池田徹
『大無量寿経』には、衆生の志願-いのちあるものの深い本心-がいいあてられ、述べられています。本当にしたいこと(本心)がわからないまま、現実の中を被害者的にやらされているという意識(不満・不安・孤独・対立・抗争)を抱えながら生きているのが我々ではないでしょうか。そういう我々に向かって『大無量寿経』は呼びかけられています。それは一言でいえば、「浄土に生まれなさい」という呼びかけです。どんな人も、いのちあるものすべてが、浄土を求めずにはいられないということが衆生の志願であり、深い本心であると教えられています。
その浄土とは、地獄、餓鬼、畜生のない世界であります。地獄とは、通じあわないこと。共に生きていながら、そのものと心がかよわないということで、大きくいえば、民族同士の争い、人と人とが傷つけ殺しあう戦争という状況をいうのでしょう。
餓鬼とは、欲望の無限追求で、その結果、限りなく他者を利用し、道具化して孤独な生を生きているということです。結局今の自分を愛することができないということで、それは同時に縁あって生きている他者も愛せないという状態です。
畜生とは、自立できないということ。いつも何かに依存する生き方で、長いものにはまかれながら、自分の人生を他人事のように生きている在り方です。
この地獄、餓鬼、畜生-三悪趣-という生き方の悲惨さ、空しさ、無内容さを知る時「だからこそ」と、そうでない生き方を求めずにはいられないのです。私の生き方が、地獄、餓鬼、畜生という生き方であるということを深く知らされることと、浄土を求める、願う心とは同時であり同深であります。浄土を求める心は、私の三悪趣の生き方を教えられる中で発起する新しい意欲、それこそが衆生の志願であり、深い本心であるわけです。
この危機的な時代の中で、一人一人が、衆生の志願に目醒め、その深い本心に順って生きはじめる勇気と決断が待たれていることです。具体的には、「関係」を生き続けていくこと、「衆生」に回帰しつづけていくこと、他者に限りなくまなざしを向け続けていくことだと思います。
「あまねく諸の衆生と共に安楽国に往生せん」という諸仏のすすめ、歴史にささえられながら。
三和清光
今年は同朋会運動が提唱されて40年になることであります。
40年前、1962年といいますと、戦後の混乱期より17年が経ち、日本国内も落ち着きかけた頃でありますが、そのような中私たち大谷派より湧き上がった純粋なる信仰運動が同朋会運動であります。
その後、種々なる問題が惹起し「門徒一人もなし」とする私たちの体質そのものが問われてきました。しかし、私たちはこのような問題を本当に自己を問う縁としてきたのでしょうか。むしろ、問題収拾と対応のみに終始することになってしまっていたのではないでしょうか。
同朋会運動ですから、信心回復運動であり、僧伽の形成を願いとした運動であります。しかし、時として同朋・会・運動となり、組織や連携が重視され、政治的な運動になってしまいます。勿論それらも大事なことではありますが、あくまでも同朋会運動とは、一人ひとりの自己を問うていく聞法の縁になっていくということであります。同朋会運動の具体的な実践として「推進員の養成(帰敬式の受式)」「本廟奉仕」「特別伝道」が三本柱として掲げられました。これらが全ての運動目標ではありませんが、同朋会運動という言葉を使うことにより、自己満足し、いかにも運動として働いた形に酔いしれていたのではないかと自問自答しておることであります。
真宗人であるならば、今一度自己の点検が必要ではないでしょうか。そして全人類が救われていく宗教として、本来願われてきた信心回復運動が、今日只今希われてくるのであります。
佐々木達宜
先日、車の中でラジオを聞いておりますと、ある養護学校の校長先生のお話を紹介しておりました。少し前のことですので、学校や先生のお名前を失念してしまい、話も若干はずれておるかもしれませんが、要約するとこういうお話でした。
校長先生というのは、たいがい校長室にデンと構えておられることが多い訳なんですが、それじゃ生徒との距離が縮まらない。そこでその先生は校長室を生徒たちに開放したんですね。最初は様子を窺っておった子供たちも、慣れてくると自由に校長室に出入りするようになり、やがては先生の頭を撫でまわしたり、ペタペタと叩いたりし始める。というのもその校長先生、頭が見事に禿げておられたそうなんです。そこで先生が一言、こうおっしゃったそうです。
「あゝ、禿げててよかった」
