「心をひらく」27集をお届けします。法話を担当してくださいました方々のご苦労、電話を通してお聞きいただきました方々の熱意に感謝しつつ編集を担当しました。
私自身数年ぶりに法話を担当しましたが、聞いてくださる方の反応が分からないため、どうしても独りよがりになってしまいがちです。けれども「どうしても伝えたいというものが、お前にあるのか」「どうしても明かさずにはいられないという意欲が、お前にあるのか」という声に尻を叩かれて、冷や汗をかきつつどうにか終えました。
法話を担当するにせよ、法話を聞くにせよ、何に依るのかという課題が横たわっています。自己の関心や要求、自分の体験したことや感動に止まりがちな私たちに、歩みを促す、よき人の仰せに帰り続けて生きたいと思います。
片山寛隆
今年もいろんなことがあって、またそれが過去のこととなって忘れ去られていくことでしょう。あの時は激しく怒り、また涙が何時まで止まらないだろうと思ったことも、時が経てばそんなこともあったなというほどになるものです。
この一年、内外を問わず直接に私たちに関係してくる事柄に一喜一憂し、不信と不安が増幅したことは言うに及ばないことです。小泉総理大臣の靖国神社参拝問題が、国内において賛否両論あることと別に、中国・韓国を始めとするアジアの国々から突き付けられた参拝批判に対し、総理は「今それぞれの国とも経済や文化の交流についても良好な関係を構築され、友好関係を結びつつあるものを、一つのことを問題にしてすべてのことをご破算にすることは、両国にとっても得策ではない」と記者会見でも発言をしていました。過去のことは綺麗さっぱり水に流して、将来に向かって手を取り合って行きましょうということでしょう。
このような考え方が日本人を覆っていることも事実として受け止めるとともに、私たちの先人はこのような時、どのように受け止め、どう応えてきたことでしょう。
私が幼かった頃、お寺にお参りに来られるお婆ちゃんの口から「業が深い身やでなぁ」という言葉を思い起します。『現世利益和讃(げんぜりやくわさん)』に
一切の功徳にすぐれたる
南無阿弥陀仏をとなうれば
三世(さんぜ)の重障(じゅうしょう)みなながら
かならず転じて軽微(きょうみ)なり(真宗聖典487頁)
とあります。そのお婆さんの中に、この和讃が身となって働いて出てきた言葉だったと、今気づかされたことです。三世とは、過去・未来・現在の罪ということを背負っていく自覚のお婆ちゃんの言葉であり、それを忘れて生きる我々の生き方を「流転輪廻(るてんりんね)のつみ」と言い当ててくださっているのではないでしょうか。
花山孝介
師走に入り、年の瀬も近づくと、多くの人が忙しく動き回ります。殊更に急を要した理由がある訳ではありませんが、兎に角、忙しい忙しいと皆口にします。しかし、それは師走に限ってのことではないのでしょう。日々の生活そのものが行くべき方向を知らずに、悪戯(いたずら)にただ慌ただしくしているだけかもしれません。
世間では「忙しくて仏法を聞く暇もない」と言う人がいます。しかし、忙し過ぎて死ぬことを忘れた人がいたとは、これまでに一人も聞いたことがありません。
いつまで生きても退屈しない。何時死んでも後悔しない。そういう人生を、今、私は送っているのだろうか。改めて、年の瀬を迎え、忙しいと言っているその有様から、日頃の生活の中身が問われているように思われます。
かつて「生活はいのちの表現である」と聞いたことがあります。目に見えないいのちが、目に見える姿をとり、耳に聞こえる声となって、一挙手・一投足の動きをもって表現し続けているということでしょう。心臓は休むことなく鼓動し続けています。肺が呼吸しています。そこにいのちあって生き続けている証(あかし)があると思います。まさに、生活する刻一刻は、私が全身をもって、命を証明し続けていることではないでしょうか。幼児は全身全霊をもって、限りないいのちの感動を表現しています。しかし、年々歳々、理知分別が身につき、自分だけの世界に閉じ籠るようになった今の私たちは、忙しさにかまけて、いのちの輝きを見失って生きて、また今年を終わろうとしています。
やがて迎える新しい年を機に、これまで見失っていたいのちの感覚をお互いに回復したいものです。
藤谷宜美
