カテゴリー別アーカイブ: テレホン法話2006年

017真実は

川口昭

イラク戦争が始まって以来3年過ぎましたが、始めた方も抵抗する側もそれが正しいと思うからこそ戦っているのです。抵抗する側の自爆による戦い、私たちには理解しがたい行為ですが、やはりそれも正しい戦い方だと信じて行っているのではないでしょうか。

かつて日本でも、飛行機に爆弾を積んで片道燃料のみで、敵艦に突っ込んでいった歴史がありました。命令とはいえ、若き人が日本を救う道だと信じて行った行為でありました。また、ヨーロッパでは、地球を中心にすべての星は動いているという天動説を誰も疑うことがなかったが、1500年頃地動説を唱える人が出て、地球は太陽の周りを回っているということが分かり、それが正しいということになりました。

このような例を挙げればきりがありません。時代が変われば今まで正しいと思っていたものが、実は誤りであったと変わってしまうのです。しかしながら、そうと分かっていても自分の正しさだけは変わらないと思っているのです。それが人との争いとなり、戦争へとつながっていくのでしょう。

親鸞聖人は『歎異抄』の最後のところで、

「善悪のふたつ総じてもって存知(ぞんじ)せざるなり。そのゆえは、如来の御(おん)こころによしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)、火宅無常(かたくむじょう)の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきゆえに、ただ念仏のみぞまことにておわします」(真宗聖典640頁)

と述べられております。
つまり私たちには、善とか悪とかいう区別をつけることができない。また、私たちが真実の存在になることができないというのであります。しかし、それはまことであるお念仏によってしか知らされないのです。「念仏のみぞまこと」と教えられない限り「自分だけが正しい」という考えで生きている凡夫の姿が見えないのでありましょう。

016仏智のまなこはいずこに

三谷澄子

ある日、ラジオのトーク番組で噺家の方が「目」について話されていました。人の目には動物たちと異なり「黒目と白目」のバランスが取れているので、互いにコミュニケーション、言い換えれば意志を伝え合うための一番大事な部分をもらっている。したがって傷つけ合う前に踏み止まって、たとい瞬時であっても避けて生き合えることも可能なのだと。それなのに生き物の命をもらって生きていることもすっかり忘れ、争いや戦争を一番したがる恐ろしい所があって、残念だと言われてました。目は心の窓とたとえられながら「目の敵」「目くじらをたてる」「目くばせ」という言葉が次々と浮かんできます。

ふと我が家の老犬をのぞいてみました。「白目黒目」は、わかりにくくても穏やかな目をして、こちらを眺めてくれました。小鳥はどうかな?小首を傾けつぶらな目をパッチリと私に向けました。生き物と私たちの関わりはこれからも続くのですが、朝日歌壇に応募されていた芳月さんという方が歌に託されています。「乳牛は 搾乳の間を 目を細め 煉瓦の形の 岩塩なめる」同じく朝日歌壇に応募された有馬さんは詠まれています。「音のない 世界に暮らす 隣人に より添う犬の 深きまなざし」何かしらこみ上げてくる思いがしてなりません。

さて教えを聞いても抜け殻になって目はうつろな私でありますが、智慧のまなこを不穏な時代へと向けてはならないと思います。一人一人の命が大切と言われながら、国と国の争いの犠牲者が数え切れないことからも、今日ある命の尊さを思います。

見えないところから見えてくるものの力を金子みすずさんの『星とたんぽぽ』からも教えられたような気がします。

青いお空のそこふかく 海の小石のそのように 夜がくるまで沈んでる 昼のお星は目にみえぬ 見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ

目先に見えるものを追う中で人の力の及ばぬところの大いなるもの、それは「恵む仏の智慧なり」と受けるところより始まるのでしょうか。

015千の風に想う

池井隆秀

私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています…

これは、新井満氏訳の英語詩『千の風になって』の冒頭の一節です。数年前ラジオの深夜放送から流れてきたこの詩の響きにドキッとしました。早速書店でその本を買い求め、CDも手に入れました。「大切な人を亡くした時に悲しみを癒(いや)してくれるのはこの詩かもしれない」と書評があります。新井氏の友人の奥さんが若くしてガンで亡くなられた。その追悼文集で氏はこの詩に出会われます。最愛の人を亡くして悲しみのどん底にいる時、亡き人からのメッセージがこの詩であるとするならば、これほど残された者に命を吹きかけてくれるものはないのではと思いました。改めて亡き人との出会いが始まっていることを告げてくれているようです。

