岡本寛之
私事ではございますが、昨年の10月に待望の第一子を授かりました。何ぶん育児は初めてのことばかりで、想像以上に悪戦苦闘の毎日を送っておるわけですが、その分いろいろなことに気づかせていただいております。
結婚前から教区の児童教化活動に携わっており、自称子ども好きな私なのですが、数年前からテレビや新聞等で目にすることが多くなりました「幼児虐待」の事件に胸を痛めている一人でもあります。せっかく授かった我が子、中には連れ子というケースもありますが、大人が自分より力の弱い幼い子どもに危害を加えたり、育児放棄等の虐待を加え、最悪の場合、命を奪ってしまうこともあるわけです。
ニュースや新聞記事を目にするたびに加害者たちの心情が理解できず、とてもいたたまれない気持ちになると同時に「自分に限ってはこのような事件は起こさないだろう」なんて勝手ながら思ったりする訳です。自分が親になるまでは思っておりました。
それほど多い訳ではありませんが、妻が外出し子どもと2人だけになる時間があります。どれだけ注意を払って優しく接していても泣き出すことはあります。そんな時はだいたいオムツが濡れているか、お腹が減っているかのどちらかだと思うのですが、男性ですからオムツを交換することはできても母乳を与えることはできません。その時の男性は無力以外の何ものでもありません。泣き止ますために抱き上げ軽く背中を叩き落ち着かせようとするのですが、なかなか泣き止みません。挙げ句の果てに自分がイライラし、背中を叩く力がだんだん強まり、まるで鼓を打つかのような状態になり、子どもの声がより大きくなってふと我に返る。後で思えば粉ミルクを用意しておけば良かっただけなのですが、そんなことがありました。
その時の自分の行いが虐待の一歩手前であることに気づかされ、虐待で新聞沙汰になった親の心情が少なからず理解できた気がしました。また同時に、今まではたまたま虐待に至るような縁に出遭わなかっただけで、自分にもその可能性があった。にもかかわらず「自分に限ってありえない」等と考えていた自分の身勝手な在り方を育児を通して気づかされました。