渡邊浩昌
「東洋の人は、すべて何事を考えるにしても、生活そのものから離れぬようにしている。生活そのものに役立たぬ物事には、大した関心を持たぬのである」と鈴木大拙氏は語っていますが、その「生活」というのは「物質的生活」ではなく、いわば「精神生活」のことで、その精神生活に役立つものを東洋人は大切にするということです。
例えば、「床の間にかけるものも、ただ美的鑑賞のためでなく、何か有限以上のものを見たいという要求から来ている。だからその為にも香を焚いたり、心を静めたりして敬虔な態度をとるのである」と言っています。それはお茶をたてることでも、お花を立てることでも同じで、あらゆる日常の生活の場でそのことを確保しようとしてきたということでしょう。
しかし、近代に入り、怒涛の如く押し寄せて来る西洋文明の波の中で、そのような精神生活の場が失われていきました。そのただ中にあって、清澤満之先生は精神生活の回復を叫ばれました。そして先生はその根拠を仏教に、更に親鸞聖人の教えに求められました。それは又、中世に於ける共同体への埋没から解放された個の回復でもあり、近代に於ける「自我意識」からの解放でもありました。そのことは「自己とは何ぞや」の一点に凝縮されていると思われます。
現代人は、「豊かさの源泉に注意を払わない」「権利だけあると考え義務を考えない」「際限のない要求を社会につきつける」という、三点の特性を持った人間になってしまっていると言われます。このような現代にあって、単なる自己反省でない、教法、道理に基づく自己省察のみが現代の危機を乗り越える道ではないかと思われます。清澤先生はそれを「内観主義」と名づけられ、又「精神主義」とも名づけられたのであります。
王來王家眞也
1903年6月、41才で世を去られた清澤満之師、ちょうど百年後の今、私が師にふれることができましたのは、師の面受の御弟子であります曽我量深先生によってであります。
先生は師の七回忌に際し、次のように述べておられます。
今やわが清澤先生の御前に「自己を弁護せざる人」となる称号を捧げんと欲する。この称号を想う時、われは忽ち六百年前の人とならねばならぬ。わが知れる所を以てすれば、親鸞聖人は自己を弁護せざる最大の人である。
これによって、清澤満之師こそ親鸞聖人の開顕された仏道、浄土真宗を生きられた方であることを知ることができます。
私共が仏道を習い学ぼうとする動機は、「自己と何ぞや。これ人生の根本問題なり」という清澤満之師のお言葉が出発点となりますが、その仏道を師は、「絶対他力の大道」と名づけられた文章として残しておられます。
私どもは他と代用不可能な生命、境遇を与えられており、その唯一の自己は弁護する必要のない世界が与えられていることを、師は百年を経た私をして知らしめ、それは、また、七百年以上前の親鸞聖人であったのだと教えられていることに深い感慨を覚えるのであります。
木村大乘
「いくら仏法を聞かせていただいても、うなずけないのは、何故でしょうか?」
これは、今から7年程前、長年聞法をしてこられたMという60歳半ばの女性の方が、Oというよく聴聞された男性の方に尋ねられた問いです。
私自身、そのときこの方と同じように、いままで聞かせていただいた仏法の言葉も、触れた感覚も全て化石のように、何の生きる力にも意欲にも成って来ない、悶々とした日々を持て余していた時でした。それ故、私に代わって尋ねてくださっていると思って聞かせていただいたのであります。
この問いに対して、Oさんは「それはあなたが邪魔しているのです」と即答されたのです。「何が邪魔しているのですか?」と新たに問うMさんに、「それが邪魔しているのです」と。「それとは何ですか?」「それが邪魔しているのです」「では、どうしたらいいのですか?」「それが邪魔しているのです」・・・。何を問うても「それが邪魔しているのです」と、10回程その問答が続いた時でした。「仏法を分かろうとする私自身の全体が根底から邪魔していたのだ」と、照らされるように聞こえてきたのであります。その時、私の思いや、考えを超えて、既に如来のはかり知れない尊いいのちのなかに、絶対満足しているこの身がそこに在ったのです。そしてまた、そこにおられるすべての人も如来の大悲の中に満足してみえたのです。
それは一瞬、感知された身の事実に賜っている本来の世界であり、彼岸の世界でありましょう。
安田理深先生はそのことを、「既に夜は明けているのに、わざわざ雨戸を閉めて、ロウソクを探しているのです」と名言されておられるのであります。
川瀬 智
春、妻と長男の三人、長島の日帰り温泉「湯あみの島」へ出かけました。広い敷地での大きな岩々や木々がかもし出す空間は、私を3月の多忙な法務の疲れから開放する場となりました。
