037あとがき

テレホン法話集『心をひらく』第34集をお届けします。昨年(2012年)一年間の36人のご法話を収めました。

桑名別院宗祖七百五十回御遠忌法要(2014年3月)の勤修に向け始動した昨年は、まさに「震災後の御遠忌」という本山が背負ってきた葛藤や課題を、今度は教区としてどのように引き受けていくかが問われた一年ではなかったでしょうか。その課題の難しさ、大きさを前に、私たちは苛立ち、迷いながら、話し合い、確かめ合おうとしてきたのでした。

「震災後の御遠忌に遇う」ことの意味は、私においては未だ不確かなままです。それでも教えを聞いていくこと、だからこそ教えを通して問うていくこと、そのことを手放さないこと、それしかないことを皆様のご法話から教えられています。

036年末に思う

折戸芳章

今年もあとわずかになり、「本当に一年はアッと言う間に済んでしまうものだなぁ」と実感する時節です。

心を新たに「今年こそは」と迎えた新年だったのに、この時節になると、「こんな筈では」と反省の毎年です。

名古屋の東山動物園から10月15日に脱走し、21日に捕獲され、園に連れ戻された、ニホンザル「ムコドノ」のニュースが、11月初めに特集で放映されていました。逃走中、園の飼育員や獣医師らの捕獲班や警察官が追跡に加わり、逃走から7日目にやっと捕獲されたのでした。

このニュース放映の最後に、「1匹のサルに人間が振り回されたのか、サルが人間に振り回されたのか、果たしてどちらだったのでしょう」というナレーションが流れていました。それを聞いていて、やはり人間社会の身勝手なルールに、サルの方が人間に振り回されたのではないのかと思いました。そして、サルにとっては、それは逃走中の7日間だけのことでは決してなかったでしょう。

私たちは、人としてこの世に生を受けて今日に至るまで、毎年、年末年始を迎える度に、「こんな筈ではなかった」、「今年こそは」と願うものです。それは、毎日の生活の中で私自身の回りに起こる出来事が、私を振り回し、苦しめているのだと決めつけてしまっているからです。

1匹のサルの逃走が人間を振り回し、苦しめたのでは決してありません。人間社会が作り出した身勝手なルールにそぐわないサルを追いかけ捕獲することによって、振り回され、苦しんだのは人間だと、私たちが勝手に決めつけているだけなのです。振り回され、苦しんだのはサルの方ではなかったでしょうか。

私の身の回りに起こる出来事が私を振り回し、苦しめているのだという私自身が作り出した身勝手なルールに、私自身が勝手に苦しんでいるのだぞ、と顕かにし、教え導いてくださっているのが親鸞聖人です。

1匹のサルの逃走劇でしたが、人間社会の中で、今なお起こり、問題になっているさまざまな出来事に、現に振り回され、苦しんでいる私たちに対して、「それでいいのか」と、親鸞聖人になり変ったサルから、人間社会に一石を投じられた気がしてならない今年の年末です。

035恩に遇う

伊藤誓英

先日、私が住職をさせていただいている寺にて報恩講が勤まりました。

今年は8月に東本願寺にて得度式を受けた10歳の長男が、初めて出仕をしました。衣を着用し、法要が始まる前に最終確認をするために、長男と共に堂内に入りましたら、お集まりいただいていた参詣の方々から歓声があがりました。「りっぱになって」、「かわいらしい」、「おめでとう」。初披露となりましたので、写真のお願いもたくさんありました。

こうしてみなさまに温かく迎えてくださったことに深く感謝するとともに、自分自身も30年前、このように迎えてくださったことを思い出しました。長い年月が経っていますのではっきりとは覚えていませんが、今の長男の状況と照らし合わせ、たくさんの見守りとお支えを想い、改めていただいていた恩に、これまで気付けなかった恩に出遇わせていただきました。

報恩講は恩に出遇わせていただける集いでもあります。それは、親鸞聖人のお言葉を通して、そこに集う人々を通して、750年も大切にされてきた歴史を通して。自分がいただきつつも気づかずにいる大切なお支えを色々な姿を通してお伝えくださいます。恩を知るということは「自分が自分になった背景を知る」ことであると先人は教えてくださいました。

もうすぐ新しい年を迎えます。報恩講にて恩に遇い、その恩に支えられて新年を迎えるという歩みが今後もなされますよう念じます。来年、どうぞ報恩講にお参りくださいませ。

034腰痛から仏法!?

