029ほんとうの私

伊藤一郎

松阪市内から帰宅途中にこんなことがありました。

交差点で停車したところ、前の車から運転していた男性が降りてきて、私の車の窓辺に来て、「何かあるんか!」と怒鳴りました。私は突然のことに「何がだ!」と声高に言ってしまいました。

信号が変わり、前の数台の車が走り出していきました。彼の車もそれだけ言うと直ぐ発進し、途中、間もなく左折して道を変えて行きました。

ここ166号線は「大和高田松阪線」の名称で、奈良方面への主要道となっています。私の家は松阪駅より約25㎞の距離にあり、そのほとんどが追い越し禁止の道のりです。

今、考えてみますと、その日は夕方より会合の予定があり、その準備で急ぎ帰宅する必要がありました。時速50㎞の規制の中で、前の数台の車の追い越しはできません。「自分の思い」のみでつい前の車に接近しすぎたことが相手には腹立たしく思われたのだと、「その短い言葉」から察しられました。

この日、時間に追われている自分が、前を走る車で(全く思い通りにならない事態に)知らず知らずに攻撃的な走りをしてしまったのかと反省しきりです。

立場を変えてみると「なぜ、この後ろの車はこうも接近してくるのか、車間距離が必要なのに、しかも追い越し禁止を知ってのことか」等々と。

彼の姿そのままが思い通りにならずに苛立つ自分の身だと、深く反省の心が起こるまでにしばらく時間がかかりましたが、一つ間違えば事故にもなりかねない事態であったと気づかせていただきました。急ぐ理由があったとはいえ、「自分の思い通り」にしようという私の身勝手さを、「それでいいのか」と前の運転者が仏さまの光となって、この私に悟らせていただいたのだと今やっと気づくのです。

そんな身勝手な「ほんとうの私」がここに居ます。

常に自分を中心にすべての事柄を進めていこうとする私に、こんな形で仏さまが目覚めさせてくださったことなのだと、このこと・このご縁を大切にしていかなければと気づいています。

柱に掛かっている『日めくり法語』17(真城義麿『あなたがあなたになる四八章』)には、 「私のわがままは 当たり前 他人のわがままは 許されない」とあります。「許さない私」、胸に私そのものだと響いています。

028意業

芳岡恵基

今から7年ほど前にベストセラーになった本の中に、養老孟司さんの著書『バカの壁』があります。当時私は、本の題に「バカ」という文字が使われていることに驚き、急いで購入して読んだことを思い出しました。

「バカの壁」という意味について著書の中で養老さんは、「自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている。ここに壁が存在します。これも一種のバカの壁です」と言われています。確かにその通りで、お参りや聞法会に参加する人はするし、気が無い人はどれだけお誘いしても参加されません。

また、養老さんは「強固な壁の中に住む。それは一見、楽なことです。しかし向こう側のこと、自分と違う立場のことは見えなくなる」とも言われています。つまり、「強固な壁」によって内にこもり外が見えなくなることで、自己(自分)中心の生き方になってしまうということではないでしょうか。

最近のニュースなどで問題になっている事件なども、これらのことが原因で起こっているのではないでしょうか。現代人の生き方そのものが、問われているように思います。

「バカの壁」ということを、宗祖の言葉に置き換えると「貪愛瞋憎之雲霧(とんないしんぞうしうんむ)」(真宗聖典204頁)になります。「貪愛」・「瞋憎」の二つの心こそ、真実の世界と私とを遮る壁となるのでしょう。自分で作った壁の中に居れば居るほど(内に閉じこもれば閉じこもるほど)自分は生きている、「俺は誰の世話にもなっとらん」といった錯覚に陥るのではないでしょうか。

壁によって真実の世界に会えない私たちは、正しく無明そのものです。それにより、思いで描いた自分を本当の自分であると勘違いして生活しているのではないでしょうか。思いに立って生活していた私に、改めてご縁に立つことの大切さを学ばせていただいた気持ちです。

027御遠忌ソングを門徒と共に歌う中で

檉豐

来年は宗祖親鸞聖人七百五十回忌法要が、3月19日より5月28日までの3ケ月間、京都、東本願寺の新しく修復になりました御影堂(ごえいどう)におきまして厳修されます。

