カテゴリー別アーカイブ: テレホン法話2017年

014 あるハンセン病回復者のつぶやき

鈴木 勘吾

二〇一一年、三重県でハンセン病問題に関する講演会と、作品展が開催されました。その実施にあたり、療養所で陶芸作りに励む女性から作品をお借りする時に、「園名で出品します」と、お返事を頂き名札を付けました。園名とはハンセン病療養所へ入所された時に、強制的に実名を棄てさせられ、名乗ることを強いられた名前です。園名を今も使われている事に慣れているからかと、私はさして気にも留めずに過ごしました。

作品展が終わり、返却の為に療養所へ伺い、その方のお話を聞かせていただいた時、私が開催場所の近くに住んでいることを話すと、その方は「実はね、開催場の近くに親類が住んでいるから名前は出せないの。迷惑が掛るから」と、陶芸関係の仕事だから間違っても名前が知られるといけないからと話されました。

またある日、別の方を介して、「こっそり三重県内にある、両親のお墓にお参りがしたいのだけど」と連絡を頂きました。昨年ご主人が高齢であることを理由に、免許を返納されたことを聞いていたので、土日以外の日で良ければ車でお迎えに行くと、返事をしました。「まだ、親戚の家には行けないの?」とは聞けませんでした。私の方が気を使っているのかとも思いますが、特別なことは何も望まれない。ただ、隣の人として普通に付き合いたい。そう望まれるままにお付き合いをさせていただいています。

後日、他の地区の方から、ある療養所の調査で、五割以上の方が本名を使われず、園名で過ごされていると報告がありました。名前を名乗ること一つを取って見ても、ハンセン病問題の深さに驚かされます。一人の方との何気ない会話の中で、その人の背景にある問題が見えてきます。

私たちはハンセン病回復者として一括りに対象者と考えるのではなく、改めて一人に出会い、ひとりの思いを聞かせて頂けるように取組んでいかなければならないと思います。

(四日市組・法藏寺衆徒 二〇一七年七月下旬)

013 無常の風に吹かれて

箕浦 彰巖

私たちはこの世に生まれてからこの方、実に多くの出会いと別れを経験しているのではないでしょうか。

「人生は出会いと別れの繰り返し」

この言葉を、いつ誰が言い出したのかは知りませんが、しかし誰しもがこの言葉に頷き、様々な感情を巡らして人生を歩んでいると思います。

私もここ数年、多くの方との別れを体験いたしました。それは、身近な家族から、縁遠い知人に至るまで様々なのですが、こみ上げてくる悲しみは抑えることはできません。

この岸に生まれた者は死なねばならぬ、出来たものはこわれねばならぬ、盛んになれば衰えねばならぬこの世の矛盾

(『蓬茨祖運選集 第十四巻』二二〇頁)

この言葉は、蓬茨祖運師の書かれた『良子の宗教』の中に出てくる一文です。

私たちの生きているこの世界は、常に移ろい変わります。しかし、そこに生きる我々は、自分にとって都合の良くないこと以外は、どこか永遠を求めているのでしょう。

でも、この世の現実は、そういった私たちの思いを打ち破ってくるのです。

その現実に真向かいになる時、私に呼びかけられている教えに出遇う大事なご縁だと蓮如上人は御文の中で説かれます。

すでに無常の風来たりぬれば…中略…たれの人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。

(『真宗聖典』八四二頁)

有名な『白骨の御文』の中にある一節です。「無常の風」は常に私たちに吹き続けています。しかし、いくら理屈で知っていても、日々の暮らしに追われる私たちは、それに気付くことが中々出来ません。ですから蓮如上人は、「きたりぬれば」と、その風を実感したならば、いよいよ阿弥陀仏に出遇い、自分の生き様を、生きる方向を問い直し、人生を歩み直しなさいよと言われているのではないでしょうか。

(三重教区駐在教導 二〇一七年七月上旬)