中川達昭

今年の夏に腰を痛めてから、ずっと整体に通っています。

整体の先生がおっしゃるには「いまきちんと治癒させておかないと、また腰痛が再発します」とのことでした。これまで腰を痛めても、自分では治ったと思っていたけれど、本当に悪いところはまったく治っていなかったようです。言い方を変えれば、「治ったつもり」になっていたということです。

翻って、私たちの日頃の聞法はというとどうでしょうか。どうも私たちは「聞いたつもり」、「解ったつもり」になっているようです。

ある門徒さんがしてくれた、自身の子どもの頃の話を思い出しました。その方のおばあちゃんは足しげくお寺に通い、子ども時分の門徒さんにも、「ひとりでは念仏は出てこん。聞いて、聞いて、聞きぬかんと念仏は出てこん」と常日頃おっしゃっていたそうです。何かと理由をつけては聞法から遠ざかっている私には非常に耳の痛い話でした。

『仏説無量寿経』に「如来の智慧海(ちえかい)は、深広(じんこう)にして涯底(がいてい)なし」(真宗聖典50頁)とあります。如来の智慧のありさまを海にたとえて、その海は「広くて深く、まるで岸も底もないようなものだ」というのです。それは逆の言い方をすれば、私たちの真っ黒い腹の中が「深くて広く、まるで岸も底もないようなもの」だから、如来の智慧もそうでなければならないのだと、この経文をいただきたいと思います。

この門徒さんのおばあちゃんも、聞きぬいた果てに、「深広にして涯底なし」であることに気づかされ、「聞いたつもり」、「解ったつもり」の自分であったと気づかされたのではないでしょうか。ですから、このおばあちゃんは、「一度や二度聞いたくらいで仏法は解らんぞ。わしたちは、それくらいで簡単にひっくりかえるような殊勝な根性はしとらんぞ」と、孫であるご門徒さんに伝えたかったのではないか、そのように思えてなりません。

念仏しても私の腰痛は治りませんが、腰痛が仏法の縁となりました。なかなか治らない腰痛も、こういうことがあると少しはありがたく頂けるかなと思いましたが、そんな思いは瞬時に消えていきました。まだまだ私はひっくりかえっていないようです。

033親鸞聖人のご往生

藤井慈等

覚如上人の『御伝鈔』には親鸞聖人が亡くなられた時のご様子が、

聖人(しょうにん)弘長(こうちょう)二歳 壬戌(みずのえいぬ) 仲冬下旬(ちゅうとうげじゅん)の候(こう)より、いささか不例(ふれい)の気まします。自爾以来(それよりこのかた)、口に世事(せじ)をまじえず、ただ仏恩(ぶつとん)のふかきことをのぶ。声に余言(よごん)をあらわさず、もっぱら称名(しょうみょう)たゆることなし。しこうして、同(おなじき)第八日午時(うまのとき)、頭北面西右脇(ずほくめんさいうきょう)に臥(ふ)し給(たま)いて、ついに念仏の息(いき)たえましましおわりぬ。(真宗聖典736頁)

と記されています。

ところで、この『御伝鈔』とは違って、親鸞聖人のお姿を伝えるものに、『恵信尼消息』があります。親鸞聖人が亡くなられる時に側におられた末の娘・覚信尼さまが、母である恵信尼さまにお手紙をなされます。そのお手紙を受け取られた母・恵信尼さまは、「昨年の十二月一日の御文、同二十日あまりに、たしかに見候いぬ」とお返事なされて、「何よりも、殿の御往生、中々、はじめて申すにおよばす候」と、「今更いうまでもないことです」とお答えになっています。

ここには、親鸞聖人が亡くなられるご様子について、覚信尼さまには何らかの不審があって、お尋ねがあったことが窺われます。ところが、それに続く恵信尼さまのお答えは、意表をつくように、親鸞聖人29歳の、いわゆる聖徳太子建立と伝えられる六角堂に百日参籠される出来事、つまり「後世をいのる」ことであったことが記されています。

