010 宝の山のなかに居りながら

木村大乗

蓮如上人の仰せに、「宝の山にいりて、手をむなしくしてかえらんにことならんものか」(真宗聖典P八○五御文三)という言葉がございます。つまり、宝の山の中に本当は入って居るのに、それを知らずして、手を空しくして帰っていってしまうことを、例えをもって言われているのであります。

わたくしたちは人間として、この世界に身を受け、その生涯をかけて本当にいただかなければならない、唯一の「真実の宝」があることを教えてくださっているのであります。そして、その「真実の宝」をすでに身の事実として本来いただいているにもかかわらず、その事実にまったく気づかず、目を覚ますことを忘れて、一生を空過に(空しく)終ってしまうことを悲しんで、蓮如上人は「後生の一大事」という一言にかけて、『御文』に記されておられるのであります。

さて、この、「後生の一大事」とはなんでしょうか。

わたくしたちは、誰しも、「何故自分は生まれてきたのか、何のために生きているのだろうかと」と、意識の深い根底に問いかけをいただいているといえましょう。そして生れてきたこの身は、必ず死すべくして生きていることを、誰もが知っていながら、その自分が最終的に無くなってしまうような、不安と恐れを、心の底に隠して、見ないように、触れないように、考えないようにして、むしろ尊い根本問題から逃げてしまっているのではないでしょうか。

では、わたくしたちは、どこから生れて来て、この形を受けた一生が終わる時、一体どこへ帰るのでしょうか。またわたくしたちの人類はじまって以来の祖先は、どこへ帰って往かれたのでしょうか。

この「一大事」ひとつに命をかけて求められ、明らかに聞き開いてくださった先覚者の御苦労の御恩の歴史のなかに、南無阿弥陀仏の永遠不滅の大悲のいのちのなかに、わたくしたちも、今、新しく深く、呼び覚まされて、生きて往きたいと願わざるをえません。

(員弁組・蓮敬寺)【住職・木村 大乗】二○一五年五月下半期)

009 私は仏教徒ですから・・(自らへの確認として)

泉 智子

私が数年前から毎週一度通っている外国語の教室があります。三十歳代から七十歳代の男女数名の小さな教室です。いつもテキストに入る前、前回からの一週間にあった出来事、私的な事、世の中で起った事件や事故など、楽しかったこと、興味深かったこと、驚いたことなどをできるだけ、習っている言語で話してみるよう、先生がたずねます。テーブルを囲んで座った数名のグループで会話しますから、最初は緊張しながらも、和気あいあい、ほとんど日本語になってしまうところを、先生に訂正されながら、話すことになります。

今年は年初めから、内外で心に重たいものが投げ込まれたような出来事が何度もありました。ISによる日本人人質殺害や、川崎の中学生殺害事件などが起きた時は、どうしても感情が先走った話になってしまいます。「あの人質が私の息子なら、国に迷惑をかける前に自分で死んでくれと思う」とか、「加害者が少年でも、あんなひどい事件を起こしたのだから、死刑にして当然だ」とか、いつもは気のいい人から出る言葉に、ちょっと戸惑って、何と言ったらいいのか、それも日本語ではなくて・・・。

ああそうだった、と思いついて、「私は仏教徒ですから、そのようには考えません」と言ってみます。「殺してはならない、殺させてはならない」と釈尊は言われます。だから殺していい、殺させていいって考えない。死んでいい、死なせていいなんて思わない。仏教徒なら当たり前、その場の空気に遠慮することはなかったんです。でもなかなか言い出せない。簡単なようで難しい課題です。

それぞれ個人のいのちは、自分の所有するいのちと考えてしまいますが、実は同じいのちそのものの世界、お浄土からいただいたいのちです。いのちそのものの世界から、一人一人に、皆等しく、如来様の本願といって、大きく深い願いをかけれられているのだと教えられてきました。そして、いのち皆生きらるべし、と。

かつて、長年お話を聞いてきた先生からいただいた葉書の最後には、いつも「おいのち大切に」とありました。ただのいのちではない、「おいのち」。

その言葉も大切にしながら、日々の生活の中でも、社会にあっても、空気は読んでも流されず、私は仏教徒ですから、と自分自身に問いかけながら、そして確認しながら暮らせればいいな、と思います。

(中勢一組・円称寺【坊守・泉 智子】二○一五年五月上半期)

008 お与えさま

桑原 克

自坊西恩寺の法座でよく聞かせていただいている前川五郎松という、聞法者の言葉があります。

『生き甲斐』というテーマで、「私たちは、様々な物や、人を当てにして、生きている。しかしその頼りにしていることや、私の〈生き甲斐〉にしていることが、次々に当てが外れていく」と問いかけ、「最後には、頼みの綱の、この身体が壊れてしまう。ご用心、ご用心」と警告されています。

