訓覇 浩
「独立者の共同体」、私がこの言葉とはじめて出会ったのは、学生時代、同朋会運動の願いについて学ぶ中で、僧伽建立という言葉と合わせて教えられた言葉です。また「独立者と独立者は感応道交する。その世界が同朋社会」だとも教えられ、私の中でもっとも大切な言葉の一つとなっていきました。そして、結婚式のスピーチなどを頼まれた時は、理想の夫婦像ということで、この言葉を得意になって紹介し、私自身もそういう関係を生きたいと願ってきたように思います。
しかし、寺に戻って五年の月日がたち、あえぐように日常を送る中で、私は、この言葉を、たいへん安易にとらえていたのではないかといま感じています。安易にというより自分勝手にとらえていたのではないか。私にとって独立者というのは、たとえ夫婦といえども、相手に縛られずに自分勝手に生きるということ、そして共同体というのは、でも困ったときには助けてくださいね、というようなものであったのではないかと思い知らされます。
では、私の上には、独立者の共同体というものは、無縁のものなのだろうか。それどころか、他者とつながって生きるということそのものが成り立つものだろうか、そういう疑念が強くなってまいります。
そのような時、朝日新聞の「折々のことば」という欄に、次のような言葉が紹介されているのが目に入りました。
なぐさめるのでも、抱きかかえるのでもなく、互いに共有しえない闇の、その共有しえないということの重さを共有していくということ
つながって生きるということについて語られた、七〇年代にウーマンリブ運動を闘った田中美津さんの言葉です。ここの「重さ」には、私は「悲しさ」という意味もこめて読ませていただきましたが、相手の存在を否定し、自分を正当化する、我の主張と依存のなかに生きる私のうえに、もし、相手とつながるということがあるとすれば、つながれない悲しみを共有する、そういうことなのではないかと。そして、そこで感覚させられる悲しみこそ、本願の方から私に向けられる、僧伽建立の願いの力によるものではないのかと感じさせられました。僧伽の建立という願いをわが想いでつかもうとした時、それは本来の願いとは全く異質なものとなってしまうのではないでしょうか。
現在、三重教区においても、一ヵ寺・一ヵ寺の活性化、本来化に向けての取り組みが始まっておりますが、その課題が、本願の方から向けられる僧伽建立の願いであるということを見失い、人間的願望や欲求のうえに見てしまった時、仏法に似て非なるものを仏法としてしまうという、もっとも大きな過ちをおかすことになる、そういうことをちかごろ思わせてもらっております。
(三重組・金藏寺住職 二〇一七年十二月上旬)