012 思いに振り回されている私

芳岡 恵基

私たちは、自らの努力や力をあてにして、日々の生活を送ってはいませんでしょうか。世間には、「人事を尽くして、天命を待つ」というお言葉があります。まさしく自分の努力や力を生活の中心にした生き方であると思います。それに対し清沢満之師は、「天命に安んじて、人事を尽くす」と言われています。この二つのお言葉を比べますと、立脚地がまったく違う事がわかります。世間は自分を立場とし、清沢先生は仏を立場とされています。世間でいう自分を立場とする事は、都合の善し悪しで生きているという事ではないでしょうか。

皆様方のお家でお勤めなされるご法事にしても、「ご命日より早いのは善いが、遅れるのは善くない」という声を時々耳にします。真宗におけるご法事の場とは、どういう事が願われているのでしょうか。お内仏のお荘厳の向きが、私たちの方に向いています。つまり、すべて私の方向に回向されているという事であります。私が私を聞かせていただく大切な場こそ、真宗における法事の場ではないでしょうか。自分の思い、つまり努力や力をあてにする計らいこそ、苦しみや迷いの因であったと知らされてくるのではないでしょうか。

清沢先生における天命に安んじるという事は、南無という立脚地(帰依所)におられたからこそ、このように言われたのではないでしょうか。つまり、ご縁という事です。因縁力によって、今ここに座らせていただいているのに、私たちはなかなかそういう事に気づけません。他力・仏力の働きに出遇えずにいると、都合の良い時だけ「ご縁ですね。」と口から出るのではないでしょうか。南無という立脚地に立つ事によって、凡夫としての自覚が生まれるのではないでしょうか。日頃私たちは、凡夫というとだめと言って、削ることしか考えません。凡夫が凡夫になれたという事は、往生極楽の道が定まったということであります。何でもその物だけでは成り立ちません。しかしながら私たちは、「私が、私が」と自分の中に都合良く描いた思いを立脚地(帰依所)としている限り、益々苦しみや迷いが深まっていくのでは、ないでしょうか。

自分の心のどん底に納得しているか、そこが大事であると思います。どん底とは、自分の根性では見えません。しかし、どん底とは暗闇だけではなく、明るさに転ずる大切な場であるはずです。納得とは南無阿弥陀仏、つまり自分に出遇った証そのものであります。

これらのことから、親鸞聖人における天命に安んじるとは、帰命無量寿如来・南無不可思議光という事であり、自らの人生において南無阿弥陀仏に出遇った感動のお言葉であります。つまり、この二行「南無阿弥陀仏」が、宗祖における立脚地であり、拠り所であります。いま一度、親鸞聖人・清沢先生における立脚地、拠り所に触れさせていただく中で、私たちの立脚地、何を拠り所として日々の生活を送っているのかを考えさせられる次第であります。

(三重組・翠嚴寺住職 二〇一七年六月下旬)

 

011 私の日常

稲垣 順一

『蓮如上人御一代記聞書』五十八条に

たれのともがらも、われはわろきとおもうもの、ひとりとしても、あるべからず。これ、しかしながら、聖人の御罰(おんばつ)をこうぶりたるすがたなり。(後略)

(『真宗聖典』八六六頁)

とあります。現代語訳では、「どのような人でも自分が悪かったと思う人は誰一人もいません。けれどもこれは親鸞聖人から厳しいお叱りをいただいた姿なのです」(『現代語訳 蓮如上人御一代記聞書』瓜生津隆真著 大蔵出版)

私は日々自分の生き様が悪く間違っているとは思いもしません。むしろ正しいと思っています。これが私の日常です。

しかしそれはエゴと言わねばなりません。エゴは自身の思い上がりやうぬぼれとなっていきます。親鸞聖人の厳しいお叱りは私の日常そのものであり、その自分の姿に気づかせていただく仏法に出遇うことを示されています。

「自分のことは自分が一番よくわかっている」と思いがちですが、むしろその時こそが自分の姿に気づけていないことを教えられます。エゴで思いはかる自分は不確かなものでしかありません。だからこそ、親鸞聖人は仏法に出遇うことの大切さを示されています。

