カテゴリー別アーカイブ: テレホン法話2007年

027「憂鬱」を通して、生きる 

川瀬智

故郷を離れ50半ばで一人暮らしの友人が『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』という映画を観たそうです。

その映画は、母との半生を綴った実話で、本において200万部を超える大ベストセラー、二度もテレビでドラマ化されました。「昭和38年、小倉に主人公の〈ボク〉は生まれ、3歳頃両親は別居、貧しくとも、母〈オカン〉の深い愛によって、育ち、15歳の時、美術学校へ行くため家を出た。さらに東京の美術大学へ進み、オカンのことを気遣いながらも、自堕落な生活を続け、やっとイラストレーター等の仕事ができるようになった頃、母のガンが発覚した。手術は成功、だが完治はしていない。そんな母を故郷に一人残しているのが心配で、オカンを東京に呼ぶ。そして東京に何の憧れもないオカンは東京タワーの麓で、東京タワーに上ることもなく息を引き取ってゆく、というあらすじです。

さて、友人は原作を読んだり、幾度も違う役者が演じるドラマを観て、故郷を思い「自分が両親に何をしてあげたか、一人暮らしの母に何ができるかを考えさせられ憂鬱になった」と語りました。

以前、寺に住する私が「住職として生きることに憂鬱を感じる」と先輩住職に話し、「憂鬱になるということだけが、人間がそのことに真剣に関わろうとしている証だ、責任感が憂鬱にさせる」その時「憂鬱を大切にしろ」と言ってくださった言葉を思い出しました。
『観経』では浄土に生まれたいと願う者は、先ず「父母を大切にしなさい」と教えられます。「せねばならぬと知りつつ、一番身近な親孝行ができない自分に憂鬱になる」そんな「いずれの行もおよびがたき身」の私を案じていてくださる阿弥陀仏の御心に「憂鬱」を通して出遇わせていただくのです。

026日ごろのこころ

伊藤宣章

今年の夏は暑かったからなのか、たくさんの人がお亡くなりになりました。お葬式にもたくさんお参りさせていただいたのですが、ひとつ気になったことがあります。

それは、弔電や弔詞によく使われる「冥」という言葉です。そもそもこの「冥」の字の成り立ちは、台の上に乗っているものの上から布をかぶせた姿を現しています。意味を漢和辞典で引くと『1、くらい ア、光がなくてくらい イ、道理にくらい。おろか』と出てきます。

冥土(冥途)といった使われ方をするのですが、実はそこが気になるところなのです。なぜなら、私たち浄土真宗の門徒が願うのは冥土ではなくて浄土ではないでしょうか。宗祖親鸞聖人がお示しくださった『前(さき)に生まれん者は後(のち)を導き、後に生まれん者(ひと)は前を訪(とぶら)え』(真宗聖典401頁)という言葉があります。亡くなった人は光なく、道理に暗い冥土に生まれることを願われていたのでしょうか。私たちもまた光なく、道理に暗い冥土に生まれることを願うでしょうか。

お葬式は不可思議光如来ともいわれる阿弥陀如来の前で勤められます。私たちの闇を照らしてくれる光の浄土に生まれることを願えとの導きに私たちは応えているのか。私たちにとって亡くなった人のお葬式は最初で最後、一回きりなのです。だからこそ大事に勤めていきたいと思うのです。

025願いを建立する

安田龍誓

昨年の夏、私が住職をさせていただいている真教寺の懸案事項であった、本堂の耐震工事と墓地整備工事をいたし、これでひと安心と思っておりました。ところが、その工事をしたいただいた大工さんに全ての建物を点検してもらったところ、本堂の屋根瓦は補修できないほどに傷んでいること、また、書院と古い庫裏が地盤沈下とシロアリによって、改修するより地盤から建て直す必要があることが判明しました。早速に責任役員・総代さんと相談し、とりあえず本堂の屋根だけでも対応するため、具体的に瓦屋さんから見積もりを取ることにしました。