実は私も、てっぺんの方がだいぶ危うい状態になっておるんですが、コンプレックスを感じることはあっても、よかったと思ったことなど一度もない。主人公が自分である限り、こういった発想はできないんですね。
ここでは主人公は子どもたちであり、校長先生はその子どもたちから智慧を授かっているのでしょう。
仏教ではこうした意識の転換がとても大切なのです。そして仏法をいただくことによって、私たちの日常における自己中心の価値観や生活が大きく逆転されていくのです。
みなさんは朝に夕に、お仏壇の前で手を合わせておられることと思います。ここでは、もちろん主人公は阿弥陀様であるわけですが、私たちの自己中心の価値観から、阿弥陀様を中心とした新しい世界観に逆転されていく場がお仏壇なのです。私の前に阿弥陀様があるのではなく、阿弥陀様の御前に私が座っているとの、意識の転換が促されておるのです。それはもっと言うならば、我々が仏様を供養するのではなく、我々が仏様に供養されておるのだ、ということでもあるのです。
お盆が近づいてまいりました。報恩の心でお仏壇に向かいたいものです。供養される私として、精一杯報恩の心でお仏壇に向かわせていただきたいと思います。
藤井信
私のところの寺が修復工事を行っていた、ある日のことです。工事に携わってみえた、まだ若い方が休みの日に突然訪ねてきました。ちょっと話があるというので家にあがってもらったのですが、こんな話なのです。「実は、数日前からどうも身体の調子が悪いのですが、でもまぁ大丈夫だろうと思って仕事を続けていたんです。そしたら見てください。この顔」見ると、その人の顔の半分が麻痺しているようでした。「こんな風に突然、顔の半分が麻痺したんです」他の人から「おまえ、何か罰が当たるようなことしたんやないか」と言われました。「何か身に覚えがあるんですか」と私が言いましたら、その方は「何もした覚えはありません。でも知らず知らずのうちに何か罰があたるようなことをしたのかもしれません」と言います。「悪いと思ってもしてしまうことがあるのに、あなたが言うように、知らず知らずのうちにする悪いことなんて私たちはどれだけやっているか分かったもんではありませんよ。それに、その一つ一つに罰が当たっていたのでは私たちは生きていくことさえできないかも知れません」
これまで何人か同じような症状の人から菌が入ったりしたことが原因だったと聞いたりしていたので、そんな話をしたり、不安に思う気持ちについていろいろ話したことでした。私たちが普段、自分の行為に無関心ですが、何か自分に都合の悪いことが起きると、途端にとても気にしだし、それだけでなく原因を自分以外の他に求めるようです。そしてその不安を解消するためにあるのが宗教だと勘違いしているのではないでしょうか。しかしそのような心など、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」かのように、事態が好転すればすぐに忘れ去ってしまう都合のいい、その場しのぎの心なのです。私たちは、大なり小なり、何かに不安を抱きながら毎日を過ごしていると言えるかもしれません。しかし不安に思う気持ち、それこそが生きる上で重要な意味をもつのではないでしょうか。金子大栄氏の言葉に「生きるしるしの発見、それが宗教というものではないか」とあります。不安に思う気持ちを通して、生きるしるしを発見することこそが大事なことなのではないでしょうか。
藤井恵麿
私は、4年ほど前から出身校の三重支部・同窓会事務をさせていただいております。と言いましても私一人でやっている訳ではありません。三重支部・同窓会運営の為の役員が約20名ほどおりますが、その一人として事務を担当させていただいております。
最初に、この仕事をやらせていただいて感じたことは「貧乏くじを引いてしまった」ということです。と言いますのは、その役員が中心となって、年1回の総会を開催する訳でありますが、その打ち合わせの為の役員会を開催してもなかなかご出席いただけず、半数以下での役員会ということもありました。また、総会の案内状の発送でありますが、本当にたいへんな仕事であります。一人でやれば、支部内の会員530余名の方に発送するのには、3日間ほどかかります。その発送については、今では役員の方に手伝っていただいておりますが、それでもやはりたいへんな仕事です。
さて次には、総会の出欠の返信でありますが、これがいつも真面に返ってきません。返ってくるのは毎年いつも100通ほどであります。後の400通ほどはゴミ箱行きかと思うと「あの発送の苦労は何だったのか」と怒りが込み上げてきます。そして総会の出席が毎年10名前後ともなれば、虚脱感で一杯になります。
