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013問い返し

和田清一

4、5年前、法話の後に開かれた座談会でのことでした。講師の先生にある質問をしました。どんな答えが返ってくるだろうかと期待をしていましたら、先生は「自分で考えなさい」と言われたのでした。思いもかけない返答に、私は一瞬、「えっ!どういうことだろう」と戸惑いました。同時に、「どうして質問に答えてくれないのだろうか?」という疑問が強く残りました。

振り返ってみますと、私は、仕事や家庭生活において問題が起こると、常に答えを求め、処理をして、次に進むことばかり考えていました。物事を刹那的、表面的にしかとらえず、ただ「こなす」ことに終始してきました。

戦後の復興から高度経済成長、そしてバブル景気の崩壊に始まる長期の平成不況のなかでも、仕事を自分の中心に置き、職場主体の限られた社会に生きてきました。そこでは人間を人間としてではなく、あたかも機械の部品のように、「役に立つか立たないか」というところでしか見ていない世界でした。

私は、能力主義、成果主義、そして効率重視の見方をしてきましたし、何の疑いもなく、それは当然のことだとしていました。

私の身に直接関わることがない限りは「よし」とし、その場、その時に流されて過ごしてきました。他の人はもちろんのこと、自分自身もまったく見えていませんでした。自分では「主体的に考え、責任を持ち、行動している」と思っていました。

しかし、会社を辞めて、同業者以外の人たちと交わり、話を聞くなかで、それがいかに狭い社会のなかでの偏った価値観であったことかと思い知らされたのでした。けれども、そのような価値観は今でも私の生活の根底にあり続けているのです。

今日の政治や環境の問題、そして原子力発電の問題も、私の偏った価値観や無関心が引き起こした結果なのでしょう。

「自分で考えなさい」と言われたことは、そんな私に対して、「今のままでいいのですか?」と問いかけられた言葉だと思います。

012言うことをきかない犬は縁、因は私

海野真人

飼い主も分らず、さまよっているところを保護された犬を飼っています。長い間さまよっていたようで、あばら骨が透けて見えるほど痩せこけ、また病気で皮膚がただれてかわいそうな状態でした。

その犬を妻と娘たちが、うちで飼いたいと言い出しました。私は動物を飼ったことがありませんし、どちらかといえば犬は苦手な方だったので反対しましたが、結局、押し切られる形で飼うことになりました。

ところが、この犬は私が餌をやったり散歩に連れて行ったりしているのに、私の言うことをききません。先日は、私の手にかみつき流血までしてしまい、この犬のせいでひどい目にあったと腹が立ちました。

ある学習会の座談会で、偶然その話題になり、私は「どうしたらうまくいきますか」と尋ねました。すると参加していたご門徒さんから、「犬は犬好きを知るというから、その犬は自分が嫌われていることが分っているのではないですか」と教えていただきました。

その時、先生から「あなたはどうしてその犬を好きになれないのでしょうか」と質問をされたのです。その瞬間、事態が一変しました。今まで私が問題としていたのは、言うことを聞かない犬の方であって、どうしたら言うことをきくようになるのかということだったのです。しかし、その質問によって問題なのは犬ではなく、実は私の方だったということに気づかされました。

言われてよくよく考えてみると、私の中に「私はお前の命の恩人だぞ、餌を食べさせてやって、散歩にまで連れて行ってやって、何の不満がある?言うこときいて当たり前だ」という思いが強くありました。また、妻や娘たちに対して「こんなたいへんな思いをしてまでお前たちの希望をきいてやったのだぞ」と恩を着せていたことにも気づかされました。

また、先生から、「その犬はあなたにとっての仏さまですね」と教えていただきました。自分の姿を見せていただく鏡のはたらきをしてくれたこの犬は確かに私にとっての仏さまなのです。でも、この犬に手を合わせることは私にはまだできません。これからの課題にしていきたいと思います。

011ご縁で知る

安田豊

本日、斎場での葬儀を終えてまいりました。自宅での葬儀はここ2、3年でめっきり減り、最近の葬儀はほとんどが斎場で執行されます。そういった流れの中で、ふと思ったことを確認していきたいと思います。

みなさんは祭壇の後ろに「阿弥陀如来像」、または「六字名号(みょうごう)」の御軸がかけられていることをご存知ですか。葬儀社の荘厳(かざり方)によって正面から見にくかったりしてはいますが、真宗の葬儀では必ず御本尊が掛けられています。

葬儀が自宅で執行されていた頃は、葬儀の際に掛けられる通称「迎え仏」と呼ばれている御本尊をどんなに遠方でも、「迎え仏さんを迎えに参りました」とお寺まで来られ、大切に祭壇中心部に掛けられたことです。そのことは、先達から「葬儀には何は無くとも、手次の御本尊」という伝えがあったからだと思っております。

