005悪邪無信盛時

池井 隆秀

 昨年、福島県出身の知人から『福島の1年―東日本大震災・原発事故―』という福島民友新聞社から出版されている記録集を見せていただきました。大震災後の一年間の様子を多くのデータとともにまとめてあるものです。鮮明な記録写真が満載でありましたので、私の心にとどめようと思い、その方にお願いして一冊買い求めることが出来ました。

 その中で、一段と心に残る記事がありました。それは「飯舘村 少女の悲痛な叫び」という、二〇一一年四月三〇日に飯舘村と川俣町を対象に開催された住民説明会で東京電力副社長が謝罪した記事です。

 「人口約六,一〇〇人すべてが避難対象になる飯舘村では、一五歳の少女の叫びが会場に集まったすべての人の胸を締め付けた。『私が将来結婚したとき、被ばくして子どもが産めなくなったら補償してくれるのですか。』出席した村民約一,三〇〇人が見守る中、同村の高校一年生は、将来の被曝リスクについて質問した。それは将来への不安に対する訴えであり、悲痛な叫びだった。」というものです。

 大震災後、やがて二年が経とうとしています。あの時、私たちに背負わされた課題を決して忘れてはならないと思います。今日まで私たちは、経済効率を最優先し、豊かで便利で快適な生活が出来るようにと願いつつ歩んでまいりました。そして、科学技術の進歩によって何でもわかる、何でも出来るという自信に満ちた生活を送ることになりました。なぜかそのことが、〝いのちの尊厳〟という大切なことに覆いをかけ
てしまったのではないでしょうか。

 親鸞聖人のお書きになった『愚禿鈔』という著書に、「悪邪無信盛時(あくじゃむしんじょうじ)」(真宗聖典 四四五頁)という言葉があります。
 
 この言葉は、現代社会に身をおいている私たちのことを言い当てられているように思えてなりません。「邪悪で無信が満ち溢れているとき」という濁りの時代のことだと思います。邪悪であるために、また無信であるために、どんな悲惨な出来事も日常性の中で忘れ去ってしまう、また他人事になってしまうのではないかと思います。
 そんな時代なればこそ、私たちは世の中の悪を厭うことを、いのちの尊厳を蔑(ないがし)ろにすることを、自己の内外に問い続けていかなければならないと、改めて思わされたことでした。

(三講組・佛念寺住職 二〇一三年二月中旬)

004寒 椿

伊藤 一郎

途切れつつ 野辺の送りや 寒椿

二〇一二年師走に入り、娘の嫁ぎ先の母が心筋梗塞のため急死いたしました。享年七四歳でした。

人の死が、ましてやこんなに近しい人の死が、「何故、こんなに簡単にその生涯を終えていかなければならないのか?」と、長年仏法についてご住職方から生命のご法話を聴聞させて頂きながら、「何故か、何故なのか、あんなに優しく、また大切な方が」と、悔しい思いで一杯でした。こんなことは私だけではない、何人(なんびと)も同じ思いをされたことと分かっている筈なのに、無念の思いは尽きませんでした。

「人が生きているということは必ず死がある、ということです」と、そのことがあって直後の桑名別院報恩講法要ご法話の中で花山先生に教えられ、「今、生きている命ある自分」であることに改めて命の尊さとその生きている責務を果たさなければと、「仏様の願い」に気付くご縁を頂いたことでありました。

不幸や不都合、そして苦労は避けたい、出来るだけ自分から遠ざかってほしい、と何時も自分本位の思いばかりで生きてきた自分に、「汝、これで良いのか」と気付く大切なご縁を仏さまから頂いたことでありました。

私の地方では、葬儀の直後に墓地に納骨する儀式があります。改めて振り返りますと、自宅より一キロメートル足らずの道程の「葬送の儀」がいとも厳かな雰囲気で行われていました。この日は風も強く結構寒さの厳しい日でしたが、葬列は整然と行われました。沿道の方々は葬列に手を合わせて「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称えてくださいました。何という尊いことでしょうか。亡き人を偲ぶとともに、今ある自らの命の尊さに気付かせてくださる仏さまの声と聞くことが出来ました。

私たち門徒は、先達が残し伝えてくださったこの大切な法灯を途切れることなく後世に申し伝えていかなければと願うばかりです。

「生のみが我らにあらず。死もまた我らなり。」

清沢満之先生の教えが頭をよぎります。 いつか我が身にも頂くこのご縁を仏さまが教え導いてくださったのだと気付いています。

南無阿弥陀仏

(南勢二組・道專寺門徒 二〇一三年二月上旬)

