森英雄
お彼岸はお墓参りをするためにあるわけではありません。地獄一定の自分を彼岸に触れて、改めていただきなおす、人生修行の始めを表すものです。そこから最も積極的な生き方、御本願に帰依し、お念仏に生かされていきましょうという生活が今日も今日もと始まってきます。
一緒に生活をすれば、いろいろなことが起こってきてくださいます。食事一つにしても、高校生の息子はクラブ活動の後、塾へ行って帰ってくると10時頃。こちらはお腹が減っているだろうと思い、ご飯にしたらと言う間もなくストーブの前で寝てしまう。疲れているからそっとしておいてやろうと思っても12時が限度。「一体いつまで寝ているのか。待つにも限度がある。ご飯がいつまでも片付かないじゃないか。作る者の気持ちもちょっとは考えたらどうだ。こちらも明日があるのだ。そんなことしていたら明日は遅刻するぞ」等、手を変え品を変え言ってみるのですが、帰ってくる言葉は「うるさい。黙れ。片付ければいいんだろ」だけ。
なぜこうなるのでしょうか?それは、子どもに対する姿勢が「この私を何と思っているんだ」という高い所にいるからです。自分の思う通りにならせようとする貪欲が、相手から苦しめられておると自分に思わせているのです。自分が自分に括られて苦しんでいる。相手の出方が問題ではなく、自分自身の正体を知らないから、次から次へと問題を与えて、我が身に気づけと教えてくれているのです。対象が何であれ、己の貪欲が迷いの根本であると教えてくださるのです。ここに頭が下がって(南無)初めてお世話させてもらえるような代物ではないからこそ、と知らされる。そこに一つ一つ丁寧に、させてもらえる境地がいただけてきます。彼岸は生きて用(はた)らいて、私が「最低の人間である」ことを知らせ、お念仏に生きることで、毎日新しく勇んで仕事させてもらえる力を与えてくれています。
梅田美香
先日、あるおばあさんが、お寺に来てこんなことを言っておられました。「あっという間の人生やったわ。小さい頃は親のために結婚して、夫の為・子どもの為にとがんばってきたけど、今の私には何もあらへん。体も思うよう動かなくなってきたしね」その言葉を聞いた時に、私はなんだかとても悲しくなりました。
このように思うのは、このおばあさんに限らず、誰にでもあることだと思います。何かの為に、誰かの為に生きている人生。それではまるで、誰かのせい、何かのせいにして、その上に自分を立たせて、自分を犠牲にしてきた人生としてしか受け止めることができません。確かに私たちは、生きていく上でいろいろな人や物や、どうしようもない現実に縛られています。その中で本当は、他ならぬ自分自身が、人や物を「よりどころ」として生きているのではないでしょうか。そして、それらの「よりどころ」としてきたものを失った時、まるでそれらの犠牲になったように、人生を嘆いてしまうのでしょう。
私自身も、いつも人生に何かを期待し、変わっていくものを「よりどころ」とし、それに裏切られ、愚痴をこぼしていまいます。
「仏の教え」では「私が何かを願うのではなく、この私自身に仏の願いがかけられている」と言います。私個人の願いでなく、もっと深くて広い仏からの「大いなる願い」は、私の思いでどんなに考えても分かりませんが、人間として生まれてきたからには、この「大いなる願い」とは何なのかを、この人生の意義に惑っておられるおばあさんと共に「仏の教え」に聞いていきたいと思います。
松下至道
以前知り合いから聞いた話ですが、ある方が仕事や人間関係に疲れ果て自殺を考えていたそうです。
ある日その方は、「いつ・どこで死のうか」ボッーと考えながら車を運転していると、事故を起こしかけたのですが、直前に我に帰り急ブレーキとハンドル操作で大事には至りませんでした。もし、そのままであったら、いのちを落としかねない事故になっていたと思われる程危うかったそうです。
そしてその方は、その時にふと「危なかった」と言ったそうです。そして気持ちが落ち着くとともに、自分のとった行動と言葉に対して驚きというか不思議な感じがしたそうです。「自分は死にたかったのではないのか?それなのに何故だろう?」その方は自殺することを止めました。
私たちはいのちを自分のものだと思い込んでいます。「自分のいのちをどうしようと自分の勝手ではないか」と。しかし、本当にそうなのでしょうか。自分の思いは「死にたい」としても、いのちは生きようとしています。しかも、自分で作ったいのちなどありません。気がついた時にはすでに与えられていたのです。私たちは自分で生きていると思っていますが、生きている以前にそのいのちに生かされているのではないでしょうか。
いのちの流れは、親から子へ、そして孫へというふうにつながっていきます。いのちからいのちへと大きな流れとなってずっとつながっていくのです。私たちの思いを越えて。
