鈴木勘吾
今年4月、岡山県の邑久(おく)光明園というハンセン病回復者の方々が住む、療養所へ行ってきました。副園長さんよりお話を聞かせていただきましたが、回復者の方々のご苦労は筆舌に尽くしがたく、数分、数枚の原稿では伝えきれません。ただお話にうつむきがちに聞かせていただくばかりでした。
その終わりの言葉に驚かされました。
「ここにお住いの方々は、哀れむべき人々ではなく、病気による後遺症に悩まされ、差別によって虐げられ翻弄されながらも、地域の偏見や、国の政策とも粘り強く闘い、この地で強く生き抜いてこられたのです」
どんな顔をして療養所を訪問すればいいのかと考えていた私は、少し混乱しました。私は、自分が何なのか、何しにここへ来たのかと、変に意気込んでいました。先入観なしに、素直に来られなかった自分を見てしまい、戸惑いました。
後に、回復者の方々との交流会でも、後遺症も少なく、社会生活に復帰された方のお話を聞かされたときも、驚くことが多かったのですが、何人かの方に共通することは、「仕事を通じて親しくなれば、身の上話になる。すると、いつ病気のことが知られてしまうのか怖かった」と一様に話されることです。病気は快復していても、イメージが悪く、ばれればここには居られないと、感じておられました。
「隣のオッチャンになりたい」
こんな当たり前のことが叶わないことに、疑問を持ち、何かできないかと、思案してしまいます。
傍らで苦しんでいる人がいるのを知りながら、自分の心の平安を得ることが宗教の救いでしょうか。私とハンセン病問題との出会いは偶然かもしれませんが、私に宗教とは何かを問いかける機縁として新しい出会いをいただきました。