私は、50年前の七百回御遠忌の時、専修学院の学生でした。その時、法要のボランティアとして参加しました。配属は参拝部でした。熱気あふれる全国の門徒が群集する様に出会い、そのエネルギーを肌で感じたことを、今日においてもありありと思い出します。来年、法要を迎える今、一寺院の住職として門徒と共に歩むことができるかということを思います。

このたびの御遠忌をお迎えするにあたり、御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」のもと、テーマソング、イメージソングの歌詞を公募し、多くの方から願いのこもった作品が寄せられました。その中から4曲の御遠忌ソングが誕生しした。既にこの曲はラジオ、別院や各お寺で耳にすることがあると思います。その中で「今、いのちがあなたを生きている」と「なんまんだぶつの子守歌」の2曲は、教区、各組のお待ち受け法要の会場で、合唱団と会場のご門徒さんが一緒に合唱する場面があります。

この曲の中には、「なみだがにじにかわったよ みほとけさまもうれしそう」とか「数えきれない人たちに願われ生まれたおまえだよ…」という歌詞があります。そんな私のいのちであるということを門徒と共に歌うことが、私のいのちが「私だけ」を超えて大きないのちのつながりとなる歩みの一歩となっていくことを思います。

私はこの2曲を印刷した紙を、法要カバンに入れ、法事の時にみんなに配り、一緒に歌うようにしています。最初はシーンとしていますが、2回目からは、一緒に声を出してくさだいます。「ご院さん良い歌やね!」と。先日も夏休みお勤めの会のおさらい会の場で、会の50名の子どもたちと一緒に「けんかのあとのなかなおり…」と、力一杯歌うことができました。

せっかく誕生した御遠忌ソングが、様々な研修会・聞法の場で歌われることを念じています。「今、いのちがあなたを生きている」の「いのち」とは、生きとし生ける存在のすべてが、この大地に心豊かに、安らかに生きていくことへの願いであると思います。

026生きる意欲

池田徹

近年「生きる意欲」という課題を考えています。

我々の「意欲」は「条件的意欲」であって、思い通りに人生が動いている時はそれなりに「意欲」がある。一度、状況が壊れてしまうと意気消沈して落ち込んでいく。そして「被害者意識」に執りつかれ、周りを、自分を恨んでいくことになる。「なぜ、こんなことになったのか」と、自分の呟きに自分自身が呑み込まれ、出口のない憂いを抱えることになる。あたかも『観経』の韋提希(いだいけ)夫人のように。それは、言い方を換えると「生きる意味」の喪失であり、「未来」の喪失である。

この「意欲」という問題を学んでいく時、最近改めて関心を引くのは西光万吉さんである。明治28(1895)年に生まれた西光さんは、産み落とされた場所が徹底的に差別を受ける村であった。いわゆる「被差別部落」である。12、3歳頃から学校で直接、差別を受け始め、中学になってその激しさのあまり転校するが、新しい学校でも教師にまで罵倒され差別を受ける。学校を辞め、絵画を学び始め、その後、上京し更に学びを深め、入選するまでになったが、そこでも差別を恐れ、絵の世界からも遠ざかってしまう。読書にふけりながらも、死ぬことへの憧れの中で、生きることを慰めていた。

その頃の西光さんの心情は「生まれてくることが一番悪いのです。死こそが最高相の文化です。地上において私どもは果たして何を求め、何を望みましょう。一切は欺瞞です。不正です。不義です」ということであったそうだ。

そう呟く以外になかった西光さんが、ある出会いの中で、その5年後には、「運命」という文章の中で「吾々は運命を呟くことは要らない、運命は吾々に努力を惜しませるものではない、成就しなければならない大きな任務をもった今日の如き時代は幸福である。(中略)諦めの運命より闘争の運命を自覚せよ。(後略)」という西光さんに転じられている。

まさに「運命」というしかない厳しい現実を、自分に課せられた大きな「任務」として向き合い、「今日の如き時代は幸福である」と言わせ、「運命」は「努力」をさせていただくチャンスだ、とまで言い切る根拠は一体どこにあるのだろうか。現実に向き合う力、「意欲」がどこから生まれてきたのだろうか。そんなことが気になっている。

