009 手紙

佐々木達宣

二年前、連れ合いの両親が続けて亡くなりました。五月に父がそして十月に母が還浄されたのです。連れ合いの実家が自坊から近く、さらに所属門徒ということもあって、家の片づけから親戚としてのお付き合い、葬儀式のお勤めと、連れ合いも私も忙しい時間を送っていました。

父と母にゆっくりお別れをする間もなく、今思えば葬儀の折にどんな様子で、どんな話をしたのかさえはっきり思い出せないほど、時間だけが慌ただしく過ぎ去っていきました。

母の葬儀も終わり、身内の者で骨上げに向かいました。不思議なもので、飛ぶように過ぎ去った時間の中で、殆どのことを忘れてしまったのに、骨上げの様子だけが、今も鮮明に思い出されます。そしてそれは父の時も同じでした。

それまであった肉体が無くなり、白骨となった両親と出会ったとき、正直ハッとしたものです。張りつめていたものがほどけたのか、急に感情が込み上げてきました。

その後、自坊に戻って還骨法要を勤め、白骨の御文を拝読しました。

されば朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり。

蓮如上人は私たちに命の無常を問いかけられました。御文は、蓮如上人が私たちに宛てて出してくださった、大切なお手紙です。そして同時に、亡き方から届いたお手紙でもあるのです。白骨となったその姿を見て「あんたもまた、そういう命を頂戴しとるんだよ」と、両親からのメッセージを受け取ったのです。そしてその手紙には「そんな無常の命だからこそ、早く念仏の教えに出会わんといかんよ。早く阿弥陀仏の本願に目覚めんといかんよ」という促しが、願いとしてこめられているのです。

もうすぐ両親の三回忌を迎えます。今年はどんなお手紙を受け取るのでしょう。

(伊賀組・正崇寺衆徒 二〇一七年五月上旬)