そのような思いの中で、ある時、気づかされました。この仕事を担当するまでは、私は、この同窓会の総会に出席したことも無ければ、出欠の返事すらも出したことが無かったのであります。「自分が傷つくことに対しては敏感だけれども、相手を傷つけることには何て鈍感なんだろう」そしていつの間にか「自分が一番苦労している」とまで思い込んでしまっている傲慢(ごうまん)な自分…。
人のわろき事は、能(よ)く能く。みゆるなり。わがみのわろき事は、おぼえざるものなり。(真宗聖典890頁)
という蓮如上人のお言葉が静かに胸に響いてきます。
星川佳信
1207(承元元)年、聖人35歳の時です。念仏弾圧の嵐が法然上人の「吉水教団」を襲い、法然上人の弟子七人が流罪、他四人が死罪。法然上人自身も土佐に流罪となり、親鸞聖人は越後に。これが「承元の法難」といわれる事件です。「ただ念仏のみぞまことにておわします」という念仏の教えに対し、強く危機感を抱いた時の権力者の圧制によるものです。これが後に「首が飛ぶような念仏」と言われた所以(ゆえん)です。
また後に関東の弟子たちから起こされた念仏への疑問に対してです。「本当に念仏で助かるのか」と。師聖人は「念仏の他に特別な妙薬を隠しもっておられるのでないか」という不信と動揺。聖人の「おおせでなきことをおおせ」といい、権力者との癒着を深めていく善鸞。故に我が子を義絶しなければならなかった聖人。これがいわゆる「建長の法難」と言われるものです。
こうした二度にわたる法難が『歎異抄』の思想的根拠になっています。明治、清沢門下によって光が当てられることになりますが、反権力の書として危険視されてきました。
今また「おおせでなきことをおおせ」と言い、真宗教団がその批判精神を失い、戦争へ荷担するようなことはあってはなりません。
テロに対して報復、核の恐怖、暴力の連鎖が世界を覆っています。
今国会で有事法制化に向け議論が戦われています。本土決戦を想定した議論です。「例えば」に始まる与野党の議論の先にいったい何が見えてくるでしょうか。57年前の沖縄を想像してみてください。1999年「周辺事態法」に始まり、今回の「有事法制化」の動きは間違いなく戦争体制へと連動していきます。そして核兵器の脅威が冷めやらない今、政府首脳による「非核三原則」の見直し発言報道、唯一被爆国日本が言う言葉かと絶句してしまいます。こうした一連の政府首脳と言われる人たちの発言が意図的か、恣意的か分かりませんが、そういった発言を許すような環境を私たちがつくってきたということに恥じなければなりません。過去の歴史を封印するのは、誰でもない私たち自身だからです。
木村大乘
2002年6月6日は、近代(明治)の親鸞とも言われました清沢満之先生の百回忌の年にあたります。この清沢先生の語録のなかで私自身いつも問いかけられている言葉がございます。それは、
財貨を頼めば、財貨の為に苦しめらる。
人物を頼めば、人物の為に苦しめらる。
我身を頼めば、我身の為に苦しめらる。
神仏を頼めば、神仏の為に苦しめらる。
その故何ぞや。他なし、「たのむ」心が有相の執心なればなり。
これを自力の依頼心と云う。
さて、ここに私たちの人生における一切の苦しみや、悩みが起こってくる根本の原因、つまり「苦悩の本(もと)」を自覚として明らかにされた言葉こそ、「その故何ぞや。他なし」の一言をもって示されているのであります。それはちょうど、お釈迦さまがお悟りを開かれた時に、「三界という迷いの世界を造っている(造り主たる)大工を見つけた」と言われたその自覚に匹敵するものであるといえましょう。それが「我執(がしゅう)」という妄念妄想なのであります。
私たちはすでに絶対なる如来のいのちの世界に身をいただいていながら、その一切を「我執」によって私物化し、欲望の世界として迷っている「自力の心」を知らないのであります。しかしまた逆にいえば、悩みや、苦しみ、空しさ、不安の心をご縁として「自力の妄執」に気づかされるお陰で、他力の掌中(しょうちゅう)に生かされて生きている自身を新たに発見して行く道が限りなく開かれてくるのであります。
宇野那智子
私はこの3年間、京都のご本山へ度々足を運ぶご縁をいただきました。
いつもご本山へ着きますと、先ず阿弥陀堂の山門をくぐり、鳩の群れに迎えられて、阿弥陀堂にお参りし、廊下に出て右手には毛綱と橇(そり)を見ながら、左手には今月のご命日の法要日程を見て御影堂(ごえいどう)へと入ります。