それが斎場の葬儀ですと、縁者が祭壇を組むことなどはありませんから、必然的に関心事は「どのタイプの祭壇にするのか」、「精進落としは何人分か」等の諸事に向いていき、御本尊の有無、必要性など頭から消えているのではないでしょうか。

もう十年以上前になりますが、孫さんが祖母の葬儀で掛けられていた御軸を送ってこられたことがありました。「父からとても大切なものだから肌身離さず持って行くようにと言われました」と、言って風呂敷に包まれた桐箱を首から下げて玄関に立っておられました。聞けば、道中、何かあってはいけないと車の運転もその状態でしてこられたそうです。さぞかし運転しづらかったことでしょう。

そのことは父親から教えられた御本尊の大切さをまさしく身を持って知ったことになるのではないでしょうか。そういった「身を持って知る」ご縁が、今はないと言えます。世代によっては「迎え仏」の存在すら知らないでしょう。

どうぞ有縁の方の死を通して、そして葬儀という儀式を通して、もっとも大切な場所には必ず御本尊が掛けられていることを認識していただきたいのです。

知識として「真宗の御本尊は阿弥陀如来」ということは既に知っておられる方も多くいらっしゃるでしょう。しかし、ご縁を通して「阿弥陀如来は本当に尊い」ということを身を持って気付いていただきたいです。

010花粉症

佐々木智教

すっかり春めき、ポカポカと暖かい日差しにホッとする季節になりました。しかし、私にとっては大変憂うつな時期になります。毎年2月から4月にかけて、スギの花粉にずっと苦しんできました。最近、同じような症状で悩んでみえる方も多いのではないでしょうか。

昨年夏頃から週に一回、「減感作療法」というスギ花粉の治療法に挑戦してみました。病院で薄い花粉のエキスを注射していただき、花粉に反応しにくい体質に改善するという時間のかかる治療法です。

注射後の激しい痒み、時にはビリビリと痺れるような痛みに半年間耐え、今年の花粉の季節を迎えた二月下旬に、目の痒み、鼻水、くしゃみ、一日中続くと何ともいえない不快感といった、花粉症特有の症状が出てきました。これまで頑張ってきたのに、すっかり当てが外れてしまいました。

このように自分の思い通りにならないことがあると、私たちはよく当てが外れたと言います。当てが外れてはがっかりする。そしてまた何か別のものを当てにする。所詮、そんなことの繰り返しの人生なのだと、どこかで私たちは諦めてしまっていないでしょうか。

しかし、これは当てにならないものを当てにし続けている、そのあなた自身のあり方に気づいてくださいという、大切な促しなのかもしれません。

「本来が当てはずれのところにあり続ける私であった」と、いただけるかどうか、そこが問われているのだと思います。

009誕生児初参り

鈴木晃

 

弥陀成仏のこのかたは

いまに十劫(じっこう)をへたまえり

法身の光輪きわもなく

世の冥盲(もうみょう)をてらすなり(真宗聖典479頁)

先日、近所の若嫁さんが、誕生60日目のお子さんを連れて挨拶にみえました。女の子で丸い目を大きく開いて、見えているのか、いないのか、私の方を向き、物言いたげでした。そんな親子に対して、「親も子も共々、念仏の方を見て進みましょう」と思いましたが、私は戸惑いを感じました。

私の家にも4人の孫がおり、月に一度の御講に近所の門徒と共に本堂に参詣し、「正信念仏偈」を唱和する生活をしています。近所の子どもに何と誘ったものか、まず子の親を見て私にかけられた問いを思うと、「盲冥」という自覚の薄い私に、隣人と手をとって仏前に進むことができるのかと感じるのです。

また、住職にかけられた問いと、私の思いに、仏は何と願ってくだされるのか。十刧をかけた仏の働きが輝いてくださるのだ。そう感ずる私に、寺の掲示板の法語が問いかけてきます。

「子どものいのちを育てるのか、子どもの上にかけた親の夢を育てるのか」

とあります。

3月ともなれば境内に次々と草が芽を出します。毎日少しずつでもよいから草の芽を摘み、寺の子も近所の子もお念仏に遇い居ることの出来る御同朋の姿を感じたいものです。

「目の前の何ものかも見えない」人生を、はかり知ることのない智慧で、照らしてくださる如来の救いを、信じようとしない私でありました。

誕生児初参りを縁として、共に座する場所を見つけようではありませんか。

008生かされている私の命

平野章憲

「人生楽ありゃ苦もあるさ 涙のあとには虹もでる 歩いて行くんだしっかりと 自分の道を踏み締めて」

みなさんご承知のように、この言葉はテレビドラマの『水戸黄門』の主題歌ですね。

私はこの歌を聞くのがとても楽しみです。楽しみと言うと変ですが、この歌は私たちの生活の実態(生き様)を大変うまく表していると思いながら、何時も聞いています。

特に、「人生楽ありゃ苦もあるさ」と歌い出されるところを考えてみますと、両親からかけがえのない尊い命を受け生かされてきた、今日までの私たちの人生そのものではないかと、つくづく思い起こしています。

