018 大悲の願い

原田はるみ

私たちは毎日毎日、時間に追われながら日暮しをしています。目の前に起こる現実の問題に応えることもなく、多くの時間を費やしています。しかし、そこには人生の苦しみや悲しみ、自分の思い通りにならない現実があります。それは私と他の人との関わりによって生まれているのです。そこには、愛憎や善悪という人の世のしがらみがあります。私たちは日ごろ、自分にとって都合の悪いことを取り除くことに一所懸命になります。

だからこそ、今、私にとって大切なことは、現実の問題と関わる自分や他の人の置かれた状況や心情を素直に受けとめて、大事にすべきことは何かということを知り、自覚することであります。

また日常生活の中での問題だけを追い求めるだけでなく、私のいのちのつながり、祖父母と父と母、子と孫という繋がりによって、お念仏を頂いた私であるということを頷くことも大切なことです。どんな境遇の中でも仏さまに手を合わせ、その境遇を引き受けてきた祖父母と両親の生き様を思い起こし、私もそうありたいと願うのです。

何故なら身近なところより感じ得たいのちのつながりやご縁を通して、私たちは仏さまの教えに触れてきたからです。そして、日常生活の中で、思い込みではない事実を見つめ、新たな関わり方を見出そうとする願いに目覚めるのです。

そんな私たちに向けて、阿弥陀仏がまだ仏になる前の法蔵菩薩の時に、「自分も救われると共にすべてのものを救う、救い遂げるまで何処までも救っていく」という「大悲の願い」を立てられました。

親は子どもに願いをかけ、子どもの身に実現していくための力となってはたらいていくのです。

阿弥陀仏のご本願も、仏の教えやお念仏となって、私たちにかけられていると同時に、力となり、はたらきとなって、私のところまで南無阿弥陀仏となって届けられているのです。

(中勢一組・託縁寺坊守 二〇一七年九月下旬)