013桑名別院御遠忌法要に遇わせていただいて

佐々木潤子

去る3月27日から30日の4日間に渡って「三重教区桑名別院宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」が厳修されました。

私も法要部会の一員としてお手伝いさせていただきましたが、正直なところ最初のうちは「別院でも御遠忌が勤まるんだなあ」と漠然と考えていたので、法要部会の一員でありながらほとんど会議には出席していませんでした。それは私にはあまり関係のないことと勝手に思い込んでいたからでした。

しかし、坊守会の会議で教務所に行く度に御遠忌が近づいて来るのを感じるようになり、坊守会活動に参加する中で、改めて親鸞聖人の教えに出遇い、多くのことを学ぶことができました。偶然とはいえ、坊守会の役員をさせていただいているおかげで、50年に1度の尊い仏縁に遇わせていただいていることに気付くことができたのです。

それは、今まで何度も仏縁に出遇うことができたにも関わらず、自分の身にいただくことができていなかったと教えられたことでした。

今でも、自坊の報恩講の時など、おとき、法中さんの接待などスケジュールに追われ、勤行や法話の座につく時間が取れないままです。何ともったいないことをしているのだろうと改めて考えさせられました。

『日めくり法語』の中で伊藤元さんが「教えを聞くということは思いもしなかった自分に出遇うということでしょう」と親鸞聖人が開顕せられた本願念仏の教えを聴聞していく生活こそが大事であり、新たな我が身を生み出すご縁としてあることを教えて下さっています。

教区御遠忌法要にご縁をいただく中で思いますことは、親鸞聖人はいつも私たちに厳しく、時には優しい言葉で、真宗門徒としてのあり方を問いかけて下さっています。

その直接的問いかけにどのように応答していくのか!という姿勢が私の課題であることを知らされたことから、坊守の前に一人の聞法者になれるようにと願わずにはいられません。

012御遠忌雑感

佐々木智教

このたびの三重教区・桑名別院 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要において、私はおつとめの係りとしてご縁をいただきました。

その中で、御遠忌法要を一同に声をあわせておつとめするという願いのもと、同朋唱和の準備をすすめて参りました。

しかしながら、私の力不足ゆえ、事前の練習も何も出来ず、内心大きな不安を抱えたまま、御遠忌当日をお迎えすることとなりました。

広い本堂で大勢の人が一斉に声を出すと、どうしてもバラバラなお勤めになりがちです。しかし、私の不安を他所にお勤めは予定通り始まると、桑名別院の本堂に響く、正信偈・念仏・和讃の声。

音声担当の方が、マイクとスピーカーを巧みに調整されたことによって、全体としてとてもまとまりのあるお勤めになったのでした。

堂内に響き渡るその声を耳にした時、それまでの不安だった気持ちが、確かなこころ強さに変わっていました。

お勤めが終わり改めてこのことを思い返すと、今回の御遠忌法要では、様々な方の姿があった様に感じました。

三重教区合唱団「ひかり」を長く指導されておられる方が、御遠忌法要直前になって緊急手術を受けることになり、合唱団の方々へ音楽法要への思いを、切々と話される姿。

また、荒れた別院境内を整備するために、黙々と砂利を運び続け、美しい白洲へと戻された方の姿。

この法要が、私の窺い知れぬところをも含めて、様々な有縁の皆様の懇ろな念(おも)いによって支えられていた事を深く感じます。

またその事は同時に、「あなたは親鸞聖人のご法事をおつとめすることに、いかに向き合おうとしたのか」と、あらためて厳しく問い返された、私にとって大切な機縁となったことに感謝したいと思います。

011心は我が身を知る機能、それが心の分限です

森 英雄

「差別をしてはいけない」「差別を無くす運動をしよう」というのは、もっともなことであると思います。しかし、それで差別がなくなったりするのでしょうか。うまく立ち回り、差別者というレッテルをいかにして回避してゆくかということにならないでしょうか。

「ある被差別部落内の寺院に行ったことがある」ということを話したところ、「御院主さん、あそこは怖いところやね」と言われるので、「怖いところがあるのか、怖いところと言っている我々がいるのかな」ということを聞いてみました。実体的な場所や人が問題ではなく、向こうを縁として、どういう身を抱えているかが問われているのではないでしょうか。