今、私がボランティアで参加させてもらっている、地域の子育て広場の中での一場面ですが、ある日、滑り台で遊んでいたまだ3歳くらいの子が、年下の子に「押したらダメ、危ないよ。順番に滑ろうね」と、その子の母親と同じ口調で優しく言っているのです。また、ある子は、帰る時にスリッパを人の分まできちんと揃えて下駄箱へ入れていくのです。純真無垢な子どもたちは、大人のすること、言うことを真似て育っていくのだなぁと感心させられました。
一方では、青少年の非行問題が多発しています。新聞・テレビでは、毎日のように痛ましいニュースが報道されています。幼い頃からのしつけと、子どもを包み込む愛情があれば、続発する不幸はもっと少なくなるのではないでしょうか。
「大人が変われば、子どもが変わる」とよく言われますが、その大人が変わることは実に難しいことのようです。「ゴミはゴミ箱に」と分かっていても、道路沿いに平気で空き缶を捨てる人がいます。「人と仲良く」と言っても、自分に不利なことを言う人とは、仲良くするどころかつい避けてしまいがちです。
私も、実は変わることの難しい大人の一人です。素直な私が少し反省しても、もう一人の私は、自分を通そうとして譲りません。知らぬ間に自分に都合の良い物差しが出てくるのです。自分の物差しは「言い訳」によって一層頑固なものになります。60余年のうちに、ちょっとやそっとではびくともしない物差しを持った自分がいるのです。
この自分に都合の良い物差しを操っている正体が、実は「煩悩」なのでしょう。そして「煩悩」が人に迷惑をかけ、私を苦しめていることに「気づけよ、目覚めよ」との呼びかけが「仏法」ではないでしょうか。これからは、煩悩一杯の自分であることを素直に受け止め、聞法ができればと思っております。
伊藤英信
今月は報恩講についてのお話をお届けしています。あなたは、念珠をじっと見つめられたことがありますか。珠と珠とが美しく連なっております。ご先祖はもちろんのこと、夫婦や兄弟、そして友人など様々な人々との繋がりがあって、この私のいのちが今あることを教えているように見えては参りませんか。さらによく念珠をご覧ください。私と食物、私と水、私と大気、私と大地、さらには家や家具といった数え切れない程の様々なものとの結びつきもまた、私のいのちを支え、そして生かしてくれているのだということを、念珠が教えてくれているように思えて参ります。広大無辺なご縁の世界につつまれながら、もしかしたら常日頃はその事実を忘れ去ってしまい、私の人生は私だけの力で生きているような錯覚に陥ってはいないでしょうか。
今年は親鸞聖人の743回目のご命日をお迎えすることになります。ご命日をご縁として勤まります報恩講の「恩」という言葉は、すべてのいのちを平等につつみ、生かそうとされる大悲といわれる仏さまのおはたらきに、しっかりと目を見開くことのできた心であり、また人生のよき師匠に対する強い確信でもあります。
聖人はご自身を「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」と、平均寿命が24歳ともいわれた鎌倉時代にあって、90歳を生き尽くされました。年を重ねた揚句に、淋しさ、悲しさ、空しさが増してくる人生もあるでしょう。しかしそれは、老いの問題ではなくて、生き方に問題があることを、親鸞聖人は念仏と共なるご生涯を通して、私たちに身をもって今も教えていてくださるのであります。
木村大乘
蓮如上人のお言葉に、次のような譬えをもっての教えがございます。
それは「信を得ずして、よろこび候わんと、思うこと、たとえば、糸にて物をぬうに、あとをそのままにてぬえば、ぬけ候うように、悦び候わんとも、信をえぬは、いたずらごとなり」(真宗聖典896頁)と言われています。
つまり、針に糸を通して縫い物をする時、一番大切な「糸の結び目」を忘れては、どうなるのでしょうか。どれだけ時間を費やし、たとえ一生かかって縫い物をしても、その全体が空しく徒労に終わってしまうと言っておられるのです。それは、私たちが人間として生まれさせていただき、限りある一生をいただいている根本の意味とは、何であるかを、この譬えをもって教えてくださっているのであります。それを、蓮如上人は、親鸞聖人の九十年のご生涯をかけてのご苦労こそ、この「真実信心」を賜るためにあるのだと、私たち一切衆生に呼びかけてくださっているのです。
