005ありがたいの重さ

林政義

東海地方に大雪が降りました正月早々、私は足を滑らせて全身を強打いたしました。幸い骨には異常はなく事なきを得ましたが、家に戻りましてからホッと油断したせいか、全身に激痛が走りトイレに行くことはおろか、寝返りさえ打つのが困難な状況になりました。
この70余年間入院生活はおろか、3日と寝たことがない私は、妻の手を借りずには生活ができず、そのもどかしさや情けなさとともに、いつ回復するのだろうか、大丈夫だろうかと、さまざまな恐れや不安が襲ってきました。

しかし、少し落ち着くと、健康であるのが当たり前と思っている私であったことに気づかされ、改めて健康のありがたさを強く知らされ、床の中で合掌し「ありがたいことだ」とつぶやいていました。そして、ある先生のお言葉を思い出しました。それは、十字の名号である「帰命尽十方無碍光如来」の「尽十方(じんじっぽう)」とは、光に遇い得るはずのない私。その私ですら光に照らされているという感動において讃えられている言葉なのです。同様に、「ありがたい」という言葉は、自分はこういうことをしてもらえるはずのない者にもかかわらず、いま現にこのようにしてもらっているという事実に驚き、感動した歓びの言葉である。してもらって当然と思っている者には「ありがとう」という言葉など出てくるはずがない、という内容でした。

我々が勝手な思いで全て当たり前だと生きていることが、どれだけ人を傷つけ、あらゆるいのちを奪ってきたかを思います時、「ありがたい」という、この言葉の重さを感ぜずにはおれません。