以前、池田勇諦先生が、「心は我が身を知る機能、それが心の分限です」と教えて下さいました。

我が心がどう思ったかは、それが良いか悪いかを問題にすることではなく、状況や人を問題にせざるを得ない自分自身を、善し悪しの分別心で乗り切ろうとする問題を抱えた身であること。そこに頭が下がることだけが要求されているようです。

その時、初めて、目の前の出来事や人から教えていただくことが始まり、窮屈に自分を守ることしか考えていない身が知らされてきます。こんなふうに相手を見ているのが自分かと、自分にあきれる時、自分の価値判断に用事がなくなり、深くハタラク智慧の眼(まなこ)を感じることが始まります。。礼拝から始まる生活の誕生です。

言い訳する時も、俺は分かっていると開き直る時も、仏様はじっと待っていて下さいます。

『歎異抄』後序の

まことに如来の御恩ということをばさたなくして、われもひとも、よしあしということをのみもうしあえり。

(『真宗聖典』640頁)

の金言が身に響いてきます。

010仏法の要

王來王家眞也

『観無量寿経』の説法が終った時、仏弟子阿難は仏前にすすみ出て「今説かれた説法の要をいかに受け持つべきでしょうか」と仏に質問をしております。この問いによって、仏法の要とそれを受け持つ道が我々に教えられております。

そこでまず、仏法の要は「無量寿仏の名」つまり「南無阿弥陀仏」であるというのが仏の答であります。この「南無阿弥陀仏」は本願を原理として立てられた名号でありますから、「正信念仏偈」で親鸞聖人は「本願名号正定業」と教えられております。ですから本願の名号が仏法の要として立てられたことで、仏の仕事は終ったともいえるわけです。

それによって、その法の要を受け持つという我々の仕事が与えられるのであります。我々は家族あり仕事あり、その場の中で様々な苦しみ悩みを背負って生きる生活者であります。その生活者がいつでも、どこでも、誰でも受け持つ道を仏は与えられました。

その受け持つことのできる道について、親鸞聖人はこの「持」つことについて「たもつというは、ならいまなぶことを、うしなわず、ちらさぬなり」と教えられました。ならいまなぶことは学習すること、ここには卆業(卒業)はありません。生命ある限りこの生活の場が学習の道場であります。その道場こそ我々の仕事場であり、そこで法の鏡にてらして自身を明らかにする。鏡に写さなければ自分の顔が見えないように、我々に鏡を与えるのが仏の仕事、鏡によって自身を明らかにするのは我々の仕事、ここに「聞法」する生活者の存在こそ仏道の証明者であると共に生きた仏道の歴史が輝くのであり、人生の根本課題があることを知らされるのであります。

009私たちの立ち位置

池田勇諦

このたび私たちの三重教区が桑名別院と共にお勤めする宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要に当り、一言私たちの立ち位置を確認いたしたく思います。

それについて聖人の晩年のお作である『正像末和讃』の第一首、「釈迦如来かくれましまして、二千余年になりたまう、正像の二時はおわりにき、如来の遺弟悲泣せよ」(『真宗聖典』500頁)と叫ばれていることが、どうしても注目されてなりません。

親鸞聖人の生きられた鎌倉初期は、時代社会の大きな転換期であり、戦いに明け暮れた波乱の時代でした。それだけに人びとは生きる依りどころを失い、また仏教は本来の使命からかけ離れ、ただ厄除け祈祷の具と化してしまった状況の中で、仏教の衰頽(すいたい)を歎く仏教徒は勿論いても、釈迦の昔に思いを馳せるか、第二の釈迦弥勒の出現に淡い望みをかけるかで、いずれも現前の自己を忘れたありさまでした。

このことは、そのまま今日の私たちの問題であります。よく“親鸞に帰れ”の声が聞かれますが、現在只今の自己を問題にすることがなければ、虚ろな言葉でしかありません。現実は開山聖人の昔に帰ることも、また第二、第三の聖人の出現を夢みることもゆるしません。

いまこそ先達に導かれて「親鸞聖人かくれましまして、七百五十年になりたもう、正像の二時はおわりにき、聖人の遺弟悲泣せよ」と、現実への悲しみと、それゆえに「弥陀の本願信ずべし」(正像末和讃『真宗聖典』500頁)の大道を進むほか、私たちにどんな立ち位置があるというのでしょうか。

