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033親鸞聖人のご往生

藤井慈等

覚如上人の『御伝鈔』には親鸞聖人が亡くなられた時のご様子が、

聖人(しょうにん)弘長(こうちょう)二歳 壬戌(みずのえいぬ) 仲冬下旬(ちゅうとうげじゅん)の候(こう)より、いささか不例(ふれい)の気まします。自爾以来(それよりこのかた)、口に世事(せじ)をまじえず、ただ仏恩(ぶつとん)のふかきことをのぶ。声に余言(よごん)をあらわさず、もっぱら称名(しょうみょう)たゆることなし。しこうして、同(おなじき)第八日午時(うまのとき)、頭北面西右脇(ずほくめんさいうきょう)に臥(ふ)し給(たま)いて、ついに念仏の息(いき)たえましましおわりぬ。(真宗聖典736頁)

と記されています。

ところで、この『御伝鈔』とは違って、親鸞聖人のお姿を伝えるものに、『恵信尼消息』があります。親鸞聖人が亡くなられる時に側におられた末の娘・覚信尼さまが、母である恵信尼さまにお手紙をなされます。そのお手紙を受け取られた母・恵信尼さまは、「昨年の十二月一日の御文、同二十日あまりに、たしかに見候いぬ」とお返事なされて、「何よりも、殿の御往生、中々、はじめて申すにおよばす候」と、「今更いうまでもないことです」とお答えになっています。

ここには、親鸞聖人が亡くなられるご様子について、覚信尼さまには何らかの不審があって、お尋ねがあったことが窺われます。ところが、それに続く恵信尼さまのお答えは、意表をつくように、親鸞聖人29歳の、いわゆる聖徳太子建立と伝えられる六角堂に百日参籠される出来事、つまり「後世をいのる」ことであったことが記されています。

そして、さらにまた百日の間、「降るにも照るにも、いかなる大事にも、参りて」と、法然上人の教えを聞かずにおれなかった、聖人の青春の姿が書き記されています。

この恵信尼さまのお手紙の主題は、文中にありますように、「後世(ごせ)の助からんずる縁にあう」ことに他なりません。それに対して、法然さまは、「生死出ずべきみちをば、ただ一筋に仰せられ」たとあります。そして、人がどのようにいわれようとも、親鸞さまはその仰せを確かに受け止められたことが、娘・覚信尼さまに伝えられています(真宗聖典616~617頁)。

「後世をいのる」、「後世のたすかる」とは、「生死を出る」、「生死を超える」という問題であります。私たちの日常生活における「生死」、つまり生き死にの問題は、常に死から脅かされ続ける生という形を取りますが、恵信尼さまが伝える親鸞聖人の課題は、聖人ご夫妻の間でたびたび話し合われたに違いありません。

それだけに、この恵信尼さまのお手紙は、覚如上人が『御伝鈔』をもって伝えてくださる、「念仏の息たえましましおわりぬ」という感銘深い表現とも違った味わいがあります。

しかも、このお手紙の表には直接出てはいませんが、娘・覚信尼さまの親鸞聖人御往生についての問い、いわば我が子の迷いを確かに受け止めておられる母親の姿を見ることが出来ます。

なお、親鸞聖人の88歳の最晩年のお手紙が『末燈鈔』に収められていますが、それは、

なによりも、老少男女おおくのひとびとのしにあいて候うらんことこそ、あわれにそうらえ。ただし、生死無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう。       (真宗聖典603頁)

という言葉から始まっています。

この「生死無常のことはり(道理)」という言葉は、何か冷たい言い方のようにも聞こえますが、「おおくのひとびとのしにあいて候うらんことこそ、あわれにそうらえ」という言葉に注意を致しますと、むしろ、人々の苦しみ、迷いに身を添わせる親鸞さまの、人生を生きる一貫した姿勢を垣間見ることが出来ます。

その意味で、『歎異抄』の「親鸞もこの不審ありつるに」(真宗聖典629頁)と唯円さまにお答えになったお言葉に、改めて耳を傾けねばならない、そのような時を迎えているのではないかと思います。