これまでの生活を考えてみますと、楽しいと感じたとき、苦しいと感じたときが、走馬灯のように思い出されてきます。

誰もが尊い命をいただいている「喜びの道」と、社会生活などの中で起こり得るかもしれない「苦難の道」を、一歩一歩進みながら、「涙のあとには虹もでる 歩いて行くんだしっかりと 自分の道を踏み締めて」とあるように、この大地に生かされている我が身であるということを今一度確認する必要があると思います。

私たちの人生は、時として自分の思い通りにいかないことがあります。そのような時にこそ、私自身を振り返るチャンスなのです。よく考えてみると、我欲に振り回され、自分の都合しか考えていなかった自分が見えてくるかもしれません。私にとって「丁度よい」人生を見失っていたかもしれないのです。

仏法では「一切皆苦」、全てのことは私の思い通りにならない(「苦」である)と教えます。苦であるからこそ、「生かされている」とはどういうことなのかが私たちに問われてくるのです。本当の「楽」とは何かを目指すこともできるのでしょう。そして、死という問題とも向き合えるのだと思います。

一切衆生が往生していく世界(安楽国)をいただくことから「私の命の大切さ」を受け止めていくことができるのだと思います。

007お念仏

折戸沙紀子

昨年、本山にて、(宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌御正当)報恩講が終わった11月29日に、阿弥陀堂御修復のための御本尊動座式が行われました。全国各地より、この御本尊動座式を参拝しようと、二千人もの方々が本山に上山されました。私も自坊より団体参拝させていただきました。

御本尊が動座されることは珍しい事ですから、私はどこかワクワクしながら、式が始まるのを待っていました。

阿弥陀堂での勤行が終わり、御影堂(ごえいどう)に御本尊が移されます。私は今か今かと、御本尊が自分の前を通過するのを待っていました。そのとき、前方に参拝されている人たちの姿が私の目に留まりました。その方たちは、目の前を通る御本尊に対して深々と頭を下げて合掌をしておられたのです。そして、そこからは「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」の声が起こり、そのお念仏の声は御影堂に響いていました。

私はこの時、自分が御遠忌というものを、ただのイベントとして見ていたことに気がつきました。御遠忌とは、たくさんの人が集まり、皆で念仏を称えるイベントであると。

しかし、今回、私自身が御遠忌に参拝をし、多くの方を通じて、いろいろな念仏の称え方があることを知りました。そして、私が称えていた念仏よりも、より深い念仏を感じることもできました。

今、改めて思うことは、私にとっての御遠忌とは、お念仏を称えることの意味を振り返るご縁であったのではないか、ということです。

2014年春、桑名別院での宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌が計画されております。

参拝にみえる方々は、性別も、年齢も、暮らす環境も、それぞれ違います。それぞれの方にお念仏に出遇っていただき、また、自分の称えるお念仏を振り返ってもらいたいと思います。

006相続

藤岡真

昨年末に近くのおばあさんが亡くなり、葬儀、中陰とお勤めさせていただきました。最初に息子さんから、「母は、ここに嫁いで来て最初に『正信偈』を覚えたと言っておりました。若いころは、なんとも思わずに聞いていたが、大事なことではないかと思うようになってきた」と伺いました。

亡くなった方は、お漬物作りが上手で、よく報恩講などに、「お参りの方に食べてもらってください」と届けてくださいました。お斎作りの手伝いに来られている人たちも、よく「味見」と称して、台所でいただいたものです。みんなが「役得よね」などと言いながら次々に食べるので、いつもおばあさんのお漬物は大半が台所でなくなってしまうのでした。

忌明けの法要では、「残念ながら、母の漬物の味を受け継ぐことはできませんでしたが、『正信偈』の教えだけは、受け継ぎ、伝えていきたいと思います」と息子さんが挨拶され、一同静かに聞き入っていました。亡き母が自分へと伝えてくれたことへの感謝を述べられたようです。

「人は法(教え)によらなければ救われないが、法は人によらなければ伝わらない」といわれるように、仏法は人から人へしか伝わらないものです。人に伝えるためには、まず自分自身がしっかりと受け止めねばならないことを、改めて教えられたことであります。

2月9日に三重教区・桑名別院宗祖親鸞七百五十回御遠忌委員会の第1回総会が開かれ、約2年後の2014年3月27日から3日間にわたってお勤めされる御遠忌の内容について話し合われました。

本山での御遠忌を終え、いよいよ地元や自坊での御遠忌が勤まりつつあるなかで、改めて自分自身が教えをどのように受け止めているかが確かめられなければならないと思います。

