015父の姿

岡本寛之

昨年3月に祖母の三回忌が勤まり、「これで七回忌までは法事を勤めなくてもよい」と思っていた矢先の10月に父が命終しました。私の怠け癖をよく分かっていた父でしたので、「気を抜くなよ」という無言のメッセージだったようにも感じられます。

父は糖尿病を患い、腎機能の低下による透析治療、脳梗塞や脳内出血による半身不随などの合併症を併発し、数年前から車椅子での生活を余儀なくされておりました。

その後は母の介護のもと、無事に日々の生活を送っておりましたが、昨年の夏頃から体調を崩し、数えの71歳で命終しました。

祖母が亡くなった時は生後半年で何も分からなかった長男も、父の死の際には3歳を迎え、今でも時折口にする「爺ちゃん死んじゃった」という言葉からも、彼なりに何かを感じ取ってくれているのではないかと思います。

さて、そんな父も私たちに色々な姿を見せてくれました。

ご門徒のみなさまいわく、「微笑みながらも威厳に満ちていた住職としての姿」。母いわく、「酒に酔って帰宅しては、家族を困らせた一人の人間としての姿」。また、子どもの頃から大好きな読売ジャイアンツが負けた日は機嫌が悪く、早々に布団に入り不貞寝するという子どもじみた姿など。

いろいろありましたが、今回は私が一番印象に残っている父の姿をお話させていただきたいと思います。晩年の父は車椅子の生活を送りながら、天気の良い日にはよく散歩に出かけていきました。言語障害も出ていましたので、唸るように声を発しながら外を指すことが散歩の意思表示です。散歩といっても、家族の者が車椅子を押していかなければなりません。天気の良すぎる日には同行を断ると、駄々をこねる父。こんなやり取りも日常茶飯事でした。外では地元の人たちが畑仕事などをしておられます。そんな方を見かけては麻痺の残る手を振り、声にならない声で挨拶を交わす父。私がよく思い出す父の姿です。

多くの方は、自分の身がそのような境遇に置かれますと、衰えた自分の姿を他人に見られたくないとのことから、他人との接触を避ける傾向にあると聞くことがあります。さらに言えば、病に冒された自分の姿を受け入れられず、こんなはずではないとの思いから内に閉じこもってしまうのかもしれません。

人として生まれたからには避けて通れないこととして、「生老病死」という四つの苦しみがあります。父は最後まで自分の置かれた境遇を受け入れ、最後まで普段と変わらぬ生活を望み、自分の全てをさらけ出して私たちに見せてくれました。全てを受け入れ、どんな姿の自分でも認めていく生き方の難しさを父の姿から学ばさせていただいた、そんな気がしております。