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007今、いのちがあなたを生きている

田代俊孝

ビハーラ活動をしていて臨床の場でとてもすばらしい言葉を聞かせていただくことがあります。たとえば、「私、病気して良かったと思います。今まで人生をとても粗末に生きてきたように思います。今、人生を二度生きた感じがします。病気は不運だけど不幸せではない…」「一日一日が尊い時間だった。生かされている貴重な日々が送れた」と。

これらは病名を告知され、仏法とご縁のあった方たちのコメントです。この方たちは、自分の人生に納得し、それを引き受けておられます。この方たちがこのようないのちの感覚を、いったいどのようにして持たれるようになったのでしょうか。

通常、私たちは、健康はプラス、病はマイナス、生はプラス、死はマイナスといった価値観を持っています。そして、生と死すらも、すべてが思い通りになると思っています。

しかし、誰一人として老病死から逃れることはできません。自身のありのまま、つまり、死を自分ごととして見つめたときに、思い通りにならないことを思い通りになると思っていた私の思いが破れるのです。その絶望を通して、生と死も、すべてが絶対他力の仏の大きなみ手の中にあり、本願に生かされていたことに気づかされるのです。

思いがけず生まれ、思いがけない人生を歩み、そして、思いもよらず死んでいくのです。思いを超えた大きな大きな働きの中に生かされているのです。仏教では思いを超えたことを不可思議といいます。南無不可思議光仏としての念仏は義なきを義とし、不可称不可説不可思議の世界を私たちに気づかせてくれるものです。ところが、その仏の大きなみ手の中にいながら、はからいをもって自分で自分を苦しめているのです。科学を絶対とする小ざかしい現代人にはなかなか気付けない世界です。科学の向こうにあるいのちの世界。それが、「共なるいのち」「つながるいのち」「涙のでるいのち」なのです。そういういのちが、今あなたを生きているのです。

006本願の大地に帰す

木村大乘

この度、3月27日より30日にかけて、三重教区・桑名別院におきまして、「共に大地に立たん」のスローガンの下に、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要が厳修されます。

ところで、この「共に大地に立たん」というテーマになった背景には、どのような願いが込められているのでしょうか。

私たちは誰にも代わることのできない身を受け、この世界の中で自分が一番可愛いという愛着心を我としています。そして、誰にも譲ることのできない自分を根本的に満足したという深い欲求を生きているといえましょう。それ故に関係存在として世界の中に在る私たちは、解け合える人間関係の構築を願いながらも、利害損得の対立意識が起これば、時に敵意を感じ、その存在さえ「居なくなればいい」という想いさえ起ってきます。そして、優劣という価値意識に煩悶(はんもん)し、良し悪しの心に翻弄されながら、どこかで取り残されていくような寂しさ、言い知れない空しさを感じながら、そしてこのままで人生が終わっていくのかという底知れない不安と孤独を生きている存在といえましょう。

しかし、幸いにも私たちに先立って、この生死苦悩の根本問題を一筋に道に求め、聞法のご苦労の歴史に身をささげてくださった本願念仏の歴史があったのです。

親鸞聖人の主著『教行信証』には、阿弥陀の大悲の本願を「大地」に喩(たと)えて

悲願は、…なお大地の如し、三世十方一切如来出生するが故

(『真宗聖典』202頁)

と表されています。

驚くべきことに、私たち一切衆生の宿業(しゅくごう)煩悩の苦悩の大地は、そのまま不可思議にも、時空を超えて、如来久遠の大悲の願心の中に限りなく深く、甦(よみがえ)って来る未来がすでに開かれているといえましょう。

005共命を生きた人

伊藤英信

桑名別院では、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要が、「共に大地に立たん」というスローガンの下に勤められます。生きとし生きるすべての人々と共に生きんとする自分自身の広やかな開かれた心を改めて問われているのが、この法要の大切な主旨ではないかと思っております。

