002命を考える

折戸芳章

昨年の11月頃、松阪市内の国道42号線を車で走行中、歩道で顔をハンカチで抑えながら泣いている女子高生と、その横で車のあい間を見計らっている男子高生、ふっと車の前を見ると黒い子犬が横たわっていました。恐らく犬好きの女子高生が車にはねられた子犬を見つけ、可愛そうに思い、ボーイフレンドに助けてくれるように頼んだのでしょう。日常、車を運転していると、犬や猫が横たわって犠牲になっているのをよく見かけますが、「私と同等の命が犠牲になっている」という思いはなく、通り過ぎてしまいます。しかし、蓮如上人が「老少善悪の人も、富貴(ふうき)も貧窮(びんぐ)も男女も区別ない」(真宗聖典785頁)と教えていただいているように、人間の命も犬の命も区別はなく平等である筈です。

昨今、命の軽視が問題となっているそんな折、昨年9月11日にアメリカで起こったテロ事件と、それをきっかけに、報復という名のもとにアメリカが取った行動によって多くの人命が犠牲になり、また毎日のように新聞・テレビが交通事故・殺人事件による人命の犠牲を報じています。

日常、私のものであると大きな思い違いをして私有化している命ですが、そうではなくこの地球上に有る命は人間も含め全て平等であり、そしてはかり知れない働きによって生かされている命を賜っていたのだと気がつけば、あの2人の高校生の行動に、命の平等を今一度考えなくてはならないと、わが身の問題として思い返さずにはおられません。