秋には光になって 冬はダイヤのように きらめく雪になる 朝は鳥になって あなたを目覚めさせる 夜は星になって あなたを見守る 私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 死んでなんかいません 千の風になって 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています…と続きます。

さて、私たちも送る側から、やがて送られる側に回らなければなりません。そんな時、枕元に『千の風になって』のようなメッセージを置いておいたらいかがでしょうか。しかし、ふと私の心をよぎります。はたして、私のお墓の前で泣いてくれる人がいるだろうかと。私たちの日常生活が問われています。前川五郎氏の言葉を紹介します。

うらが死んだ言うて 誰が泣くものか 山の鳥も泣きはせぬ うらが死んだら みなよろこぶだろう 息の出るうち みな泣かせたで すみません すみません ありがとうございました なむあみだぶつ

メッセージをやめて高額の預金通帳にしますか。

014如来の本願をわが身にいただくまでは

佐藤幸男

この世で数多くの生物がある中で、言葉の分かる人間の身を受けることは容易なことではありませんが、今、私はおかげさまでその人間の命をいただきました。また、仏法はよほどの深いご縁がなければ聞くことができませんが、今、私は不思議なご縁で聞くことができました。以下云々…南無阿弥陀仏…

これは三帰依文現代語試訳の文の一部でございます。

仏縁による集まりの場で発言させていただく際に、さらに続く文を併せて拝読することによって、真宗の教えについて深く理解していない私が、念仏をいただくことへの感謝と心得、また今日縁をいただいて申し上げる念仏の入り口にさせていただきます。

自分はいつもお参りさせていただくお寺で、また家のお内仏で、ご本尊に向かってお称名をさせていただいております。自分では自然体のつもりで、御名を声に出して称えるを常としておりますが、時にはそれが、本当の念仏になっているのかと自分に向かって問いかけるのです。

如来の本願は「すべての凡夫が安楽国土に生まれて往生をとぐる」と願われていると言われております。しかし、それには「信心をもって」とおおせになり、その上の念仏は「ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべき」と御文(おふみ)さんで教えていただいております。

名号の名告(なの)りは限りなく深く広く重いもので、その中から自分が問われていて「軽々と心得べきではない」といましめの心を忘れず、常々信心を心がけ、おごることなく「如来の本願に目覚める念仏」を続けさせていただきます。南無阿弥陀仏

013食事はいただくもの 

神谷覚

日本には世界中から食材が輸入され、食糧については十分であり、食べ切れなくて捨てられているものが半分くらいあると聞いたことがあります。冷蔵庫の奥にあったため、まだまだ食べられるものであっても、賞味期限を過ぎたといって捨てる。店においても売れ残った食品は捨てられる。本当にもったいないことであります。

以前に、あるお坊さんが小学生の頃、学校で生きた鶏の首を絞め、首をはずして血を抜き、毛をむしり取り、血だらけになって、それをさばき、料理を作ったことがあると話されました。それを聞いた人が「その料理は食べる気にはなれなかったでしょう」と言われましたが、そのお坊さんは、学校の先生に「この料理を食べてあげることが鶏に対して供養になるのです。本当にかわいそうなことをしたと思ったら美味しく食べてあげなさい。私たちのために大切な命をくださってありがとう、と感謝していただきなさい」と言われて、むごい状況の後ではあったけれど、鶏の供養であるならばと思い、グッとこらえたら食べられた。そして、美味しかったそうです。

人は普段、一日に3度の食事をしますが、いずれも生き物のいのちをいただかずには食事になりません。ご飯は米のいのち、パンは麦のいのち、みそ汁は大豆と野菜やアサリなどのいのち、その他魚のように水揚げされたもののいのち、あるいは既に解体されて店先に並べられた肉となったものなどのいのちを頂戴して食事がいただけるのです。食事ができることは感謝すべきことではないか。自分自身がこのことに改めて気づかさせていただくご縁があったのは二年ほど前のことです。保育に携わる方々を対象にした保育研修会で講師が話されたことは「子どもたちに感動を与えていますか。感動を与えてください。他のもののいのちをいただいて食事ができることを理解できれば感動できます。そのことを教えてあげてください。感動できなかったら、犬や猫のように餌を食べていることと同じです」ということでした。このことを聞いてから、美味しくないものであっても「こんなまずいものいらない」という傲慢な自分を反省させられ、いのちをいただいて食事ができることの有り難さ、もったいなさに感謝しなければならないという気持ちに変わりました。