そして、「私の考えている、生き甲斐というものの、底がぬけねばあかんと思う。ここが一番むずかしい。底がぬければ、お与えさまの一言に尽きる」、という言葉で、教えを聞き学ぶということの意味を指摘されています。

お念仏の教えは、この「お与えさま」という世界を知らされる、ということでないかと思います。この「お与えさま」という世界を、よく勘違いして、どうしたら「お与えさま」と思えるか。「どうしたら」という方法を探して、自分の結論・自分の仏法聴聞の答えにする、といことがあります。「答え」、「結論」としての「お与えさま」は、自分を保身して、そこに座り込んでいく事ではないでしょうか。

実は「お与えさま」は、「結論」ではなく、「いのちの事実」そのものであり、そこから主体的に生きる「出発点」であると教えられました。私のいのちも、私の境遇も一切が、私の考えより、先に与えられています。それは「今・ここ」の「事実」の深さ、広さに気づかせていただくことだと思います。「当たり前でないいのち」への驚きをいただくことだと思います。

しかし普段の私は、自分の思いで、その事実に対して、「善い悪い」を決めつけて生きています。「悪い」と思ったことに出会うと生きる力がなくなります。

仏法聴聞において「わが思い」のまちがいを、「間に合わぬ」ことを、知らされながら、「お与えさま」を生きることが願われています。

具体的にはいま、私が出会っているこの現実と対話していくことだと思います。

(二〇一五四月下半期 桑名組 西恩寺 門徒)

 

007 聞法を行動に ~旗日には佛旗を掲げよう~

岩田信行

福井市の三門徒派本山で「聞法を行動に」という法語に出遇いました。以来、「聞法を行動に」の、その一言が私に聞法の「証」を問い続けてきます。

ところで、品(しな)川(がわ)正(まさ)治(じ)さんをご存知でしょうか。「経済同友会」の終身幹事で、一昨年亡くなられました。八九歳でした。

品川さんは財界人でありながら、憲法9条改変の政財界の動きに真っ向から異議を唱え続けた方です。

爆弾の破片が体に埋まったまま、とにかく生き延びて終戦を迎えます。引揚船の中で戦争放棄の平和憲法が制定されたことを新聞で知ります。乗合せた戦友たちと咽び泣いたそうです。平和・人権、そして何よりも憲法9条の大切さを熱く語られる方でした。

国際開発センター会長でもあった品川さんは、世界の紛争国・貧困地域を歩き、世界中に民族や宗教の違いなどで紛争の種が尽きないことを目の当たりにして、紛争を戦争にさせない究極の手立てとして「憲法9条」の大切さをいよいよ実感します。そして、政財界の憲法改変の動きに抗して「たとえどんなにボロボロになっても憲法9条の旗を手放してはいけない」と訴えていかれました。

 

品川さんが語った「憲法9条の旗」。それは言葉の文(あや)、譬喩的・象徴的に語られたのだと私は単純に受けとめていました。

二年前、本山の報恩講の折、御影堂門前で「真宗大谷派9条の会」の方々とその日のビラ配りの終りがけ、京都のご門徒、南(みなみ)斎(とき)子(こ)さんが「佛旗の五色の色にはこんな意味があるって知っておみえでしたか?」と言って、手書きのメモをビラ配りの面々に配って「ごきげんよう」と去っていかれました。

品のいいおばあさまの南さんのその去り際にあっけにとられましたが、手渡された五色の色鮮やかな佛旗の絵にハッとしました。「あっ、これが『憲法9条の旗』だ」。仏教徒の旗印の「佛旗」こそ、品川さんが象徴的に言われた「憲法9条の旗」だと直感しました。

すべてのものは暴力に脅えている。すべてのものは死を恐れる。我が身に引き当てて、殺してはいけない。殺させてはならない。(129)」

すべてのものは暴力に脅えている。すべてのものにとって、いのちは愛しい。我が身に引き当てて、殺してはならない。殺させてはならない(130)」。

釈尊の『ダンマ・パダ(真理の言葉)』です。お釈迦さまの教えを依り所として生きる仏教徒の旗印である「佛旗」こそ「憲法9条の旗」そのものです。

自坊の同朋の会・「しんらん塾」の面々と、「聞法を行動に」の命題に応答して、今、「旗日には佛旗を掲げよう」を合言葉に憲法と仏法を学び合っています。

想像してみてください。国民の祝日にはどの家(うち)にも佛旗がはためいている光景を。あなたの家にも、かつて日の丸を掲げた金具が残っていませんか。今、仏教徒の証、真宗門徒の証が問われています。今、できることをする。誰でもできることのひとつ。仏壇屋さんで「佛旗をください」と相談してみてください。「この国のあり様に危惧する心ある仏教徒よ、旗日には佛旗を掲げよう。そして、声を上げましょう」。

「社会」は「外なる自己」、「自己」は「内なる社会」です。社会に起こる様々な人為の問題は信心の課題です。そして「聞法を行動に」の一言は、私に常に聞いたことの証を問いかけてきます。

(二〇一五年四月上半期 南勢二組 道專寺住職)

006 右から? 左から?