私はこの文に仏法聴聞の原点を感じています。

(桑名組・正覺寺住職 二〇一七年六月上旬)

010 聞思

田鶴浦 昭典

コンピュータを始めとして、私たちの生活をより快適に便利にするべく、様々な文明の利器が開発され、身の回りにあふれています。

しかし、これらの文明の利器によって、人々が本当に苦悩から解放され、一人ひとりが生き生きと生きている毎日になっているでしょうか。

それどころか、私たち取り巻く様相は、暴力や自殺・他殺、テロなど人間関係を引き裂く様々な課題に覆われています。

映画「アナと雪の女王」の主題歌『Let it go ―ありのままで―』やSMAPの「世界に一つだけの花」、また金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」の詩が、今注目されています。これらの言葉が訴えるメッセージに多くの人々が惹かれるのは、科学文明の力では解決できない何かしら根源的な課題の存在を、敏感に感じているからではないでしょうか。

このような状況だからこそ、今まさに「聞思」することの大切さをあらためて感じざるを得ません。

親鸞聖人の主著『顕浄土真実教行証文類』のはじめには「聞思して遅慮することなかれ」と記されています。このことは人生のよりどころを明らかにする確かな言葉を聞くことを通して、自ら問いを持ち、自らが考えることの大切さを示すものです。

しかし、どれほど大切な言葉を聞いたとしても、ただ聞くだけに終わってしまうならば、それは私が生きることにとって、それほど意味を持たないものとなってしまいます。

聞いたことを自分に引き当ててよく吟味し、自らの問題として考えることによって、初めて一つの言葉が私にとってかけがえのない言葉となり、生きる原動力となっていくのではないでしょうか。

今の私たちの周りには、多くの情報や言葉があふれ、それに振り回されて、生きる方向を見失い、身動きがとれなくなってしまい、本当に確かなもの、拠り所にすべきものが何なのか、自分自身わからなくなっているのではないでしょうか。

だからこそ、今、自らが生きる拠り所を明らかにする、すなわち親鸞聖人の確かな言葉を共に「聞思」いたしましょう。

(長島組・野亨寺住職 二〇一七年五月下旬)

009 手紙

佐々木達宣

二年前、連れ合いの両親が続けて亡くなりました。五月に父がそして十月に母が還浄されたのです。連れ合いの実家が自坊から近く、さらに所属門徒ということもあって、家の片づけから親戚としてのお付き合い、葬儀式のお勤めと、連れ合いも私も忙しい時間を送っていました。

父と母にゆっくりお別れをする間もなく、今思えば葬儀の折にどんな様子で、どんな話をしたのかさえはっきり思い出せないほど、時間だけが慌ただしく過ぎ去っていきました。

母の葬儀も終わり、身内の者で骨上げに向かいました。不思議なもので、飛ぶように過ぎ去った時間の中で、殆どのことを忘れてしまったのに、骨上げの様子だけが、今も鮮明に思い出されます。そしてそれは父の時も同じでした。

それまであった肉体が無くなり、白骨となった両親と出会ったとき、正直ハッとしたものです。張りつめていたものがほどけたのか、急に感情が込み上げてきました。

その後、自坊に戻って還骨法要を勤め、白骨の御文を拝読しました。

されば朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり。

蓮如上人は私たちに命の無常を問いかけられました。御文は、蓮如上人が私たちに宛てて出してくださった、大切なお手紙です。そして同時に、亡き方から届いたお手紙でもあるのです。白骨となったその姿を見て「あんたもまた、そういう命を頂戴しとるんだよ」と、両親からのメッセージを受け取ったのです。そしてその手紙には「そんな無常の命だからこそ、早く念仏の教えに出会わんといかんよ。早く阿弥陀仏の本願に目覚めんといかんよ」という促しが、願いとしてこめられているのです。

もうすぐ両親の三回忌を迎えます。今年はどんなお手紙を受け取るのでしょう。

(伊賀組・正崇寺衆徒 二〇一七年五月上旬)