003学級通信から

佐々木 円
 
 先日、小学生の息子が学級通信を持って帰ってきました。
 担任は二〇代前半の若い先生ですが、毎回ユニークな視点で、学級の様子や授業での話し合いを、通信を通して伝えてくださいます。
 今回は「六曜から考える。迷信と理由」がテーマでした。
 六曜とは、旧暦を基に「先勝(せんしょう)・友引(ともびき)・先負(せんぶ)・仏滅(ぶつめつ)・大安(たいあん)・赤口(しゃっこう)」と、現代のカレンダーにも印刷されているものです。中国から伝わり、明治六年に太陽暦が採用されてから、一般にも普及したそうです。
 
 さて、通信には、〝結婚式は大安〟〝友引にお葬式はよくない〟という六曜の話から、迷信や因習について道徳の時間に学級で話し合った、と書かれていました。

 六曜がなぜ現代も用いられているのか分からない。分からないが、何となく昔から言われているから信じているものがある。
 その一つとして「清め塩」の話を先生はされました。
 「〝清める〟とは悪いものを払うこと。でも、亡くなった人は悪いものなのか?」
 この問いに、自分の周りで亡くなった人があった時に、〝悪いもの〟と思った子は一人もおらず、なぜそんなことを言うのだろうという意見が多かったそうです。

 通信には、その後も関連した内容が続き、結びには、「おかしいと思ったことは立ち止まって考え、それに対して疑問を持ち、行動できる学級を目指そう!」とありました。
 
 読み終えた後、最初は複雑な思いが残りました。門徒さんとのやり取りで、「普通、友引にお葬式はやらんわ」とか「そんなことないよ」と言いながら、心の中で「日程も合わないし、まあいいか」とつぶやいている私。
 そんな曖昧な私に先生や子どもたちが、「ホラッ、しっかりしてよ!」と背中をバシッと叩いて、気持ちを引き締めてくれた一枚の学級通信でした。

(長島組・深行寺坊守 二〇一三年一月下旬)

002御遠忌をお迎えして

渡邊 誉

 一昨年は宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌の年であり、その法要直前に起こった震災は、すべての人の記憶に残る出来事になりました。

 そして、そのことが、真宗門徒を名告る私一人が御遠忌をどうお迎えするのかを考え直すきっかけになりました。「教え」の前では、しきりにすべての人と「共存」、「共生」を口にしながら、実は望んでいない私の日頃の生活。「人間の知恵の浅はかさ、暗さ」を語りながら、私に問われている事実に向き合ってこなかった姿は、自分だけが助かればいい、自分が生きている時代だけなんとかなればいい、というものでした。単なる開き直りや後ろめたさではなく、楽や明るさだけを求める心が実は苦悩のもとであり、深い罪業ではないでしょうか。

 私は、「今だけ」、「ここだけ」、「自分だけ」では過去からのつながりや社会との関わりを見失ってしまうと思います。同時に、未来からの呼びかけや子どもたちに何を手渡したいのかを想像できないならば、本当に生きる意味が見えないということになるのではないでしょうか。

 そして、そのことを宗祖は「空過」、「むなしくすぐる」と自らもいただき、また私たちに語っておられるのではないかと思います。

(員弁組・西願寺住職 二〇一三年一月中旬)

001年頭所感

木嶋 孝慈

 初春を寿ぎ、お慶びを申し上げますとともに、本年もまた、どうぞよろしくお願いいたします。
 皆さま方には、新しい年を迎えられて、心新たに、今年こそは良い年にしようと、それぞれに、今年一年の希望と申しますか、「志」を新たにされたことと存じます。

 毎年年末恒例になっています、その年の世相を表す漢字は、九三二年ぶりに日本の広範囲で観測された金環日食や、世界一の自立式電波塔として、金字塔を打ち立てた東京スカイツリーの開業。
 そして、ロンドンオリンピックでの金メダルを筆頭に、日本史上最多の三八個のメダル獲得や、iPS細胞の研究で、金メダルに等しいノーベル賞を受賞された山中教授。
 さらには、年金資金運用の詐欺事件や、生活保護費の詐欺事件。消費税増税の税金問題等、金かねにまつわる「金」でございました。
 そして世間では、尖閣諸島の問題をはじめ、北朝鮮のロケット発射など外交問題が山積する中、自民党が政権に返り咲き、危機突破、経済再生を掲げて、第二次安部内閣が発足しました。