012泣く泣く 

片岡健

夜の繁華街でたむろして家へ帰れない子どもたちに、家へ帰るよう説得するため、単独で夜の街をパトロールしてくださっている。また、生きるのに疲れて自分の手首を刃物で切ったり、引きこもりになっている子どもたちの相談相手になって、時には夜を徹して電話で応対し、生きる力を引き出すように子どもたちを励まし続けてくださっている水谷修という先生がおられます。

この先生は「現在の私たちの社会は、人を認め合う社会ではなく、人と人とが責め合う社会、攻撃的な社会になっています…上司は部下に、部下は家庭で妻に、妻はその子どもに…。攻撃が下へ下へと連鎖しています。でも、子どもたちは誰を攻撃してうっぷんを晴らせばいいのでしょうか。同級生をいじめることで、あるいは殺すことで…。動物や生き物を虐待することで、うっぷんを晴らせばいいのでしょうか。すでに、そうした子どもたちがいます」とおっしゃっています。

ここで指摘されている攻撃型社会の原因はどこにあるのでしょうか。政治や経済や社会構造など、いろいろなことが考えられますが、さらにその奥にあるものは、私たち一人一人の生き方にその原因があると、私は最近つくづく思うのです。

『歎異抄』というお書物があります。親鸞聖人亡き後、同じお弟子仲間の間で、親鸞聖人の教えと違うことを言う人が出てきました。それを唯円というお弟子が批判しているお書物ですが、そこには「なくなくふでをそめてこれをしるす」と書かれています。私たちにも、人を批判したり、子どもを叱ったりしなければならない場合は当然あります。しかし、その場合、怒りにまかせてとか、好き嫌いとか、自分の都合がその基礎になってはなっていないでしょうか。泣く泣く人を批判する、泣く泣く子どもを叱る。こんな心が根底にあれば、批判も叱ることも相手に通じて、そのことが光り輝いてくるのではないかと思います。

011凡夫は何処に 

水野朋人

テレビ、新聞を見ておりますと殺人、詐欺、窃盗等痛ましい事件が毎日毎日報道され、多く私たちの耳を流れていきます。しかし、その中で、犯人が明らかになることにホッとするものをもち、無感動に犯罪にいたるまでの経過報道を興味をもって聞き入るものは何でしょうか。

先日、下の子どもがテレビを見ておりましたら、正義の見方が最後に出てくるまではハラハラして見ていまして、正義の味方が最後に悪者をやっつけるということにホッとして喜んで見ていました。その姿を見まして、私たちは悪人を許さない心をもち、悪人はやられなければ安心できないものがあるのだなあと思わされました。そして、それを見ている私も、どうも悪を許さない善人であるようです。いつも私は善人であるようです。ですから、犯罪者が明らかにされるところにホッとするものを感じるのではないでしょうか。

はたして悪人は私とは違う特別な人でしょうか。

凡夫(ぼんぶ)というは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終(りんじゅう)の一念にいたるまでとどまらず、きえず…(真宗聖典545頁)

と聖人は言われています。決して悪人という特別の人はいないのではないでしょうか。縁によるものであって、善人も悪人もともに「凡夫」であるというのが親鸞聖人の教えではないでしょうか。この私も凡夫にほかならない。この凡夫の地平を見失った時「あんなことをして」と他を蔑(さげす)み、差別し、同朋を見失ってしまい、悪人が明らかになるとホッとするのではないでしょうか。

「凡夫」は、すなわち、われらなり。(真宗聖典544頁)

と凡夫という領きに悲しまれる身、救われるべき身という「われら」の世界が開かれ、また「凡夫」という本願の悲しみを感受せしめられるのではないでしょうか。

010人に出遇った報恩講 

檉とし子

桑名別院の報恩講の前日、準備のために境内へ入ると、軽やかなデッキブラシの音が耳に入りました。どなたかが境内のトイレを掃除している音でした。

1日目の法要を終え片づけを済ませて庫裏の玄関まで来ますと、年配の婦人の方が明日のお斎(とき)のために食器を分けている姿を見かけました。

2日目も同様、黙々と後片づけをされているなか「一度お茶でも持って行きたいけど」と思案しながら、思い切って「ご苦労様です」とお茶を持って行くと、何かスーッとその方々の輪の中に座ることができました。

皆さんの顔が生き生きとして嬉しそうでした。わずかな間でしたが、話の輪が広がり、多度の人あり、桑名、長島の人あり。大正15年生まれの方は「私はここではまだまだ新米ですよ」とおっしゃいました。

最終日にご講師が「北陸では報恩講の時は、黒の紋付羽織でお参りされている所もありましたよ」とお話されている声が襖越しに聞こえてきました。そのことは、台所を手伝っている女性たちの真新しい白い割烹着がそのことを物語っているように思えました。