昨年末に亡くなられた南アフリカのネルソン・マンデラさんの自伝『自由への長い道』を改めて読ませていただきました。1割余の白人が8割余の黒人に対して、学校・病院そして乗り物から道路まで隔離するアパルトヘイトの社会は、黒人にとって侮辱と屈辱に虐げられた日々でありました。その状況を変えようと戦ったマンデラさんは捕らえられ終身刑の判決を受け、ロベン島で27年間にわたって石を砕く刑に服したのです。この苛酷で孤独な長い年月の中で、彼の白人に対する激しい憤りの目は、次第に自己の内面に向けられたようです。彼は自伝の中で「抑圧された人々が解放されるのと同じように、抑圧する側も解放されなくてはならない。抑圧される側も、抑圧する側も人間性を奪われている点では変わりない」と指摘しています。そして、「自由になるということは、自分の鎖を外すだけではなく、他人の自由も尊重し支えるような生き方をすることである」と述べています。

互いが憎しみ合うことの無意味さに気づかれ、共なるいのちの大地に心の目が開かれたマンデラさんを米国の大統領は「歴史上の巨人」と称えましたが、私自身も自伝を読んで深く頭の下がる思いをいただきました。

004悲願

花山孝介

今年の3月27日より30日にかけて、三重教区・桑名別院では宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要が勤められます。この御遠忌を迎えるに当たり、教区では「共に大地に立たん」というスローガンを掲げました。私たちは、このスローガンをどのようにいただけばよいのでしょうか。

今日、人間関係が希薄になっているといわれて久しいのですが、その反面、私たちは他者との関係を大切にしたいと思っています。しかし、私たちが求める関係性は、自分の都合に合う関係性を求めていますので、自分の思いに添わなければ何時でも他者を排除していきます。では、どこで真の人間関係が成り立つのでしょうか。

宗祖に「他力の悲願はかくのごときのわれらがため」(『真宗聖典』 六二九頁)という言葉があります。この「悲願」に、このテーマを確かめる大事な視点があるように思われます。それは、自らの思いや価値観に立つ限り、自他の関係は傷つけ合うしかなく、そのような自分を残念ながら自ら知ることはできません。阿弥陀仏の願いを「悲願」と宗祖が押さえられたのは、自他の関係性を傷つけながら生きようとしている人間の在り方が、仏に悲しまれている存在であると頷かれたからです。

私たちは、どこまでも「悲願」からの呼びかけを聞き続けていくほかありません。宗祖は、どこまでも真理(まこと)の言葉に自身を尋ねながら、その在り方が、痛ましい・悲しいものであると教え、呼びかける仏の声に、まさに「愚者」なる自分を教え続けられる生き方を貫かれました。それは、私の計らいが破られ続け、どこまでも自らの在り方に懺悔(さんげ)することにほかなりません。だからこそ私たちは、どこまでも「仏願に導かれながら生きるものになれ」と呼びかけ続けている声に耳を傾け、その願いを自らの志願として歩むところに、共なる世界を生きる道が開かれると思います。

003時(とき)の重み

伊東恵深

お正月のテレビ番組で、歌舞伎役者の市川海老蔵さんを取材した特集が放送されていました。その番組の中で、市川家には江戸時代から得意としてきた演目、「歌舞伎十八番」という18のお家芸があるのですが、現在、その大半が演じられなくなっており、それらを海老蔵さんが精力的に復活させようとしている様子が紹介されていました。

インタビューで、「なぜそんなに急いで『歌舞伎十八番』を復活させようとしているのか」という質問に対して、海老蔵さんは、「市川家は短命の家系である。初代も早い、3代目も20代で亡くなっている・・・祖父も56歳。父である第12代市川團十郎も、去年66歳で亡くなった。だから私もせいぜい生きて、そんなものだろうと。だからそれまでに片づけないといけない。あとは倅(せがれ)がやってくれれば、それでいい」と答えていました。

伝統を守り、それを後世に伝えていく。海老蔵さんは私と同じ36歳ですが、歌舞伎という世界に生きる者の覚悟を垣間見た気がしました。

翻って、私たちはどうでしょうか。三重教区・桑名別院ではこの3月に、宗祖親鸞聖人の七百五十回御遠忌法要がお勤まりになります。一口に750年といいますが、その間、一体どれほどの先達が、親鸞聖人のみ教えに出遇われ、その歓びと感動を後世に語り伝えてくださったことでしょうか。