露天風呂で身体を休めた我々は、3階の「大広間」で昼食を取ることになり、なり、妻の「運転は私がするからアルコールを飲んでリラックスしたら」といううれしい言葉に、しめしめとビールを持ってさあ飲もうとジョッキを口に近づけた時、後方から「ご縁さん、今日はなんやね」「どうしたんやね」と予期せぬ声がかかり、ジョッキを持つ手が凍るとともに、温泉にて癒されリラックスした心が凍りつきました。
こんな処で「ご縁さん、今日はなんやね」「どうしたんやね」は無いだろう、「どこにいても疲れるな、介抱されないな」と感じた時「ペルソナ」という文字が浮かびました。「ペルソナ」とはラテン語で、古代ギリシャ・ローマ時代、演劇で役者がつける「仮面」を意味し、素顔や心の内面を人目にさらさず、自我が守られることにはたらきがあります。
人は生活場面に応じ複数のペルソナ(仮面)を持ち、その役割を果たすという側面も持ちます。その役割が、自分を解放するはたらきになるか、その側面にあった役割を演じることに疲れ果てるか大きな岐路があります。
仏教で、覚りを「解脱涅槃」といい、煩悩の炎が消え自我から開放されることを意味します。そういう仏教の教えを共々に聞き開いていく僧侶である私が、僧侶としての日々の生活が役割を演じる為に疲れるというのなら何処に仏教の救いがあるのでしょうか。
疲れるという文字は「疒だれ」に「皮」という文字です。【皮】は《解字》(下記参照)《頭のついた動物のかわ+又(手)」で動物の毛皮を手で身体にかぶせるさま》です。そこには、獲物を獲て誇らしげに持っている「名聞・利養・勝他」の我が姿が見えます。しかしその生活が疲れるのです。
その生活が「疒だれ」であり、「名聞・利養・勝他」という煩悩の欲する獲物を獲ることこそが自己の幸せと追いかけ続けることに、身は疲れ、心悩ませるはたらきが私のところに来ています。その疲れこそが、今こそ、本来からの呼びかけ願いである「阿弥陀仏」の本願に、限りなく帰れ、と仮面をかぶり演じることに疲れるわが身を通し、教えていただいているのです。
片岡 健
自分のことは自分が一番よく知っている、と私たちは思っています。本当にそうなのでしょうか。
私も年に何回かは、家内が用事で外出した時に、台所の食器を洗うことがあります。そうしてお昼近くになって家内が帰ってくると、私は「儂が茶碗洗(あ)ろといたったでな」と言います。そうすると家内は「へー珍しいこともあるね。雨でも降らなええがな」と言います。何ということを言うのでしょう。本当なら「すみません。ありがとう」と言うべきところでしょう。しかしこれは、家内が非常識な人間だからではないのです。「儂が洗ろといたったでの」「儂が」ということに問題があるのです。私たちは気づかずに「私が」とか「俺が」とか言っていますが、そこに問題があることを知りません。私たちは必ず四つの煩悩とともに生きています。それは、我愛・我慢・我見・我痴です。
我愛とは、どこまでも私がかわいいということです。我慢は「我慢する」ということではなく自慢することです。我見と言うのは我執のことです。我というものを勝手に思い画いて、そういう我が本当にあるのだと思い極めているのを我執・我見といいます。我痴というのは、そういうことが分からないということ。自分のことが分かっていないことをいいます。自分が思っている自分など本当はありはしないのに、勝手にそれを自分だと思い極めて、そして自分をどこまでも立てているのが私というものなのでしょう。その私が「儂が洗ろといたったでな」というのですから、家内もそれに気がつくわけです。「儂が」と言わないで「茶碗洗ろといたでな」と言えば家内はきっと「ありがとう。ごめんね」と言うはずです。でも「儂が」という言葉は文法上の主語ですから、使わないわけにはいきません。我執を離れた「儂」つまり「我」を回復したいものです。
森 英雄
ある人が「やっぱり善いことはするもんやねー」と言われるので、何のことかなと思って聞いてみると、最近お札配りを始めたその人が、道を歩いていたら近くのスーパーの千円の商品券を拾ったというのです。やっぱり善いことをすればちゃんと神様が見ていてくださって、私に褒美をくださったと思って、今もその商品券をたたんで、大事に財布に入れて持っているとのことでした。善因善果ということでしょうか。私にもこの心はありますからよく分かります。ある意味では、神様が実在することを人間が証明したともいえるでしょう。
