私に問いかけてくるのでしょう。自分に与えられた〈いのち〉はたった一つだからこそ、かけがえのない大切なものなのです。

では、そもそも〈いのち〉とはいったい何でしょうか。

私のように人間ドックに行って、悪い箇所があれば治療しようとするのも〈いのち〉です。しかし、病気や事故、災害などによって、あっという間に失われてしまうのも〈いのち〉です。あるいは、年間3万人以上の人々が、自ら選んで投げ出していくのも、また同じ〈いのち〉なのです。

私たちは必ず死する〈いのち〉を“今”生きています。つまり、私が今ここに存在するということは、自分の思いを超えた不思議なご縁によって生かされているということにほかなりません。では私が、その大切な〈いのち〉を必死に守って、いったいどこに向かおうとしているのでしょうか。かけがえのない〈いのち〉を現在いただいて、いったい何をしようとしているのでしょうか。

先ほどの女性の言葉は「たった一つのいのち、一度限りの人生をどのように生きるのか」という重い課題を私に問いかけてやみません。

012考えなければならないこと

松下至道

東日本大震災が発生してから1ヶ月以上経過しました。被災地では余震が頻発し、福島第一原発も予断を許さない状況です。復興に向けての歩みは始まっていますが、まだまだ落ち着かない日々が続いています。

今回の震災による死者・行方不明者は合わせて2万8千人超で、その数はまだ増えるだろうと言われています。また、無事だった方々の多くは家や仕事を失っており、その被害は計り知れません。マスコミは「未曾有」とか「国難」という言葉で表現していますが、まさにそうだと感じます。

そんな中、震災に対する義援金が阪神大震災時の3倍のスピードで集まり、莫大な金額になっているとの報道を耳にしました。コマーシャルやテレビ番組には「がんばろう日本」というフレーズが溢れ「オールジャパンで」という台詞もよく聞かれます。

日本中が被災地に対する善意で満ち溢れていると実感しました。日本中に広がる善意は、素直に凄いことだと思います。私自身も映像を見てショックを受け、自分のできることはするようにしているつもりです。

しかし、少し立ち止まって考える必要があります。善意あるいは正義というのは大切なものです。ただ、善意や正義は否定しにくい分、推し進めていくと、自分の善意や正義に合わない相手を切り捨てていく要素があります。

特に、集団の共有するものとなった時、多数が少数が持つ意見や思いを踏みつけ排除し、自分たちに従わせるための強力な武器となる危険性を持っているのです。

今回のように「国難」といわれるような場合、善意は一つに集まります。善意に応えられない人や、善意を出せない人が非難される環境になりやすいのです。それはとても怖いことです。

善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。(中略)、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします。(真宗聖典640~641頁)

と親鸞聖人は仰せになられました。人間が言う善も悪も立場や状況が違えばコロコロと変わり、善意や正義がいつでも相手を傷つけ争いの種になり得るのだということを教えてくださっていると思います。

それは、聖人の言われる通り、人間の作り上げた社会には真実がないことを絶対とすることなく、常にお念仏に聞いていきなさい、と教えてくださっていると思います。

011私はどこに行こうとしているのか

米澤陽子

東日本大震災の影響で、真宗本廟では3月中の宗祖親鸞聖人御遠忌法要が中止となり、「被災者支援のつどい」が執り行われました。私は参拝を予定されていたご門徒のみなさんと共にお参りさせていただきました。

宗務総長は、ご挨拶の中で原子力発電所の深刻な事態について、「このような凄惨な事故を生み出す原子力発電所に頼る生活を営んでおりますのは、ほかならない私たちであります。改めて、一人一人が原子力に依存する現代生活の方向というものを考え直さなければなりません。進歩発展を疑ってもみない私たちの日頃の心の無明性を厳しく教えてくださるものは、如来のはたらきにおいてほかにございません」と述べられました。

思えば上山する途中に立ち寄ったサービスエリアで入ったトイレの便座が冷たくてムッとするような私です。家が明るく、部屋が暖かく便座までもが温かいのは原子力のおかげだと深く考えることもなく、便利で快適な生活という幻想を追っていたのです。便利で快適だと感じることしか求めず、その根本にある原発の危険性については見ようともしていなかったのです。次から次へと登場する「便利」「快適」のイメージに追われるばかりで、何のために便利で快適な生活を求めているのかということを考えたことがありませんでした。

御遠忌法要についても、それが何のために勤められるのかもよく考えず、「50年に一度のお祭り」のようにしか受け取っていなかった私ではなかったでしょうか。御遠忌を賑やかで華々しい行事としか考えておらず、御遠忌に遇うことの意味も問わずにいたことを、この度の「被災者支援のつどい」に参加して初めて教えられたような気がします。

「現代生活の方向性」なんて問題にすらしていなかった私。この「つどい」でいただいた「私の生活がどこに向かっているのか」、そして「私はどこに行こうとしているのか」ということをこれからのテーマとしていきたいと思います。

010桜の季節を迎えて

山田恵文

4月は入学の季節です。私が勤める大学においても、たくさんの新入生を桜の花が咲きほこる中、迎えることになりました。おそらく新入生の方々は、これから始まる未知の世界を前にして、多少の不安を抱えながらも、期待で胸が一杯であるかと思います。そのことは迎える側である私自身も同じです。これから始まる新たな出遇いを前にして、晴れやかな気持ちで新年度を迎えています。