008それでいいのでしょうか

尾畑文正

2011年3月11日に、東日本大震災と、原発事故がおきました。いまもなお震災の復興も、原発事故による放射能汚染も収束できない深刻な状況にあります。

原発問題とはなんでしょうか。1つには、原発はいつでも巨大事故の可能性をもつということです。2つには、原発は必ず被曝する労働者を必要とします。3つには、原発によって発生する核廃棄物は処理することができません。現在だけでなく未来にも負の遺産をおしつけていく問題です。

現在も福島の事故現場では多くの労働者が被曝の危機の中で働いています。この人たちの犠牲の上に、私たちの今の豊かさと便利を求める生活があります。このような共に生きるべき「大地」を見失しなっている生き方が仏教でいう闇です。その私たちの闇が原発事故を通して厳しく問われています。

それでは闇を闇として知るとはどういうことでしょうか。親鸞聖人は仏さまの智慧と私たちの無明の闇との関係を、太陽の光と夜の闇になぞらえて、「日いでて、夜はあくというなり」(口伝鈔『真宗聖典』652頁)とたとえられたといいます。闇の自覚は光に出遇わなければ起きてこないのでしょう。

しかし、その光が見えない。否、見えないのではなく、光から逃げています。例えていえば、青空の下に居りながら、青空を見ないで、胸先三寸の我が思いの中で、ああなればいい、こうなればいいと、自分の思いが満たされることばかりを願っています。そういう自分に気づいて、ただ頭を上げれば、一面の青空です。自分の思いに固執するために、それができないのです。

自分の欲望の満足に固執して、共に生きる大地に立ち上がることを見失っています。そういう私たちの無明の闇が、今、3年をむかえた福島の現実を通して、まさに共に生きる大地そのものから、それでいいのかと問われています。その問いこそが闇を照らす光です。

007今、いのちがあなたを生きている

田代俊孝

ビハーラ活動をしていて臨床の場でとてもすばらしい言葉を聞かせていただくことがあります。たとえば、「私、病気して良かったと思います。今まで人生をとても粗末に生きてきたように思います。今、人生を二度生きた感じがします。病気は不運だけど不幸せではない…」「一日一日が尊い時間だった。生かされている貴重な日々が送れた」と。

これらは病名を告知され、仏法とご縁のあった方たちのコメントです。この方たちは、自分の人生に納得し、それを引き受けておられます。この方たちがこのようないのちの感覚を、いったいどのようにして持たれるようになったのでしょうか。

通常、私たちは、健康はプラス、病はマイナス、生はプラス、死はマイナスといった価値観を持っています。そして、生と死すらも、すべてが思い通りになると思っています。

しかし、誰一人として老病死から逃れることはできません。自身のありのまま、つまり、死を自分ごととして見つめたときに、思い通りにならないことを思い通りになると思っていた私の思いが破れるのです。その絶望を通して、生と死も、すべてが絶対他力の仏の大きなみ手の中にあり、本願に生かされていたことに気づかされるのです。

思いがけず生まれ、思いがけない人生を歩み、そして、思いもよらず死んでいくのです。思いを超えた大きな大きな働きの中に生かされているのです。仏教では思いを超えたことを不可思議といいます。南無不可思議光仏としての念仏は義なきを義とし、不可称不可説不可思議の世界を私たちに気づかせてくれるものです。ところが、その仏の大きなみ手の中にいながら、はからいをもって自分で自分を苦しめているのです。科学を絶対とする小ざかしい現代人にはなかなか気付けない世界です。科学の向こうにあるいのちの世界。それが、「共なるいのち」「つながるいのち」「涙のでるいのち」なのです。そういういのちが、今あなたを生きているのです。

006本願の大地に帰す

木村大乘

この度、3月27日より30日にかけて、三重教区・桑名別院におきまして、「共に大地に立たん」のスローガンの下に、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要が厳修されます。

ところで、この「共に大地に立たん」というテーマになった背景には、どのような願いが込められているのでしょうか。

私たちは誰にも代わることのできない身を受け、この世界の中で自分が一番可愛いという愛着心を我としています。そして、誰にも譲ることのできない自分を根本的に満足したという深い欲求を生きているといえましょう。それ故に関係存在として世界の中に在る私たちは、解け合える人間関係の構築を願いながらも、利害損得の対立意識が起これば、時に敵意を感じ、その存在さえ「居なくなればいい」という想いさえ起ってきます。そして、優劣という価値意識に煩悶(はんもん)し、良し悪しの心に翻弄されながら、どこかで取り残されていくような寂しさ、言い知れない空しさを感じながら、そしてこのままで人生が終わっていくのかという底知れない不安と孤独を生きている存在といえましょう。