そして、西光さんは「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と立ち上がっていく。「世」に眼差しを向け、「人間」存在に関心を向けることによって、新しい「意欲」を与えられ、同時に生きること、人生全体の「意味」を見出していく。それは真の使命を見出すことであった。改めてそんな西光さんに学び直したい。

025極重悪人

森英雄

「我々の人生は完璧に決まっていて、しかも完璧に自由である」

ある武闘家の格言と聞いております。この言葉について、私の尊敬する岐阜市在住の田中謙次先生から、「これは浄土真宗の教えとよく似ていますね」と約2年前の春に言われました。私は、当時は何のことか全然見当もつかず、黙って「ああそういうモノですか」という程度でした。

『正信偈』に「極重悪人唯称仏(ごくじゅうあくにんゆいしょうぶ)」(真宗聖典207頁)とあるように、極重の悪人の自覚と、仏名を称える心が体中から湧き上がることとが同時であると思い知らされてから、先程の言葉の背景がリアルに伝わってきました。

思えば、小さい頃から他人と自分を意識し、比較し、優劣をつけ、少しでも上に行くことが人間の幸せであると思い込んで生きてきました。給料の多さで人生の幸不幸が決まるかのように思い、少しでも多くのモノが増えることが幸せであると思い込んできましたが、そのためか自分の姿に関することや、能力に関することで、受け取り難いことについて、具体的に言うならば、足が短いことや兄より頭のできが悪いこと、太っていること、禿げていることなどを、この世に生を賜ってくださった親に対して、恨みの感情を持つことがたびたびありました。

それは、どうしようもないコンプレックスが我が身にあるということです。だからこそ、仏さまはその心を否定されようとはなされませんでした。そのコンプレックスが作る世界の地獄を私を通して見せてくださっていたのです。

嫌だ、恥ずかしいという思いは、厳密に言えば、他の人を縁として、私が私を嫌う心です。この心を無くそうとして聞法に励んできたようなものです。しかし、その自分を嫌う心(これが自我)が自分(煩悩の固まりの身)を追い込んでいくのです。そのまま実体的に捉えますと、完璧に地獄を造らざるを得ませんが、そのように思っただけという事実が、私を悪人という自覚に自然と誘います。

いろいろ都合の悪いことが起きると、逃げて、言い訳をして、他人の仕業にして、一人被害者意識に閉じこもる。これが自分を嫌う心であり、自我と呼ばれる正体です。そのままが他の人をご縁に思っただけ、という完璧に自由なハタラキに出遇う場でもありました。

どんな思いも実体化すれば囚われる。思ってしまう我が身であると目が覚めれば、嫌いな人が自分の本当の姿(極重の悪人)を思い知らせるご縁の人に早変わりです。対立があるから気づかされる。気づかされるから新鮮な感動を伴って、以前の意識を嫌わず、かえって罪深き身を教えていただく縁となる。そこから無限に展開する新鮮な初めの一歩が毎日誕生するようです。

024浄土

三枝明史

お釈迦さまが教え、親鸞聖人が確かめられ、私たちの先輩方が大切に伝承してきた「浄土」。「お浄土」とはどのような世界だったのでしょうか。単なるあの世、死後の世界だったのでしょうか。生きている私たちには無関係な世界なのでしょうか。「浄土真宗」の門徒を名乗る私たちですが、その肝心要の「浄土」が何であるのか、私たちにとってどのような意味をもっているのか、はっきりしませんよね。情けないことですが、私も現代の言葉で上手に説明する術を持ち合わせておりません。

最近、ある女性の方から聞かせていただいたお話です。

その方のお姉さんは一人暮らしをされていたのですが、数年前に病に倒れ病院での療養生活を余儀なくされているそうです。妹さんたちが世話をされているのですが、お姉さんはとにかく家へ帰りたくて仕方がない。リハビリにも熱が入らず、「こんなところはもう嫌だ。家へ帰りたい」と、ことあるごとに不平不満を訴えておられたそうです。

そこで、とうとう妹さんたちは決意されて、お姉さんの家を車椅子での生活が可能なようにリフォームされたのです。そして、お姉さんを一時帰宅させて、家中を見てもらいました。お姉さんはすごく喜ばれたそうです。