032元気はいただくもの ―報恩講の季節に思う―

泉有和

勤務する学校の学生で、東日本大震災のボランティアに、何回も行っている人たちがいます。この前、その学生の一人と話す機会がありました。彼女曰く、「何度行っても、何もできなかったという気持ちばかりです。だから帰ってきても、すぐに、もう一度行きたいと思ってしまう」と。そして「震災で苦しい生活を余儀なくされた人たちが、でもそこで賢明に生きようとされている姿に接すると、元気をもらえます」と言っていました。その言葉に感銘を受けながら、「元気とは何か」と考えておりました。

ある方に聞いた話ですが、知り合いに、とても活発な奥さんがおられるそうです。陽気な方で、その人といるとみなが楽しくなります。ボランティア活動にも熱心で、最近ですと震災の援助物資を呼びかけて集めたり、地域で高齢者を支える活動でもリーダー的存在だったりするそうです。それでこの前「なぜそんなにお元気なんですか」と聞かれたら、少し考えられた後「お蔭様をいただいているからでしょうか」と言われたとのことでした。

先ほどの学生の言葉もそうですが、我々は「内側のエネルギーや、元気の源は自分のこころの中にある」と思っていることが多いのですが、考えると、どうもそうではなく、外から来るもの、いただくもののようです。

浄土真宗では「本願他力」といって、願いの力は自分の中にあるのでなく、他から(外から)くる、というのですが、それを「そんな他力本願なんか駄目だ」といってさげすむ人がいます。他力ということを、何か自分では努力しないで、ものごとを他の人にまかせてしまう、なまけもので無責任なことのように思われているようですが、大きな誤解です。そうではなくって、本願他力とは、お念仏を通して、お蔭様をいただくからこそ、我がいのちが躍動するのだ、ということだと思うのです。

私たちは、ついつい自分の世界だけを生きてしまいがちですが、それでは生きる力はやせ細ってしまいます。殻の中に閉じこもって、元気をなくしている私に、南無阿弥陀仏という名号を通して、本願(願い)のエネルギーを与え、それぞれの根源的要求を掘り起こして、自分を支え生かしているお蔭様を知る眼を開かせようとする。そういういのちのはたらきを、仏さまというのです。

そのはたらきに出会うと、自分がこうして生かされてあることの意味の深さが「ああ、そうだったなあ」と、しみじみと感ぜられ、そのよろこびの中から「ご用をはたさせてもらおう」「目の前のことに積極的に関わろう」という元気も出てくるのでしょう。

あちこちで報恩講の勤まるこの季節ですが、あらためて、仏様の与えてくださる「本物の元気」を受け取れる身になりたいものだと、強く思うことです。

031響き合ういのち

訓覇浩

今日は「響き合ういのち」ということで少しお話させていただきたいと思います。

いきなり、自分の話からで申し訳ありませんが、先月の末、住職修習を受講し、住職に任命されました。全国から集まった住職になろうとする人たち、そして、総代さん方と、3日間、真宗本廟での時を同じくし、これからのお寺をどのように盛り立てて行くのか、熱のこもった話し合いの場に身をおかせていただきました。

そこから改めて、強く感じましたことが、「響き合う」ということです。響き合うということは、ひとりでは成り立ちません。共鳴する音叉のように、互いと互いの存在があってはじめて響くということは起こります。「響存」という言葉があります。ふつう「きょうぞん」というと、共に存在するという「共存」ですが、この場合は「響き合い存在する」という「響存」です。単に一緒に存在しているということではなく、お互いがお互いを響かせ合いながら存在している。人と人とのあり方の表現として、非常に積極的な言葉といえるのではないでしょうか。

さらに、この響くという言葉は、教えが私たちの上に働くときのすがたとして、しばしば用いられてきました。なじみの深いかたも多いと思いますが、『仏説無量寿経』のなかの「嘆仏偈」には、「正覚大音 響流十方(大いなる教えの声が、十方に響きわたる)」(真宗聖典11頁)というお言葉があります。教えと教えをいただくものが、呼応しあう、響き合うということです。