しかし、今年は例年と少し趣が異なるようです。それは先月に起きた東北地方の大震災の影響です。地震とそれに伴う津波と災害によって、多くの方が犠牲となり、今もなおたくさんの方が、深い悲しみと不安の中で生きることを余儀なくされています。連日報道される被災地の状況と人々の姿を見ていると、あまりの無惨さにかける言葉も見つからないというのが正直な思いです。

さて、親鸞聖人は9歳を迎えた春の季節に、京都東山の青蓮院において出家をされました。その時のエピソードとして次のような話が伝えられています。青蓮院では天台宗の高僧である慈円の世話の下、出家をします。しかし、もう日暮れでありましたので、慈円は出家の儀式は明日にしましょうと提案します。それに対して、親鸞聖人は和歌を詠んで自分の思いを述べられたというのです。

明日ありとおもうこころのあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは

たいへん有名な歌でありますから、ご存知の方も多いと思います。「明日があると思っていたら、その思いがあだになってしまう、夜中に嵐がやってきて桜の花を吹き散らしてしまうかもしれないから」このような歌を詠みまして、親鸞聖人は明日ではなく、今すぐ出家したいと自分の思いを述べられたのです。

親鸞聖人のこのような強い決意と覚悟を知って、すぐに出家の儀式が行われたと伝えられています。これはあくまで伝説ではありますけれども、親鸞聖人に思いを寄せる人々は、この歌を通して、人生の意義を問う歩みを出発された親鸞聖人の尊い姿を仰いできたのです。

今回の震災において、私たちは当たり前のように生きているこの生活が、一瞬にして消え去ることさえある「無常」の世界を生きているのだという確かな事実を突きつけられました。その中で、自分が生きるということはどういうことであるのか、今、現実から問われていると思います。この季節、親鸞聖人の出家の姿に思いを致すことによって、人生の意義を問う歩みを一日一日進めていきたいという思いを改めてもったことです。

009奪われることのない命

大橋宏雄

東北地方・太平洋沖地震により被災されたみなさまに謹んでお見舞い申し上げます。

日頃聞法する中で、私たちは「明日にも死ぬ身を生きている」ということを教えられていながら、なかなかそのことが自分のこととして受け止められないということがあります。しかし、今、地震や津波に始まり、今も続いている様々な災害によって、そのことが実感として突きつけられているように感じます。ところが、その実感は自分の死というよりも、むしろ身近な人の死というところにあるように思います。

関係を生きている私たちにとっては、たとえ自分が助かっても、身近な人の安否が分からなければ助からない思いがあるのではないでしょうか。また受け止めがたい「死」に対して「命が奪われた」と表現される時、そこには私たちの無力さが思い知らされます。

しかし、同時に命はただ奪われていくだけのものなのかということも思うのです。人が死んでいくということは、ただ失っていくだけのことなのでしょうか。私はそれだけではない、それだけでは言い尽くせないことが、命ということにはあると教えられてきたように思うのです。

亡くなられた宮城顗(しずか)先生は「死ということは生の否定じゃなくて、死もまた命の営みなんですね。死というのは命が無くなることじゃないんです。命が無くなることを言っているのではなくて、生死共に命の営みです」とおっしゃっておられます。

それは一人一人の人生ということだけではなく、その一人一人を包んであるような命の営み、命の営みとなるような命なのでしょう。それは決して奪われることのない命であり、またその営みによって「生きること」が私たちに与えられていく、そういうことが言えるのではないでしょうか。

そして、そのことが感じられ確かめられるところに、まるで全てを砕くような現実の中にあって「生きること」を見失わせないものがあるのではないかと思います。

008弟

稲垣香織

毎年この3月は、春の到来を嬉しく思う一方で、胸につまされる季節でもあります。私は5人姉妹の真ん中で育ちましたが、5歳下の末の弟が亡くなったのが、ちょうど15年前の3月でした。野球や駅伝で体を鍛えていた弟が、高校入学後に発病し、明るい未来を語っていたその生涯を17年で終えるとは、想像もしないことでした。

姉弟の中でも気の合う弟でしたので、闘病中はできる限り彼の傍らにいたいなと思いながら過ごしましたが、治療が辛さを伴って進む中で、彼の「どうして僕が…」という問いを発する場にも立ち会わなければなりませんでした。彼の問いは、即ち私の問いでした。その問いの答えを見出せないまま、お浄土へ送りました。

弟より少し前に父が亡くなったのですが、勝手なもので、その悲しみはどこか「親だから当然」という覚悟が前提にあったのでしょうか、弟とは違いました。弟の死は言葉にできないような辛い悲しみでした。

その悲しみの事実を受け止められない日々を送っていたある日、知り合いのお寺を訪ねた際に、廊下に掛けてあった歌に出遇いました。

なき跡に 我をわすれぬ 人もあらば ただ弥陀たのむ こころをこせよ 兼寿

後に分かりましたが、これは蓮如上人がお詠みになった歌で『帖外御文』に収められているものです。私はこの歌を目にした時に、ハッとしました。私には亡き弟からの呼びかけ、願いに聞こえたのです。

「どうして僕が…」という問いを抱えたまま、日々を悲しみで過ごしていた私に、「ただ弥陀をたのむこころをこせよ」と願ってくれる存在としての弟と出会えたのだと思いました。御はたらきとして、私の中に弟が願いとなって生きていることを感じたのです。そのはたらきが、私の歩みを問い、また励みとなっているのだと思います。

完全燃焼してくださった17年の生涯は、本当に尊いご縁でした。先人のお念仏の歩みから、弟との新たな出会いの意味を教えられたことです。