それから、お姉さんは変わられたそうです。「家に帰りたい」と一切口にしなくなったのです。他の患者さんとも打ち解け、リハビリにも積極的になられたそうです。

「あんなに家へ帰りたいと言っていたのに、一体どうしたことでしょうか。不思議なことです。せっかく家も直したのだから、いつ帰ってきてもらってもいいのに…」と、妹さんも苦笑されていました。「きっと安心したのでしょうね」と。

「いつでも帰ることができる家」を得たことの安心感は、これほどまでに人を変えていくのでしょうか。嫌でたまらなかった病院生活すらも積極的に引き受けていけるようになるのですから。

私たちは不満を消したり、不安から逃れたりすることが安心であると考えています。けれども、本当の安心とは、不満を引き受け、不満と向かい合える力のことを言うのでしょうね。そういう力をお姉さんから「いつでも帰ることができる家」が引き出したのでしょう。「いつでも帰れる場所がある。それならば、もう少しここで頑張ってみて、帰って行くのに相応しい身体(人間)に少しでもなってから帰ろう」と。

いろいろな解釈ができるのでしょうが、私はお話を聞かせていただきながら、何となく「浄土」という言葉を思いました。

さて、みなさんは本当の安心の場所をお持ちですか。

023極重悪人(ごくじゅうあくにん)

酒井誠

『正信偈』の源信僧都(げんしんそうず)を讃えられたところに、

極重の悪人は、ただ仏を称すべし、我また、かの摂取の中にあれども、煩悩、眼(まなこ)を障(さ)えて見たてまつらずといえども、大悲倦(ものう)きことなく、常に我を照らしたまう、といえり(真宗聖典207頁)

とあります。

極重悪人と言いますと大変恐ろしい人のように感じてしまいますが、一体、極重悪人とはどのような存在なのでしょうか?

新聞やテレビでは、毎日のように虐待や殺人など悲惨な事件が報道されています。その度に様々なコメンテーターが登場し、犯人を悪人として徹底して非難し、人間の心の荒廃を嘆き、どう対策をとるべきかを話しています。

私はそういう場面を見せつけられる度にある違和感を持ちます。どういうことかと言いますと、彼らは自分が善人であって悪とは無関係であり、悪をなす可能性はないと思っているのか?ということです。

勿論、社会的には法律から外れる行為をした者は悪人と言われます。しかし、宗教的にははっきりとした善悪の線引きはありません。その中で、むしろ宗教的に悪人と言われ、ここで極重悪人と言われる存在は、自分が善人だと思って疑わない、そういう態度の人なのでしょう。

私たちの大部分は所謂犯罪者と呼ばれるような人ではありません。善良な一市民だと自分もそう思い、人からもそのように認められたいと願っている人が大部分でしょう。そして、毎日の悲惨な事件にうんざりして、犯人を決して許さないと指弾します。宗教的にはそういう我々の姿が極重悪人なのです。

仏さまの眼から見れば、世の中の善人も悪人も共に深い所で浄土を表し、本願を表している大事な人なのです。しかし、私たちには仏さまに背いて、自分の物差しを振りかざして他人の価値を決め、他人を排除してしまいます。

仏さまに背いている私たちも、実は、仏さまから大切な人よと呼びかけられ、わが身の本当の姿に目覚めてほしいと願われ続けているのです。極重悪人とはそのような存在なのではないでしょうか。

022おかげさま

安田多恵子

インタビュー・スピーチ・挨拶などで度々、「おかげさまをもちまして…」とか「おかげさまで…」と耳にすることがあります。みなさんも普段にこの言葉を使われていると思います。

この「おかげさま」という言葉ですが、誰に、何に対して「おかげさまな」のでしょうか?国語辞典で調べてみますと、一つには、相手の好意や世話に対する感謝の気持ち、人から受けた力添えや恩恵の言葉であり、それともう一つには、神仏の加護、感謝という、二つの意味が書かれておりました。

私たちは、自分一人の力でやってきたつもりが、失敗や困難に陥って自分の限界を知り、周りの方々の好意や恩恵によって支えられていたことに気づかされた時、「おかげさま」という言葉で感謝を表し伝えます。ところが、年々重ねていくうちに、一つ目の意味だけでなく、より深い二つ目の意味も含んだ「おかげさま」を言っている自分に気づかされます。

