017「歎異抄」が再び封印されないために

星川佳信

1207(承元元)年、聖人35歳の時です。念仏弾圧の嵐が法然上人の「吉水教団」を襲い、法然上人の弟子七人が流罪、他四人が死罪。法然上人自身も土佐に流罪となり、親鸞聖人は越後に。これが「承元の法難」といわれる事件です。「ただ念仏のみぞまことにておわします」という念仏の教えに対し、強く危機感を抱いた時の権力者の圧制によるものです。これが後に「首が飛ぶような念仏」と言われた所以(ゆえん)です。

また後に関東の弟子たちから起こされた念仏への疑問に対してです。「本当に念仏で助かるのか」と。師聖人は「念仏の他に特別な妙薬を隠しもっておられるのでないか」という不信と動揺。聖人の「おおせでなきことをおおせ」といい、権力者との癒着を深めていく善鸞。故に我が子を義絶しなければならなかった聖人。これがいわゆる「建長の法難」と言われるものです。

こうした二度にわたる法難が『歎異抄』の思想的根拠になっています。明治、清沢門下によって光が当てられることになりますが、反権力の書として危険視されてきました。

今また「おおせでなきことをおおせ」と言い、真宗教団がその批判精神を失い、戦争へ荷担するようなことはあってはなりません。

テロに対して報復、核の恐怖、暴力の連鎖が世界を覆っています。

今国会で有事法制化に向け議論が戦われています。本土決戦を想定した議論です。「例えば」に始まる与野党の議論の先にいったい何が見えてくるでしょうか。57年前の沖縄を想像してみてください。1999年「周辺事態法」に始まり、今回の「有事法制化」の動きは間違いなく戦争体制へと連動していきます。そして核兵器の脅威が冷めやらない今、政府首脳による「非核三原則」の見直し発言報道、唯一被爆国日本が言う言葉かと絶句してしまいます。こうした一連の政府首脳と言われる人たちの発言が意図的か、恣意的か分かりませんが、そういった発言を許すような環境を私たちがつくってきたということに恥じなければなりません。過去の歴史を封印するのは、誰でもない私たち自身だからです。