この度、別院の報恩講にお参りさせていただき、花方さん、お斎の方、泊まり込みのおばさん、雪かきをしてくださった人、トイレの掃除をしてくださった人、まだまだ私の知らない方々に出遇ったおかげで、親鸞聖人の教えを大切にしている方から「真面目に日暮らしをしなさいよ」と言われている様な気がしました。

報恩講は報恩感謝と言われますが、裏方さんの「今自分にできる仕事はこれだ」と黙々と働いておられる姿に遇い、寺に住んでいる私に、襟を正して仏事に接することを教えていただきました。

009あんまりじゃ 

岩田信行

坂木恵定先生の『あんまりじゃ』という一文にふれました。

「あんまりじゃ」のその一言。それはこういう状況での一言です。

吹雪のある朝、月参りへの道すがら、向こうから幼稚園に孫を送りに行くおばあさんと行き会って、そのすれ違いざまに、おばあさんが口にした切なげな「一言」それが「あんまりじゃ」「あまりにも酷(ひど)過ぎる・・・」その一言に坂木先生は「ハッ!」とした。見知らぬそのおばあさん。何があって出た言葉か定かでないが、その一言に坂木先生はそのおばあさんのこれまでの生涯を、その一言のうちに聞き取ったというわけです。

「あんまりじゃ」「あまりにも酷過ぎる」その一言のうちに、これまでの人生の在り様が言い切れる。その一言に全人生がある、そういう一言。そして、そのような「行き詰まり」の一言こそが全人生を引受け、全責任を荷う主体を開く契機となることを、すれ違いざまの一瞬、響いた。

自分の「思い」を自分とし、思い通りになることを「幸せ」と思い込み、当てにならんものを当てにして、当てが外れるや「あいつが悪い」「時代が悪い」と周りを責める。思い通りを夢見て空しく終わりつつある人生に嫌気が差しながら、どうかして迷惑かけずにコロッと逝けんものかと、もう一つ夢見て・・・。そこに「あんまりじゃ」と天を仰いで叫ばずにおれんものが噴出すか、否か。

そういう、自分の人生を突き抜ける「一言」が沸いて、生涯かけて問い続ける課題が見つかること。そこに「聞法」の意味と課題があるのでないでしょうか。

「思い」を「自分」として生きる、その「思い」が「あんまりじゃ」の叫びとともに、今日までの人生が「思いの外」だったと破れてさらさらの事実に立ち帰る!そして、次の瞬間、それさえもまた「思い」に取り込んで・・・。生涯、悪戦苦闘と思いきれ、出てくる「問題」と向き合っていける力をいただいていく生活が「あんまりじゃ」から始まる。

坂木恵定先生の『あんまりじゃ』の一文。響きました。

008差別の根っこ 

米澤典之

私たちの家族に赤ちゃんが生まれてきてくれました。

赤ちゃんの透き通った眼を見ていると、自分の眼がいかに濁ったものであるかを知らされます。新生児室に並ぶ赤ちゃんたちの命は千差万別、一つとして同じ存在はありません。誕生の瞬間から赤ちゃんは様々に区別されています。男女の区別から体重や血液型、障害の有無などによる区別です。誕生した命が男の子でも女の子でも、保育器に入っていても、障害があろうとも、その命の尊さに変わりはありません。

しかし、どこまでも自己中心的な濁った眼は、それらの厳粛な区別を見比べ分別を始めるのです。それは「我が子」と「他の子」に分けるところから始まります。そして「男の子で良かった」「五体満足で良かった」と分別するのです。女の子でなかったことを理由にしたり、障害がなかったことを理由にして満足しているのであればそれは差別でしょう。それは意識しようが無意識であろうが優劣をつけていることに変わりはありません。言葉に表現しなくても、それは差別の心です。そこに差別の根っこがあるのでしょう。それなのに「差別なんかしていません」というところに生きていたことに気がついた時に、改めて心の濁りの深さが知らされてくるのです。

「差別」という言葉は元々仏教語の「しゃべつ」からきています。元々は、それぞれが異なった独自の姿で存在している状態を表す言葉であったといいます。そこには上下・優劣はありません。それぞれが独自の姿を保ちつつ、生き生きと存在していることを表しているのです。

しかし、私の心の眼は、そもそも異なっているものを比較し、優劣・善悪をつけて見ることしかできない眼です。ありのままをありのままに見ることのできない濁った眼です。
今、仏の教えを聞くということは、私の濁った眼ではなく、仏さまの透き通った眼をいただいていくということでありましょう。