南無阿弥陀仏の「阿弥陀」には、「限りないいのち」という意味があります。私たちのいのちは、大きないのちの流れから生み出され、そしてまたその流れに帰っていくのです。私たちの口から出るお念仏は、そのいのちが言葉となって出てきてくれるものではないでしょうか。お念仏を聞くということ、そしてお念仏を言うということは、いのちの言葉を聞き、そのいのちを精一杯生きるということだと思います。
安田豊
「明けましておめでとうございます」
年の初めに、ご門徒さん宅へお勤めに行くと必ず交わされる言葉です。しかし、先日聞いたことのない言葉で私を迎えてくれたお宅がありました。「ご院さん、明けましてありがとうですよ」93歳で一人暮らしのおばあさんの言葉です。その挨拶に「あれっ?」と思いましたが、おばあさんは「この歳にもなると、新年を迎えられたことが、たいへんありがたいです」と続けられました。その言葉に漠然と「本当や、ありがたいね」と答えては見たものの、実は私にはおばあさんが感じている実感はありませんでした。
その言葉を聞いて、この新年をさも当然のように迎えた私と、「ありがたい」と迎えられたおばあさん。「今」の受け止め方が違うと感じた瞬間でした。そして同時にはっきりと分かったことは、おばあさんの方が私よりも「今」に感動して生きているということです。
「もったいない、ありがとうございます」そんな気持ちが伝わってくるその一言に、私は「お念仏」の響きを感じずにはいられませんでした。思うに恥ずかしながら私の1年は、その言葉で始まった気がします。新年早々、記憶に残る良い言葉に出合ったものです。
林政義
東海地方に大雪が降りました正月早々、私は足を滑らせて全身を強打いたしました。幸い骨には異常はなく事なきを得ましたが、家に戻りましてからホッと油断したせいか、全身に激痛が走りトイレに行くことはおろか、寝返りさえ打つのが困難な状況になりました。
この70余年間入院生活はおろか、3日と寝たことがない私は、妻の手を借りずには生活ができず、そのもどかしさや情けなさとともに、いつ回復するのだろうか、大丈夫だろうかと、さまざまな恐れや不安が襲ってきました。
しかし、少し落ち着くと、健康であるのが当たり前と思っている私であったことに気づかされ、改めて健康のありがたさを強く知らされ、床の中で合掌し「ありがたいことだ」とつぶやいていました。そして、ある先生のお言葉を思い出しました。それは、十字の名号である「帰命尽十方無碍光如来」の「尽十方(じんじっぽう)」とは、光に遇い得るはずのない私。その私ですら光に照らされているという感動において讃えられている言葉なのです。同様に、「ありがたい」という言葉は、自分はこういうことをしてもらえるはずのない者にもかかわらず、いま現にこのようにしてもらっているという事実に驚き、感動した歓びの言葉である。してもらって当然と思っている者には「ありがとう」という言葉など出てくるはずがない、という内容でした。
我々が勝手な思いで全て当たり前だと生きていることが、どれだけ人を傷つけ、あらゆるいのちを奪ってきたかを思います時、「ありがたい」という、この言葉の重さを感ぜずにはおれません。
本田武彦
昨年の秋、私の実家の父が67歳で亡くなりました。肺ガンでした。病気が発見されてから3カ月余りで逝ってしまったので、その間会うことができたのは、ほんの数回でした。「また近いうちに来るし」「ああ、気をつけて帰り」それが最後の会話になりました。次に会った時、父の顔には白い布が掛けられていました。そっと持ち上げると、そこには意外なほど安らかな表情がありました。それから3日間、ずっと父のそばに居ました。今までずいぶん長い時間を父と過ごしてきたはずなのに、その3日間ほど父を思い、父に話しかけたことはありませんでした。浮かんでくるのは思い出が半分、後悔が半分。自分が父から与えられたもののあまりの多さ、大きさに初めて気づき、それらに対して何も返してこなかったことを心底情けなく感じました。そして改めて、人が亡き父母の追善供養を願い、そのために手を会わせずにはおれないという思いの深さをも知らされました。しかし同時に、亡くなった人のために何かができるような力など、私には決して無いのだということも明らかなことであります。もしそのようなことができるのだと言うならば、それは傲慢以外の何ものでもないでありましょう。
『歎異抄』第5章には「親鸞は父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、一返(いっぺん)にても念仏もうしたること、いまだそうらわず」(真宗聖典628頁)とのお言葉があります。人間の思いがいかに深いものであろうとも、真実はそれを越えた厳然たるものであることを明らかにされているのです。聞きようによっては冷たくすら感じるこのお言葉の中には、念仏の教えに目覚め真実に生きよ、との聖人の熱い願いがこめられているのだと感じたことであります。
