016仏智のまなこはいずこに

三谷澄子

ある日、ラジオのトーク番組で噺家の方が「目」について話されていました。人の目には動物たちと異なり「黒目と白目」のバランスが取れているので、互いにコミュニケーション、言い換えれば意志を伝え合うための一番大事な部分をもらっている。したがって傷つけ合う前に踏み止まって、たとい瞬時であっても避けて生き合えることも可能なのだと。それなのに生き物の命をもらって生きていることもすっかり忘れ、争いや戦争を一番したがる恐ろしい所があって、残念だと言われてました。目は心の窓とたとえられながら「目の敵」「目くじらをたてる」「目くばせ」という言葉が次々と浮かんできます。

ふと我が家の老犬をのぞいてみました。「白目黒目」は、わかりにくくても穏やかな目をして、こちらを眺めてくれました。小鳥はどうかな?小首を傾けつぶらな目をパッチリと私に向けました。生き物と私たちの関わりはこれからも続くのですが、朝日歌壇に応募されていた芳月さんという方が歌に託されています。「乳牛は 搾乳の間を 目を細め 煉瓦の形の 岩塩なめる」同じく朝日歌壇に応募された有馬さんは詠まれています。「音のない 世界に暮らす 隣人に より添う犬の 深きまなざし」何かしらこみ上げてくる思いがしてなりません。

さて教えを聞いても抜け殻になって目はうつろな私でありますが、智慧のまなこを不穏な時代へと向けてはならないと思います。一人一人の命が大切と言われながら、国と国の争いの犠牲者が数え切れないことからも、今日ある命の尊さを思います。

見えないところから見えてくるものの力を金子みすずさんの『星とたんぽぽ』からも教えられたような気がします。

青いお空のそこふかく 海の小石のそのように 夜がくるまで沈んでる 昼のお星は目にみえぬ 見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ

目先に見えるものを追う中で人の力の及ばぬところの大いなるもの、それは「恵む仏の智慧なり」と受けるところより始まるのでしょうか。