右から? 左から?

岡本寛之

まことに私事ですが、小学二年生になる長男が入学と同時に剣道を始めました。

始めた理由は本人いわく「保育園のお友達が習っていたから」とのことですが、私が思うに幼少時に映画村で目にしたお侍さんの殺陣がきっかけだったと思われます。

もう二年ほど続けておりますが、最近になって、ようやくチャンバラの域を脱してきました。また、剣道をはじめ武道は、「礼にはじまり礼におわる」といわれており「少しでも礼儀作法を身に付けてくれれば…」という親の身勝手な願いはどこへやら、そちらの方はなかなか成果が表れてくれないのが現状です。

私自身も中学高校と剣道部に所属しておりましたので、今では時々親子揃ってお世話になっております。

毎回、稽古の始まりと終わりには礼式が行われます。

先生と子供たちが向き合って座り、姿勢を正して目を閉じて黙想、続いてお互いに礼をし、道場の正面にある神棚に一礼。稽古終わりの際には、そのあと先生が稽古の総評など色々なお話をして下さいます。

先日は剣道の所作についてのお話しでした。要約しますと

「着座の際には先に左膝を着き、あとから右膝を下ろす。座礼の際も先に左手を着き、あとから右手を着く。歩を進める際は右足から歩み出す」など、剣道における所作は右側が主となる様です。

剣道の起源は江戸時代の後期、剣術の鍛錬が始まりで、着座や座礼で右側を残すのは何時でも刀に手が伸ばせる様に、言い換えれば何時如何なる時も油断をしないという武士の心構えの名残なのだそうです。

因みに正面への座礼の際は、神を斬りつけることは有り得ないので両手を同時に出すそうです。

経験者なのに知らないお話で、大変興味深くお聞きしておりましたが、家に帰り子供と一緒に復習しながら少々戸惑いを感じたのを記憶しております。既にお気付きの方も居られるかと思いますが、私たちが普段しております所作とは全くの正反対だったからです。

私たち大谷派の儀式作法の中に「左(さ)進(しん)右(う)退(たい)」という言葉があります。

内陣や外陣での出仕や退出の時、前進時は左足から歩み出し、後退時は右足から退きます。着座の際は先に右膝を着きあとから左膝を下ろし、基座の際は先に右膝を立てて立ち上がります。

足裁きだけではなく、御経や御文などを手に取る際も先ず左手で取りそのあとに右手を添え、納めたあとには右手から離しそのあとに左手を戻す。など読んで字の如く左から進み右から退くという意味です。

左進右退の起源は諸説あり、同じ仏教でも各宗派によって作法は違ってきます。宗教上の作法においては大半の宗派が右と左でどちら側が上の位にあるかということに起因しているようです。

武道と宗教、また各宗派によって諸作法の違いはありますが、何よりも大切なのは古来より脈々と受け継がれてきている伝統を守り続け、次の世代に受け継いでいくことなのではないでしょうか。

今から何年か後、長男が大谷派の儀式作法を学んだ時、私と同じ様に混乱する姿が目に浮かびます。

(二〇一五年三月下旬 長島組・源盛寺住職)

005 自慢

松下至道

先日、少々体調を崩しまして、近所の病院に行ってきました。病院内は親子連れもいたんですが、ほとんどが高齢者の方々でした。私の座った席の横には三人のお年寄りがおられて、いろいろお話をされています。その会話が耳に入ってきました。昨日はここの病院に行ってきた、ここの具合が悪いといった、病気や怪我の話をされています。みなそれぞれを気遣って話をしておられました。長年使ってきた体ですから、具合が悪い場所もでてくるだろうな、年を取るとはこういうことなんだなと思って聞いておりました。

「あなたはまだいいですよ、わたしなんか」ということを一人が言い始められました。今度は自分がどれほど重い怪我、大きい病気をしたか、どれだけ辛くしんどいかの話になってきました。まさに不幸自慢になっていったのです。一人の方が診察室に呼ばれてその会話が終わりましたが、いろいろ考えさせられました。