父はその命をもって、返しても返し切れず、また決して無くなることのない大切なものを私に与えてくれました。
伊藤静子
年が明けて、世界遺産やお花、そして日本の四季の風景など、いろいろ新しいカレンダーが部屋を明るくしてくれています。
私の居間にあるカレンダーは「目をあけて眠っている人、私もその一人でした」という言葉から始まっております。「目をあけて眠っている人」という短い言葉ではありますが、この言葉に出合った時、なぜか私のすべてが言い当てられているような気持ちになりました。
私は寺の坊守ですから、毎日毎朝、お仏飯をお供えしたり、ご本尊に手を合わせたり、少しでも格好の良い仏華を生けたりすることが日課となっております。でもいつの間にか、それは私にとっては当然のことであり、当たり前のことになっていて、尊い仏法に出会っているという気持ちは生まれてこないのです。お仏飯をお供えすることはできましても、お供えせずにはおれないような自分にはなかなかなれそうにありません。
私が生きていくのに、本当に大切なことは何か、毎日毎日、本堂やお内仏の荘厳に出合いながら、それらの形を生み出している尊い教えや、お心に出合うことができず、ただ何となく一日一日が過ぎていく自分の生活全体が、言い当てられている言葉であったと気づかせていただきました。
今年もまた聞法者の一年生に帰って歩ませていただこうと思っています。
折戸芳章
昨年の11月頃、松阪市内の国道42号線を車で走行中、歩道で顔をハンカチで抑えながら泣いている女子高生と、その横で車のあい間を見計らっている男子高生、ふっと車の前を見ると黒い子犬が横たわっていました。恐らく犬好きの女子高生が車にはねられた子犬を見つけ、可愛そうに思い、ボーイフレンドに助けてくれるように頼んだのでしょう。日常、車を運転していると、犬や猫が横たわって犠牲になっているのをよく見かけますが、「私と同等の命が犠牲になっている」という思いはなく、通り過ぎてしまいます。しかし、蓮如上人が「老少善悪の人も、富貴(ふうき)も貧窮(びんぐ)も男女も区別ない」(真宗聖典785頁)と教えていただいているように、人間の命も犬の命も区別はなく平等である筈です。
昨今、命の軽視が問題となっているそんな折、昨年9月11日にアメリカで起こったテロ事件と、それをきっかけに、報復という名のもとにアメリカが取った行動によって多くの人命が犠牲になり、また毎日のように新聞・テレビが交通事故・殺人事件による人命の犠牲を報じています。
日常、私のものであると大きな思い違いをして私有化している命ですが、そうではなくこの地球上に有る命は人間も含め全て平等であり、そしてはかり知れない働きによって生かされている命を賜っていたのだと気がつけば、あの2人の高校生の行動に、命の平等を今一度考えなくてはならないと、わが身の問題として思い返さずにはおられません。
武井弥弘
新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
さて、明るい希望と期待を持って出発した21世紀最初の年は、奇しくも「同時多発テロ」に代表される様々な事件によって、世界中の人々を不安と恐怖に陥れました。いつまたあのようなテロがどこで起きるか分からない、炭疽菌(たんそきん)のような化学兵器がいつ忍び寄るかも分からないといった、行く先の見えない不透明さは、人間に不安を与え、恐怖でさいなみ、孤独の世界に陥れたのです。
そのような中、アメリカのある新聞は、今年2002年はニューヨークの人口が増加すると報じたそうです。何故あのような大惨事の起こったニューヨークの人口が増えるのでしょうか?そこには本来人間は何を求めているのかが証明されているように思われます。
世界の経済の中心であるニューヨークで自分の能力や力を頼みにし、自分は一人でも十分に生きていけると自信を持っていた人々が、先のテロ事件以来、不安と恐怖によって一人で夜を過ごすことができなくなったというのです。誰かと一緒に居ないと怖くて寂しくて仕方がないということから、異性を求めてカップルが誕生し人口が増えるといった内容です。
そこには、やはり人間は孤独では生きられない、誰かとつながっていたい、常に共にありたいということが基本に求められています。テロだけでなく、経済的にも世界中が危機にさらされている今日、人々が本当につながりあえる世界に目を向けなければならない時が来ています。
そのようなことを思いますと、どうしても、真宗の教えを今一度聞きひらき、真宗門徒の生活を回復しなければならない時が来ているのだと改めて強く感じます。
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