さて、親鸞聖人は、この真実信心を、私たち煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫の身にいただく功徳(くどく)を、次にように述べられておられます。「この信心をもって一心と名づく。煩悩成就せる凡夫人(ぼんぶにん)、煩悩を断ぜずして涅槃(ねはん)を得しむ」(真宗聖典464頁)と「これは凡夫、煩悩の泥(でい)の中にありて、仏の正覚の華(はな)を生ずるに喩(たと)うるなり」(真宗聖典465頁)と。つまり、私たちの愛欲と名利の底なしの悪業煩悩の泥田が、深ければ深いほど、それがすべて肥料となって、一つの無駄もなく、真実信心の正覚の華に限りなく転じられていくのであると言われているのであります。この道理の中に我が身を見出してこそ、報恩の歴史にお応えさせていただくのであると言えましょう。
藤井慈等
報恩講は、ご承知のように親鸞聖人の亡くなられたご命日を、御正忌(ごしょうき)、または御正日(ごしょうにち)と呼んで勤められて参りました。したがって、御正忌報恩講、また御正忌さまと呼んでいる地方もあるようです。親鸞聖人のご命日を期して集いをもつことが、真宗門徒の印(しるし)となって今日まで続いているわけです。真に希有な伝統であると思いますが、聖人の生涯に出遇う、当にその日という意味で、御正忌、文字通り明るいという字を使って「御明日(ごめいにち)」とも言われます。
最近、青森の東義方という方の「聞楽(もんぎょう)」という遺稿詩集の中に「報恩講」という題の詩があるのを目にいたしました。ご紹介いたしますと、
報恩講が終わると 冬が始まる
けだものが泣いているような あの風の音
凍りついた 魂(たましい)が溶けて
通い合うのは 法を聞く時だけなのです
という、詩(うた)なのです。
報恩講が終わると、風の音と共に、魂を凍らせるような冬がやって来ると言われます。それは、人として今日を生きる者が、出遇わねばならない愚かさとして、この身に響いて来るように感じます。そして、凍りついた魂が溶けて通い合う世界が開けるのは、法を聞く時と言われますように、聞法一筋に歩んできた人が遇い得た法の讃嘆、喜びが溢れ出ていると思います。
蓮如上人の『御俗姓(ごぞくしょう)』には「報恩謝徳のために、無二(むに)の勤行をいたすところなり」と、報恩講は「無二の勤行」法の讃嘆をもってなされることが押さえられています。また同時に「ただ、人目(ひとめ)・仁義ばかりに、名聞(みょうもん)のこころをもって報謝と号せば、いかなる志をいたすというとも、一念帰命(きみょう)の真実の信心を決定(けつじょう)せざらん人々は、その所詮(しょせん)あるべからず。誠に、水に入りて垢(あか)おちずといえるたぐいなるべきか」(真宗聖典852頁)と、真実(まこと)の信心が定まっていないことへの懺悔(さんげ)が、御正忌に応えることであると示されています。
懺悔なき讃嘆は、ただありがたい世界に陥って、恩寵(おんちょう)になるでしょうし、一方で、讃嘆なき懺悔は、懺悔をも我が力にとりこんで、懺悔せしめた法を見失うことになるのではないでしょうか。二つは本来一つなのです。この切り離すことのできない、讃嘆と懺悔をもって営まれる御仏事が、報恩講であるということを、改めて確かめなければならない時だと思います。
服部拓円
暑さも和らぎ、日に日に寒さを感じる季節となってまいりました。先日、電話ではありましたが、友人と話していまして、お経とは我々にとってどういうものなのか、お勤めや学ぶことによって何かいいところにでも行けるようなものなのかといった話が出てきました。私自身におきましても、以前こういった想像・イメージというものがあったことを思い出しつついろいろと話していたわけですが、非常に大切な問題のように思います。
昔、唐の時代に善導大師という方が、私たちお経を学ぶ者に対し「お経とはこういったものであると思って聞いていただきたい」という言葉を残しておられます。それは「教経はこれをたとうるに、鏡のごとし」と善導大師は、お経の教えとは、鏡のようなものであるとおっしゃっておられます。鏡とは私自身を映し出すものであり、今現在の私自身を教えていただくものがお経であると言われているのではないでしょうか。さらに善導大師は「しばしば読み、しばしば尋ぬれば、智慧開発す」と言われております。私たちの知るところの鏡とは、毎朝その前に立ち「まぁこれくらいならいいだろう」と思いながら、自分の身だしなみをするわけです。しかしながら、私自身そうであるように自分の見たくないところはできるだけ見ないように、それどころか見なかったこととしてはいませんでしょうか。