005サルから人間へ

大賀光範

冬の寒い時期は鍋がごちそうですよね。鍋奉行が取り仕切って、おいしく煮えた料理をみんなに取り分けたりして、楽しく時間を過ごせますよね。

ところで、鍋をみんなで囲めるのは人間だけだそうです。チンパンジーやゴリラなどの類人猿ならこういうわけにはいきません。ひとに食べ物を渡すなんてことはもってのほか。鍋の中のものを独り占めしようとして怒り出してしまい、楽しい時間などあり得ません。大分県の高崎山でのエサやりの時間は、まるで戦争のような状態です。どれだけ自分の食べ物を確保できるか、あちこちで取り合いのけんかが始まってしまいます。

人間とサルとでは、なぜこのように大きな違いがあるのでしょうか。

先日のテレビで、サルから人間への進化について紹介がありました。人間の祖先はアフリカのジャングルで生活していましたが、他のサルとの生存競争に負けて、草原で生活せざるを得なくなったそうです。森は食べ物が豊富な場所で、手を伸ばせば果物であれ木の葉であれ、何でも手に入りますが、草原ではそういうわけにはいきません。森で生活していたときのように、個人の力だけで自分のエサを探していたら、力の弱いものや小さいものが先に飢えてしまい、子孫を残すことはできません。食べ物が乏しい過酷な環境の中では、助け合わねば生き残ることができないのです。たまたま食べ物を平等に分け合うことができたグループだけが生き残り、サルから人間への第一歩を踏み出したということでした。

自分のものをひとへ分け与える行為を、仏教では「布施(ふせ)」といい、大切な修行と位置づけています。食べ物や知識、大切な智慧など、自分の持っているものをひとへ与えること、これが「布施行」です。

昨年の大震災の時、日本中の人たちが義援金や救援物資を被災地へ送りました。みんなで力を合わせて助け合いたいという心が表に現れ出ての行動ですから、これは布施行の実践ができたことになるのです。

自分さえよければいいという変わり方、相手を突き放すような冷たい生き方から、助け合い、「絆」を深めあう暖かい人間の生き方へ、大震災という悲惨な出来事が縁となり、私たちの生き方をあらためて方向付けしてくれたのではないでしょうか。

004千両蜜柑(みかん)

岡田寛樹

古典落語の中に『千両蜜柑』という噺(はなし)があります。

心の病を患った若旦那は、食事も取らず床に伏せてばかり。大旦那は普段から仲の良い番頭に頼み、若旦那の悩みを聞き出します。聞いてみると蜜柑が食べたいとのこと。番頭は蜜柑を買ってくると約束したものの、季節は真夏。番頭は必死の思いで蜜柑を探し出し、一つ見つけたものの、問屋では「この蜜柑、一つ千両」と言われ、そのことを大旦那に伝えると「息子の命が助かるなら…」と千両出して一つの蜜柑を受け取り、若旦那に差し出します。蜜柑を手にした若旦那は大事そうに食べるのですが、その傍らで番頭はこの親子の様子に呆れかえってしまいます。そして、蜜柑を食べている若旦那を見ながら「あの蜜柑の皮だって五両はするんだ。そして、一袋は百両だ」と番頭は思い始めます。若旦那は三袋残し「これを両親とお前に」と番頭に渡します。渡された番頭は「一袋百両…、いま手元には三百両。どんなに奉公したってこんなお金は手に入らない。旦那さまには申し訳ないが…」と蜜柑を手に店から姿を消してしまうという噺であります。

恐らく、この番頭の行動は番頭自身、真剣に考えた末の行動なのでしょう。しかし、その話を聞いている客、また演じている噺家はことの愚かさに気づいているのであります。

本来の価値を見失い、勝手に価値を付けてしまうが故の出来事は、バブル経済と言われた時代の地価、土地の値段にも表れています。ついこの前までは「この土地五千万円」だったのが、いつの間にか五百万円となっており、あの時に付いた価値は何だったのだろうということもありました。今でもこうしたことは繰り返し続いていており、本来そこにはない価値を付け加えてしまうことで、有り難がってみたり、誇らしげに思ったり、喜んでいる姿があります。それはモノや数字のことだけでなく、地位や名誉、肩書でも同じことが言えるのかもしれません。

「浄土和讃」の中に「無明の闇(あん)を破するゆえ 智慧光仏となづけたり」(真宗聖典479頁)と出てきます。

阿弥陀さまのからの光は、迷いや苦しみを破ってくださり、智慧を授けていただき、本当のことを分からせてもらうみ光となって私に届くのです。本来ないはずの価値に振り回されるのではなく、そこに色々な価値を付け加えるのでもなく、目の前にあるそのものをそのまま見る、真を見る目であれ、と智慧の光に照らされて、初めて気づかされることが分かるのです。