しかし、このこと全体はどういう意味を持つのでしょうか。仏教では縁起という道理を大切にします。ここでは商品券を拾ったという事実が縁となります。その縁によって出てきた心が、私たちがどんな心で生きているかを証明してくださいます。そのことによって、わが身は罪深く、タダではなかなか動かない存在であることに気がつかされます。善いことが起こると喜ぶ、その心は都合を離れては生きていない存在であることを教えてくれています。だからこそ、善いことが起こっても悪いことが起こっても、すべてが私自身の問題を教えるための尊い出来事であることが分かってきます。そうなって初めて、この世はいい目をするために生まれてきたのではなく、自分を知らせてくださる仏さまに出会うためだといただけてまいります。自分自身の罪悪感とそれを知らせたもう仏さまのご苦労が感じられて、日常の何気ない出来事が大切な意味をもって感じられてまいります。そういう意味では毎日の出来事は、私が仏を証明するのではなく、仏さまの方が私自身を罪悪深重であり、煩悩の塊であることを日夜証明してくださっているとはいえないでしょうか。
尾畑潤子
「畑を耕して野菜を育てて、それをいただく。何の不足もないなぁ」と、採れたばかりの野菜を抱えて、お寺に足を運んでくださった秋夫さん。畑に座り込むことの多くなった日々にあっても「何の不足もない」と言い切って、この冬にいのちを終えられました。その秋夫さんが、戦争について語ってくださったことを、今アメリカ、イギリスによるイラク攻撃のただ中にあって、あらためて思い起されます。
今から8年前、戦後50年を迎えた年に、お寺の本堂で「元日本軍慰安婦」の女性たちの写真展を催したことがあります。写真の女性たちは、日本軍によってもたらされた苦しみを自らの内に閉ざして、戦後の日々を生きてきました。韓国、台湾、中国など、多くの国の女性たちの告発、証言によって、私たちの日々の暮らしが、闇の覆い隠された歴史のうえにあったことを教えられました。
兵士として戦争を経験した秋夫さんは、だれもいなくなった本堂で、一人じっと写真に見入っていました。そして、「すまんことをしてきたと思う。戦争はあかん、どちらにとってもむごいこと。二度とこんな愚かなことをしてはならんな」と、彼女たちの苦しみを自らの悲しみとするように話してくださいました。私はその言葉を聞きながら、彼女たちのいのちの尊厳を奪い続けてきた戦争は、同時に加害の側も人間であることを見失っていく悲しみの中にあったのだと思いました。秋夫さんはその悲しみを通して、いまを生きる私たちに「戦争は愚かなこと」その根拠を「どちらにとってもむごい」という言葉で教えています。
もちろん、それは戦争の問題に限ったことではありません。日々の生活にあって、人と人との関わりを見失って、差別したり、傷つけたりする、私の現実を「愚かなこと」と問う一点でもありました。
いま戦争のただ中にあって、秋夫さんが身をもって教えてくださった「戦争のすべてを悲しみとする眼(まなこ)」そのことを身にすえて、非力であっても非戦を願う人たちの歩みに、私もまた連なっていきたいと思います。
川口 昭
世の中、情報があふれて、その日のうちに世界に起こったことが伝わってくるようになりました。そのため多くのいろいろな情報が入り乱れて、心が安まることがないこの頃ですが、ここで「ありがたさ」ということを考えてみたいと思います。
私たちを取り巻くところの”物の存在”が、すべて当たり前であると思ってはいないでしょうか。そこには物のありがたさということが感じられません。それが感じられるようになるのは、大体において、その物が無くなって初めて、その物の存在のありがたさが分かるということがあるようです。水や空気や太陽のありがたさ、また大地のありがたさ、何一つとっても大切な物であり、私たちが生きていく上になくてはならないものです。
例えば大地があって、そこに山があり川が流れ、家が立ち人が住むというようなことが、不思議に思う人はあまりないと思いますが、よく考えてみますと大地は重いものでも軽いものでも、またどのような人間でも好き嫌いで乗せないということはありません。すべてのものを黙って、不平も言わず乗せているのです。それに引きかえ私たちの心はどうでしょうか。善いこと悪いこと、美しいとか醜いとか、大きいとか小さいとか、頭が良いとか悪いとか、金とか地位とかいろいろ分けているのではないでしょうか。しかもそれは、自分に都合の良いものは善、反対を悪として分けているのです。都合の悪いことはやりたくない。自分の権利は最大限に主張するけれども、自分に課せられる義務は最小限に食い止めたい。楽な楽な方へ、得な得な方へ進んでいくのが私の心です。当たり前と思う心には何の感動も感激もありませんが、その物のありがたさを知ることにより初めて「おかげさま」と受け止めていけるのではないでしょうか。