008 「酉の暦」

三浦 統

先日、新聞を見ておりましたら、「あの年も酉年だった平和の日」という俳句が掲載されていました。今から七十二年前、終戦を迎えた一九四五年もまた、今年と同じ酉年であったのです。

酉年といえば、親鸞聖人が、「愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」と、宗祖の主著であります『顕浄土真実教行証文類』にて、振り返られた年です。

建仁辛の酉の暦とは、西暦一二〇一年、今から八一六年前の酉年のことですが、その年、親鸞聖人は、二十年もの修行を積んだ比叡山を下りて、法然上人の元へ赴かれました。宗祖の生涯においての大転換が起こった年なのです。

その大転換とは、「雑行」、つまり、救われていくための様々な修行を棄てて、念仏の教えに我が身を聞き、本願によって救われていく道を歩み出されたということです。

善い行いを積み重ねて、立派な人間になって、救われようとするのではなく、そのような行いなど、何一つとして成し遂げることのできない私の在り方に目覚め、阿弥陀仏にお任せするよりほか救われる方法がない、本来の〈私の姿〉に出遇われたということでしょう。

当時宗祖は二十九歳でしたが、本願に帰すより他に助かる道がないという、この人間理解こそ、九十歳まで生きられた宗祖にとって、終生変わることのない人生の指針であったのです。

酉年であることは七十二年前と同じであっても、平和とはかけ離れ、様々に混迷を深める現代の私たちこそ、宗祖の人間理解、人生の歩み方に、私自身のあり方を学ぶべきではないでしょうか。その学びなしには、闇夜を打ち破る酉の鳴き声は聞こえてこないと思うのです。

(員弁組・覺通寺住職 二〇一七年四月下旬)

007 目覚めてこそ

藤本 愛吉

二十四歳のときでした。通信教育の大学のスクリーングという、直接授業を受けるなかで、「インド哲学史」の先生が教室に入ってこられ、念珠を手にして合掌され、「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」…と、称えられました。驚きと畏怖、畏敬の念が起こりました。何かがその先生のところにはたらいている、いわば「生きて行(はた)らいている念仏」という感じがしました。畏れと憧れが入りまじった心が起こっていました。話された言葉は今も、私の人生の方向をさししめしてくれています。

授業で紹介されたタゴールの詩の一節、

咲く花の喜びは   花びらを落として実を結ぶ

急げ我が心よ    一日の終わらぬうちに

大いなる愛の中に  おまえを使い切れ

とか、後に送っていただいた信仰誌『大信海』の中の、

もしこの大空が愛に満ちているのでなかったら、誰がうごきはげみ生きることができようぞ

などの言葉は、今も新鮮に響いてきます。

青年期に『魂の出発』(リルケ)を促されたことの、かけがえのないこの出会いを「よくぞ、ようこそ」と憶い起こすことです。

(中勢二組・正寶寺住職 二〇一七年四月上旬)

006 生活におしえられる

河村 論

永代経(えいたいきょう)の季節になりました。この時期になりますと、全国各地のお寺でも永代経法要が勤められていることでしょう。さて、永代経法要の意味を考えてみますと、その文字の通り、経が永代にわたって護持されることを願われて勤められる法要だと思います。

では、その教えというものを考えてみますと、私たち真宗の教えに縁を持つ者においては、やはり念仏の教えなのでしょう。そこで改めて念仏ということを考えてみますと、最近の自分において流罪以後の宗祖の生涯ということに意識がいきます。流罪されるということは、宗祖が自ら歩まんとする念仏の仏道が、世間的にも、当時の仏教界においても否定されたことを意味しているのでしょう。そうした中で、先生である法然上人とも別れ、自分の仏道が揺るがされるような出来事であったのではないかと推測します。

私はちょうど二年前まで京都に住んでいました。当時は大学生でしたが、お盆やおとりこし・法要のある時は実家に帰省して手伝いをしていました。卒業して実家に帰り、今は法事などの法務をして、その中でご門徒さんとコミュニケーションを通して少しずつ親戚関係や、それぞれのお家の生活感というものに触れさせていただく機会が増えました。そうすると、それまでは目につかなかった一軒一軒の情景が少しずつ見えてきたように感じます。