2軒の瓦屋さんそれぞれから見積もりの説明を聞いて、たいへん驚き、思わず胸が熱くなりました。それは本堂の屋根組みがトラス構造、橋等でよく見かける三角を逆にした組み方がしてあり、少ない柱でも強度が保たれる構造となっており、2軒の瓦屋さんもこんな屋根組みをした本堂は初めて見たとのことでした。この本堂は先の大戦で焼け野原となった後、5年かけて建てられた本堂です。当然多くのご門徒も家を焼かれ、自分の家の再建をしなければならない中で、どんなにかご苦労があったことでしょう。また、大工さんも物資が手に入らない状況で、如何に少ない材木で丈夫な本堂を建てられるか、たいへん苦心をされたのだと思わされたことでした。当時の住職・門徒の方々の聞法の道場を再建したいという尊い願いが現在の本堂となって建立されたのだと気づかされたことです。

たいへんありがたいことに、今年の5月から本堂屋根修復と書院・庫裏の建築が始まりました。願いを建立する。もっと言えば願いが形になるということでしょう。その願いを、今の住職・門徒が受け取り親鸞聖人の教えを聞く聞法の道場として護持していきたいと思います。

024頭が下がる

藤井恵麿

今年の春、3月31日から2日間、自坊で蓮如上人五百回御遠忌法要を勤めさせていただきました。

御遠忌をお勤めするに当たり、四年ほど前から総代さんを中心として準備に取り掛かり、建物の改築並びに境内整備等を進めてきました。しかし、当日の準備はなかなか遅々として進めることができませんでした。と言いますのは、急遽着工されることになった境内整備のための工事、並びに本堂の畳の入れ替え作業などが間際まで続き、それに加えて年明け早々から、父親が胃がんのために入院、そして手術という状況も重なったからです。私自身も「御遠忌は本当に大丈夫か」と焦りました。そのような焦りの中でイライラすることも多く、会議の最中に役員さんの中で世間話等を長々と始める人がいると思わずムッとなり、きつい言葉になることもありました。また、役員さんと共同で作業しているとき等も、口ばかりで手の動かない人等がいると「あれは間に合わない人」と他の役員さんと批判することもありました。

そのようなこともありましたが、どうにか御遠忌を迎え、当日はたくさんの人に参詣していただきました。そして、再び平穏な日常が訪れ、しばらくしてからのことです。以前に聞かせていただいた人の言葉がフッと思い出されました。「人は努力すればするほど傲慢になる」御遠忌直前の自分は正にその通りでありました。自分だけが一生懸命にやっているという思い上がりの中で、自分の思い通りにいかない人を馬鹿にするという、とんでもなく傲慢な私でした。そのような相に改めて気づかされた時「よくぞ、このような私を今まで支えてくれた」と、役員さんをはじめ有縁の方々に本当に頭が下がりました。

023「も」の大切さ

藤岡真

夏も盛りとなり、水に触れる機会も増え、ある都市では昔ながらの打ち水により、クーラーの使用を減らす効果を得ているそうです。さて、いつの頃からか「水もとどまれば腐る」という意味の文を聞き覚え、折に触れ思い出してきました。最初は、夏場にお内仏の華瓶の水が腐っているのを見つけて、なるほど、水も腐るのだ、すべてのいのちに不可欠な水も、流れていてこそ他を生かすことができるのだと感心したものでした。しかし、この一文は単に水が腐るということを表しているのではない、「水も」とあるのだから他のものもということを含んでいます。

たとえば、日常生活の些細なことでも、流れが止まれば自分が腐り、やる気の失せることがあります。掃除等もその一つでしょう。つい、今度片づけようと先延ばしにしてしまう。その繰り返しで、なかなか手につけられなくなります。そんな時、使ったものは元の位置に戻すという、小さな生活の流れを滞らせていたがために、身動きが取れなくなっていたんだと、先の言葉を思い出し、何か行動を起こさなければならないと思います。「水もとどまれば腐る」という一文を思い出すことが行動を起こすきっかけとなってくれます。ただこの時も、流れを滞らせたのは普段から家にいる家族のものであり、家族が悪いのだという気持ちが強く、自分も流れを滞らせている一人であることにはなかなか気づかずにいました。自分もその一人だと気づかないうちは、意欲をもって掃除に取り組めるものではありませんでした。

さて、この「も」という一字に関して、『歎異抄』第9章が思い出されます。弟子の唯円が、お念仏申してもよろこべません、どうしたらいいでしょうか、と問うたのに対し、親鸞聖人は、

