水野朋人
この二十日から彼岸の入りです。「彼岸」とは此の岸から彼の岸にわたる、迷いの世界より覚りの世界にわたるということです。
お盆が過ぎてお彼岸を迎えますが、そのお盆にテレビを見ておりましたら、毎年の光景ですが都心より生まれ故郷に帰る帰省の状況を放映していました。
お盆の仕事休みに車の渋滞に巻き込まれ、電車の混雑の中、手土産と荷物を持ち、疲れをなお重ねることが分かっていても毎年帰省される。そこまでして生まれ故郷に帰らなければならないかとすら思える。
毎年かえって疲れることは分かりながらも、なお生まれ故郷に足を運ぶのは何故でしょうか。帰りたいと思わしめるものは何でしょうか。単に時間的なゆとりに因るものではないでしょう。
おそらく生まれ故郷の「懐かしさ」「賑やかさ」を求めて生まれ故郷に帰られるのではないでしょうか。それはこの現実世界の日々の生活がいかに空しく、孤独であるかを物語るものであり、その現実の生活から安心感をたとえ束の間でも獲たいとの願いが故郷に足を運ばせるのではないでしょうか。如何に私たちが安心して生活できる世界を求め、願っているかを現すものではないでしょうか。
仏教ではこの安心して生活できる世界を彼岸といい、空しく孤独の世界を此岸と言われるのでしょう。
帰去来(いざいなん)、他郷(たきょう)には停(とど)まるべからず。仏に従いて、本家に帰せよ。‥‥釈迦仏の開悟(かいご)に因らずは、弥陀の名願いずれの時にか聞かん。(真宗聖典355頁『法事讃』)
と善導大師は言われます。彼岸の世界は現実の世界を離れて何処かにある世界ではなく、むしろ日々の生活の空しさ、孤独から開放してくれる世界ではないでしょうか。先延ばしすることなく、空しさ、孤独の世界から開放される世界を浄土真宗の教えにより確かめつつ歩むべき彼岸の入りの時節です。
海老原章
長かった夏休みが終わり、まだまだ残暑の厳しさを体感する中にも、お彼岸も間近となり、秋の虫の鳴き声が気持ちだけでも涼しさを運んでくれるようになりました。
暑い夏の季節には、強烈な太陽の光のもとで、昆虫や植物など、夏の生きものたちが躍動しています。秋には、立派な実をつけようとしている果樹や、堂々とした風格、そして生命感に溢れて咲くひまわりの花などは、私自身に積極的な生き方を示してくれて頼もしくさえ感じられます。
また、蝉も夏の生きものとして欠かせないものですが、蝉は、ご承知のように、長い間土の中で過ごし、そして成虫になってからわずか数日間で死んでしまいます。
夏には、やかましい程に懸命に鳴く蝉の鳴き声が暑さを増すようにも思いますが、鳴き尽くしながら一生を終える蝉の生き方は、いかにもはかないものがあります。このような蝉の一生は、周知の事実ですが、こういった生きものの在り方が、改めていのちというものを考える指針になるのではないでしょうか。
いくら短くとも生きものが精一杯生きる姿を目の当たりにした時、いつまでも生きることができるかのように思い、その日その日を無駄に生きてはいないかと、私に問われているような気がします。蓮如上人は、「仏法には、明日と申すこと、あるまじく候う。仏法のことは、いそげ、いそげ」(真宗聖典874頁)と万事に油断し、生活している私たちを戒められます。梅雨になれば「うっとうしい日が続く」と言い、夏になれば「暑い、暑い」と愚痴をこぼす。人それぞれに季節を受け取る思いは異なりますが、夏はエネルギッシュにいのちが燃える時期でもあります。こういった中で、大事なことを忘れて日々を過ごし、「明日も明後日もある」と油断し、惰性のように繰り返している私自身の生き様に、夏の主役たちが一つの生きる方向を教えてくれたような気がします。
芳岡恵基
最近、私の村の周囲にはたくさんの新興住宅が建ち、今まで一度もお会いしたことがない人が、よく寺へお越しになります。そのほとんどが、「お守りを処分してください」とか、「写真に霊が写ったので、始末してください」という用件です。現代を象徴している問題ではないでしょうか。
今日の私たちの生活は外からのたくさんの情報に左右され、流されているように思われてなりません。人間の迷いは外からの働きかけによって、自分の内に眠っていた心が呼び起こされ、迷いの生活が生じ、ますます外に向かって自分の幸せを求めずにはおれなくなっているのではないでしょうか。これらのことについて親鸞聖人は「人間の迷いは、自分の心に自分自身の生活のあり方が惑わされているのであります」と言われております。
私自身もこの問題を通して、自分自身の心の内を気づかせてもらう尊いご縁でありました。
泉知子