そして、さらにまた百日の間、「降るにも照るにも、いかなる大事にも、参りて」と、法然上人の教えを聞かずにおれなかった、聖人の青春の姿が書き記されています。

この恵信尼さまのお手紙の主題は、文中にありますように、「後世(ごせ)の助からんずる縁にあう」ことに他なりません。それに対して、法然さまは、「生死出ずべきみちをば、ただ一筋に仰せられ」たとあります。そして、人がどのようにいわれようとも、親鸞さまはその仰せを確かに受け止められたことが、娘・覚信尼さまに伝えられています(真宗聖典616~617頁)。

「後世をいのる」、「後世のたすかる」とは、「生死を出る」、「生死を超える」という問題であります。私たちの日常生活における「生死」、つまり生き死にの問題は、常に死から脅かされ続ける生という形を取りますが、恵信尼さまが伝える親鸞聖人の課題は、聖人ご夫妻の間でたびたび話し合われたに違いありません。

それだけに、この恵信尼さまのお手紙は、覚如上人が『御伝鈔』をもって伝えてくださる、「念仏の息たえましましおわりぬ」という感銘深い表現とも違った味わいがあります。

しかも、このお手紙の表には直接出てはいませんが、娘・覚信尼さまの親鸞聖人御往生についての問い、いわば我が子の迷いを確かに受け止めておられる母親の姿を見ることが出来ます。

なお、親鸞聖人の88歳の最晩年のお手紙が『末燈鈔』に収められていますが、それは、

なによりも、老少男女おおくのひとびとのしにあいて候うらんことこそ、あわれにそうらえ。ただし、生死無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう。       (真宗聖典603頁)

という言葉から始まっています。

この「生死無常のことはり(道理)」という言葉は、何か冷たい言い方のようにも聞こえますが、「おおくのひとびとのしにあいて候うらんことこそ、あわれにそうらえ」という言葉に注意を致しますと、むしろ、人々の苦しみ、迷いに身を添わせる親鸞さまの、人生を生きる一貫した姿勢を垣間見ることが出来ます。

その意味で、『歎異抄』の「親鸞もこの不審ありつるに」(真宗聖典629頁)と唯円さまにお答えになったお言葉に、改めて耳を傾けねばならない、そのような時を迎えているのではないかと思います。

032元気はいただくもの ―報恩講の季節に思う―

泉有和

勤務する学校の学生で、東日本大震災のボランティアに、何回も行っている人たちがいます。この前、その学生の一人と話す機会がありました。彼女曰く、「何度行っても、何もできなかったという気持ちばかりです。だから帰ってきても、すぐに、もう一度行きたいと思ってしまう」と。そして「震災で苦しい生活を余儀なくされた人たちが、でもそこで賢明に生きようとされている姿に接すると、元気をもらえます」と言っていました。その言葉に感銘を受けながら、「元気とは何か」と考えておりました。

ある方に聞いた話ですが、知り合いに、とても活発な奥さんがおられるそうです。陽気な方で、その人といるとみなが楽しくなります。ボランティア活動にも熱心で、最近ですと震災の援助物資を呼びかけて集めたり、地域で高齢者を支える活動でもリーダー的存在だったりするそうです。それでこの前「なぜそんなにお元気なんですか」と聞かれたら、少し考えられた後「お蔭様をいただいているからでしょうか」と言われたとのことでした。

先ほどの学生の言葉もそうですが、我々は「内側のエネルギーや、元気の源は自分のこころの中にある」と思っていることが多いのですが、考えると、どうもそうではなく、外から来るもの、いただくもののようです。

浄土真宗では「本願他力」といって、願いの力は自分の中にあるのでなく、他から(外から)くる、というのですが、それを「そんな他力本願なんか駄目だ」といってさげすむ人がいます。他力ということを、何か自分では努力しないで、ものごとを他の人にまかせてしまう、なまけもので無責任なことのように思われているようですが、大きな誤解です。そうではなくって、本願他力とは、お念仏を通して、お蔭様をいただくからこそ、我がいのちが躍動するのだ、ということだと思うのです。

私たちは、ついつい自分の世界だけを生きてしまいがちですが、それでは生きる力はやせ細ってしまいます。殻の中に閉じこもって、元気をなくしている私に、南無阿弥陀仏という名号を通して、本願(願い)のエネルギーを与え、それぞれの根源的要求を掘り起こして、自分を支え生かしているお蔭様を知る眼を開かせようとする。そういういのちのはたらきを、仏さまというのです。