また、安田理深先生は、南無阿弥陀仏ということを「打てば響く」ということで表現されています。少し難しい言葉ですが、ご紹介いたします。

「南無阿弥陀仏南無という言葉は、目覚ました言葉であると共に、目覚まされた言葉である。つまり目覚ましめたものに対する応えという意義があると思う。だからこれは独覚ではない。呼びかけに対して応答するというものであり、打てば響くというものである。我々を打つ言葉であると共に、我々に響いた言葉である。南無阿弥陀仏は根源の言葉であると共に、呼応の言葉である」

寺に集う人々が響き合い、教えが聞法する人の上に響きわたる、まさしくいのちが響きあう場として寺が開かれていくことが強くいま願われているのだと思います。

今月は真宗本廟で報恩講が勤まる月でございます。これから、各お寺、そして御同行のお家でも報恩講が勤まっていくことと思います。講とは集いということでありますが、その集いが、いのちが響きあう集いとなるよう、聞法の姿勢を整え、私にとっては住職となった最初の御正忌をしっかりとお迎えしたいと思っております。

030優劣を超える

松下至道

私は以前、聞法会で子どもを亡くされた方の話をしたことがあります。自分は僧侶だが、どういう言葉をかければいいか分からない、と話した時、参加者の中に、「子どもを亡くすということは悲しみの極みだけど、その方の場合は何人かおられるお子さんのうちの1人でしょ。私たちに比べればましです。私たちは2人いた子を両方亡くしたのだから。そういう人もいると言ってあげてください」と言われた方がおられました。

私はその言葉に応えることができませんでした。その方は子どもさんの死の悲しみを乗り越えたいと願っているはずだと思います。それが、本人は慰めるつもりなのでしょうが、悲しみさえも比較の材料にして、悲しみにおいて優越感を得ようとしてしまっておられる。人は自分の悲しみさえも、他人と比較して優劣をつけて苦しんでいくものだということを感じました。何回か聞法会に足を運ばれている方ですが、「聞いていても何にもなっていない」とも言われていました。

優越感や劣等感の悩みを超えることが聞法をすることの大きな意味です。「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」。比べる必要がないことを教えてくださっている『阿弥陀経』の言葉です。人間の世界では優越感や劣等感を超えることはできない。だから、仏様が人間の世界を超えたお浄土を建立されたのです。

聞法会に参加されていた方は、「聞いても何にもなっていない」と言われながら、それでも聞法会に参加され続けられている。それは、仏法に自分たちの問題を超えていく道があることをどこかで感じておられるからだと思います。

私は、優越感や劣等感を超える道は浄土の教えを聞くことだけだと、ある聞法会に出たときに感じさせてもらいました。それ以来、人間の世界を超えたお話を聞くのですから簡単ではないですが、それでも優劣の苦しみを超えるには教えを聞き続けること、それだけだと思っています。

029秋の日に想う

尾畑潤子

長く厳しい残暑も、彼岸花の開花と共に秋の訪れとなりました。「曼珠沙華」ともいわれる彼岸花は、仏教を語源とするからなのか、それとも、開花がお彼岸と重なるからなのでしょうか。地域によっては「そうしきばな」などと呼ばれて、家屋敷を飾る花とはなっていません。しかし、そんな彼岸花に懐かしさが感じられるのは、移ろいゆく秋の風情のなかで、突然のように真っ赤に咲いて、散ってゆくあり様が、不確かないのちを生きる私たちの身に重なるからなのかもしれません。

新美南吉の童話に『ごんぎつね』があります。物語は、病気の母と暮らす兵十(ひょうじゅう)が、母親のために獲ったウナギを子ぎつねの「ごん」が、ふとしたいたずら心から、川に逃がしてしまうところから始まります。

ある日、ごんは、あたり一面に真っ赤に咲く彼岸花の中を行く野辺送りの列に出会い、死んだのは兵十の母親だと知りました。いたずらを後悔したごんは、せめてものつぐないにと、こっそり栗やまつたけを兵十の元に届けますが、ごんの思いは伝わらぬまま、兵十の放った銃によって、ごんはいのちを終えていきます。