私たちはともすれば、すぐに「伝える」ことの重要性を説きます。しかしその前に、まずは自分自身が、後世に伝えていきたいと思う、伝わっていってほしいと願う教えに、本当に出遇えているかどうか、ということが問われているのでしょう。

御遠忌をお迎えして、750年という「時の長さ」を、「教えの重み」として、あらためて親鸞聖人のみ教えにお遇いしたいと念じております。

002父に似てきた私

山口晃生

40代半ば迄、仏縁の無い私でしたが、70を過ぎた今「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」という遇い難いご縁に遇わせて頂けること、本当に有り難いことだと感謝しております。振り返りますと色んな事がありました。

「ご院住(えん)さん、今日は仏華活(はない)けてるなぁ、法事の準備をしているなぁ」と、私の家(うち)からお御堂(みど)がよく見えます。寺の近くに住んでいる関係か、代々寺役も頂き、父も責任役員や組門徒会員を引き受け、会議や奉仕上山へとよく出かけておりました。家でも毎朝、夜明け前には起床し、大きな声で『正信偈』を勤めます。早朝の静まり返った中、父の声だけが近所に響き渡り、目覚まし代わりになったと言う人もいたくらいです。当然、寝床の中の私の耳にも聞こえてきますが、当時は「朝っぱらからウルサイナぁ」としか受け取ることが出来ない私でした。

万事が「お内仏中心」という父(ひと)でしたので、「お寺さんのことはオヤジに任せとけばええんや」と私も全く無関心、そんな念仏三昧の父に反感すら持っておりました。

しかし、私が46歳の時、母が急死、それがご縁となり特伝を受けることになりました。そして聞法会や報恩講に参るようになると、老いた父は我がことの様に喜んでくれました。そんな父もいつしかお浄土へ帰り、気が付けば私も「組門徒会員」を長年引き受けている。そして父を知る人から「お父さんによく似てきたね」と言われるようになったことを内心喜んでおります。

そんなご縁で、この度別院の御遠忌を迎えますが、気を付けることは「御遠忌という大きな法要」は得てして「イベント」として捉えてはいないか、イベントなら済んでしまえば「やれやれ」とそれで終わりになってしまう。そうではなくご縁を頂いた後、宗祖に出遇えた慶びを後世へ伝える為に、私は何をするべきかが、大事なのではないでしょうか。この御遠忌を機に改めて真宗門徒としての生き方を問い、聞いていく、お内仏中心の生活をする、そうすれば子や孫も必ずや親鸞聖人に出遇い教えを引き継いでくれるものと信じております。

南無阿弥陀仏

024 死んだらどうなるのですか?

池田 徹

「死んだらどうなるのか?」の問いを、誰もが一度は考えたことがあると思います。

この問いに、念仏の教えに縁をもっている者として、きちんと応え、発信しなければならないと思っています。しかし、いままで何か言いきれないものがあって、応えてこなかったように思います。

他宗教の中には死んだらどうなるのかを、きちんと言葉にして伝えているものがあるようです。行先不明な我々にとっては、死後の心配、死んだらどうなるのかをはっきりさせたいという要求があります。中には、その死後の不安を利用して、「死んだら地獄に落ちるのだ」と言い、「地獄を逃れたければ、善行を積みなさい」と、勧めると聞きます。その善行は、献金(布施)と、信者の勧誘だと言われます。人間が犯してきた罪を指摘し、その罪の報いとして地獄は逃れられないと言い脅かすのでしょうか。ご注意ください。

親鸞聖人は

地獄は一定すみかぞかし

(『真宗聖典』六二七頁)

と言い、先人は、「南無阿弥陀仏は、地獄に安心して居れる世界だ」と言われます。それは具体的には、苦悩する力を与えられるということでしょう。

さて、「死んだらどうなるのか?」の問いに

法身(ほっしん)ともうす仏となるなり

(『真宗聖典』五八九頁)