そのはたらきに出会うと、自分がこうして生かされてあることの意味の深さが「ああ、そうだったなあ」と、しみじみと感ぜられ、そのよろこびの中から「ご用をはたさせてもらおう」「目の前のことに積極的に関わろう」という元気も出てくるのでしょう。

あちこちで報恩講の勤まるこの季節ですが、あらためて、仏様の与えてくださる「本物の元気」を受け取れる身になりたいものだと、強く思うことです。

031響き合ういのち

訓覇浩

今日は「響き合ういのち」ということで少しお話させていただきたいと思います。

いきなり、自分の話からで申し訳ありませんが、先月の末、住職修習を受講し、住職に任命されました。全国から集まった住職になろうとする人たち、そして、総代さん方と、3日間、真宗本廟での時を同じくし、これからのお寺をどのように盛り立てて行くのか、熱のこもった話し合いの場に身をおかせていただきました。

そこから改めて、強く感じましたことが、「響き合う」ということです。響き合うということは、ひとりでは成り立ちません。共鳴する音叉のように、互いと互いの存在があってはじめて響くということは起こります。「響存」という言葉があります。ふつう「きょうぞん」というと、共に存在するという「共存」ですが、この場合は「響き合い存在する」という「響存」です。単に一緒に存在しているということではなく、お互いがお互いを響かせ合いながら存在している。人と人とのあり方の表現として、非常に積極的な言葉といえるのではないでしょうか。

さらに、この響くという言葉は、教えが私たちの上に働くときのすがたとして、しばしば用いられてきました。なじみの深いかたも多いと思いますが、『仏説無量寿経』のなかの「嘆仏偈」には、「正覚大音 響流十方(大いなる教えの声が、十方に響きわたる)」(真宗聖典11頁)というお言葉があります。教えと教えをいただくものが、呼応しあう、響き合うということです。

また、安田理深先生は、南無阿弥陀仏ということを「打てば響く」ということで表現されています。少し難しい言葉ですが、ご紹介いたします。

「南無阿弥陀仏南無という言葉は、目覚ました言葉であると共に、目覚まされた言葉である。つまり目覚ましめたものに対する応えという意義があると思う。だからこれは独覚ではない。呼びかけに対して応答するというものであり、打てば響くというものである。我々を打つ言葉であると共に、我々に響いた言葉である。南無阿弥陀仏は根源の言葉であると共に、呼応の言葉である」

寺に集う人々が響き合い、教えが聞法する人の上に響きわたる、まさしくいのちが響きあう場として寺が開かれていくことが強くいま願われているのだと思います。

今月は真宗本廟で報恩講が勤まる月でございます。これから、各お寺、そして御同行のお家でも報恩講が勤まっていくことと思います。講とは集いということでありますが、その集いが、いのちが響きあう集いとなるよう、聞法の姿勢を整え、私にとっては住職となった最初の御正忌をしっかりとお迎えしたいと思っております。

030優劣を超える

松下至道

私は以前、聞法会で子どもを亡くされた方の話をしたことがあります。自分は僧侶だが、どういう言葉をかければいいか分からない、と話した時、参加者の中に、「子どもを亡くすということは悲しみの極みだけど、その方の場合は何人かおられるお子さんのうちの1人でしょ。私たちに比べればましです。私たちは2人いた子を両方亡くしたのだから。そういう人もいると言ってあげてください」と言われた方がおられました。

私はその言葉に応えることができませんでした。その方は子どもさんの死の悲しみを乗り越えたいと願っているはずだと思います。それが、本人は慰めるつもりなのでしょうが、悲しみさえも比較の材料にして、悲しみにおいて優越感を得ようとしてしまっておられる。人は自分の悲しみさえも、他人と比較して優劣をつけて苦しんでいくものだということを感じました。何回か聞法会に足を運ばれている方ですが、「聞いていても何にもなっていない」とも言われていました。

優越感や劣等感の悩みを超えることが聞法をすることの大きな意味です。「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」。比べる必要がないことを教えてくださっている『阿弥陀経』の言葉です。人間の世界では優越感や劣等感を超えることはできない。だから、仏様が人間の世界を超えたお浄土を建立されたのです。

聞法会に参加されていた方は、「聞いても何にもなっていない」と言われながら、それでも聞法会に参加され続けられている。それは、仏法に自分たちの問題を超えていく道があることをどこかで感じておられるからだと思います。