きつねと人間という立場を異にした関わりの中で、分かり合うことのできなかった悲しみが胸に沁みます。しかし、これはなにも、ごんと兵十の関係に限ったことではないのでしょう。人と人との間を生きる私たちもまた、同じ家、同じ地域、同じ国にあっても、男であるとか、女であるとか、財産や地位があるとか、最近は国益にかなうなどと、それぞれの立場に固執して、ごんと兵十と同じように、言葉の通じない世界を生きているのではないでしょうか。

他者の声を聞いていても聞こえてこない。他者の存在をみていても見えていない。分かり合えないまま、日々を生きています。そういう立場を絶対化した私たちの現実生活が、仏の世界、つまり彼岸から問われているのでしょう。

秋の日に咲く彼岸花は、別名を「柔軟花」(注)ともいうそうです。私一人を世界とするような硬直したありように、「それでいいのか」と、絶えず私に呼びかけている仏さまの願い。その願いを知らせるように、今年もまた彼岸花が咲いています。

(注)「柔軟花」 出典は『大漢和辞典』五、大修館書店刊

028「ありがたい」の出どころ

本田武彦

「ありがたい」、「ありがとうございます」という言葉は、阿弥陀仏のご恩をいただく真宗門徒にとって、また人と人が共に暮らしていく上でとても大切なものであります。しかし、ややもすればそれが単なる口癖となり、かえって自分自身の生活の在り方を見つめる眼を曇らせることになるのではないかと思うことがあります。

月々のお参りなどに伺うと、私よりも年配の方がみえることが多いのですが、やはり体のあちこちに不調を抱えておられる方がほとんどです。また、それにともなって、生活の中の仕事が今までのようには進まなくなってくるのは、誰もが感じておられるところでしょう。そして、そうしてお話しされた方は「まあそれでも、何とかやっておるのやでありがたいと思わないかんわな」というようにおっしゃるのが常なのです。日常よく聞き、また私自身も使ってしまう、この「ありがたいと思わないかん」という言葉ですが、あらためて考えてみると、どうにもおさまりが悪いような気がしてならないのです。

「ありがたい」、「ありがとうございます」というのは、本来とても素直で美しい言葉だと思います。しかし、それが「ありがたいと思わないかん」ということになるならば、自分自身に向かっていうときには、何かをごまかしあきらめるような意味をもち、人に向かっていうときには、自分の思いを押しつけるような重圧を持った言葉になるのでしょう。いづれにしても「ありがたい」という言葉が生まれてくる本来の出どころからはずれたものになってしまうのは確かなようです。

私自身もよく口にするこの感謝を表す言葉について考えたみた時、それが自分のどんな思いから出たものなのか、また本当に頭が下がったところから出ているのかどうかを、改めて確かめていかねばと思わされたことです。

027聞く力

三枝明史

私たちお寺で生活する者は、門徒さんとの日々のお付き合いの際に、そして社会と関わる中で、さまざまなお話や悩みを聞かせていただきます。聞く側として、相手に寄り添って聞けているだろうか、自分の価値観や基準で聞いてしまっているのではないだろうか、あるいは、傾聴を通して自分もまた学び、自己を開いていけるような、そんな関係を相手と結ぶことができているだろうかなどと、忸怩(じくじ)たる思いを抱えています。

ところで、阿川佐和子さんの『聞く力』(文春新書)という本が30万部を超えるベストセラーになっています(その後、130万部を超えるミリオンセラーになりました)。「聞くこと」への関心の高さが窺われます。どうしたら上手に話が聞けるのか、過去20年以上にわたって、週刊誌の対談コーナーで900回以上も著名人の話を聞いてこられた阿川さんから聞き上手になるためのヒントを得たいという人があまたいらっしゃるのでしょう。そして、それは、もしかしたら、自分の話をとことん聞いてほしいのだ、という思いを持っておられる方がたくさんいらっしゃることの裏返しかもしれませんね。

