016 気づけてない私への喚(よ)びかけ

藤嶽大安

食事をするとき、「いただきます」と、言います。私たちは、動物や植物の尊い命を頂くことによって、命をつないでいます。こうしたことから、動物と植物の命を頂くということに、感謝するという気持ちで、「いただきます」と、称えることが大切なことであると教えられてきました。

さて、お釈迦様は、誕生された時、「天上天下 唯我独尊」と言われたと伝えられています。

これは、ただ私だけが尊いとか偉いという意味ではなく、「この世に、誰とも、代わることの出来ない唯一の存在として、しかも何一つ、付け加えることなく、この命のままに、尊い存在である。そういう尊い命を賜って生きている。」ということを表わしている言葉でしょう。

動物も植物も、このような尊い命を頂いています。また、私たちも同じように、尊い命を頂いて生きています。

しかし、このように同じ尊い命を賜っているにもかかわらず、目の前においしそうなごちそうが運ばれてくると、目先の事に気をとられて、「共に尊い命である」と、いうようなことは、すっかり忘れてしまっている私。

そんな私に「おおーい、大丈夫ですか。大切なこと、見失っていませんか」と、仏さまから、喚びかけられています。

でも、その喚びかけにも、気がつかないでいるので、食前に、「いただきます」という言葉を発することで、「動物や植物も、それを頂く私も、共に、かけがえのない尊い命を頂いているのであったな。忘れていたな」と、気づかせて頂くご縁を、仏さまから、つくって下さっているのではないでしょうか。

(三講組・敬善寺住職 二〇一五年八月下旬)