海野真人
住職になってから今まで門徒さんからいろいろな質問をいただきました。その中で一番多かったのは、「正信偈には一体何が書いてあるの?」といものでした。正信偈は私たちにとって最も身近なお勤めで、日頃目に触れているだけに、「意味がわからないことが残念だ」と言われます。
法事の後、十数分で簡単にお話しすると「初めて聞いた」と喜ばれる方が多いので、このダイヤル法話を聞かれる方はよくご存知のことかと思いますが、正信偈のことをお話します。とても短いのであらすじを少しだけということになりますが・・・。
赤本をお持ちの方は、いっしょに見てください。3頁から正信偈は始まります。最初の1行「帰命無量寿如来 南無不可思議光」は、阿弥陀仏の限りないはたらきを寿と光という二つの方向から言い表したもので、その阿弥陀仏に深く深く帰依していくという強い志を表明したものです。
では、その阿弥陀仏とは一体どういう仏なのか?そのことをとてもコンパクトにまとめたのが3頁「法蔵菩薩因位時」から13頁「難中之難無過斯」までです。
続いて14頁からは、1行目・2行目にあるように印度、中国(中夏)日本(日域)の合わせて7人の高僧たちが述べられたことがまとめてあります。七高僧のお名前だけを紹介しますと、1人目は「龍樹大士出於世」(15頁)の龍樹、2人目は「天親菩薩造論説」(18頁)の天親、このお二人は印度の方、そして3人目「本師曇鸞梁天子」(21頁)の曇鸞、4人目は「道綽決聖道難證」(24頁)の道綽、5人目は「善導独明仏正意」(26頁)の善導、このお三方は中国の方、そして6人目が「源信広開一代教」(28頁)の源信、最後7人目が「本師源空明仏教」(30頁)の源空(法然)です。このお二人は日本人です。ちなみに親鸞という名は、天親・曇鸞の下の二文字を頂いたものです。(下の一文字でよかったです。上の一文字だと「天曇〈てんどん〉」になるところでした)この七人の高僧の説が述べられた後、「唯可信斯高僧説」(ただこの高僧の説を信ずべし)と結ばれています。
したがって、誤解を恐れず簡単に言ってしまうと、「阿弥陀仏に深く帰依します。その阿弥陀仏とはこういった存在なのです。そして、南無阿弥陀仏を伝えてくださった七高僧たちはそれぞれこんなことをおっしゃった。そして、最後にみんなでこの高僧の説を信じましょうね!」というのが正信偈のあらすじです。今度お勤めする時、ちょっと気に掛けてみてください。正信偈をたずねていくきっかけになれば幸いです。
加藤 淳
「腹たたば、鏡を出して顔を見よ、鬼の姿が徒(ただ)で見られる」
4年前にご門徒さんと一緒に吉崎別院に参詣させていただいた時、この句のコピーをお土産としていただいてきました。この句を聞かれたご門徒さんは、「家に帰ったら嫁さんに見せてやろう」という感想を言われていた方もありました。それは家の嫁さんは鬼のように恐ろしいということを言いたかったのかもしれません。
しかし、この句は誰に言っているのかといえば、この句を聞いた本人に向けられているのではないでしょうか。実際のところ、自分は鬼であるとはなかなか思えないものです。
仏教は内観道ともいわれます。親鸞聖人は、
「凡夫」は、すなわち、われらなり。(中略)凡夫というは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして 臨終(りんじゅう)の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと(真宗聖典544頁『一念多念文意』)
という言葉で、私たち人間の姿を言い当てています。
仏教は自らの欲望を満足させるためにあるのではありません。私たちの目や耳は外に向いていますから、人のことはよく分かります。しかし、自分のこととなるとどうでしょうか。
お参りすると何かいいことがあるだろうか、お金が儲かるのか、病気が治るのかといった自己中心的な根性でお参りしているのではないでしょうか。お念仏していくことは、「大切なことを確かに引き継ぎ伝えていく」あるいは「ありとあらゆる人々と共に歩んでいきたい」という阿弥陀さまからの願いを聞いていくことです。
そこで、私は凡夫だと自覚せしめられた時に、初めて腹も立て、愚痴をこぼしながらもいろんな方々とつながりをもちながら生きてゆける生活が始まるのではないでしょうか。
仏教は本当の私の正体を明らかにしていただく鏡です。
真宗大谷派(東本願寺)三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。