今年の夏も厳しい暑さが続いています。植木鉢の花もちょっと水やりを忘れると干上がって枯らしてしまうこともありますし、家の中に生けてある花も永くはもちません。お寺の本堂の仏華は大きな枝も要りますし、何杯か生けなくてはならないので、横着者の私には、全く厄介な季節です。
みなさんのお宅ではどなたが仏さまにお花を供えておられますか。私は夫が住職を引き継いだ頃より、それまで義母が生けていたのを見よう見まねで立てることになりました。山へ行ったり、近所の生け垣の伸びた枝を切らせてもらったりして、一日にかかってやっと立て替えるので、お寺の行事の前などは、仏華が立つとその法要の半分は済んだような気にさえなります。仏前に華を立てるのは浄土の荘厳、仏さまの国を美しく表現するということだそうですが、しかしその華も「そこそこ私もできるじゃないの」という自分自身への評価の手段に早替りすることもあります。
今年の夏に三回忌を迎える夫の父がまだ入院していた頃のことです。報恩講の翌日、松の真の切り方で、ある人からずいぶん叱られたことがあります。高い所に手が届かないので真っ直ぐな木を根元からバッサリ切っていたところを通りがかりに見ておられたようです。入院の付き添いで義母も留守、住職はサラリーマンを兼職ですので、何でも一人で準備をしたかのようにいい気になり、それに真っ直ぐな松で結構それらしい華が立ったと思っていた時でしたので、それですっかりへこんでしまいました。
お花の先生は「上手下手にかかわらず、生けた花には、その人の人柄や価値観、生活や生き方が自ずと表れるもの」とおっしゃいます。「さあどうだ、私が立てました」とばかりに仁王立ちする華と一緒に、また今年のお盆や義夫の法要を迎えたように思います。仏華は私を写す鏡のようです。
池田徹
『大無量寿経』には、衆生の志願-いのちあるものの深い本心-がいいあてられ、述べられています。本当にしたいこと(本心)がわからないまま、現実の中を被害者的にやらされているという意識(不満・不安・孤独・対立・抗争)を抱えながら生きているのが我々ではないでしょうか。そういう我々に向かって『大無量寿経』は呼びかけられています。それは一言でいえば、「浄土に生まれなさい」という呼びかけです。どんな人も、いのちあるものすべてが、浄土を求めずにはいられないということが衆生の志願であり、深い本心であると教えられています。
その浄土とは、地獄、餓鬼、畜生のない世界であります。地獄とは、通じあわないこと。共に生きていながら、そのものと心がかよわないということで、大きくいえば、民族同士の争い、人と人とが傷つけ殺しあう戦争という状況をいうのでしょう。
餓鬼とは、欲望の無限追求で、その結果、限りなく他者を利用し、道具化して孤独な生を生きているということです。結局今の自分を愛することができないということで、それは同時に縁あって生きている他者も愛せないという状態です。
畜生とは、自立できないということ。いつも何かに依存する生き方で、長いものにはまかれながら、自分の人生を他人事のように生きている在り方です。
この地獄、餓鬼、畜生-三悪趣-という生き方の悲惨さ、空しさ、無内容さを知る時「だからこそ」と、そうでない生き方を求めずにはいられないのです。私の生き方が、地獄、餓鬼、畜生という生き方であるということを深く知らされることと、浄土を求める、願う心とは同時であり同深であります。浄土を求める心は、私の三悪趣の生き方を教えられる中で発起する新しい意欲、それこそが衆生の志願であり、深い本心であるわけです。
この危機的な時代の中で、一人一人が、衆生の志願に目醒め、その深い本心に順って生きはじめる勇気と決断が待たれていることです。具体的には、「関係」を生き続けていくこと、「衆生」に回帰しつづけていくこと、他者に限りなくまなざしを向け続けていくことだと思います。
「あまねく諸の衆生と共に安楽国に往生せん」という諸仏のすすめ、歴史にささえられながら。
三和清光
今年は同朋会運動が提唱されて40年になることであります。
40年前、1962年といいますと、戦後の混乱期より17年が経ち、日本国内も落ち着きかけた頃でありますが、そのような中私たち大谷派より湧き上がった純粋なる信仰運動が同朋会運動であります。
その後、種々なる問題が惹起し「門徒一人もなし」とする私たちの体質そのものが問われてきました。しかし、私たちはこのような問題を本当に自己を問う縁としてきたのでしょうか。むしろ、問題収拾と対応のみに終始することになってしまっていたのではないでしょうか。
