竹林加代子
夫が眼の手術をした時のことです。その日、同じ手術を受けるという七十代くらいのお母さんと付き添いの娘さんが、私たちのいる手術前に待機する部屋に入ってきました。初めのうちは、四人はそれぞれの思いを抱き無言でしたが、看護師さんが度々訪れて手術前の処置をするうち、名前も知ることになり少しずつ言葉を交わすようになりました。しかしお母さんだけは無言でした。
やがて昼食が運ばれてきました。お母さんはほんのわずかを口にしただけで、箸をおきました。とてつもなく大きな不安と緊張の中にいることがよくわかりました。何とか声をかけ、少しでも気持ちを軽くしてさし上げられたらと思いましたが、それは私の思い上がりだと気づき、言葉をのみこみました。
夫の手術が始まり、順番を待つお母さんは、娘さんと離れて手術室の前に移動しました。その時、がっくりと肩を落として、うなだれていたその姿を見て、娘さんが小さな声で、おずおずと私に「あのう、すみませんが私の手を握っていてもらえませんか」と言いました。思いもよらないその言葉に驚きましたが、素直で率直なその申し出を「いいですよ」と受けて、両手で娘さんの手を包みました。見守るしかできない娘さんも、お母さんと同じように、いえ、それ以上に不安と緊張の中にいるのでした。とてもとても長く感じられる短い時間が過ぎました。その間に娘さんがポツリポツリと話しはじめました。「うちのお母さんはすごく心配性で、私には言わないけどきっと、二、三日前から眠れていないと思う」と。話すことで自分を落ち着けようとしているのかなと感じました。「そう、そう」という言葉だけ返し、手をさすりました。
しばらくして手術を終えた夫が戻ってきました。「心配やろうけどな、痛いこともあらへん、すぐに終わる、大丈夫や」と娘さんに声をかけました。その後、半時間足らずして、お母さんは娘さんの許へ戻りました。この時の二人の安堵はどれほどだったでしょう。娘さんの手は自然と私の手を離れ、お母さんの両手を包んでいました。
ひと息ついた後、今日初めて会った人に、あれやこれやと喋ってしまってと、娘さんは少々気恥ずかしそうでしたが「お互い無事に済んでよかった。明日もお会いするかも分からないけど、お大事に、お元気でね」と声を掛け合って別れました。少しは娘さんの心の手当てをさせていただけたかなと、思いながら我が家に向かう私でした。
(二〇一八年八月上旬 中勢二組・超泉寺坊守)