という聖人の言葉をお伝えしたいと思います。「法身」とは、法の身ということです。

死んだら「法の身」となるということです。実は、この「法の身」ということは、死後だけではなく、生まれる前も、現在ただ今も「法の身」を生きているということです。三世を貫いてある「法身」を生きているのです。死んで初めて「法身」に成るのでなはく、今、現在も「法によって成り立っている身」を生きているのです。「法」の表現としての「身」(存在)なのです。その法とは、因縁果の道理、縁起の法であります。この私の身は、単独で、それ自身だけで成り立っているのでなく、因縁で成り立っているということです。あらゆるものから切り離された「私」は、意識の中では在っても、実際は在りません。無量無数の因縁によって私が成り立っているのです。それを「無我」という言葉でも表現されます。

そもそも「死んだらどうなるか?」の問いは、今までの経験、現在の物差しの延長上で、捉えたものです。初めに「私」を立てて、その「私」が生きて、そしてその「私」が死んでいくと思っています。その私の思い込みを破る形で、現在ただ今の私が「法身」を生きているという目醒めをいただく時、死後の心配から解放されつつ、「いま、ここの私」に向き合い、完全燃焼していける生き方を賜るのです。

(二〇一八年十二月下旬 桑名組・西恩寺住職)

023 悲しみを生きる力に – 葬儀という場に思う –

訓覇 浩

二〇一八年も残すところあとひと月となりました。この時期になると、この一年で浄土に還られたご同行の方々のお顔が、あらためて思い起こされます。今年は特に私も、身近なものの死に直面することになりましたので、なおさらです。

そこで今回は私たちが、死というものと向き合う大切な場となる「葬儀」という場について、少しく思いを巡らせてみたいと思います。

人の死に接したとき私たちは、亡くなった人が自分と縁が深い人であればあるほど

六親眷属あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず

(『真宗聖典』八四二頁)

という「白骨の御文」の言葉にも示されるような大きな無力感、もっと何かその人に対してできたことがあったのではないかという後悔、そしてもうその人と言葉も交わすことができないという絶望感など苦しくつらい感情、そしてなにより深い悲しみに襲われます。それらは、平生のこころでは耐え難い、逃げ出したくなるようなこころです。

その悲しみのこころに立つことをせまってくるのが、私は、葬儀の場であると思います。

弔問に訪れる人はみな、亡くなった人の一生涯に思いをはせ、その人と自分との縁をこころに刻みなおします。その一人ひとりの営みは、葬儀の場を一層沈痛なものとします。

しかし、肉体が滅した事実に直面し、その悲しみをとおさなければ、その人と出会えたことのもつ本当の意味、本当の慶びは分からなかったのだということに、そこに集う人はやがて気づいていきます。亡くなったものが、法身、法の身となって、これからは私として生きてくれる他者、すなわち他己となって一人ひとりの中に誕生するからです。葬儀という場は、そのような深い、仏さまの願いがはたらく場であると思います。

悲しみの深さが そのひとの深さだ

その深みから呼びかけられて 私は歩く

本山が発行しているリーフレット「通夜・葬儀のこころ」にある言葉です。

葬儀の場をおおう悲しみのこころは、先に浄土に還った人の、人として生きたことそのもののもつ尊さが、与えてくれるものだと思います。その悲しみのこころを抱き続けて生きる、先に浄土に還った人の願いを生きる、そういう一人ひとりを誕生させてくれる力、場が葬儀というものであると実感しております。

(二〇一八年十二月上旬 三重組・金藏寺住職)

022 金木犀の思い出

海野 真人

秋になるとうちの境内でも金木犀の花が何とも言えない芳醇な香りを放ちます。この香りを嗅ぐと、私は必ずこんな出来事を思い出すのです。

何年か前に私が年忌法要にお邪魔したお宅で、お参りに来ていた方が雑談の中でこんなことを言っておられました。「最近の金木犀はどうも匂いが薄くなった。前はもっと強く匂っていたのに」と。そして「これは酸性雨のせいだろうか?」とか「地球温暖化の影響だろうか?それとも知らない間に品種が変わったのだろうか?」等々いろいろな理由をあげておられました。でも、どうもスッキリしないご様子でした。それを聞いていたお相手の方が一言こんな風に言ったのです。「あんたなあ、それはあんたが年取って、鼻が鈍なっただけ!」と。その瞬間その方はパチッと手を打って「そうか!そういうことか!やっとわかった」と言われ、とてもスッキリとした明るい顔になられました。それを見て私は、「人が気づく」ということはこういうことだと思いました。