同朋会運動ですから、信心回復運動であり、僧伽の形成を願いとした運動であります。しかし、時として同朋・会・運動となり、組織や連携が重視され、政治的な運動になってしまいます。勿論それらも大事なことではありますが、あくまでも同朋会運動とは、一人ひとりの自己を問うていく聞法の縁になっていくということであります。同朋会運動の具体的な実践として「推進員の養成(帰敬式の受式)」「本廟奉仕」「特別伝道」が三本柱として掲げられました。これらが全ての運動目標ではありませんが、同朋会運動という言葉を使うことにより、自己満足し、いかにも運動として働いた形に酔いしれていたのではないかと自問自答しておることであります。
真宗人であるならば、今一度自己の点検が必要ではないでしょうか。そして全人類が救われていく宗教として、本来願われてきた信心回復運動が、今日只今希われてくるのであります。
佐々木達宜
先日、車の中でラジオを聞いておりますと、ある養護学校の校長先生のお話を紹介しておりました。少し前のことですので、学校や先生のお名前を失念してしまい、話も若干はずれておるかもしれませんが、要約するとこういうお話でした。
校長先生というのは、たいがい校長室にデンと構えておられることが多い訳なんですが、それじゃ生徒との距離が縮まらない。そこでその先生は校長室を生徒たちに開放したんですね。最初は様子を窺っておった子供たちも、慣れてくると自由に校長室に出入りするようになり、やがては先生の頭を撫でまわしたり、ペタペタと叩いたりし始める。というのもその校長先生、頭が見事に禿げておられたそうなんです。そこで先生が一言、こうおっしゃったそうです。
「あゝ、禿げててよかった」
実は私も、てっぺんの方がだいぶ危うい状態になっておるんですが、コンプレックスを感じることはあっても、よかったと思ったことなど一度もない。主人公が自分である限り、こういった発想はできないんですね。
ここでは主人公は子どもたちであり、校長先生はその子どもたちから智慧を授かっているのでしょう。
仏教ではこうした意識の転換がとても大切なのです。そして仏法をいただくことによって、私たちの日常における自己中心の価値観や生活が大きく逆転されていくのです。
みなさんは朝に夕に、お仏壇の前で手を合わせておられることと思います。ここでは、もちろん主人公は阿弥陀様であるわけですが、私たちの自己中心の価値観から、阿弥陀様を中心とした新しい世界観に逆転されていく場がお仏壇なのです。私の前に阿弥陀様があるのではなく、阿弥陀様の御前に私が座っているとの、意識の転換が促されておるのです。それはもっと言うならば、我々が仏様を供養するのではなく、我々が仏様に供養されておるのだ、ということでもあるのです。
お盆が近づいてまいりました。報恩の心でお仏壇に向かいたいものです。供養される私として、精一杯報恩の心でお仏壇に向かわせていただきたいと思います。
藤井信
私のところの寺が修復工事を行っていた、ある日のことです。工事に携わってみえた、まだ若い方が休みの日に突然訪ねてきました。ちょっと話があるというので家にあがってもらったのですが、こんな話なのです。「実は、数日前からどうも身体の調子が悪いのですが、でもまぁ大丈夫だろうと思って仕事を続けていたんです。そしたら見てください。この顔」見ると、その人の顔の半分が麻痺しているようでした。「こんな風に突然、顔の半分が麻痺したんです」他の人から「おまえ、何か罰が当たるようなことしたんやないか」と言われました。「何か身に覚えがあるんですか」と私が言いましたら、その方は「何もした覚えはありません。でも知らず知らずのうちに何か罰があたるようなことをしたのかもしれません」と言います。「悪いと思ってもしてしまうことがあるのに、あなたが言うように、知らず知らずのうちにする悪いことなんて私たちはどれだけやっているか分かったもんではありませんよ。それに、その一つ一つに罰が当たっていたのでは私たちは生きていくことさえできないかも知れません」
これまで何人か同じような症状の人から菌が入ったりしたことが原因だったと聞いたりしていたので、そんな話をしたり、不安に思う気持ちについていろいろ話したことでした。私たちが普段、自分の行為に無関心ですが、何か自分に都合の悪いことが起きると、途端にとても気にしだし、それだけでなく原因を自分以外の他に求めるようです。そしてその不安を解消するためにあるのが宗教だと勘違いしているのではないでしょうか。しかしそのような心など、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」かのように、事態が好転すればすぐに忘れ去ってしまう都合のいい、その場しのぎの心なのです。私たちは、大なり小なり、何かに不安を抱きながら毎日を過ごしていると言えるかもしれません。しかし不安に思う気持ち、それこそが生きる上で重要な意味をもつのではないでしょうか。金子大栄氏の言葉に「生きるしるしの発見、それが宗教というものではないか」とあります。不安に思う気持ちを通して、生きるしるしを発見することこそが大事なことなのではないでしょうか。