親鸞もこの不審ありつるに、唯円坊おなじこころにてありけり(真宗聖典629頁)

とお答えになっています。このことに関して「師も弟子と同じ凡夫の位におりられて、ものを言っておられる。この“も”という一字のもつ意味の大切さ。“共に”といいつつ、相手が、我がと“が”ばかりを主張し、学校にも、家庭にも、この“も”の一字が見つかっていないのではなかろうか」との松本梶丸先生のご指摘に頷かされます。

022いのちの重み

折戸順子

ちょうどツバメが巣立ちの準備を始める6月の夕方のことです。やけにせわしく数羽のツバメが鳴きながら低空飛行を繰り返して飛び交っているので、気になって外へ出てみると境内にヒナが飛べずにバタバタとしていました。よく見ると羽の付け根に傷を負って出血し、親鳥たちの誘いに何とか飛ぼうとするのですが、まったく飛べる状態ではありません。痛々しそうでこのままではカラスや他の動物に狙われてしまいそうで放ってはおけず、近くの獣医さんに連絡したら「連れて来てください」との返事に、早速住職に捕まえてもらって連れて行きましたが「最善の処置と餌は与えてみますが、恐らく助からないと思います」と言われました。とりあえず預かってもらってホッとして帰ってくると、あたりは暗くなってきているのに、急に姿が見えなくなったヒナを捜し求めて親鳥たちが何度も低空飛行を繰り返すそのけなげな姿に涙が出てきました。「ごめんね、取り上げてしまって。でもお医者さんで治療してもらっているからね」と心の中で呟いていました。しかし、これは人間の発想にしかすぎません。

今年は例年になく多くのムカデを見つけてしまい、そのたびに何のためらいもなく殺虫剤をかけていました。先日もまたムカデを見つけて殺虫剤を…。その時ふと思いました。もしあのツバメが私の苦手な生き物だったらどうしていただろうと…。

親鸞聖人七百五十回忌御遠忌テーマである「今、いのちがあなたを生きている」のお言葉の重みが私の心にズッシリとのしかかってきました。

021千の風から仏さんへ 

加藤淳

最近『千の風になって』という歌を知っていますか?という質問を受ける機会が多くあります。その歌は「私のお墓の前で泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません」という内容です。皆さんはこの歌を聴かれてどのような感想をもたれたでしょうか。

私たちは老いて、病んで、いつかは死んでしまいます。死んだら火葬をされてお骨になるのでしょう。そのお骨はお墓に入るものだと思っていたところ「私はそこにいません」と歌われていますから、この詩の内容から私たちは死んだらどうなるのかとの疑問が出てきます。この詩は、人間は死んでもまた人間以外の別の存在に生まれ変わるということを歌っているように思います。このことはご先祖に「私たちをお護りください」と手を合わすのと何処か似ているような気がします。「私たちをお護りください」というのは、亡くなってからも残された私たちの生活が幸せであるように、あの世から見護ってくださいという意味です。

しかし、一方では亡き人に向かって、あなたの生前中は一生懸命に頑張ったのだから、あの世へ行ったら「安らかにお眠りください」と手を合わすこともあります。人が亡くなって、お参りをする時にこれらの二つの言葉を思い浮かべることがありますが、正反対の言葉であります。人は死んだらお終いなのか、お墓に入るのか、千の風になって吹き渡るのか、実体があるわけではありませんから実際は何処にいるのかはっきりしません。こういう問題が出るのは、私たちが死んだらどうなるのかという不安からなのでしょう。

お寺で勤まる永代経は、亡きご先祖を縁に勤まりますが、私たちにとってのご先祖は身近な所で、老・病・死を見せてくださった仏様です。私たちは、何処までも亡き人に向かってお参りをしているかのように思いますが、何処までも、亡き人から私たちに向かって何か大きなことを教えていてくださるのが仏となられたご先祖の存在なのであると思います。

死んだらどうなるのかという問いは、実は「私」そのものの在り方を問うているようにも思います。もうすぐお盆を迎えます。ご先祖から何を教えていただいているのか、そのことを考えていくことが真宗における先祖供養だと思います。