「自分よりましだから落ち込まないで」そう励ましたくて言った言葉でしょうが、裏をかえせば自分より不幸な人間はいないと、不幸であることをもって人より上に立とうとしているのです。まさに「慢」です。どんなことででも人と比べて勝ろうとしているのです。たとえ相手が「そうですね」と同意して、慰められたとしてもそれによって苦しみや悲しみから解き放たれることはありません。もちろん言った当人も。

人、世間の愛欲の中にありて、独り生じ独り死し独り去り独り来たりて、行に当り苦楽の地に趣く。身、自らこれを当くるに、有も代わる者なし。

(『真宗聖典』六〇頁)

という言葉が『仏説無量寿経』の中にあります。

人は皆それぞれの人生を、それぞれの身をもって生きていくしかありません。代わってもらうことなどできないのです。どの人もみんな同じなのです。本当は比べる必要がないのに自他を比べて、傷付け、傷付いていく。そこから解き放たれることを願いながら。

真宗の教え、お念仏の働きは、そういう私たちの愚かさを照らして、寄り添ってくれる働きであり、その働きを受け取った時、自分が本当に愚かで罪深い存在であったと頭が下がり、自分も他者も尊い存在であることが明らかになる。そこに初めて苦しみや悲しみから解き放たれる道が開けてくるのだと、わたしはそう聴聞させてもらっております。

(伊賀組・圓明寺住職 二〇一五年三月上半期)

004 私の思いを超えた尊いお念仏

山田有維

お寺で生まれ、お寺で育ち、両親、祖父母、ご門徒さんが阿弥陀さまに手を合わせ、「なまんだぶつ、なまんだぶつ」とお念仏を称える姿を見て、それを真似てお念仏をいただくようになりました。

この娑婆の世界で生きていくことは、自分の思い通りにいかないことばかりです。自分の思うように事が進まず、執着という壁にぶちあたって身動きがとれなくなることが多々あります。

そんな時、必死にお念仏を称えて、自分の都合の良いようになることを願っている自分にはっとします。お念仏は仏恩報謝ではなかったのか。こんなお念仏でいいのだろうか。このお念仏は本当のお念仏ではないのかもしれないと、あれこれ考えて分からなくなってしまいます。

称える側にどういう意図があろうとなかろうと、名号に託された願いというものの意味が変わるのか

(「信とは何か-浄土真宗における信の意味」公開講座「信巻」講義録 講述 藤場俊基)

とあります。

この文章を読んで、うなずくことができました。称える私がどうであろうと、「なまんだぶつ」の願いや意味は絶対に変わることはありません。私が悩むことではないのです。私の思いをはるかに超えた尊いお念仏であります。

「自力の念仏、そのまま他力とわかる時がくる」(『法語カレンダー』木村無相)これは、二〇〇四年九月の法語カレンダーの言葉です。

自分の都合の良いことばかりを追い求め、お念仏までもその手段に利用してしまっている私にも「他力とわかる時がくる」のです。それは阿弥陀さまが絶えることなく私にはたらき、呼びかけてくださるからなのです。そのはたらき、呼びかけに気づいて頭が下がっても、次の瞬間には忘れて、またお念仏を手段にしている私なのです。その繰り返しの中で、阿弥陀さまは倦むことなくはたらき、呼びかけ続けてくださり、私は真実に出遇っていけるのです。

(二〇一五年二月下半期 三重組・西覚寺住職)

003 報恩講に導かれて

伊藤一郎

今年も昨年に続き、桑名別院報恩講法要のお手伝いをさせていただくご縁を仏さまからいただきました。

十二月二十日より二十三日まで四日間厳修され、二十三日は御満座法要、例年の如く境内の駐車場係のお仕事をいただきました。二十三日は、寺町商店街の三八市が催され、年末を控えて大入りとなり、多数のご門徒さま又近在の方々の車両で境内が満杯となった上、年末のお墓参りのご門徒さまも加わって、境内はさらに混雑いたしました。

そのような状況の中でしたが、池田勇諦先生にいただくご法話が屋外スピーカーを通して、屋外の私たちにも聞かせていただけるよう配慮されておりました。そういった場で、「気がつけば、民がゆるさぬ国となり」池田勇諦先生の迫力一杯の堂内のご法話が屋外の私たちの側にも伝わって参りました。

私たち「真宗門徒を憂い、日本国を憂い、そして、全人類を憂いて救済してやまない仏さまの願い」が外気の寒さにも負けない先生の言葉となって伝わって参りました。

ご法話の詳細は屋外の為、分かりませんでしたが、私にはそんな受け止めができたような気がいたしました。「私も遅ればせながらいただいた自らのご縁を人生の糧として、精一杯生きていく覚悟でございます。