もともと阿川さんはインタビューが得意で対談を始められたわけではありませんでした。仕方なしに引き受けただけで、まったく自信がなかったとか。中途半端で、モノを知らない無能な私がこんなことをしていていいのだろうかと、コンプレックスや空虚な思いを抱えながらのスタートだったそうです。

ある方との対談で素敵な言葉を聞き、その言葉に励まされ、はじめてこの仕事を続けていくことに前向きになれたそうです。

聞く側の者が話し手から勇気をもらうということでは、被災者を励まそうと被災地に入ったボランティアの方々が、一様に「被災者の方から励まされた」と語られていることが思われますね。

阿川さんは、聞くことを通して自分の生き方を肯定することができ、人生の役割を見出すことができたのだ、とも言われています。聞くということは相手のことを知ることであると同時に、自分自身のことを教えられる、知らしめられる、ということであるのかもしれませんね。さらには、話し手・他者との関係性を繋ぎ結ぶだけではなく、自分自身の閉鎖性を打ち破り、「他者と共に」という地平を切り開くものなのかもしれません。どうやら聞法・仏法を聞くということにも通じてきますね。

阿川さんは「聞く力」は「生きる力」、「生き抜く力」なのだとおっしゃっています。聞くという行為が持つ秘密の力に、皆さんも一緒に迫りませんか。

阿川佐和子『聞く力―心をひらく35のヒント―』(文春新書)

NHKホリデーインタビュー「“聞く力”は生きる力~作家 阿川佐和子~」(2012年9月17日放送)

026子どもたちに願うこと

大橋宏雄

私はこの夏、福島の子どもたちと出会い、9日間を一緒に過ごしました。それは子どもたちの笑顔でいっぱいの9日間でした。しかし、私たちの出会いの背景には震災と原発事故があります。子どもたちの笑顔が具体的な現実として、痛みとともにそのことを突きつけてきます。

子どもたちと過ごす間、折りに触れ思い起こされてきた言葉があります。それは藤元正樹先生の「できっこないことが人間の最も深い願いじゃないですか。できることなら願う必要はない。できんから願うんだ」

という言葉です。

仏様は私たちに何も要求しません。しかし、私たちに「願い」をかけておられるのだと教えられています。その「願い」とは一体どのようなものなのでしょうか。

私たちの日ごろの「願い」というものはそのほとんどが「欲望」です。自分に都合が良いことを願い、それを叶える為に努力をします。叶わなければ何かのせいにする。私たちはそういうあり方をしているのではないでしょうか。

そういうあり方をしている「私」が目の前のこどもたちに一体何を願うのか、ずっと考えていました。そして、そのことを子どもたちに話す機会が訪れました。

私は、「あなたたちの大事な大事な人生が、大事に大事にされていくことを願い、祈っています」と話しました。それは「私」の努力でどうにかできることではありません。そして、子どもたち自身の努力でもどうにもなりません。

しかし、私たちの出会いの縁を思うとき、また私がこれまで教えられてきたことを思うと、そうとしか言えませんでした。そして、それは私自身にも願われていることではないかと思いました。

今、子どもたちの顔を思い出しながら、私の心に浮かぶのは「笑顔でいてほしい」、「また会いたいなぁ」というようなことです。しかし、その奥には、一人一人の大事な人生が、大事にされていくことを願うということがあるのではないかと思います。

025「現在」を楽しむ

中川和子

先月、8月3日に、長女9歳の得度式に家族全員で京都の東本願寺に行ってきました。およそ150人受式者が全国から集まり、その殆どが15歳以下の子どもたちでした。

その子どもたちに向けて、受式後、宗務総長からお祝いのお言葉を頂きました。そのお話の中で、親鸞聖人が9歳で得度をされた時に詠まれたといわれている次のような歌を紹介されました。

明日ありと思ふ心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは

そして、親鸞聖人が生きられた時代はたいへんな飢饉に見舞われ、食べる物がなく、今のようにファミレスやコンビニもない、明日生きているかさえ分からない生活の中で、「今」この瞬間を如何に生きるかの大切さを表現された歌だとお話されました。

