019 お育て

川口 信隆

我が身に出て来て下さるお念仏はまさに「お育て」であると気づかされる事がありました。

私が懸命にダイエットに励んでいる時のことです。ある七十代の父親を亡くされたご家庭の満中陰の御法事です。お経を勤め、法話も終えたところ「どうぞ会食していってください」とのことでした。親族の方々とお話しをしながら御膳を頂き、そろそろ失礼させて頂こうかと考えていたところに、その家の娘さんが、大きなお皿に山盛り一杯の「おはぎ」を持ってこられたのです。私はダイエット中でしたが、観念して小皿に一つ「おはぎ」を取らせて頂きました。よく見るとその「あん」には何か混ぜ物をされているようで、少し緑がかった「あん」でありました。頂いてみるとあまり甘くはなく美味しかったのですが、独特の風味が残っておりました。そこでわたしはその娘さんに聞いてみたのです。「このおはぎはあまり甘すぎずに、おいしゅうございました。しかしあんの中には何か混ぜ物をされておられるんでしょうか」と。

すると娘さんは答えられました。「はい、このおはぎのあんには、父が生前に育てておりましたそら豆をすりつぶして入れさせて頂きました。お口に合いませんでしたか」と心配されながら、さらに続けられました。「父が畑を耕し種をまき、こやしをやり水をやって、そら豆が実をつけました。父の作ったそら豆はこれが最後となりました。しかし父は私になくなることのない実をお育て下さいました。それはお念仏です。小さな時から朝な夕なと、私を抱きかかえ、ひざの上に乗せては一緒に手を合わせ「お念仏しようね。ナマンダブ、ナマンダブ」と私の心を耕し、お念仏の種を植え、お念仏のこやしを、水をやり、私の口にお念仏の実がこぼれでるようにお育て下さいました」と涙ながらにお話しされたことであります。

共々に「お育て」の身を喜びお念仏申させていただきましょう。

ナマンダブ、ナマンダブ。

(二〇一八年十月上旬 伊賀組・浄蓮寺衆徒)