 確かに、何か目標を立てて、それに向かって、一生懸命になる。一つのものを極めるために、金メダルを取るために、努力するということは必要なことなのでしょう。

 しかし、一等賞をとるために、他のものを踏みつけ、排除し、そのことだけに執着するといったあり様がいいのでしょうか。

 「自然法爾(じねんほうに)」という言葉がございます。
 「自力をすて、如来の絶対他力にまかせきること。人為を捨て、ありのままにまかせること」ということでございますが、なかなか、了解できない真理であります。
 
 我々は、何か目標を立てて、そのことを成就しようと一生懸命になる。でも、成就できなければ、そこで怒り、腹立ちの心が満ち溢れてしまいます。
 また反対に、目標が達成されれば、そのことだけに満足できず、また新たな目標を立てて、あくせくあくせくしてしまいます。
 我々の欲望というのは、とどまるところを知りません。
 一つの欲望をかなえるために、どれほど他人を踏み付け、傷つけ、排除してきたことでしょうか。
 そういった「我欲」にとらわれている自分の有り様が照らしだされ、「我も、他の者も、共に生き合える世界の発見」というものが、今こそ求められているのだと思います。
 
 そういった世界の有り様を映し出してくださるのが、「南無阿弥陀仏」のお念仏ではないでしょうか。
 本年も、ともどもに、「お念仏」のいただける生活をしてまいりたいと存じます。
 
  あらたまのとしの初めは祝うとも 阿弥陀仏のこころ忘るな 

(三重教務所長 二〇一三年一月上旬)

036念仏者のしるし

池田 徹

お念仏のいただき方が問われています。法然上人を中心とした吉水の集まりが、国家によって解体、解散させられました。1207年「承元の法難」といわれる事件です。親鸞聖人35歳の時です。その引き金となったのが『興福寺奏状』です。この『興福寺奏状』は1205年、奈良興福寺の僧侶たちによって提出された、「念仏停止(ちょうじ)」の訴えです。

なぜ、念仏を生きる者が、批判され、国家によって解散させられ、死罪、流罪という現実を突きつけられたのでしょうか。それは、念仏に生きることが、少なからず「社会」に影響を及ぼしていることをあらわしているのでしょう。

それに対しいま、私たちの念仏は、どうでしょうか。社会とか、国家からは、見向きもされず、自己満足の手段に念仏を終わらせていないでしょうか。いま、様々な問題を抱える時代だからこそ、あえて「念仏」の受け止め方が、厳しく問われているのではないでしょうか。

さて、その『興福寺奏状』には、念仏の教えに集う人々の過ちを九つ挙げていますが、その批判の内容を考えると、念仏の教えに生きるということが、どういうことなのか、念仏の教えによって、生み出される人間が、逆に読み取れるように思います。

その第9番目には、「国土を乱る失」と言われ、国土、国を乱すという過失が、念仏を生きる人のあり方として、批判されています。念仏者が、「国を乱す」ということは、その国のシステムや、価値観に呑み込まれず、自由になっていたことを表しているのではないでしょうか。当然、その国を運営する権力者からすれば、困った存在になります。また第4番目には、「万善を妨げる失」といって、その社会を中心とした善悪、優劣、上下などの価値を「無化」していたことを語っています。その国が目指している方向性を妨げ、権威、権力からも自由であった集団だからこそ、為政者は恐怖を感じて、念仏者を訴え、排除したのではないでしょうか。念仏にはそういうはたらきがあるということです。

改めて、「現代」という時代の中で、「念仏に生きる」ということが、問われています。

035帰敬式 ― 法名の名のり

訓覇 浩

三重組金藏寺(こんぞうじ)の訓覇浩です。法名、釈浩雄と申します。

師走も半ばに入り、今年も「桑名別院報恩講」をお迎えする時節となりました。

その報恩講で毎年執り行われるのが「帰敬式(ききょうしき)」おかみそりです。今日は、この帰敬式について、法名の名のりというところから考えてみたいと思います。

そもそも帰敬式とはどういう儀式なのでしょうか。桑名別院報恩講のパンフレットを開いてみると、「本来、帰敬式はお釈迦様の弟子になる、仏弟子となる式です。ですから、亡くなってから受式して法名を受けるのではなく、生きている今だからこそ人間としての生き方、在り方を問い、学んでいこうという出発を期する大切な儀式」とあり、仏法僧の「三宝(さんぼう)に帰依(きえ)することを誓い法名をいただきます」と記されています。皆さまのイメージと重なったでしょうか。