020幽霊の姿の真相 

石見孝道

夏になると、テレビで幽霊や心霊などを取り上げた特集番組が始まります。こういった涼しげな番組も暑い夏ならではの流行なのでしょう。

さて、昔から幽霊の姿には3つの特徴があると伝えられています。それは①後ろ髪が長い②両手を前に伸ばしている③足が無いことです。このことについてある先生は「後ろ髪が長いのは過去を引きずって生きている姿であり、両手を前に伸ばしているのは未来に夢を追いかけている姿であり、足が無いのは今の事実に立っていない姿である。幽霊とは過去や未来に目を向けて、大切な今の事実を見失っている私たちの生き様を示しているのではないか」と言われました。

現実を逃避した過去や未来は幻想でしかありません。すべては今という一瞬一瞬にこそ生きているのです。実はそのことを教えるための手立てとして幽霊の姿が伝えられてきたのかもしれません。ですから、幽霊を外で見て怖がることよりも、生きている私たちこそが幽霊となっていないかを心配すべきなのでしょう。

毎朝、鏡をご覧になると思いますが、その時に、もし「うらめしや」と不満そうな顔が映ったならば、それこそ本物の幽霊ではないでしょうか。

019青春の問い 

岡田豊

私の子どもは高校生なので、そろそろ進路を決めなくてはならないのですが、自分自身が将来何をしたいのかという自分の目標がなかなか見つからなくて悩んでいます。

ところで、この問題は掘り下げていくと、単にどういう進路に進んだらいいのかということに止まらず、いったい自分は何のために生きているのか、自分は何をしたいのか。今まで自分と思っていたのは何なのか。本当の自分とは何処にあるのかという、いっこうに埒のあかない、そして答えのなかなか見つからない問いへとつながっています。

考えてみますと、最初にこういう問いにぶつかるのは、思春期、青年期ではないでしょうか。それは、社会や大人、さらには自分自身の偽善性に気づき始める最も多感な時です。人が人となっていくことは、このような問いに目覚めることだと思います。けれども、皮肉なことに大人になると、目の前のしなければならない仕事に忙殺されてしまい、いつの間にかそういう問いを忘れてしまいます。

今日、お寺にお参りに来られる方の多くは壮年期を越えた方々ですが、実は仏教はこのような青春の問いから出発しているのです。比叡山時代の親鸞聖人の問いを、宮城顗(しずか)先生は「いったい自分は何を求めているのか、いったい仏教とは何なのか、はたしてこれが大乗仏教の名に値する道なのか、とどまるところ自分はいったい何者なのか」と表現しておられます。

一見忘れてしまっているけれども心の中のどこかでか微(かす)かに疼(うず)く、青春の問いを取り戻し、そこに再び立ち返ることこそ、教えを聴くということなのです。

018おかげさま 

折戸芳章

ひと月ほど前に本堂修復落慶法要・蓮如上人五百回御遠忌法要を厳修させていただきました。

その後、数日経って、お願いをしていた方々から現像ができたと約1200枚ほどの写真が届き、法要のことを想い出しながら一枚一枚見せてもらって、とんでもない思い違いをしていた自分に気づかされました。住職という立場上、本堂・庫裏での出来事にしか気が配れず、役員さん、委員さん、年番さん、駐車係の方に各持ち場でお世話をかけていることは自分なりに了解はしていましたが、写真を拝見する中で、予想もしていない方々にまでお世話になっている写真がありました。多くの方に「見事に修復され、盛大で立派な法要で…」とお褒めの言葉をいただいて、自己満足に浸って、若干天狗になりかけていた私の傲慢な思いを一枚一枚の写真が教えてくれました。

御満座終了後、法要を終える安堵感と、感無量の思いで恩徳讃を唱和しながら、本堂修復計画後、着工して約1年半、準備に追われ疲れがピークだった法要直前の数日間は無我夢中で、とにかく何でも自分でやらねばと突っ走っていたことを思い浮かべておりましたが、一枚一枚の写真に、本当に多くの方の「おかげさま」でこの法要を厳修させていただいたのだと思いを改めさせられました。

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし(真宗聖典505頁)

写真に映しだされた如来大悲の恩徳に感謝し、住職としてご門徒とともに修復された本堂を、真宗のみ教えに我が身を問い直す聞法の道場としていくことを、今一度心新たにさせていただいたことです。