私たちは、日頃どういう訳か、知らず知らずのうちに「自分は変わらないし、自分は正しい」というつもりでいるのではないでしょうか。だから自分のことは棚の上において、いつも外に問題を見つけようとします。この場合で言うと「酸性雨や地球温暖化や品種」を疑うということです。自分に問題があるということには中々気づきません。しかし、今回「あんたが年をとって、鼻が鈍くなっただけ」という親しい方のキツイ一言で、問題が自分にあったと気づかされ、そして明るく解放されたのです。「年とって」の一言にカチンとくる人もいる中、この方は明るくスッキリした顔で「よくわかった」と感謝し、喜んでおられました。「気づかされる」ことによって明るく解放されるということを間近に見ることができて、こちらも思わず笑顔になりました。「報恩」というとつい難しく考えてしまいますが、意外と身近なところにあるのかもしれません。金木犀の香りが漂ってくると今もそのことを思い出すのです。

(中勢二組・法因寺住職 二〇一八年十一月下旬)

021 報恩講について

諏訪 高典

今年も報恩講の季節がやってきました。真宗門徒にとって最も大切で、最も大きな行事であります報恩講は、宗祖親鸞聖人のご恩に報いる仏事です。

聖人が亡くなられたのは弘長二(一二六二)年十一月二十八日、新暦では一月十六日。それ以来、親鸞聖人を偲び、毎月二十八日にお念仏の集まりがもたれました。講会として形式を整えられたのは聖人の曾孫にあたります覚如上人であります。覚如上人は親鸞聖人滅後の三十三回忌に『報恩講私記』をお作りになり、これに基づいて法要形式を定められました。今から七百年以上前のことであります。この『報恩講私記』が親鸞聖人のご命日に読まれるようになり「報恩講」と呼ばれるようになったとされています。

「報恩」という言葉はもともと中国で出来た言葉でその意味は「恵みに報いる」ということであります。特に中国では子どもを育ててくれた両親に対する報恩が強調されています。日本でも道元禅師や日蓮上人などは父母の恩を強調されました。

親の恩が尊いことは勿論ですが、親鸞聖人は仏恩と師恩を強調されたのであります。仏恩とは念仏一つで救ってくださる阿弥陀仏への恩。師恩とは親鸞聖人の師であった法然上人への恩であります。実際、聖人は法然上人滅後、報恩のお念仏、すなわち報恩講を営んでいたとされています。報恩の報は「むくいる」という意味、恩とは「なされたことを知る」です。講は「集まり、集い」ということです。したがって報恩講とは親鸞聖人のご恩に報い、一つの場所に話す人、聞く人が集い、そのご恩を明らかにするということになります。

真宗各本山で行われる報恩講を「御正忌報恩講」と呼びます。御正忌とは祥月命日のことで、大谷派は昔通り十一月二十一日から二十八日まで御正忌報恩講が勤まります。本願寺派、高田派などは新暦に改めて、一月九日から勤まります。「仏恩を知り、仏恩に報いる生き方ができる人間になろう。それが幸せな人生を生きる道である」と説かれました。

真宗門徒にとって最大最高の恩人は親鸞聖人に外なりません。往生浄土への道をお説きになられた聖人のご恩に報いるためにも、本山だけでなく、各寺院にもお参りし、さらに各家庭においても報恩講をお勤めさせて頂かねばなりません。それが真宗門徒にとって大切なことであり「報恩講」は個人の信仰から地域社会への固い絆へと浸透していくのであります。

(二〇一八年十一月下旬 桑名組・了嚴寺住職)