私は、この帰敬式において、とりわけ大切な意味をもつのが、法名を名のるということだと思います。

私ごとになりますが、私が、法名をいただいたのは、19歳になる夏でした。その時私は法名をいただくということを決めてはいたのですが、一方で、私のようなものが法名をいただく資格があるのだろうか、三宝に帰依するなんて言いきれないし、仏弟子と名のるなんておこがましくてできるはずがないと悩んでいました。

そういう私にある先生が、法名を名のれない私であるということは、名のれない私が法名を名のることによって本当の課題になるのですよ。名のれない私だから名のりませんというのは、誠実そうに見えて実は、自分の事実から逃げているのかもしれませんね、と教えてくださいました。その言葉は、いまも私を問い続けてくれています。

法名は、私の名のりでありますが、それは、わがこころがよくて名のるものではなく、本願が私の上に名のり出てくださっているということだと思います。こういう私であるからこそ名のり出てくださった。私の名のりが、私の名のりであることを超えて、本願に背き続ける私を常に照らし、私に生きる力を与え、新たな私を生み出し続けてくれています。

その意味で、帰敬式とは、新しい私の誕生の儀式と言うことができるのではないでしょうか。これからも釈浩雄という名を、私の生き方を照らし、生きる道をしめしてくれるものとして、大切にしてまいりたいと思います。

034土から離れては生きられない

岡田 豊

三重教区では「共に、大地に立たん」を御遠忌スローガンから、教区教化の基本理念としました。

そこで「大地」ということについて少し取り上げてみたいと思います。

この共に立つべき「大地」を考える時、思い浮かべる言葉があります。それは、宮崎駿の『天空の城ラピュタ』というアニメ映画のなかで、滅び去ったラピュタ王族の末裔、シータの語る、「土に根を下ろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春をうたおう」という、ゴンドアの谷の歌です。

どんな高邁な思想も、高度な文明も、土から離れては生きてはいけません。土を離れては滅びてしまうでしょう。

そして土とは人間の生活のことでしょう。

仏教は生活に根ざしたものであり、習俗にまでなっている。習俗になっていない宗教なら、それは宗教の名に値しない、と教えられたことがあります。それでは、真宗門徒の生活とはどういうものでしょう。毎日、勤行することがどんな生活を開くのだろうかと、疑問に思ったことがあります。

20年ほど前でしたか、観光で高山市を訪れ時のことです。郊外に山村の古民家ばかりを集めた所がありました。雪深い山里の古民家はどれも、囲炉裏のマキの煙で燻されて真っ黒でしたが、きまって一部屋だけ畳の部屋があり、そこには、お内仏がありました。それは南無阿弥陀仏を生活の中心にすえるという、村人の何代にもわたって伝承された生活態度、生きる姿勢が正しくそこに現れていると感じました。私は大きな感動を覚え、ここに真宗門徒の生活があったのかと、深い感銘を受けました。

ふりかえってみますと、それは何も特別なことではありません。私たちの町でも5、60年ほど前までは、どの家においてもお内仏があり、しかもあたり前のように、真宗門徒の生活が保たれていたように思えます。

しかし、昔は良かった、今は無くなってしまったと嘆いてばかりではいられません。真宗がどんな生活を現代の私たちの上に開いているのか、真宗がどんな課題を示しているのかを明らかにする責任が、今、私たちにあるのではないでしょうか。

033同朋会運動という言葉に託した願い

大賀光範

今年も21日より、真宗本廟で御正忌(しょうき)報恩講が始まりました。今から40年近く前、私が学生の頃ですが、警備という名目で報恩講にお参りさせていただく機会がありました。

大谷派では、昭和44年から様々な事件が起こりました。ご法主(ほっす)の周りには利権を狙う怪しげな人々が出入りし、いわゆる「法主派」と呼ばれた人々と、宗派の本来のあり方を模索しようとする「改革派」と呼ばれた人々とに分かれたようになって、宗派行政は多くの問題を抱えながらの運営でした。

