藤河亨
「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」。これは本山の大通りに面した外壁に掲示されている標語です。日本ではこの13年間、毎年3万人以上の人々が自死しています。そんな社会の状況を考えるたびに、標語の前にたたずむ会社員や学生の姿から目が離せなくなります。
「リゾート再生人」という肩書をもつ星野佳路(ほしのよしはる)さんが出演しているテレビ番組を見たことがあります。90年代の経済バブル崩壊後、全国各地で、ホテルや旅館といったリゾート施設が経営不振に陥り、次々と倒産しました。星野さんは、そんな施設を再生する際、徹底したマーケティングリサーチとともに、再生のための「道標=コンセプト」を立てるといいます。
しかし、このコンセプトの決定は、一般的な社長を頂点とする「ピラミッド型」で決定されるのではなく、「フラット型」といわれる、倒産したホテルの従業員、また経営不振の中にいる旅館の従業員たちが自ら決定していくという独創的なものです。現場の従業員たちは重要な仕事を任されると、自分で考え、自分で決めることに醍醐味を感じ、目を見張るほど、生き生きと働きだすといいます。そういう従業員の姿を見て、星野さんは一つの核心をもったそうです。「任せれば、人は楽しみ、動き出す」と。実に単純な発想であります。
この星野さんのスローガンを逆に考えれば、動けないということは楽しめていないから、楽しめていないということは任されていないから、何が任されていないかといえば人生であろう。自分の人生が自分自身に任されていない、ということになるなのかもしれない。
人間として、ひとつのいのちを任された。そのいのちは脈々と、自分の思いや計らいを超えた歴史が伝えたいのちである。そのいのちを受け取った私は、そのいのちを誰のためでなく、任された自分のいのちのために、いや任されたいのちが星野さん流にいえば、たとえそれが苦しいことでも、任せられることにより「おのずから楽しみ」そして「おのずから動き出す(生きる喜びを見つける)」。これも、そんな単純なことなのかもしれない。
まさに、それは「仏の説法を聞きて心に悦予(えつよ)を懐き、すなわち無上正真道の意(こころ)を発(おこ)し」(真宗聖典10頁)た法蔵菩薩のことではないでしょうか。
明年お迎えする宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマは「今、いのちがあなたを生きている」です。自分が生きているこのいのちは、この私に託され、任されたいのちなのです。