また、世間では「過去現在未来」と言うが、お経では「過去未来現在」と言い、「現在」を一番大切な瞬間と教えてもらっていることもお話頂きました。仏様の教えに出遇うのは「現在」しかないという親鸞聖人のお言葉を頂いたことです。

以前読んだ本で「極楽」のことを、死んでから往くところではなく、「現在」私たちが生きている瞬間が、「楽しみの極まり」と書いて「極楽」とよぶのだと言われていました。

先日、雑談中に、ある坊守さんが、4人の子育てに老僧夫婦やご住職の食事、お寺のことに追われたいへんだったが、「楽しかった」と当時の瞬間的な思いをお話され、「だって、4人の子どものいろいろな関係と、ご門徒さんやお寺の付き合い、その数分だけのつながりが出来て、本当に楽しかったし、今も楽しい。これは、こっちからどんなに求めても得られない出遇いだから」とおっしゃいました。

私はその言葉を聞いて、自分が自分の「現在」を「極楽」とは思えず、どこか先送りしたところにある「極楽」ばかり求めていることにはっとさせられました。自分からは求めても得られない、有り難いたくさんのご縁の中で「現在」を生きているのに、「現在」を「極楽」に出来ない「私」がおるなと思います。

娘の得度式をご縁に、私自身が、「現在」を楽しむことを仏様から願われているのだと教えて頂き、共に教えに出遇わせて頂けたことを本当に嬉しく思いました。

024念仏のはたらき

酒井誠

蓮如上人の『御文』(五帖目一三通)に、

それ、南無阿弥陀仏ともうす文字は、そのかずわずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきともおぼえざるに、この六字の名号のうちには無上甚深の功徳利益の広大なること、さらにそのきわまりなきものなり。(真宗聖典839頁)

とあります。

住職になり、ご門徒から時々「どうして本山にはお札とかお守りが売っていないのですか」という質問を受けます。

私たちが何気なく感じる宗教とは、災いを除いて福を得る、除災招福であり、そういう意味の現世祈祷です。お念仏を称えるということも、そこには先祖供養の願いが込められ、先祖供養を通して家内安全や商売繁盛などを祈るということが行われ、そういうことが私たちの宗教心であると思われています。

そのことに対して、仏教は真理として「一切皆苦(いっさいかいく)」、思い通りにならないということを説きます。その代表が生・老・病・死の四苦であります。生まれた以上、必ず死ななければならない矛盾を抱え、生きる間には必ず老い、病になり、死んでゆくということが避けられないのです。

しかも、その事実を、私たちは事実として受け止めてゆくことが容易ではありません。私は数ヶ月前に痛風発作が起こりまして、それ以来、薬は飲んでも時々痛み、痛む足を引きずってお参りに行くということが続いています。そうしますと、「どうして自分だけがこんな目に遭うんだ。理不尽な」という愚痴しか出て来ないのです。

つまり、生・老・病・死という四苦が人生の事実であると教わりながら受け入れられないのが私たちなのです。生・老・病・死の人生に意味や価値が見出せないのです。むしろ逆に、健康で長生きして、しかも裕福に、ということばかりを願っているのです。

最近の風潮を見ても、金と健康が、現代における本尊かと思うくらい、喧しく大事だ大事だと叫ばれています。その一方で、ますます老・病・死は無意味・無価値と思われています。

そういう時代にあって念仏はどのようなはたらきなのでしょうか。

親鸞聖人は『教行信証』の「行巻」に、

悲願はなお大地のごとし

と二ヵ所引文されています。

私たちが老・病・死の人生に一体何の意味があるのか、と倒れ伏す大地、その大地はまた私たちが立ち上がり歩む時に支えてくれる大地です。

念仏とは、悲願とは私たちの死んでゆく人生に、老・病・死の現実に倒れ伏している私たちに生きる情熱を呼び起こしてくる、そして、立ち上がる時を待ち続け、大事に生きてほしいと願い続けてくださるいのちの叫びではないでしょうか。