さて、宗祖の流罪された話に戻りますと、宗祖も越後においても同じように様々なものを抱えている人の姿を通し、より人間ということを深く見つめられていったように思います。さらに言えば、そこに生活する人々から、様々なものを抱えつつも一日一日を生き抜いている現実を教えられたのではないでしょうか。そして、その人々の現実を通して、生き抜いていく力として念仏というものを感得されたのではないかと思います。そして、そこから宗祖と田舎の人々の間で生活という場を土台として研鑽され、法脈は受け継がれていき、今日の永代経として相続されてきているのではないかと思います。

宗祖は自身の著作の中で田舎の人々に関し、

いなかのひとびとの、文字のこころもしらず、(中略)やすくこころえさせんとて、

(『一念多念文意』聖典・五四六頁)

と示して、わかりやすく、念仏の教えが伝わるように著した苦労というものが感じられます。私も別院の定例布教を先日初めておこないましたが、人に伝えるということの難しさをとても感じます。その中で言葉を砕いて接していく関係、砕ききるまで消化する苦労というものに、自分自身が尻を叩かれるように、激励されているように思われます。そのようなことを永代経ということを通して改めて感じさせられたことです。

(南勢二組・教楽寺衆徒 二〇一七年三月下旬)

005 「子供時代のあとに」

箕浦暁雄

イシグロ・カズオの小説『わたしを離さないで』のなかに、臓器提供するためだけに生まれてきた子供たちが全寮生活で特別の教育を受けて育てられ、大人になっていく世界が描かれています。寮生活が終わると別の場所で生活をして、やがては臓器提供者の介護に就き、後に自らも提供が始まります。小説のなかでは、だいたい四度の提供で命を終えていくという状況が描かれます。たいへん不条理な世界です。不条理でありながら、寮生活はどこか牧歌的に描かれます。子供たちはなんとなく疑問に思いながらも、その状況に甘んじ、本当はどうなりたいのかはっきりしません。人は不条理な境遇に慣れる。何に対しても慣れてしまう。不安になりながらなんとなく受け入れてしまう。こんな状況が完璧なまでに用意周到に描かれる小説です。

自分がいまどんな位置に立っているのかはっきりしない。将来もはっきりしない。それがいつのまにかゆっくりではあるけれども、自分の位置が徐々にはっきりしていく、だんだん将来がはっきりする。〈子供時代〉とはそういうものだと思います。

仏教徒たちは長い年月の間に仏陀の伝記をたくさんつくりました。仏陀の伝記には青年時代の姿すなわちゴータマ・シッダールタの姿が描かれています。国王であり父親であったシュッドーダナは、息子ゴータマが青年時代特有の悩みを持たないように〈保護〉して育てます。仏伝作者たちは、人の生涯のなかで〈子供時代〉というものが持つ意味をよくわかっていたと思います。一方、作家イシグロ・カズオは、人間というものを鋭く観察して、まるで仏教の課題が定まってくる背景にあるものをよく知っていたと言えるほどに、実に巧みに〈子供時代〉を描き出すことに成功しています。

ゴータマは苦悩する人がいかにして豊かに歩むことができるかを問いました。これが仏教の根本課題です。本当は何をしたいのか明確でない。かといって何も意思がなく、将来像がないわけでもない。何かぼんやりとした不安があり、そんな状況を受け入れながら、その境遇に慣れてしまう。我々の日常のこうした状況がまずあって、そのなかからいかに歩むべきなのかという問いが生まれてくるのです。

うちの子供たちは、仮面ライダー変身ベルトをつけて跳び蹴りし、長い棒をふりまわし、ものをぶん投げて、毎日怒られながら、皆に見守られています。こんな姿を通して、人が歩んでいくことの難しさについて考えています。

(桑名組・專明寺・住職 二〇一七年三月上旬)