お経の教えとは私たちのいうところの鏡とは少し異なり、そういった見なかったことにしてしまっている自身の姿までもありありと映し出し、その問題をまじまじと気づかせていただく。それがお経の教えのはたらきであることを善導大師は鏡という表現を通して示されております。
また、私たちは鏡がないことには自らが見えないように、世の中での出来事・身近であることに関して「私には関係ないことだから」「昔とは時代が変わったのだから」と目を背け評論するだけに止まってしまうことが多いのではないでしょうか。そして、テレビで駐車禁止のところに迷惑駐車する人が「みんながやっていることだから」と平然とインタビューに答えているように問題を見なかったことにしてしまうことが、ついついあるのではないでしょうか。自らの問題とするところから訪ねさせていただく。それが何より大切なのではないでしょうか。
本多武彦
少しずつ秋の色合いが深まりつつある中、世間はレジャーシーズン真っ盛りというところのようです。テレビでは、各地の名所、温泉、グルメなどを紹介する番組が流れない日はなく、書店の旅行に関するコーナーには、それらの特集記事が載せられた雑誌やガイドが溢れんばかりに並んでいます。バブルがはじけ、経済的な不安が高まり続ける現在においても、日本人の旅行熱は冷める気配がないようです。これほど我々を突き動かして止まないものは一体何なのでしょうか。もちろんマスコミや企業の商業主義によって、好奇心や購買欲、食欲などを煽り立てられていることは確かでしょう。しかし、それらの表面的な理由の奥に、もっと根本的な欲求があるとは考えられないでしょうか。
『歎異抄』第2章には「おのおの十余か国のさかいをこえて、身命(しんみょう)をかえりみずして、たずねきたらしめたもう御(おん)こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり」(真宗聖典626頁)との一節があります。日帰りの海外旅行すらできてしまう現在からは、なかなか想像もできませんが、聖人御在世の頃には旅行自体が命がけのことであったようです。それでも、問い聞かずにはおられないという御同朋たちの深い願いは、彼らを遠く関東から京都の聖人の元へと誘ったのでしょう。こうしてみると、同じように十余か国の境を越えるにしても、我々のそれとはずいぶん趣が違うように思われます。しかし、もう少し考えてみると、我々が「旅」してみたくなるのも、日常生活の中で感じられる閉塞寛や虚しさ、その他様々な問題から自分を解放したいということであるならば、かつての御同朋を京都に上らせたものと、その動機において相通ずるものがあるとは言えないでしょうか。
人生はよく旅に譬えられます。秋の夜長、自分を動かさずにはおられないものに思いをいたしてみるのも、またひとつの旅であると言えるかもしれません。
渡辺美和子
今年の夏休みに、大学生の息子がバイトで手に入れたバイクで、北海道一人旅に出かけました。電話もなく心配になったのでこちらからかけてみると、元気な声で楽しく回っている様子が伝わってきました。
しばらくして、新潟のアパートに帰ったと連絡があり話を聞いてみると、帰りの秋田でスリップして転んでしまい病院で手当てして、バイクに乗って帰ってきたとのことで、ビックリしました。
北海道の後バイクで三重に帰ってきました。擦り傷だらけで「大丈夫なの」と声を掛けると「大丈夫」との返事です。内心はもうバイクに乗らないほうがと思う反面、明日から、四国に出かけるという息子が、地図で道を楽しそうに調べているのを見ると言えません。
バイクの後ろには、テント・寝袋などを積んで、キャンプ場などに泊まるそうです。
次の朝早く出かけていくのを見送りました。二日が過ぎ、夜用事ができたので、携帯電話に何度連絡しても出ません。丁度その時、テレビでは神隠しや行方不明の番組をしていて、不安は広まっていきました。翌朝もつながりません。昼過ぎにこれでだめだったら捜索願かもと思っていたら「今、松山にいるよ」と元気な声がしました。昨夜は四万十川の河原のキャンプ場でかからなかったそうです。「よかった」昨日からの心配が息子の一声で消えていきました。
このことを思い返してみると、自分の心が一人相撲をしていたことに気づかされました。自分の中でおこってきた「おもい」に自分が振り回され、息子に電話で文句を言っている自分に出会ったことでした。
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