しかし、幸いにも私たちに先立って、この生死苦悩の根本問題を一筋に道に求め、聞法のご苦労の歴史に身をささげてくださった本願念仏の歴史があったのです。

親鸞聖人の主著『教行信証』には、阿弥陀の大悲の本願を「大地」に喩(たと)えて

悲願は、…なお大地の如し、三世十方一切如来出生するが故

(『真宗聖典』202頁)

と表されています。

驚くべきことに、私たち一切衆生の宿業(しゅくごう)煩悩の苦悩の大地は、そのまま不可思議にも、時空を超えて、如来久遠の大悲の願心の中に限りなく深く、甦(よみがえ)って来る未来がすでに開かれているといえましょう。

005共命を生きた人

伊藤英信

桑名別院では、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要が、「共に大地に立たん」というスローガンの下に勤められます。生きとし生きるすべての人々と共に生きんとする自分自身の広やかな開かれた心を改めて問われているのが、この法要の大切な主旨ではないかと思っております。

昨年末に亡くなられた南アフリカのネルソン・マンデラさんの自伝『自由への長い道』を改めて読ませていただきました。1割余の白人が8割余の黒人に対して、学校・病院そして乗り物から道路まで隔離するアパルトヘイトの社会は、黒人にとって侮辱と屈辱に虐げられた日々でありました。その状況を変えようと戦ったマンデラさんは捕らえられ終身刑の判決を受け、ロベン島で27年間にわたって石を砕く刑に服したのです。この苛酷で孤独な長い年月の中で、彼の白人に対する激しい憤りの目は、次第に自己の内面に向けられたようです。彼は自伝の中で「抑圧された人々が解放されるのと同じように、抑圧する側も解放されなくてはならない。抑圧される側も、抑圧する側も人間性を奪われている点では変わりない」と指摘しています。そして、「自由になるということは、自分の鎖を外すだけではなく、他人の自由も尊重し支えるような生き方をすることである」と述べています。

互いが憎しみ合うことの無意味さに気づかれ、共なるいのちの大地に心の目が開かれたマンデラさんを米国の大統領は「歴史上の巨人」と称えましたが、私自身も自伝を読んで深く頭の下がる思いをいただきました。

004悲願

花山孝介

今年の3月27日より30日にかけて、三重教区・桑名別院では宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要が勤められます。この御遠忌を迎えるに当たり、教区では「共に大地に立たん」というスローガンを掲げました。私たちは、このスローガンをどのようにいただけばよいのでしょうか。

今日、人間関係が希薄になっているといわれて久しいのですが、その反面、私たちは他者との関係を大切にしたいと思っています。しかし、私たちが求める関係性は、自分の都合に合う関係性を求めていますので、自分の思いに添わなければ何時でも他者を排除していきます。では、どこで真の人間関係が成り立つのでしょうか。

宗祖に「他力の悲願はかくのごときのわれらがため」(『真宗聖典』 六二九頁)という言葉があります。この「悲願」に、このテーマを確かめる大事な視点があるように思われます。それは、自らの思いや価値観に立つ限り、自他の関係は傷つけ合うしかなく、そのような自分を残念ながら自ら知ることはできません。阿弥陀仏の願いを「悲願」と宗祖が押さえられたのは、自他の関係性を傷つけながら生きようとしている人間の在り方が、仏に悲しまれている存在であると頷かれたからです。

私たちは、どこまでも「悲願」からの呼びかけを聞き続けていくほかありません。宗祖は、どこまでも真理(まこと)の言葉に自身を尋ねながら、その在り方が、痛ましい・悲しいものであると教え、呼びかける仏の声に、まさに「愚者」なる自分を教え続けられる生き方を貫かれました。それは、私の計らいが破られ続け、どこまでも自らの在り方に懺悔(さんげ)することにほかなりません。だからこそ私たちは、どこまでも「仏願に導かれながら生きるものになれ」と呼びかけ続けている声に耳を傾け、その願いを自らの志願として歩むところに、共なる世界を生きる道が開かれると思います。

真宗大谷派(東本願寺)三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。