「またお参りに来ました。お久し振りでございます親鸞聖人様」と心の中でご挨拶をし、手を合わせ「ナンマンダブ、ナンマンダブ」とお念仏を唱え、お会いできた喜びを噛みしめて、しばらくの間心の中で、いろいろな思いを話しかけさせていただいておりますと、やがて何となく心が安まり、気が落ち着いてくるのでございます。
何時か、本山の研修に参加した時、ご講師の方が「御影堂の親鸞聖人に会いに来るのではなく、お膝元に帰ってきて、そして心新たに我が寺へ出かけていくのではないのか」と話されたことがございました。
そのことを思いだし、御真影(ごしんねい)の前で自分の思いを聞いていただくお参りを済ませて、聖人様に見送られて我が寺へと辿り着き、「さあ、心機一転がんばろう!」とその都度思うことです。
つい先日もそんな話をご門徒の方としておりましたら、その方も、「いや、奥さん、私も前から気が重くなったり寂しくなったら、ご本山にお参りに行くのよ」とおっしゃっておられました。
その方は数年前にご主人を亡くし、先日納骨を済まされたのですが、それを機にしてお膝元に帰るご縁をいただかれたということでした。
このようなご縁を大事にして、人生に明るさを失った時、また希望に輝いた時などには、いつでも親鸞聖人のお膝元へ帰り、そして心新たに出発しよう!と心の中で誓いを立てました。
そんなふうにして我が自坊の法灯を守り続けていけたらと思うことです。
王來王家眞也
親鸞聖人は「この和国に仏教のともしびをつたえまします」人として、聖徳太子を讃えて、
和国(わこく)の教主聖徳皇(きょうしゅしょうとくおう)
広大恩徳(おんどく)謝(しゃ)しがたし
一心に帰命(きみょう)したてまつり
奉讃(ほうさん)不退ならしめよ(真宗聖典508頁)
と和讃されました。親鸞聖人は太子の打ち立てられた国を「和国」と受容され、和国の教主として太子に深い恩徳を捧げられたのであります。太子は我国を「和国」たらしめる根拠を仏法によられたことは、十七条の憲法の第2条に「篤く三宝を敬え」と宣言されたことに顕されております。それは単なる政治の手段としての仏法でなく、自ら深く仏法に帰依されたことに基づくのであります。
その証しが第10条に、人間は「共に是れ凡夫(ただひと)ならくのみ」と示されております。人はいかなる環境にあっても、共に凡夫として存在することを立脚地として、自己の存在の使命と責任を太子は果たされました。その生涯は、正しく仏法を証しするものであり、仏法の証人であります。その証人の上に「和国」が成り立ち、永く我国の精神的支柱となりそれが我々の住むこの国の進むべき新しい未来への方向を教えているのであります。
高木彩
先日、沖縄での戦争の真実を再現した「沖縄戦の図」という絵を見ることができました。その絵には、様々な証言を基に親は子に夫は妻に手を下し、エメラルドの海が赤く染められてしまうという残酷な光景が描かれており、「いのち」と真剣に向き合った人々の姿は生々しく今も私の心に強く残っています。その絵に描かれている人々にはそれぞれいろんな思いがあったはずですが、描かれたほとんどの人々は無表情で眼が描き込まれていませんでした。私は最初そのことに全く気がつきませんでしたが、「眼が描き込まれていないのは、絵を見た人が、犠牲となった方々の立場であったらどんな眼をしているのかを自分のこととして考えてほしい」という作者の思いを聞かされた時、何処かで分かったことにして、目前に再現されている真実と少し距離を置いている自分に気づかされました。そして私はこの絵の作者から自分自身の生き方を問われているように思ったのです。「いのち」と真剣に向き合っている人たちを見て、それを自分のこととして考えてほしいということは、「いのち」と真正面から向きあえ!という叫びだと感じました。戦争のことを知り、さらに「いのち」は大切だと感じることはいろんな形でできると思います。しかしそれだけでは戦争さえ起こらなければそれでいいということになってしまうのではないでしょうか。このような考え方になると自分自身の関わりが見えなくなってしまい、自分自身を見失うことになりかねません。
「いのち」と向きあうことは簡単ではないですが、人やものとの様々な出会いから、知り得たことをきっかけとして、与えていただいた限りある「いのち」というものに真剣に向き合うことで、毎日毎日を生かせていただいていることの尊さに出遇うことができ、自分自身を見つめ直していくことで、「いのち」というものが、そして自分自身の生きる道が見えてくるように思います。
真宗大谷派(東本願寺)三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。