節(ふし)に芽の出る如く人も又節あるごとに幸せぞ増しける‼

(読み人不詳)

節一杯の私がここにいます。一層のご指導をいただければ幸いです。

(二〇一五年二月上半期 南勢二組・道專寺門徒)

002 心を映す鏡

山口晃生

皆さんは鏡をよくご覧になりますか。 鏡には「姿を映す鏡」と、もう一つ「心を映す鏡」があるようです。

私事で恐縮ですが、四代前の先祖に「大高(おおだか)兵蔵(ひょうぞう)」という人物がおりました。幼少の頃から武芸を好み、十八歳の時、江戸に出て「心形刀流(しんぎょうとうりゅう)」を、更に「直心影流(じきしんかげりゅう)」を極め、免許皆伝となり、三十歳の時、故郷(こきょう)に帰り道場を開きました。集まる門人、三百有余人を数えたと伝え聞いております。

その「直心影流兵法免許」表紙の裏に「丸に明鏡(めいきょう)」と書いてあります。又、古い『真宗聖典』表紙の裏には本物の「鏡」が貼り付けられ、しかも対面するように次のページに「心」と書かれています。この二つの鏡、共通点があるようなのですが、一体どんな意味があるのでしょうか。

「二河白道(にがびゃくどう)の喩え」で有名な 善導大師は、「経教(きょうぎょう)はこれを喩とうるに鏡の如し、しばしば読み しばしば尋ぬれば、 智(ち)慧(え)開(かい)発(ほつ)す」即ち お経に説かれている仏さまの教えは、喩えるなら鏡のようなものだと言うのです。

鏡はその前に立つものを偽りなく映すように、お経も何度も読み返しそのお心を尋ねるならば、偽りない心と身の事実をつぶさに映し出す。それがお経のはたらきであり、仏さまの智慧、と教えてくださいました。

お経はお釈迦さまの教えであります。それが七高僧により時を越え、国を越え、はるばる日本へと伝えられました。そして親鸞聖人は多くの経典の中から、

それ、真実の教を顕(あらわ)さば、即ち『大無量寿経』これなり。

(『真宗聖典』一五二頁)

と、『無量寿経』こそ、真(まこと)の教えであると受け取られました。

私たち真宗門徒は、親鸞聖人の教えを聞く事がいちばん大事な仕事であります。何度も何度も聞き続けることにより、鏡に映る自分の姿が見えるように、我が身が照らされ、我が心が顕かになる。それが明鏡であり鏡の意味ではないでしょうか。

釈尊の教え、親鸞聖人の教えこそ私の心を映し出す鏡であったのだと善導大師により気づかせていただきました。

(二〇一五年一月下半期 三重組・蓮行寺門徒)

001 自力作善

田代賢治

新年明けましておめでとうございます。

年末の桑名別院本統寺の報恩講には、たくさんの方々のお力添えをいただき、心より感謝申し上げます。

本年も三重教区と桑名別院本統寺をどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、このたびは「自力作善」のことについてお話ししたいと思います。

「私は真宗の門徒である」「だから、お念仏に生きる者は親鸞聖人の教えによって生かされているんだ」と言えば、それは当然のことで、当たり前ではないか。でなければ、私は今、このテレホン法話も聞いてはいない、と言われる方もおられることでしょう。

しかし、それは、あくまで前提でしかないということであります。この前提というものは、問い直されないというところに問題があります。一度立てたら問い直さずに済ませてしまうのが前提というものであります。

私の兄から聞いた話ですが、第十九願で言われる「自力作善」のことを、平野修先生が「話せば分かる、分かれば変わる」という表現で教えてくださったということであります。

そうですね、私たちは他人(ひと)に対して、「話せば分かる。聞けば分かる。分かれば変わる」という前提をもって、接していますが、果たして皆さんはどうでしょうか。この前提が曲者(くせもの)で「自力作善」のことだと言われるのであります。

ややもすれば私たちは、教えから遠く離れ、周りの環境と私自身とを分けて、自分の思いや分別で生きています。いつのまにか、日常は自我意識でもって生きています。思い通りに事が運べば、意気軒昂(いきけんこう)とし、思い通りに運ばなければ、意気消沈(いきしょうちん)する、浮きつ沈みつの毎日であります。

この身の事実を、改めて問い直し、私たちの前提を問い直すことによってお念仏を中心とした生活に変わる道こそを見出したいものであります。

(二〇一五年一月上半期 三重教務所長)