そのような宗派の混乱は御正忌報恩講にまで波及してしまい、その年は宗派を離脱した寺院の関係者が、真夜中にチェーンソーをもって御影堂(ごえいどう)に乱入し、大混乱になったということも聞きました。また、報恩講では必ず拝読されてきた御伝鈔(ごでんしょう)が、御影堂まで運ばれて来ず、拝読中止になったりもしました。そのような状況だったからこそ、それぞれの地区からご門徒や僧侶の皆さんが、二泊三日ずつ交替で、警備の名目で白州や御影堂などで参拝の皆さんのお世話などを行うために真宗本廟に集まって来ておりました。

私が参加した時には、若い学生が私を含め数名いたのですが、北陸や各地のご門徒さんがそういう私たちを相手に信心談義をしてくださいました。意気込んでいた私たちは、大学で勉強していた仏教や宗派混乱の理由等を、夜遅くまでお酒を酌み交わしながら話をしました。お別れする時には、能登から来ていた門徒さんが私たちの手を握り「大谷派を背負う僧侶となって欲しい」と言葉かけしてくださったことを懐かしく思い出します。

その後、昭和56年に新宗憲が発布され、「法主制」から、門徒の首座に座り聴聞する代表者としての「門首制」にかわり、また組門徒会などの制度が整えられて、宗派の混乱は解消されていきました。

それから40年近く経て、改めて能登のご門徒の言葉を思い出すようになりました。「大谷派を背負う」の言葉は、当然のことですが、えらい坊さんになって欲しいということではありません。お念仏に生きる者になること。宗祖のお言葉を大切にして生きる者となることを願ってのお言葉だったのではないでしょうか。

今年の御正忌報恩講を迎えるに当って、混乱の報恩講で警備に集まってくださったたくさんのご門徒の願いに、私は本当に応えるような生き方をしているのだろうか。大谷派の僧侶として宗祖のお言葉を聞き続ける生活をしているのだろうか。その事が、今、改めて重く問われているように感じています。

032空しさの中で

池井隆秀

今年も報恩講のお勤めがあちこちで始まりました。年月は電光の如く経ってしまいます。この一年の中には、いろいろなことが起こってまいりました。嬉しいことも多々あり、悲しい出来事も多々ありました。それらの出来事に出会っておりながら、のどもと過ぎれば熱さを忘れるという諺のように、すべてが夢の如く過ぎ去ってしまっております。そんな時、ふと我に返ると、何をしておったのだろうかという空しさに襲われる経験をされた方もあると思います。

空しさは毎日の日常生活に流されて、生きる目的を見つけることができない姿をいうのではないでしょうか。過日(7月)中日新聞の人生のページに「人は何を求めているのか」と題して阿満利麿(あまとしまろ)氏の記事がありました。

「ある時、定年を迎えたサラリーマンのなげきを紹介する新聞記事を目にした。彼は、定年後しばらくは『毎日が日曜日だ』と自由な時間を手にしたことを喜び、かねて希望していた海外旅行やゴルフに日々を送っていた。だが、5年ほど経過した時、『やりたいことは全部やってみたが、何か空しい、これでいいのだろうか』と妻に訴えたという」と記されています。

この「やりたいことは全部やってみたが、何か空しい」という言葉は、人間のだれもが持っている心の奥底からの声(サイン)であり、「本当の道を求めたい」という切迫した気持ちが、この言葉を言わせたのではないかと阿満氏は言われます。私たちは心の奥底で「空しさ」に耐えきれないものを持っています。それは苦しみに耐えることよりも難しいことだと言われた方がありました。そのサインともいえるメッセージは、私たちが毎日の生活を送る中で、「本当に生きるとは何か」「何のために生きているのか」という問いであることだと思います。言葉を変えていえば、「私は何をなすべきか」と、また「使命ありと知れ」という要求でなかったかと思います。

『恩徳讃』に

如来大悲の恩徳は

身を粉にしても報ずべし

師主知識の恩徳も

ほねをくだきても謝すべし

(『真宗聖典』505頁)

とあります。そのことは私たちの一日一日が、「身を粉にしても報ずべし」「ほねをくだきても謝すべし」という使命を持って歩むことを私たちに告げられました。自己関心から一歩も出ることなく眠り続ける私から目覚め、真にしなければならないことを見出して実践していくことが求められているのではないでしょうか。

真宗大谷派(東本願寺)三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。