藤井恵麿
私は、4年ほど前から出身校の三重支部・同窓会事務をさせていただいております。と言いましても私一人でやっている訳ではありません。三重支部・同窓会運営の為の役員が約20名ほどおりますが、その一人として事務を担当させていただいております。
最初に、この仕事をやらせていただいて感じたことは「貧乏くじを引いてしまった」ということです。と言いますのは、その役員が中心となって、年1回の総会を開催する訳でありますが、その打ち合わせの為の役員会を開催してもなかなかご出席いただけず、半数以下での役員会ということもありました。また、総会の案内状の発送でありますが、本当にたいへんな仕事であります。一人でやれば、支部内の会員530余名の方に発送するのには、3日間ほどかかります。その発送については、今では役員の方に手伝っていただいておりますが、それでもやはりたいへんな仕事です。
さて次には、総会の出欠の返信でありますが、これがいつも真面に返ってきません。返ってくるのは毎年いつも100通ほどであります。後の400通ほどはゴミ箱行きかと思うと「あの発送の苦労は何だったのか」と怒りが込み上げてきます。そして総会の出席が毎年10名前後ともなれば、虚脱感で一杯になります。
そのような思いの中で、ある時、気づかされました。この仕事を担当するまでは、私は、この同窓会の総会に出席したことも無ければ、出欠の返事すらも出したことが無かったのであります。「自分が傷つくことに対しては敏感だけれども、相手を傷つけることには何て鈍感なんだろう」そしていつの間にか「自分が一番苦労している」とまで思い込んでしまっている傲慢(ごうまん)な自分…。
人のわろき事は、能(よ)く能く。みゆるなり。わがみのわろき事は、おぼえざるものなり。(真宗聖典890頁)
という蓮如上人のお言葉が静かに胸に響いてきます。
星川佳信
1207(承元元)年、聖人35歳の時です。念仏弾圧の嵐が法然上人の「吉水教団」を襲い、法然上人の弟子七人が流罪、他四人が死罪。法然上人自身も土佐に流罪となり、親鸞聖人は越後に。これが「承元の法難」といわれる事件です。「ただ念仏のみぞまことにておわします」という念仏の教えに対し、強く危機感を抱いた時の権力者の圧制によるものです。これが後に「首が飛ぶような念仏」と言われた所以(ゆえん)です。
また後に関東の弟子たちから起こされた念仏への疑問に対してです。「本当に念仏で助かるのか」と。師聖人は「念仏の他に特別な妙薬を隠しもっておられるのでないか」という不信と動揺。聖人の「おおせでなきことをおおせ」といい、権力者との癒着を深めていく善鸞。故に我が子を義絶しなければならなかった聖人。これがいわゆる「建長の法難」と言われるものです。
こうした二度にわたる法難が『歎異抄』の思想的根拠になっています。明治、清沢門下によって光が当てられることになりますが、反権力の書として危険視されてきました。
今また「おおせでなきことをおおせ」と言い、真宗教団がその批判精神を失い、戦争へ荷担するようなことはあってはなりません。
テロに対して報復、核の恐怖、暴力の連鎖が世界を覆っています。
今国会で有事法制化に向け議論が戦われています。本土決戦を想定した議論です。「例えば」に始まる与野党の議論の先にいったい何が見えてくるでしょうか。57年前の沖縄を想像してみてください。1999年「周辺事態法」に始まり、今回の「有事法制化」の動きは間違いなく戦争体制へと連動していきます。そして核兵器の脅威が冷めやらない今、政府首脳による「非核三原則」の見直し発言報道、唯一被爆国日本が言う言葉かと絶句してしまいます。こうした一連の政府首脳と言われる人たちの発言が意図的か、恣意的か分かりませんが、そういった発言を許すような環境を私たちがつくってきたということに恥じなければなりません。過去の歴史を封印するのは、誰でもない私たち自身だからです。
真宗大谷派(東本願寺)三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。