幼い頃を思い出しますと、近所のおばさんや寺にみえる方の口からは、「おかげさんと元気に…」とか「こうしておかげさんとお参りに来られました」とか、「おかげさま」の言葉をいつも耳にしていたように思いますが、近頃はどうでしょうか?昔の人はいつもそのことを身近に感じて生活をされていたように思います。

真宗の教えを分かろうとして難しい言葉や、知識を得ようとし、また知ったような錯覚をしていることが多い私なのですが、阿弥陀様という大きな加護に気づかされた時、頭が下がり、「おかげさま」や「南無阿弥陀仏」のお念仏が口から出るのでしょう。それが信心のような気がします。難しい言葉や知識ではなく、まずは自分自身が「おかげさま」に気づかされれば、と。

021ハンセン病回復者の方

鈴木勘吾

今年4月、岡山県の邑久(おく)光明園というハンセン病回復者の方々が住む、療養所へ行ってきました。副園長さんよりお話を聞かせていただきましたが、回復者の方々のご苦労は筆舌に尽くしがたく、数分、数枚の原稿では伝えきれません。ただお話にうつむきがちに聞かせていただくばかりでした。

その終わりの言葉に驚かされました。

「ここにお住いの方々は、哀れむべき人々ではなく、病気による後遺症に悩まされ、差別によって虐げられ翻弄されながらも、地域の偏見や、国の政策とも粘り強く闘い、この地で強く生き抜いてこられたのです」

どんな顔をして療養所を訪問すればいいのかと考えていた私は、少し混乱しました。私は、自分が何なのか、何しにここへ来たのかと、変に意気込んでいました。先入観なしに、素直に来られなかった自分を見てしまい、戸惑いました。

後に、回復者の方々との交流会でも、後遺症も少なく、社会生活に復帰された方のお話を聞かされたときも、驚くことが多かったのですが、何人かの方に共通することは、「仕事を通じて親しくなれば、身の上話になる。すると、いつ病気のことが知られてしまうのか怖かった」と一様に話されることです。病気は快復していても、イメージが悪く、ばれればここには居られないと、感じておられました。

「隣のオッチャンになりたい」

こんな当たり前のことが叶わないことに、疑問を持ち、何かできないかと、思案してしまいます。

傍らで苦しんでいる人がいるのを知りながら、自分の心の平安を得ることが宗教の救いでしょうか。私とハンセン病問題との出会いは偶然かもしれませんが、私に宗教とは何かを問いかける機縁として新しい出会いをいただきました。

020有無の邪見

伊東幸典

「霊はおるのかね?」

唐突にこんな質問を受けたことがあります。私たちは、何でもかんでも善か悪か、白か黒か、決めなければならないと思いがちです。どちらでもないという曖昧さは好みません。その時の話を要約するとこんな具合です。

出かけようと思って戸締りを済ませたところ、突然、冷たい風が部屋の中を吹き抜けた。ゾクッとして、これは弟の霊だと思った。実は数か月前、弟がガンで死んだのだが、自身の健康状態がよくないことを察して葬儀の知らせをもらえず、百か日法要が済んでから連絡を受けた。葬儀に出席して、最後のお別れをしたかったができなかった。だから、霊となって現れたと思った。

そもそも霊とは何なのでしょう。言葉の意味を尋ねると、「形ある肉体とは別の冷たく目に見えない精神。また、死者の身体から抜け出した魂」とあります。目に見えないものということは、霊が存在するか否かは確かめようがありません。

『正信偈』には、龍樹大士出於世(りゅうじゅたいじしゅっとせ) 悉能摧破有無見(しつのうざいはうむけん)(真宗聖典205頁)とありますが、仏教では、「有無の邪見」といって、「有るというのも無いというのも、人間の間違った見解であって、偏見・独断である」と教えられています。親鸞聖人も龍樹菩薩が示されたこの考え方を高く評価しておられるのです。

亡き弟のことを強く思えばこそ、霊の存在を確かめたくなったということが質問の本意でありました。でも、霊の有無など、どうでもよいことです。「弟さんが亡くなって、寂しい」という悲しい気持ちでいっぱいだということがよく分かりましたから。