008大いなる願い

梅田美香

先日、あるおばあさんが、お寺に来てこんなことを言っておられました。「あっという間の人生やったわ。小さい頃は親のために結婚して、夫の為・子どもの為にとがんばってきたけど、今の私には何もあらへん。体も思うよう動かなくなってきたしね」その言葉を聞いた時に、私はなんだかとても悲しくなりました。

このように思うのは、このおばあさんに限らず、誰にでもあることだと思います。何かの為に、誰かの為に生きている人生。それではまるで、誰かのせい、何かのせいにして、その上に自分を立たせて、自分を犠牲にしてきた人生としてしか受け止めることができません。確かに私たちは、生きていく上でいろいろな人や物や、どうしようもない現実に縛られています。その中で本当は、他ならぬ自分自身が、人や物を「よりどころ」として生きているのではないでしょうか。そして、それらの「よりどころ」としてきたものを失った時、まるでそれらの犠牲になったように、人生を嘆いてしまうのでしょう。

私自身も、いつも人生に何かを期待し、変わっていくものを「よりどころ」とし、それに裏切られ、愚痴をこぼしていまいます。

「仏の教え」では「私が何かを願うのではなく、この私自身に仏の願いがかけられている」と言います。私個人の願いでなく、もっと深くて広い仏からの「大いなる願い」は、私の思いでどんなに考えても分かりませんが、人間として生まれてきたからには、この「大いなる願い」とは何なのかを、この人生の意義に惑っておられるおばあさんと共に「仏の教え」に聞いていきたいと思います。