017門徒と共に

檉とし子

「ひとつ夢を叶えてあげよう」と言われたら、「門徒さんと仲良くなりたい」。そう思う時がありました。

門徒さんとどう接していいか、空回りばかり。こんなことも、あんなこともしている。それなのに聞こえてくるのは、評判の悪いことばかり。どうしていいかわからない時がずっとありました。

悶々とした時が長く続きました。

継続は力なりというけれど、そうなのか? 救われるということは、現実を引き受けることではないか、と友人からは言われました。

私の気持ちは愚痴ばかりでした。こんなにも頑張っているのに、相手はわかってくれない。認めてほしい。そんな気持ちでいっぱいでした。空回りしている自分の姿が見えなかったのです。

そんな時、住職の兄に助けを求める手紙を書きました。本心は「そうか、そうか」と言われることを期待していた私に送られてきた手紙の最後には、「お念仏ですよ」という文字が書かれていました。

その後、兄には何度も会っているのですが、言葉の意味を尋ねる勇気もないままに長い時が過ぎています。

私のそんな思いを和らげてくれたのは、今から6年前に坊守会役員として別院の行事に関わった際、ご一緒させていただいた方たちでした。みな、何かしら軟らかく、その姿を見ていたら、私はほんの少し力が湧いてきたのでした。

それからは、犬を散歩させている門徒さんに車の窓を開けて声をかけたり、畑で草取りをしている門徒さんに自転車を停めて声をかけたりすることができるようになりました。昨年、御遠忌団参を目の前にして骨折のためにお参りがかなわなかった方から、11月の動座式に、「奥さんが連れて行ってくださるのならお参りしたい」と言われた時には、本当に嬉しかったです。

まだまだいろんな出来事が湧いてきますが、阿弥陀さんが背中を押してくださっているような気がします。

もうすぐ夏休み。第22回夏休みお勤めの会。今年は何人の子どもたちが本堂に上がってくれるのか、とても楽しみです。

016身体の不調

藤井信

昨年の1月に長女が誕生しました。2人目の子どもとあって、喜びもひとしおでしたが、当然ながら忙しい毎日が待っていました。そんなとき、身体の不調が突然訪れました。

身体がとても重く、痛みや痺れなどの様々な病状が起こり、日に日に悪化してくるのです。産まれたばかりの娘を抱くことさえ、辛く感じるほどでした。普段は医者嫌いの私も、たまらず整形外科を受診すると、診断の結果は頚椎と腰椎の椎間板ヘルニアというものでした。

私は元々、丈夫な身体ではありませんが、今まで大した病気もせずに過ごしてきました。しかし、この病気により身体が痺れ、力が入らなくなりました。当時は、自分の置かれた状況を素直に受け入れることができませんでした。そして、この不調がきっかけで、いろんな悪循環を呼びました。マイナス思考の連鎖です。子どももまだ二人とも幼い、母親も介護が必要になってきた等々。

いつもは何でもないことがとても気になり、人の発する何気ない言葉も棘(とげ)に感じられました。何か心理的に追い詰められる思いのなかで、とにかく早く元の身体に戻りたいと願っていました。

私は、病気になる前から詩人の坂村真民さんの作品を愛読しておりました。坂村さんは、死ぬほどの大病を患ったことで、失明同然になった方です。

その方の詩に、

「病がまた一つの世界を開いてくれた 桃咲く」

というものがあります。私はこれまで、この詩を何度も読んでいましたが、自身の病を通して、この言葉が全く違う姿を見せてくれたように感じました。私は、今まで健康な元の姿に戻ることだけが救いだと思っていましたが、この詩に出会い、健康な元の姿に戻ることだけが救いではなく、病や苦しみが新しい世界を切り開くきっかけとなるということを改めて教えられました。

しかし、少し体調がよくなった今、その時の思いを忘れがちになっています。都合のいい自分の心を教えられました。