私は、優越感や劣等感を超える道は浄土の教えを聞くことだけだと、ある聞法会に出たときに感じさせてもらいました。それ以来、人間の世界を超えたお話を聞くのですから簡単ではないですが、それでも優劣の苦しみを超えるには教えを聞き続けること、それだけだと思っています。

029秋の日に想う

尾畑潤子

長く厳しい残暑も、彼岸花の開花と共に秋の訪れとなりました。「曼珠沙華」ともいわれる彼岸花は、仏教を語源とするからなのか、それとも、開花がお彼岸と重なるからなのでしょうか。地域によっては「そうしきばな」などと呼ばれて、家屋敷を飾る花とはなっていません。しかし、そんな彼岸花に懐かしさが感じられるのは、移ろいゆく秋の風情のなかで、突然のように真っ赤に咲いて、散ってゆくあり様が、不確かないのちを生きる私たちの身に重なるからなのかもしれません。

新美南吉の童話に『ごんぎつね』があります。物語は、病気の母と暮らす兵十(ひょうじゅう)が、母親のために獲ったウナギを子ぎつねの「ごん」が、ふとしたいたずら心から、川に逃がしてしまうところから始まります。

ある日、ごんは、あたり一面に真っ赤に咲く彼岸花の中を行く野辺送りの列に出会い、死んだのは兵十の母親だと知りました。いたずらを後悔したごんは、せめてものつぐないにと、こっそり栗やまつたけを兵十の元に届けますが、ごんの思いは伝わらぬまま、兵十の放った銃によって、ごんはいのちを終えていきます。

きつねと人間という立場を異にした関わりの中で、分かり合うことのできなかった悲しみが胸に沁みます。しかし、これはなにも、ごんと兵十の関係に限ったことではないのでしょう。人と人との間を生きる私たちもまた、同じ家、同じ地域、同じ国にあっても、男であるとか、女であるとか、財産や地位があるとか、最近は国益にかなうなどと、それぞれの立場に固執して、ごんと兵十と同じように、言葉の通じない世界を生きているのではないでしょうか。

他者の声を聞いていても聞こえてこない。他者の存在をみていても見えていない。分かり合えないまま、日々を生きています。そういう立場を絶対化した私たちの現実生活が、仏の世界、つまり彼岸から問われているのでしょう。

秋の日に咲く彼岸花は、別名を「柔軟花」(注)ともいうそうです。私一人を世界とするような硬直したありように、「それでいいのか」と、絶えず私に呼びかけている仏さまの願い。その願いを知らせるように、今年もまた彼岸花が咲いています。

(注)「柔軟花」 出典は『大漢和辞典』五、大修館書店刊

028「ありがたい」の出どころ

本田武彦

「ありがたい」、「ありがとうございます」という言葉は、阿弥陀仏のご恩をいただく真宗門徒にとって、また人と人が共に暮らしていく上でとても大切なものであります。しかし、ややもすればそれが単なる口癖となり、かえって自分自身の生活の在り方を見つめる眼を曇らせることになるのではないかと思うことがあります。

月々のお参りなどに伺うと、私よりも年配の方がみえることが多いのですが、やはり体のあちこちに不調を抱えておられる方がほとんどです。また、それにともなって、生活の中の仕事が今までのようには進まなくなってくるのは、誰もが感じておられるところでしょう。そして、そうしてお話しされた方は「まあそれでも、何とかやっておるのやでありがたいと思わないかんわな」というようにおっしゃるのが常なのです。日常よく聞き、また私自身も使ってしまう、この「ありがたいと思わないかん」という言葉ですが、あらためて考えてみると、どうにもおさまりが悪いような気がしてならないのです。

「ありがたい」、「ありがとうございます」というのは、本来とても素直で美しい言葉だと思います。しかし、それが「ありがたいと思わないかん」ということになるならば、自分自身に向かっていうときには、何かをごまかしあきらめるような意味をもち、人に向かっていうときには、自分の思いを押しつけるような重圧を持った言葉になるのでしょう。いづれにしても「ありがたい」という言葉が生まれてくる本来の出どころからはずれたものになってしまうのは確かなようです。

私自身もよく口にするこの感謝を表す言葉について考えたみた時、それが自分のどんな思いから出たものなのか、また本当に頭が下がったところから出ているのかどうかを、改めて確かめていかねばと思わされたことです。